フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

美味しい食事

2010-09-15 22:42:34 | 日記
9月15日 水曜日 曇りのち晴

まだ復活出来ない自分の体を持てあましている状態なのですが、何となく今日は誰かが一緒でした。
先ず、お昼を一緒にしようと言って肉じゃがを持って次女がやって来てくれました。
わたしの作り置きのピクルスやキャベツの酢漬けをテーブルに並べました。

娘が好きな椎茸の含め煮も作ってありましたので、彼女も喜んでくれました。
彼女もわたしもさっぱり系が好きなので、クロマイのご飯とおみそ汁のお昼でした。
もっとも彼女はお新香が好きなので、今日はザーサイの漬物を箸休めにしました。

2時からほのぼの編集会でしたので、2時前にはメンバーはやって来られました。
ハワイのお土産で戴いたコナコーヒーで先ず打ち合わせ、それから文章チェックを始めました。
表紙の画像取り込みもなんとか出来ました。ほぼこれで作業は終わりましたが、
後日、最終チェックをするためにもう一度編集会を予定しています。来月上旬発行です。

編集会が終わり、お茶をしていましたら友人がお寿司をお土産に来宅。
編集メンバーは間もなくお帰りになり、友人とわたしの2人でお持たせのお寿司で夕食。
メンチカツを野菜と一緒に盛りつけて、お昼にも食べたのですが酢漬けの物を箸休めにしました。

一人の夕食とは雲泥の差です。美味しかったです。彼女も一人住まいですからお互い思いは同じです。
わたしのパソコンを弄ってみたり、作業中のタオルエプロンを眺めたり、彼女の手作りの小物を見たり、
何となく話が途絶えることが無いのです。

一人住まいの寂しさを経験中ですので、お互いを労っているのかも知れません。
今日はお昼も夜も一人の食事ではありませんでした。これがとても嬉しかったです。
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睡眠不足

2010-09-14 20:36:23 | 日記
9月14日 火曜日 曇りのち晴

昨夕、7時少し前に急遽ペンキやさんが入ることになってしまいました。
入梅前に屋根を塗り替えた方が良いと何時もお願いしている業者の方に云われました。
自分の家の屋根を見ることが出来ない構造の建て方をして居ますのでこんな時困ります。

入梅前の予定が業者の方が忙しくなったとかで、まだ工事をしていません。
それが昨夕、14日から工事に入りたいと電話があったのです。
14日は午前中は一瓶窯で仕事があり、午後はリコーダーアンサンブルのボランティア演奏です。

ペンキやさんが入りますと車が止まったり何かとご近所にご迷惑をおかけしてしまいます。
あまりに急なので、ご近所へのご挨拶が出来ません。
それにこの所母の滞在、その後の体調不良などでリコーダーを全く練習出来ずにいました。

そんなことが気持ちを重たくしてしまったのでしょうか、眠れませんでした。
ほんの一時間半ぐらい眠ったようですが、目覚めてしまいどうしても眠れないのです。
体が汗ばんできて、ベットで横になっているのも辛くなって来てしまいました。

3時半に起きあがって、部屋の片づけをしたりお風呂に入ったり、お洗濯をしたり・・・。
いつもの朝の行程を全部終えてもまだ5時前でした。
ポストへ葉書を投函してプラゴミを収集所へ持って行ってもまだまだ時間はたっぷりありました。

その時一番やりたいことはリコーダーの練習をでしたが、あまりに早すぎます。
悶々としながら朝刊を読んだり、時間つぶしをしていました。
寝不足をしていますからパソコンを弄る気にはなれませんでした。疲労が心配でした。

栄養剤を飲んだり葛根湯のアンプルを飲んだり、珍しくそんなな物に頼っていました。
そのお陰でしょうか、今日一日、仕事もリコーダーもなんとかパスせずに消化出来ました。
車の運転が一番気になりましたが、それもクリア出来ました。疲れで立って居るのも辛い状態でした。

それに屋根のペンキ塗りも順調に進んでいるようです。
明日、改めてご近所にご挨拶をしてこようと思っています。
あるじとのコンタクトのつもりでこのブログを書いています。これで忙しい1日は終了です。
今日は早く寝るのが得策と思っています。
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一人旅行

2010-09-13 21:13:31 | 日記
9月13日 月曜日 曇りのち晴

朝の内は曇っていました。10時に鍼治療の予約を入れて居ました。
曇っているので歩くには好都合と思っていたのですが、わたしが出掛ける頃には晴れてしまいました。
歩きていくのはちょっと大変かなぁ~と、少々うんざりしていました。

まだ体調は完全ではありません。後頭部から首から背中まで、右側がかちかちに腫れあがって居ます。
鍼の先生は親孝行の後遺症というような事を居ておられましたが、そうかも知れません。
今日は鍼治療のあと、家で小休止して3時からヨガ教室への予定が入っています。

