自分の感性に合う作家さんに出会うのは大きな喜びだ。
北村薫さんの連作短編集「夜の蝉」(創元推理文庫)を読んでワクワクした。
★その最初の短編「朧夜の底」ではこんな描写がある。
大学生で主人公の「私」は友人の「詩吟発表会」に行く。
次々と朗読される詩歌。
『新古今』の巻頭歌が朗読された時はこんな表現がされる
「ぞくりとした。快感である」
主人公は音で語られる和歌の世界の美しさに酔う。
漢詩が朗読された時は
「そこで一転して、きん斗雲に乗ったように舞台は中国に飛んだ。合唱といっていいのか、五人がいっせいに声を揃え吟唱した」
そして「詩吟発表会」で演じられた世界をこう表現する。
「和歌と漢詩と、そして俳句によって春の錦が織られていった。霞が立ち、桜が咲き、花吹雪が舞った」
「陶酔的で耽美的で、おかしないい方だけれど<ちょっとまずいんじゃないの>と思うくらいに色っぽかった」
抜き書きしてしまうとこの表現の妙は半減してしまうが、ともかく読者もこの耽美的な吟唱の世界に誘われてしまう。
★主人公の人物像も共感できる。
例えば本や図書館についての考え方。
「学校の本を白蟻が家を崩すように次から次へと借りては読んだ」
「大学の巨大な図書館は利用していない。開架式でないところは感覚的に苦手なのである」
「私がよく行くのは隣の市の私立図書館なのだ。三年間通った女子校のすぐ近くにある。何より高校生の間、帰り道にはそこに寄るのが生活の一部になっていたのだから、ごく自然に利用できる」
「特筆すべきは、ビデオ、CD、テープの貸し出しもやっていることで、中でも落語のテープが充実している。私にとっては宝の山である」
★知り合いの陶芸家の個展・展示即売会にいった時はこんな描写。
「茶碗の前に立つ。
六つの茶碗が置かれ、それぞれの個性を主張していた。その右手にある茶碗に魅きつけられた。
形は単純素朴、ひねくりまわして奇をてらったところがない。ほんのりと底からベージュが浮かんでくるような暖かい白の茶碗である。その胴にたなびく雲の流れがあり。それもほとんど白に見えるのに。じっと見詰めていると内に紅を感じさせる。いや、紅だけではない。それは実は、五彩の雲なのである。
この美しいものを欲しい、と思った」
★ラストは夕暮れのお茶の水の描写。
「やがて、ごうごうと音がして川面に、向こうから駅に滑り込んで来る玩具のような紅色の丸ノ内線の電車が映った。電車の上には聖橋の灰色のアーチがあり、橋を通る人々の姿は胸から上だけが遠く小さく墨絵のように見えた。その彼方には秋葉原電気街のネオンの城が幾重にも重なり、赤や城の光が駆け上がり駆け下り、黄色い三角形が点滅していた。背景となる夜の漆黒は光に溶け、薄桜色に染まっていた」
まさに言葉による絵画。
北村薫の作品はミステリーとしても優れているが、言葉の世界に酔うことができる。
北村薫さんの連作短編集「夜の蝉」(創元推理文庫)を読んでワクワクした。
★その最初の短編「朧夜の底」ではこんな描写がある。
大学生で主人公の「私」は友人の「詩吟発表会」に行く。
次々と朗読される詩歌。
『新古今』の巻頭歌が朗読された時はこんな表現がされる
「ぞくりとした。快感である」
主人公は音で語られる和歌の世界の美しさに酔う。
漢詩が朗読された時は
「そこで一転して、きん斗雲に乗ったように舞台は中国に飛んだ。合唱といっていいのか、五人がいっせいに声を揃え吟唱した」
そして「詩吟発表会」で演じられた世界をこう表現する。
「和歌と漢詩と、そして俳句によって春の錦が織られていった。霞が立ち、桜が咲き、花吹雪が舞った」
「陶酔的で耽美的で、おかしないい方だけれど<ちょっとまずいんじゃないの>と思うくらいに色っぽかった」
抜き書きしてしまうとこの表現の妙は半減してしまうが、ともかく読者もこの耽美的な吟唱の世界に誘われてしまう。
★主人公の人物像も共感できる。
例えば本や図書館についての考え方。
「学校の本を白蟻が家を崩すように次から次へと借りては読んだ」
「大学の巨大な図書館は利用していない。開架式でないところは感覚的に苦手なのである」
「私がよく行くのは隣の市の私立図書館なのだ。三年間通った女子校のすぐ近くにある。何より高校生の間、帰り道にはそこに寄るのが生活の一部になっていたのだから、ごく自然に利用できる」
「特筆すべきは、ビデオ、CD、テープの貸し出しもやっていることで、中でも落語のテープが充実している。私にとっては宝の山である」
★知り合いの陶芸家の個展・展示即売会にいった時はこんな描写。
「茶碗の前に立つ。
六つの茶碗が置かれ、それぞれの個性を主張していた。その右手にある茶碗に魅きつけられた。
形は単純素朴、ひねくりまわして奇をてらったところがない。ほんのりと底からベージュが浮かんでくるような暖かい白の茶碗である。その胴にたなびく雲の流れがあり。それもほとんど白に見えるのに。じっと見詰めていると内に紅を感じさせる。いや、紅だけではない。それは実は、五彩の雲なのである。
この美しいものを欲しい、と思った」
★ラストは夕暮れのお茶の水の描写。
「やがて、ごうごうと音がして川面に、向こうから駅に滑り込んで来る玩具のような紅色の丸ノ内線の電車が映った。電車の上には聖橋の灰色のアーチがあり、橋を通る人々の姿は胸から上だけが遠く小さく墨絵のように見えた。その彼方には秋葉原電気街のネオンの城が幾重にも重なり、赤や城の光が駆け上がり駆け下り、黄色い三角形が点滅していた。背景となる夜の漆黒は光に溶け、薄桜色に染まっていた」
まさに言葉による絵画。
北村薫の作品はミステリーとしても優れているが、言葉の世界に酔うことができる。
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