11年前の3月11日は、日本中の人が悲しい辛い思いをした日ですが、
その日は、母の通夜でした。
母を迎えに来て下さった斎場の車を見送り、家に戻って床を片付けて居た時、
あの地震発生。10階でしたので、その揺れは物凄かったです。
ただ、ビルを建てた工事会社と直接接していました弟が、”このビルは、地震対策をしているので、揺れる様に建てているので大丈夫”と言いましたが、誰もが、信じられず末の弟家族は、幼い子供も一緒でしたので、泣き叫んで大騒ぎでした。今でも、想い出すとぞっとします。
あの日の事を想い出しますと今でも胸が痛くなりますが、あの地震の前までは、3月11日はわたし達夫婦の初孫ちゃんのお誕生日で、嬉しいだけの日でしたのに、この歳から辛い日にもなりました。
ただ、幸いなことに、地震の翌日に予定どうり葬儀が出来た事でした…。
もう、11年も経っているのに昨日の様な気がします。
今日で彼女は27歳になります。看護師の仕事が天職のような孫娘です。
コロナ病棟に勤務しているので心配ですが、本人はケロッとしてます。
今年になってから、まだ一度も彼女に会えない状況です。
電話で無く、ライン・メールだけですから、声も聞けないのが寂しいです。
早くコロナが治まることを、願うばかりです。
偶々、新潟から孫息子が来ていますので、長女とやって来ました。
お正月以来です。
彼の好きな梅干しオコワを炊いたり、芝エビの唐揚げを揚げたり、
常備菜をテーブル一杯並べましたが、梅干しオコワが一番”だったようです。