今日、もう1日、体の調整をする日にしようと思っています。
体に良いことをして、明日からまた元気になりたい。せめて元気そうに見えるだけでも良いです。
明日は午前中、一瓶窯へ行き仕事をし、午後からリコーダーとオカリナ演奏のボランティアに行きます。

母が居る間には、ほんのちょっとだけ吹いただけでほとんど練習が出来ていません。
昨日も浅い呼吸しか出来ませんでしたので、リコーダーを吹くどころではありませんでした。
今日は鍼治療とヨガ教室と皮膚科の治療に行く予定を消化するだけで精一杯でした。

明日、お昼に帰ってきて少し練習をしてから会場へ行くしかないと思っています。
食欲も少しずつ出てきています。
今夜は味の塩焼きを一尾しっかり完食出来ましたから、もう大丈夫です。

鼻風邪をひいているようなのですが、葛根湯のカプセルを飲み始めましたからこちらも直に治るでしょう。
日頃、薬を使わないようにしていますから、薬の効きは良いようです。
鼻水が流れていては、リコーダーやオカリナも吹けませんからこれは一大事です。

この歳で、バス旅行に生まれて初めて1人参加するために予約の電話をしました。
三浦半島を11回で1周するというバス旅行なのです。
その第1回目の行程に参加してみようと思いつきました。一人旅行の初経験には丁度良いとプランです。

あるじが亡くって、この12月3日で満4年になります。
何事も一人でする、これが不可欠と云うことに気がついたのです。
これがクリア出来れば、食事も一人で大丈夫になるでしょう・・・。強くなれる様な気がします。
そう思いついてからもずっと迷っていました。

三浦半島1周はどうしてもしたいと思っていました。
締め切り間際まで迷いました。母が帰ってからわたしの体力も考慮しなくてはいけません。
結果、やっと今日決断したのです。
一人で動くことにしました。後は考えすぎずにただ当日を待つだけにします。
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大人の音楽教室

2010-09-12 22:09:41 | 日記
9月12日 日曜日 晴のち曇り

昨日は母の寝室を片付けて、久しぶりに1階も2階もお掃除しました。流石に疲れました。母を気分悪くせずに送り出せた、その緊張感がまだ残って居たのでしょうね。
体はかなり重くなり、食欲もなくなって居ましたから休憩しなければいけなかったのです。

でも昨日は椅子に座っていましても、何となく気持ちが落ち着かず休め無かったのです。
お洗濯物も取り込みベットを作って、全部綺麗に片付けてから、少しベットで眠りました。
暫く眠っていたようです。目覚めた時の気怠さが酷かった・・・。

やはり昨日は頑張りすぎたようです。今日は全く動けません。浅い呼吸しか出来ないのです。
ラジオの音を聞きながらわたしの部屋を27度に設定してベットでトロトロ眠り続けました。
今日は休んでエネルギーを蓄える事に専念、そうすればまた明日から元気になれます。

少し元気になってから、貯めていました新聞を読みましたら、
「この秋 挑戦したい楽器」という見出しの記事が目に入りました。
以前は子供が主体でした音楽教室が大人に人気が出てきているようです。

朝日新聞のアスパラクラブのウエブサイトでアンケートを実施し、2262人の解答があったとか。
一番人気がピアノで590票 、2番がアコースティックギターが450票、3番がオカリナが179票、
4番がウクレレ163票、それに和太鼓 149票、続いてフルート、キーボード,
ハーモニカ、サクソフォン、三味線と続くそうです。

わたしはピアノ、オカリナ、ウクレレ、キーボード と人気楽器を4つも持っていました。
ピアノは子供の頃から習っていましたし、キーボードはあるじが亡くなってから買いました。
ベットの隣に置いて夜中に弾いたりしていました。

目下はリコーダーとオカリナそしてウクレレを頑張っています。
練習場所が我が家でしたので、メンバーのかた達が部屋だけ借りるのは申し訳ないとの言葉で、
わたしが急遽、ウクレレにトライすることになったのです。持ち方から教えて頂きました。
あるじが立ち上げました「ウクレレ愛好会」が解散になるのを避けたかったのです。
亡くなる前夜もあるじはボランティア演奏の曲を練習して居たのですから。

「何か一つでも楽器が出来れば・・・」と云う友人が増えてきています。
最近、オカリナやリコーダーを数人の友人が始めました。
リコーダーは小学生になりますと学校で習います。
孫と一緒に音楽が出来れば最高、これがわたしのリコーダーを始めた理由です。

中学生になりますとリコーダーは教科ではなくなる様ですが、せっかくですから続けた方がよいのに。
指先でリコーダーの穴をふさぎますので末端まで神経を働かせます。
更に腹式呼吸ですから、体に良いことばかりなのです。何時までも続ける方が良いのに。
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脱力症状

2010-09-11 22:50:47 | 日記
9月11日 土曜日 晴

今朝、6時半頃妹夫婦が迎えに来て、母は富士宮の家に帰っていきました。
11時までに熱海での用事が出来てしまい、急遽早い時間の出発になり少し母が可愛そうでした。

わたしも荷物の準備もありますし、母が起こして欲しいと云っていましたので責任重大でした。
何時も早く目覚めますので目覚まし時計をセットすることは無いのですが、昨夜はセットしました。
もしわたしが寝坊してしまいますと、結果母をせき立てる事になりますからますます母が気の毒です。

緊張してベットへ入ったからでしょうか、2時15分に目覚めてしまいました。2時間しか眠ていません。
もう少し眠らないと体力が持ちません。NHKの深夜便を聴きながらベットで横になっていました。
4時少し前に起きあがり、わたしのいつものコースをし始めました。

電気をつけないととてもくらいのです。夜が開けるのが随分遅くなっているのに驚きました。
母のために作りました酢蓮や蓮のキンピラ、キャベツの酢漬け等々、昨夜寝る前に瓶に詰めてあります。
スーパーで昨日買った食材とわたしが作った惣菜を、運びやすいように段ボールに入れておきました。

少しでも早く出発したい妹夫婦のために、せめてもの応援です。
わたしが東名を走れば走れるのでしょうが、とても疲れるのです。
昨年3月に軽自動車に買い換えて、東名は走らないことにしたのです。

母は予定通りの時間に出発出来ましたので、掃除や洗濯、蒲団干し等々、家の中の仕事を片付けました。
風もなく良いお天気でしたので仕事ははかどりました。
わたしの気力も母が帰ったばかりでしたから、なんとか頑張れました。

一通り仕事が終わったのが9時半頃でした。朝食にしました。
食欲もなく、ヨーグルトと牛乳だけがなんとか口に入りました画、主食が入りません。
体の力が抜けていくのが分かります。怖いくらいでした。座っているのも大儀でした。

ベットで横になり、ラジオを聞きながら少し眠ったようです。
起きあがって歩き始めたのですがフラフラして、全く力が入りません。
またベットのお世話になることにしました。それしか無かったです。

1時過ぎまでコロコロして居ました。2階の乾し場に行き洗濯物を仕舞いこれで今日の仕事は完了。
ゆっくりお昼を食べて、また少し休憩をしました。少し気力が戻ってきました。
携帯に、長女からメールが入っていました。歓待は出来ないけどどうぞ、と返信しました。

お弁当を買って来ても良いし、外食をしても良いと思いました。
今日はお料理をするだけの体力はありませんでした。まさに脱力症状です。
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眼底検査

2010-09-10 22:19:51 | 日記
9月10日 金曜日 曇りのち晴

母が眼底検査に行く日です。
9時半の予約でしたから、かなり緊張しました。母の動きが遅くても決して「急いで」とは言えません。
子供では無いのですから、その言葉に反応してご機嫌が悪くなってしまいます。

気持ちよく行動して欲しいので、なるべく時間に間に合うようにこちらで誘導するようにしています。
わたしの動きを見て、多少頑張って動いているようです。ただわたしはとても疲れてしまいますが・・・。
今日も8時45分に家を出るつもりでいましたので、なんとか9時過ぎには出発出来ました。

眼科はびっくりするほど混んでいて待合室は一杯でした。座るところを探すほどでした。
それでも10時20分頃名前を呼ばれ視力検査や眼圧の検査をして、それから瞳を開ける点眼薬です。
点眼薬をしてから更に30分。母の瞳の開き具合が悪いとか、もう一度点眼薬をしました。
それからやっと医師の診断になります。なんだかんだでお昼近くまでかかりました。

あまりに人が多いので待合室の写真は撮るのをあきらめ、検査のスペースを撮しました。
検査ルームではなく、オープンになっていますのでとても広々しています。
手前で眼圧検査をして、奥の視力検査の場所に移動します。白内障の方が多い病院です。



母は立ち上がるのも座るのも大変ですし、歩くのも大変で看護士さんの腕をお借りしての行動でした。
検査の結果は前回と変化が無いと云うことでした。
富士宮在住になっていますから、医師も気を使って下さり転院を進めて下さいます。

母の希望は検査があると云う理由で、我が家に逗留する方が良いようなのです。
マイペースな母ですから、好き勝手に寝たり起きたりしていますし、
食事も口に合わなければ「好みではない」と言ってテーブルの脇に置いてしまったり・・・。

それでも今回はわたしと乾杯をしたいと言ったり、「話をしながらの食事は良いわね」と言ったり・・・。
そのような言葉を聞きますと嬉しくなってしまう単純なわたしなのです。
ところが直ぐに「でも話しながらテレビを見るので意味が通じないからやっぱり一人が良い」と母の弁。

