フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

昔々の古いことを想い出しています。大変でしたが今思えば良い時代でした。

2020-04-08 22:14:00 | 日記

この数日間、敢えて針仕事をしないようにして、体調調節を第一にしていました。夢中になると食事もいい加減になってしまう事があるからです。体力が落ちた時は、まず食事をキチンとすることが大切、と言う事は承知しています。

縫物をしていますと、もう少しだけ・・・とか、ここまで仕上げたら・・・との思いが有るので、食事の時間がいい加減になったり、空腹感を満たせればそれで良し、みたいなことを時々してしまいます。

 

母とわたしが着なくなった着物とか、友人の形見で頂いた、工業用ミシンと段ボール5個に詰め込んだ布地など、縫う材料はたくさんあります。その不要の諸々の処理をするのがわたしの終活と思っています。

娘たちに残しても、再生するのは難しいと思っています。生まれたときから、物が溢れ不自由をした経験は無いのでは?と思っています。

 

わたしが子供の頃、ソックスなどは殆ど手に入らなかった、と言っても信じられないような顔をしていました。ソックスは毛糸で編んだり、布地で足袋も祖母が作って、それも履いていました。当時は売っていなかったのです。

買いたくてもお店に品物が無いのですから、買う事も出来なかったのです。そんな時代が有ったという事は、映画やテレビで見て居るのでは?と思いますが、娘たちには実感がないです。まったく知らない世界ですから仕方が無いです。

 

わたしは、幼い時。戦後の何もない時代に育ち、それが年々良い生活になっていき、今になったのです。物のない時代に育っていますから、色々利用する手段など、自分で考えたり大人がして居た術を見て育っています。

それで、見よう見まねで何かを作ったり、実験感覚で試しづくりをしたくなります。富士宮の大叔母の家に疎開していた頃、大叔母たちは竹林からタケノコの皮を拾ってきて、草履を作っていました。

当時はスニーカーなどあるはずも無く、下駄を履くか、手造りの草履でした。お店に行っても買えるようなものは殆ど無かったのです。配給でした。

 

わたしもそれほど知りませんが、それでも戦争中と戦後を知っています。その時の祖母や周りの人たちがいかに工夫をして生活していたか、好奇心が強い子供時代ですから、真似をして色々していました。

今は、靴下に穴が開けば同然繕わず、即新しい物を買いますが、戦後はそれができなかったのです。自分で治すか作るかです。

大変な時代でしたが、それなりに楽しく生活をしていました。その時、わたしは工夫をして生きるということ、と買わずに手を掛けて再生する手段も見て育ちました。その時大人は色々工夫をしていたのです。

当時は大変でしたが、今思うととても良い時代を生きた、と痛感しています。その時見聞きしたことを娘たちに伝えたい、その思いが年々強くなってきています。懐かしいです。

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