尖閣領有権棚上げ合意一方的破棄した日本
10月30日に鳩山会館において開催された
日中平和友好条約締結40周年
『日中友好継承発展会』設立
記念講演会
私からは、三つのことがらについてお話をさせていただいた。
・最近の経済・金融情勢
・日中関係が著しく悪化した原因
・今後の日本外交における指針である。
日中関係は2010年頃から最近まで冷え切った状況が続いてきた。
いまも十分に関係が改善したとは言えない状況にある。
2009年9月に鳩山内閣が樹立された直後には、日本から多数の国会議員が中国を訪問するなど、日中関係の良好さが際だったが、その後、両国関係が急速に冷却化した。
日中関係が、なぜ急速に冷却化したのか。
その事実関係を明らかにしておくことが重要である。
日本は中国を歴史的に極めて深いつながりを持つ。
日本文化のルーツの多くは中国に起源を有する。
日本にとって、最も近い大国が中国であり、日中関係の健全な発展が日本の未来にとって極めて重要であることは間違いない。
日本は中国と良好な関係を築き、相互に利益のある関係を発展させてゆくべきである。
そのためには、これまでの経緯を冷静に検証し、正すべき部分を正してゆかねばならない。
私が強調したのは、日中関係悪化の本当の原因を日本の国民が知らされていないということだ。
日本の国民はメディアが流布する情報によって「中国が悪い」との印象を持たされてきた。
このことが日中関係の悪化をもたらしてきた重要な原因である。
日中関係が著しく悪化した契機になったのは、2010年9月に発生した中国漁船衝突事故である。
日本のマスメディア報道は、中国漁船を非難する一色に染まったが、この報道は中立性、公正性を欠いたものであった。
日本のメディアが事実関係を冷静、公正に報じていれば、日本の主権者の受け止め方はまったく違うものになったと思われる。
日中両国は、1972年の国交正常化、1978年の日中平和友好条約締結に際して、尖閣諸島の領有権問題について対話をしている。
この時点で両国は、ともに尖閣諸島の領有権を主張していたのである。
その現実を踏まえて、日中両国の首脳が採った取り扱いが「領有権問題の棚上げ」であった。
日中両国は尖閣諸島の領有権問題については、これを「棚上げ」することで合意し、国交回復、平和友好条約締結を実現した。
この点を確認することがまずは重要である。
72年の日中国交正常化交渉に、中国の顧問として深く関わった張香山
元中国国際交流協会副会長・中日友好協会副会長の回想録に、周首相と田中首相の重要な発言が記載されている。
周首相は尖閣問題について「尖閣諸島問題については今回は話したくない。いまこれを話すのは良くない」と発言した後、田中首相が、「それはそうだ。これ以上話す必要はない。また別の機会に話そう」と発言した。
こう記載されている。
日中首脳会談に同席した日本の橋本恕(はしもとひろし)中国課長は次のように発言している。
「周首相が『いよいよこれですべて終わりましたね』と言った。ところが
『いや、まだ残っている』と田中首相が持ち出したのが尖閣列島問題だった。周首相が『これを言いだしたら双方とも言うことがいっぱいあって、首脳会談はとてもじゃないが終わりませんよ。だから今回は触れないでおきましょう』と言ったので、田中首相のほうも、『それはそうだ。じゃこれは別の機会に』ということで交渉はすべて終わったのです」。
他方、1978年の日中平和友好条約締結時の対話に関しては、当時の外務省条約課長の栗山尚一氏(のちの外務事務次官、駐米大使)が、日中平和友好条約締結時の鄧小平副首相の発言について次のように述べている。
「このような問題については、後で落ち着いて討論し、双方とも受け入れられる方向を探し出せば良い。いまの世代が方法を探し出せなければ、次の世代が探し出すだろう」
つまり、日本と中国は尖閣諸島の領有権問題について、「棚上げ」することで合意し、その上で、国交回復、平和友好条約締結に踏み出したのである。
棚上げ合意とは、
①尖閣諸島の現状を容認すること、
②その現状を武力によって変更しないこと、
③領有権問題の決着を先送りすること、
を内容とする合意である。
「現状を容認する」とは、日本の施政権を認めることであり、「棚上げ」は日本にとって極めて有利な取り扱いであったと言える。
この「棚上げ合意」を前提に日中漁業協定が締結され、これに基づく運用がなされてきた。
その運用を、一方的に変更したのは日本であり、これが尖閣諸島での漁船衝突事故の原因になった。
この事実を正確に把握することが重要である。
日本がこの立場を維持していれば、日中関係の悪化は回避できたはずである