何と言って良いのか、わたしには答える言葉が見つけられません。
「一人が良いのなら、ずっと向こうに居るようにしたら」と云いたくなっているわたしなのですが・・・。
94才の母の言葉に逆らっても仕方がありません。我慢我慢です。

眼科は広々していて看護士さんたちも良い人ばかりで良いと言い、気に入っているようです。
また検査の時期が来ましたら、楽しみにしながらやって来るのでしょう。
残り少ない寿命です。我が儘はもう直らないでしょうし、こちらが合わせるしかないのでしょうね。
わたしたち若手(?)が、頑張るしかないのでしょう。
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台風一過の日

2010-09-09 22:33:33 | 日記
9月9日 木曜日 曇りのち晴

昨日の台風からの雨は上がり、風はまるで高原に行ったような冷たくて気持ちがよい朝でした。
窓を開けたとたん、北風が冷たかったですね。久しぶりに気持ちの良い朝でした。
読書会の本を昨日返却に行かれませんでしたので、早朝図書館へ行ってきました。

図書館の返却ポストは24時間対応しているようなのです。
今回の本は新書本と同じサイズで重たくありませんでしたので、散歩かたがた歩いて行ってきました。
母が眠っている間に行きたかったので、起きて直ぐに出掛けたのです。

駅前のスーパーはまだしまっていましたが、山崎パンの大きな配達車が止まって居ました。
店の前には野菜の棚も出ていません。このようなスーパーはちょっと淋しい感じでした。
それに駅のバイク置き場はガランとして、停まっている台数も少なかったです。
それでもすでに、お二人の係の方がお掃除をしていました。何時から働いているのでしょうね。

本を返却して家まで歩いたのですが汗をかくこともなく、気持ちの良い散歩になりました。
曇り空でお日様の光はありませんでした。
帰り道では何人もの出勤する人と出会いました。知った方のお会いしなかったのは幸いでしたね。

今日はあるじの父親のお誕生日です。父は重陽の節句に生まれた方だったのです。
長女が二日前の7日がお誕生日でした。それで長女の初誕生日会が出来ませんでした。
父のお誕生日会と一緒にするように云われたのです。

満一歳のお誕生日にはお餅を背負わせたいと実家の親は思っていたようですが、
父が主人公ですから、とてもそのようなことは出来ませんでした。これは計算外のことでした。
若かったので、かなりショックを感じましたね。娘だけのお誕生日会をしたかったですね。

午後2時からほのぼの編集会でした。来月の初めには発行です。頑張らねば・・・。
もう最後の仕上げに入っています。一番忙しい時期です。
それなのに、表紙をスキャンして作る作業を忘れていました。

ともかく母が逗留している間は頑張れません。体力温存しないといけません。
明日、母を眼底検査に連れていくことになっています。
明後日母はまた富士宮へ帰るそうです。心配なのですが本人が譲歩しません。

富士宮を引き払ってこちらに戻ってくる気は無いのでしょうか・・・。
一人で住んで心細くないのでしょうか・・・。
親の心子知らずの逆、この心親知らずです。
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「世にも美しい数学入門」

2010-09-08 23:15:16 | 読書会
9月8日 水曜日 台風模様の雨

天気予報では夕方頃から雨が降ると言うことでしたが、朝6時頃には小雨が降っていました。
10時から読書会でしたので、メンバーの方たちも長い傘を持ってきていました。
11時前後はかなり雨音が強くなって居ましたが、散会する時分は小降りになっていました。

今月のテーマ本は藤原正彦/小川洋子著「世にも美しい数学入門」でした。
メンバーの何方かが数学者の藤原正彦さんの作品を推薦し、検索してこの本に決めたはずです。
中学時代のわたしにタイムスリップ出来たようで、読みながらとても楽しめました。

「数学者」のする数学と中学や高校で習う数学とは全く違うことを知りました。
単に1+1=2と云うようなことを数学家がするのでは無いと言うこと。
それに0(ゼロ)を見つけたのはインドの数学者だと云うことです。

始めから0(ゼロ)があることを踏まえて、私たちの数学があるのです。
それにその発見はインド人だから出来たと書かれています。
著者は西洋人はこの発想は出来ないと断言してます。この事にメンバー全員驚いていました。

説明を聞きますと「なるほど」と頷けたと云うのが全員の言葉でした。
その事から発展して、ヨーロッパ旅行での買い物をした時の話に飛びました。
おつりの数え方が、日本風では無いと言うのです。日本人の方が素速くおつりの計算が出来るとのこと。
日本人は頭が良いのだそうです。真偽はともかくメンバーの方の言葉です。

途中から数学のことに関しては理解出来なくなってきたそうですが面白かったと言う意見は全員でした。
江夏の背番号が完全数と言うことは小川洋子さんが気がつかれたようです。
完全数とは約数を加えると元の数字になるのだそうです。知りませんでした。

