格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

赤川次郎が安倍政権におもねる大新聞

2015-11-09 13:21:37 | 杉並からの情報発信

赤川次郎が安倍政権におもね る大新聞とSEALDsバッシングの「週刊新潮」に
「ジャーナリズムの恥」と徹底批判  水井多賀子

2015.11.03 Litera

http://lite-ra.com/2015/11/post-1645.html

日本のジャーナリズムのあり方について言及する赤川次郎(画像はミステリー総
合ポータルサイト「ミステリーワールド」より)

安保法制の問題が象徴的だったように、いまや新聞メディアは、政権の言いなり
となった読売新聞や日本経済新聞、「両論併記」病を罹患した朝日新聞 (詳し
くは過去記事)、 ジャーナリズムを放棄したネトウヨ機関紙・産経新聞といっ
た具合に、国民の「知る権利」さえ守ろうとしていない。

こうした新聞メディアの体たらくに、作家からも嘆きの声が上がっている。

〈戦時下を生きた人々から「今はあのころとそっくり」との声が上がる中、私た
ちは戦時中の新聞、雑誌などのメディアがどんな報道をしていたか、見 直すべ
きだ〉

こう述べたのは、ミステリー界の大御所作家である赤川次郎氏。赤川氏は既報の
通り、「あまりにも状況がひどすぎるので、黙ってい られなくなった」 (小学
館「すばる」8月号)といい、これまでも度々、安倍政権批判を行ってきた作家
のひとり。今回は東京新聞「新聞を読む」のコー ナーに『「痛み」に寄り 添う
報道を』(10月25日付)という原稿を寄稿、東京新聞の紙面を取り上げながら、
最近の報道の歪さを明かしている。

まず、赤川氏が〈最近最も印象的〉だったとして紹介したのは、「そうだ難民し
よう!」というコピーがついたシリア難民を中傷した ヘイトイラストの一件だ。

この卑しい差別心に満ち満ちたイラストは、はすみとしこという漫画家が
Facebookに投稿し、拡散されたことで批判を浴びた。東京新聞は名物 企 画「こ
ちら特捜部」で「「人種差別」世界が非難」と題し、10月10日に大々的に報じた
が、赤川氏はこの問題を強い言葉で論難する。

〈戦火に追われて故郷を捨て命がけで逃れなければならなかった人々の「痛み」
を、この漫画家は全く分かっていないのだろう。しかも 他人の写真をそのまま
なぞってイラストを描くとは、漫画家としての矜持すら持ち合わせていな いのか〉

さらに、赤川氏が憤慨するのは、この差別イラストの問題が〈国内メディアでは
ほとんど報道されなかった〉ことだ。しかも、朝日新聞は赤川氏がこの 原稿を
寄稿した前日の24日、難民差別イラストを「差別か風刺 か」とタイトルに記し
てピックアップ。了見を疑うタイトルだが、こうした問題の本質を、赤川氏はこ
のように突いている。

〈今、日本のジャーナリズムは世界が日本をどう見ているか、という視点に立つ
ことを忘れている(あるいは逃げている)。安倍首相が 国連で演説したこ とは
伝えても、「聴衆が少なかった」(10月20日29面)ことには触れない。ジャーナ
リズムの役割を放棄していると言われても仕方 ない〉

また、赤川氏は、東京新聞10月19日の第一面を紹介。それは安保法制成立から1
カ月という節目にSEALDsが渋谷駅前で行っ た集会の写真と、米海軍のロナル
ド・レーガンに乗船した安倍首相の写真を並べたものだった。

〈ネットでは、戦闘機に乗り込んだ(安倍首相の)ご満悦の姿が見られた。「戦
争ごっこ」の好きな子供、という図だが、現実に傷つき 死んでいく兵士の痛み
には関心がなさそうだ〉

赤川氏はつづけて、9月29日夕刊で取り上げられた、SEALDsの中心メンバーであ
る奥田愛基氏への殺害予告問題を取り上げ る。赤川氏はこの問 題を〈これこ
そ、安保法に賛成反対を超えて、卑屈な言論への脅迫としてあらゆるメディアが
非難すべき出来事だ〉というが、こちらも 〈ほとんどのメディアは 沈黙したま
ま〉。そして、本サイトでも既報の「週刊新 潮」(新潮社)が記事にした奥田
氏の父親バッシングを〈脅迫を煽っているに近い〉と批判する。その上で、赤川
氏は「週刊新潮」にこう 訴えかけるのだ。

〈「週刊新潮」に言いたい。攻撃しても自分は安全でいられる相手だけを攻撃す
るのはジャーナリズムの恥である。たまには自分を危う くする覚悟で記事を書
いてみてはどうだ〉

赤川氏が危惧するのは、冒頭にも引いたように、現在の報道がまるで戦時中のよ
うに政権や政策への批判を極端に恐れているかのような空気に包まれて いるこ
とである。歴史修正に加担し、違憲の法案さえ検証を怠り、戦争へひた走ろうと
する政権の暴走に目 をつむる。言論統制の下、大本営発表を流しつづけた戦争
責任を、メディアは忘れてしまったのか──そう誹りを受けてもおかしくはない
状態だ。

だが、そんな大メディアが魂を売った状況でも、東京新聞をはじめとしてブロッ
ク紙や地方紙は踏ん張っている。たとえば神奈川新聞 は、安倍首相が集団 的自
衛権の行使容認を閣議決定した2週間後から「時代の正体」と題して連載を開
始。安倍政権の背後にある日本会議にスポットを当てて メンバーにインタ
ビューを試みるなど、さまざまな角度から政権の問題点と戦後70年を掘り下げた。

しかし、この連載には大きな反響が寄せられる一方、「記事が偏っている」とい
う批判も受けてきた。そうした意見に、神奈川新聞の 論説委員である石 橋学氏
は、10月16日付の紙面で〈私たちはいま、権力の暴走を目の前で見せつけられる
という歴史的瞬間のただ中にある〉と書きつ つ、こう返答している。

〈民主主義の要諦は多様性にある。一人一人、望むままの生き方が保障されるに
は、それぞれが違っていてよい、違っているからこそよ いという価値観が保た
れていなければならない。それにはまず自らが多様なうちの一人でいることだ。
 だから空気など読まない。忖度しない。おもねらない。孤立を恐れず、むしろ
誇る。偏っているという批判に「ええ、偏っていますが、 何か」と答える。そ
して、私が偏っていることが結果的に、あなたが誰かを偏っていると批判する権
利を守ることになるんですよ、と言い 添える。

ほかの誰のものでもない自らの言葉で絶えず論を興し、そうして民主主義を体現
する存在として新聞はありたい〉

批判を恐れる大メディアに読んで聞かせてやりたい言葉だが、彼らがこうしたプ
ライドを失ったいま、市民ができることはただひとつ だ。赤川氏のエッセイ集
『三毛猫ホームズの遠眼鏡』(岩波書店)から、最後にこんな言葉を紹介してお
きたい。

〈政権への冷静な批判を今のジャーナリズムに期待できない以上、私たち一人一
人が、「戦争をしない」という意志を強く持つしかな い〉(水井多賀子)








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする