「六根祓松風鈔(ロッコンショウジョウオオハラエショウフウショウ)には多武峰大明神の御託宣にいわく、唐土の文を見習い、西天の教を修しては、我が日の本の神明の命法(みことのり)を見て、浅薄に思わぬ衆生をば我その家に至って或はミドリ子を失い、或は重き病を授け、それにしたがうものを退け、或は火乱神をして焼滅さん、西天震旦の教えを嫌えるには非ず、本を捨て末をとることをいむなり。佛法儒道も我が神道の潤色とせん . . . 本文を読む
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今熊野御修行(大師四十六歳、弘仁十年、八百十九)・・今熊野観音寺(西国観音霊場十五番札所。京都府京都市東山区泉涌寺山内町32 )大師は弘仁十年ここで御修行中、熊野権現から十一面観音様を授かり、嵯峨帝に願出でて今熊野観音寺建立された。後白河法皇は本尊を深く信仰し、霊験により持病の頭痛が平癒したので、本寺に「新那智山・今熊野」の名称を与えられ、以来、頭痛、中風、厄除けの観音として繁栄してきたと . . . 本文を読む