一番小さい完全数は6。約数は1,2,3の3つです。それを加えると6になります。
江夏の背番号は28です。約数は1,2,4,7,14の5つで、それを全部加えると28になります。
友愛数とか完全数と言う言葉すら知りませんでした。でも今更変ですが、嬉しかったです。

ちょっと知らない世界を覗いた気分になりました。この本を推薦して下さった方に感謝です。
メンバーの方たちも新鮮な気持ちで読んで居られたようです。
わたしはその後続けて「藤原正彦の人生案内」を読みました。

数学者の人生相談の解答は、流石です。平凡では無いのです。
小気味よく何時何処を開いて読んでも癒やされます。ずっと側に置いておきたい、そう思ってます。
読みながら何となくニンマリすることがあります。元気が貰えそうな一冊です。
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宅急便から

2010-09-07 18:37:26 | 日記
9月7日 火曜日 晴

長女のお誕生日です。
携帯メールで「お誕生日おめでとう」だけ書いて送りました。
わたしはなるべく早く一瓶窯へ行きたいと思っていました。

台風の影響なのでしょうか、朝から風が強く吹いていました。
一瓶窯の脇を流れている川のずっと先に富士山がくっきり見えていました。
この時期に此処で富士山を見られるとは思いませんでした。

遠く遙か彼方に雪が無い富士山、すり鉢を逆さにしたような形の富士山がくっきり見えるのです。
写真でははっきり見えないかも知れませんが、黄色っぽい四角い建物の後ろに微かに見えると思います。
空もこの頃の入道雲の姿が無く、川の流れで洗われている白い布のように、薄くて白い雲が綺麗でした。



夕方、弘前の友人から宅急便が届きました。
中身は「肉」と書かれていましたので、「え!」と思いました。
彼はお肉屋さんの息子さんで親からの店を継いでいます。それにしても何故「お肉?」を・・・。

箱を開けてみましたら、トウモロコシが入っていました。岩木山のトウモロコシを送って下さったのです。
もうだいぶ前、ご夫婦とその息子さんとわたしで岩木山へドライブに行ったことが有ります。
その時茹でたてのトウモロコシを買って下さり、アツアツを食べたことがありました。

運転しながら食べるからと言う息子さんは、直ぐに運転をあきらめて停車しました。
トウモロコシの熱で車のガラスが曇ってしまい、先が見えなくなってしまったのです。
4人ともトウモロコシを食べることに専念。甘くてとても美味しかったのです。

それから彼らが岩木山の方へ行った時にわたしにトウモロコシを送って下さるのです。
とにかく甘くて美味しいですね。トウモロコシが大好物と言うことは十分承知しています。
同時にお肉が苦手と言うことも知っているはずなのです。
学生の時はほとんど食べられなかったのですから・・・。

果物が全く駄目な先輩と日本シリーズの勝ち負けの賭けをしたことがあります。
わたしが負けたら血の滴るようなステーキ200㌘を食べること、
先輩が負ければタカノのフルーツポンチをみんなと一緒に食べる事でした。

友人たちは面白がって先輩を応援していましたね。血の滴るステーキを先輩が焼くと言うのですから。
結果わたしの方が勝ちました。
先輩はわたしと何人かの後輩を引き連れてタカノへ行き、私たちにご馳走して下さいました。

勿論先輩も一緒に注文し、頑張って完食したのを覚えています。
先輩は全員の代金を支払って、参った参ったと嘆いていましたね。
懐かしい想い出です。でもわたしが負けたら血の滴るステーキだったのです。どうしたのでしょうね。

お行儀が悪かったのですが、当時は挽肉も綺麗につまみ出して居ました。
賭けの日本シリーズは阪神対東映戦でした。わたしは東映フライヤーズのファンでした。
応援をするためにチケットを手に入れたのですがなんと阪神側でした。
一人でこっそり応援したのを想い出します。
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針坊主

2010-09-06 20:42:14 | 日記
9月6日 月曜日 晴

陽射しは相変わらず強かったのですが風があり部屋の中ではそれ程暑さを感じませんでした。
それでもお掃除や洗濯などの家事仕事は簡単にして、体調温存に努めました。
この暑さの連続で体力的にはかなり参っていますし、明日から母がやって来ます。体力温存必須です。

この所母へのモーニングコールが遅くなってきています。母が今までのような時間に起きられないのです。
10時頃でもまだベットで横になっています。目覚めていても動きたくないようなのです。
以前は8時半から9時半頃までにモーニングコールをしていましたが、この頃は12時前後です。

寝ている時に電話で起こされると、当然ですが酷く不機嫌な声で叱られます。
12時前後という時間帯ですと、わたしは出掛けていたり来客だったりで電話がし難いことが多いのです。
今日は1時少し前に電話をしました。これがモーニングコールと言えるのかしら?と思っていました。

