昨日、オレンジピール作りで結構疲れてしまい、押し入れの下段に収納していた物を引っ張り出したままでした。色々貯めこんだ新聞の切り抜きも、処分しないと・・・、と思ってのことなのですが・・・。
これが”歳”という事なのだとおもいます。
ただ、わたしの母はわたしが中学生の頃から”片付けが苦手の人”で、父が亡くなっても全く整理をする気配が有りませんでした。わたしも店を営業していましたので、体力的に一杯一杯でしたので、富士宮の家の片付けまではととても無理でした・・・。
店を閉めてからあるじと2人で富士宮の家に通い、母が2階に上がってから1階の押し入れの片付けをしたり、玄関わきの応接間の片づけをしました。
母の寝室を2階から1階に移動できるように行くたびに片付けていました。
母は「わたしが死んでから片づければ良いでしょう」と不満げでしたが…。
わたしとしては、介護をお願いするには、ある程度1階の片づけをしなくては、お願いできないと思っていました。
母が寝ている夜中に片付け仕事をしていました。あるじは母と同じで片付けは苦手な人でしたから、独りで黙々と片付けていました。
弟と富士宮の家に行った時、1階の父の神道壇の隣に母の両親の仏壇を2階からおろして置いてもらいました。
それまで、仏壇が有るから下には移動できない、と言っていましたので仏壇を降ろして貰ったのです。この仕事は、わたしの体力では無理でしたし、あるじには頼めない仕事です。
洋間にはその前にベッドを入れてありましたので、母の枕やその他諸々を下に運べは引っ越しは終了です。その日もとっても疲れたことを覚えています。母は下で居住しないと危険な年齢になっていましたし、富士宮に住む条件に介護の人をお願いする事は了承していたことなのです。
あの頃の事を時々思い出します。そして、母のような状態にしてはいけない、と常に自分に言い聞かせています。内臓的に問題がある上に、この頃は整形外科に通う身になり、多少足をひく様になっています。
動けるうちに片づけないと・・・、です。
広すぎて面倒と言い、わたしの死後の住み手は無さそう。売却するしかありません。娘たちが仕事をしながらの片付け大変です。せめて出来る限り処分しやすいように、不要の物、少し価値の有る物、の分類位はして置こうと思っています。