母は丁度食事が終わったところと言います。朝食が終わったのです。
明日弟が母を迎えに行き、わたしの処へやって来ることになっています。
その母が「もう畑は辞めたわ」と唐突に言いました。何もかも嫌になったというのです。

それならわたしの処に来たら?と言いましたら、「この家に居て、この家で死にたい」と言うのです。
そして明日こちらへ来る時わたしが欲しい物を持っていくと言います。
何かいつもと様子が違うと思いました。何か変でした。

母がなんでそんなことを言うのか解りませんが、母の「針坊主」を頼みました。
子供の頃、母が針仕事をする処に必ず「針坊主」と「2尺物差し」がありました。
わたしのお正月用の着物を縫ったりしていました。戦後の何もない時代にはわたしの洋服も作ってました。

側にいて何か悪さをしますと、竹製の2尺物差しでパッシっと叩かれたものです。
わたしは以前から母が娘時代から使っていたという「針坊主」は貰いたいと思っていました。
「良いわよ。持っていくわよ」とあっさり返事が返ってきました。

何時もと違う母の言葉に唖然、拍子抜けしました。
電話を切ってからも暫く電話の前から離れられませんでした。何かが違ってきています。
涙が流れてきました。94歳の我が儘な母ですがわたしにはたった一人の親です。

母は大森の母の家で住むことも、わたしの家で住むことも却下しています。
母は私たち子供たちのいうことに従う人ではありません。どうしたら良いんでしょうか・・・。
今夜の「おやすみなさい」の電話の時、いつもの母になっているのを願っています。
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元気な100歳

2010-09-05 19:00:16 | 日記
9月5日 日曜日 快晴

全く予定のない日でした。今日もお日様は元気一杯、その陽射しの強さに負けそうです。
暑いことは暑いのですが、それでも朝の内は風も涼しく多少秋を感じられるようになりました。
涼しい内に2階のお掃除を完了しようと頑張りました。

昨日ひとまず片付けて掃除機をかけておきましたので、今日はぬれ雑巾で拭けば良いのです。
汗びっしょりかきながら、階段や廊下や部屋の床を全部拭きました。カーペットの上も拭きました。
久しぶりの拭き掃除ですから、何度も雑巾を洗いに下へ行った来たりしました。
これで母がやって来ても大丈夫になりました。来週早々やって来る予定です。

母は94歳です。
昨日、100歳の男性の生活の様子がNHKのお昼番組に放映されていました。
奥様は亡くされている方で、お一人で畑でお野菜を作り、栄養を考えてお料理をしているのです。

その料理をバイクに乗って、友人にお裾分けして居られました。
奥様が病弱だったとかで、奥様のためにお料理をしておられたようなのです。
その方のお誕生日に娘さん家族全員が集まってきて、食事をしている様子もありました。
ご当人のお料理もテーブルには乗って居て、曾孫さんたちが「美味しい」と言っていました。

母もその映像を見ていたようです。今日、電話でその話になりました。
「あんな風だったら100歳まで生きていても良いわね」と、何気ない様子で言って居ました。
羨ましかったのでしょうね。母は歩くことが次第に辛くなってきています。

バイクに乗って、好きなところへ移動出来る事が特に羨ましかったようです。
長くはとても歩けませんし、時には車いすのお世話になっています。
寝ている時など、素速い行動が出来ないので、ベットの隣にポーターブルトイレを置いています。

富士山が見え、自然が一杯の富士宮が気に入って帰ってきません。畑仕事が大好きなのです。
現状は美容院へ行くのも送り迎えが無ければ駄目ですし、病院も買い物も一人では不可能なのです。
毎週誰かが母の所へ行き、買い物等々を助けています。わたし的には気丈と言うより、我が儘と思います。

そうした我が儘を通している母は、本当に幸せなのかしら?と考える事があります。
わたし的には、娘たち家族や友人たちと楽しんだり、ご近所のイベントに参加させて戴いたり、
廻りに人が何となくいて下さる、そんな環境に居たいですね。

身体が不自由なのに、ご近所が遠い広い敷地、広い家に一人で住みたいと言う母を理解出来ません。
せめて元気に歩けて農作業も出来るのならまた別ですが・・・。
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晩酌

2010-09-04 20:16:35 | 日記
9月4日 土曜日 快晴

お日様が一日中、元気いっぱいでした。
その分、庭の植物や人間様はひからびてしまい元気が無くなってしまっているようです。
ホントに今に身体がどうにかなってしまいそうです。

久しぶりに全く予定のない1日でしたので、何となく気が楽でした。
それでも朝の内に妹から母のことで電話がありましたので、何となくそのことを考えてしまいました。
妹のお姑さんの体調が良くないらしく、母を富士宮に送る予定の日に主治医から呼び出しがあったとか。

母を富士宮に送る日と重なり、その対処に妹も迷っているようでした。
わたしもわたし自身のことで考え込んでいることがありましたので、聞いてもらいました。
彼女とわたしは6年と半年も年の差があるのですが、何故か彼女の方が年上のようなのです。

わたしが意気地がないからでしょうが、彼女はしっかりしているのです。
リーダーシップが取れる人なのです。羨ましいですね。
同じ姉妹でも乞うも違うかと、時々考え込んでしまうことがあります。

先日我が家で女性4人で食事した時の日本酒が残っていました。
小振りの瓶に移し冷蔵庫へ入れてあったのですが、何時までも置くと味が変わると言われました。
お料理で使うのもちょっと勿体ない地酒でしたので、わたしが飲むことにしました。

わたし用のぐい飲みに1杯注ぎ、あるじの用のぐい飲みにほんの少し注ぎ、写真の前に置いて乾杯。
あるじはもう飲めませんから、わたしが飲むか飲めない時は勿体ないので元の瓶に戻してます。
今日で1週間ぐらいになるでしょうか。空っぽになりました。
明日からどうしょうか・・・、それが問題。床下収納庫にまだ開封されていない瓶が有ります。

わたし用のぐい飲みとあるじのぐい飲みです。
わたしが何年か前にあるじのお誕生祝いにプレゼントしたものです。
あるじが7月19日、わたしが7月11日ですから、わたしにも自分でお祝いを買ってしまったのです。
あるじには大きい方を、わたし用には少し小振りな物にしました。同じ形状の物は無かったのです。

 

ガラスが綺麗に見えるようにコースターを敷いてみました。



このぐい飲みを買ってきた時あるじはとても喜んでくれました。
わたしのと二つ買ってきたことも喜んでくれました。
晩酌の時「先ず一献」と言って、わたしにもお酒を注いでくれていました。

大酒飲みは困るけど、少しは飲んでくれるのは歓迎とのことでした。
わたしがあまり沢山飲んでしまうと自分のが無くなるか困ると言って笑っていましたね。
「ノンベーは意地汚いんだよ」と言って笑っていました。

本当はわたしがお酒好きですと、運転手が居なくなるので困る、と言うのが最大の理由だと思います。
あるじの忘年会の時など、新宿まで運転手として行き、会場にも2次会にも一緒しました。
わたしの運転ですと、タクシーの時のように指示しなくても家に着くのが良かったようですね。
                                懐かしい想い出です。
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ウクレレ

2010-09-03 22:08:12 | ウクレレ愛好会
9月3日 金曜日 快晴

今日も快晴。今日はあるじの月命日です。
そしてあるじが立ち上げましたウクレレ愛好会の練習会が午後我が家でありました。
2週目の金曜日がウクレレ愛好会の練習日なのですが、来週は母の眼底検査の日になっていました。
それで前回の練習日に、1週間早めて戴いくようにお願いしていたのです。

この3ヶ月、リーダーが検査入院していましたので、練習が少し疎かになっていました。
今日はリーダーもお出で下さいました。わたしの小学時代からの友人です。
久しぶりのリーダーは元気そうでしたが、少し痩せた感じでした。

練習をしてから、コーヒータイムの後リーダーがお帰りになり、女性だけで暫しおしゃべりタイムに。
彼女たちと一緒にウクレレの練習をしたり歌ったり、素敵なお仲間です。
やる気一杯のメンバーは他に移動して活動しています。

今のメンバーはゆっくり楽しみたい・・・そんな人たちだけが残っています。
ずっと3,4曲だけを毎回練習していますが、それでも全員満足している人たちのようです。
ゆっくり癒し系の音色を楽しみたい、わたしもですがメンバーもそう思っているようです。

あるじが急逝し、お通夜の日がウクレレ愛好会のボランティアの日でした。
申し訳なかったのですが、あるじが決めていたことをメンバーはカバーして下さいました。
曲と曲の間で、後ろを向いて涙を拭いておられたと、後でケアの方からお聞きしました。

あるじは歌って、ウクレレを弾いて、司会をしていました。
そんなあるじはステージの最中、時々楽譜をばらまいてメンバーにご迷惑をおかけしていたようです。
1つしか出来ない人が3つも掛け持ちして居たのですから、失敗があって当然なのです。

お祭り騒ぎが大好きで、イベントをいろいろやっていました。
あるじは店を閉めてから、忙し過ぎたのでしょうね。
何でも手を出して、何をしていても楽しんでいました。子供みたいに楽しそうでした。

わたしはあるじが亡くなってから、後継者になったような物です。
純粋にウクレレが好きというわけでは無いのですが、音色には心底癒やされます。
リコーダーより遙かに癒し系の音色です。あるじのくようになっているのかも知れません。
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庭仕事

2010-09-02 22:06:03 | 日記
9月2日 木曜日 快晴

庭の水まきに使うホースと水道の蛇口を繋ぐところが壊れてしまっていました。
その為に家の西側の植物に、ここ数日間、充分水をあげられませんでした。
紫陽花や薔薇が植えてありますし、蕗や茗荷なども植えてあります。

今年は可愛い蕗の薹が少し出てきました。おすましに入れて戴きました。美味しかったです。
母のお隣さんの雑木林から戴いてきました榊も植えてあります。

先日ホームセンターへ買いに行ったのですが、蛇口のサイズを測っていかなかったので買えませんでした。
今日は壊れた処を外して現物を持っていき、なんとか買って来られました。

夕方蛇口に取り付けて、今日はたっぷりお水を撒いてあげられました。
何となくホットした気分です。
でも、その時の作業中、ヤブ蚊に刺されてしまい参りました。

長袖をのシャツを着て、長ズボンをはいて、頭から顔からネットになっている上着を着ていたのです。
それでもズボンの上から右膝を4カ所さされてしまいました。
手袋をしていては取り付け作業が出来ませんから、素手でしていました。

両方の手の甲が、何カ所さされたのか数えるのも面倒なほど沢山さされて赤くなってしまったのです。
もう庭の作業ように着替えてしまいましたから、かゆみ止めをつけに家にはいることも出来ません。
痒い痒いと思いながら、仕方なしに水まきをしました。西側には特にたっぷり撒きました。

散水ホースは一件落着。もう一つ問題が残っています。
わたしの部屋の前の庭園灯が消えてしまっているのです。
次女がやって来て、電球を取り替えてくれましたが何故か点灯しません。
わたしはこのような作業をしたことがありません。ずっとあるじ任せでした。

今度弟がやって来て時に、調べてもらうしかないと思っています。
もっともこの庭園灯が消えていても生活に支障は全くないのです。
階段の方には2つの庭園灯が明るく灯って居ますから。

もう少し涼しくなりましたら、雑草取りをしませんとまた元の木阿弥になってしまいそうです。
先日綺麗にして戴きましたのに、もうかなり雑草が生えてきています。
シンビジュームの株分けも早くしたい、庭の作業は山積みです。

これはあるじの仕事だったのです。あるじは庭仕事が大好きでした。
ずっと以前ですが、「俺の仕事にまで手を出すな!」と叱られたことがありました。
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暑い1日

2010-09-01 21:19:46 | 日記
9月1日 火曜日 快晴

9月になりましたが、気候はまだ真夏、夏真っ盛りのようです。
この暑さは本当に身体に応えます。体調維持がとても難しい状態です。
陽射しがとても強いのです。外へ出掛けるだけで体力消耗してしま居ます。

わたし的には一雨欲しいのですが、豪雨のために大変な思いをしている人たちも居られるのです。
雨が降らないのに水不足の心配をしていません。水瓶の地域には雨が降っているのでしょう。
豪雨のために鉄砲水で事故が起きたり、浸水など様々なことが報じられています。

この気候の変化を真剣に考えていますと、とても不安になってしまいます。
関東で美味しいバナナが実ったとか、そんなニュースを聞いても驚くより納得するだけです。
日本は亜熱帯地域になってしまった、それが現実化してくるような・・・。

以前、夏に艪の着物を着て、しゃっきとして歩く方を見かけて「偉い」と思っていましたが、
この頃は偉いと言うより、「無理を」感じてしまいます。
舗装道路からの熱は並大抵の物ではないです。打ち水しても全く効果無しですし、打ち水もしてません。

              ******

9月になりましたから、8月の収支をまとめたくて、一瓶窯の帰り銀行へ立ち寄ってきました。
東戸塚の銀行で記帳し、郵便局へも立ち寄り送金もしました。
その広い道路に植えられたツツジが可愛そうに、全く水気がないのです。葉が萎んでいました。

車道の脇の花壇ですから、日陰になる大きな樹木はありません。
限られた時間だけ、ビルの影があるだけです。
昨日行ってきましたあるじのお墓の芝生や薔薇の花はとても綺麗でした。

霊園の樹木は、とても元気でした。
植物は水飲み場まで歩いては行かれません。何故かとても悲しくなりました。
可愛そうになりました。でもわたしは何もしてあげられず急いで帰宅。

かなり体力的にはきつかったのですが、リコーダー・アンサンブルの練習に出掛けました。
昼食の時間はほとんど寛げず、サッとお腹に入れただけ。体調管理にはマイナスです。
9月14日にボランティア演奏がありますから、休むわけにはいきませんでした。

熱い中飛び回って、あちこち動き回ったためでしょうか、とっても疲れました。
今日は早めにベットへ入るのが良策。充実した良い日にしないと・・・です。
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