・・・計り知れぬ有情が野蛮人のように法に反する力に屈し、不善なる大きな業を為しつつある。心から彼ら(中国)の悪業を浄化したい。また、ノミやシラミに至まで、呼吸する全ての、この天空に満ちる有情全てが、死の苦しみを逃れ阿弥陀如来の下に生まれ、全智至上の完全な仏の位を得るために、己の命を供養物として捧げる次第である。 . . . 本文を読む
10、皇孫尊中つ國の皇と為って、三十三天の諸魔の軍陣を去らせんたまはん為に、称ふところ玄龍車追真床(ひたへのをくるまををひまとこ)の像(うえへ)錦衾(きぬきせまつり)、八咫流大鏡(おほみたま)亦は玉寶鈴(みたからのすず)草薙八握の剣を授けたてまつり、而してこれを寿きたまひて曰く「嗚呼、いましみこと、敬って吾の寿をうけよ。手に流鈴をとり、御無窮無念にましませ。爾祖(いましかみおや)吾(やつがれ)鏡の . . . 本文を読む
20、大師四十二歳、弘仁六年(八一五)
・神光院(旧瓦屋寺、京都府京都市北区西賀茂神光院町120)・・山号は放光山。東寺(教王護国寺)、仁和寺と並ぶ京都三弘法の一つ。大師四十二歳の御時、当院で九十日間修行をされ修行を終えて自刻像を作られたとされそれが本尊「厄除け大師」として信仰されています。幕末には大田垣蓮月尼が住み、茶室(蓮月庵)が残されています。明治初年和田智満猊下がここの興隆に尽力されたとの . . . 本文を読む
「えっ、見性の内容?それは難しいよ君。そうそう西田天香さんという方がいた。一燈園という宗教団体とも新しい村作りともいえる運動を提唱して実際に多くの共鳴者を集めた人なんだが、・・この人がやっぱり見性のような体験があるらしい。村の鎮守さんで座っていたんだな。夜明け近くになって鶏鳴を聞き、ついで赤ん坊の泣き声を聴いたそうだよ。ああ赤ん坊はお乳がほしいと泣いているんだなと思ったとき、”はっ”としたというん . . . 本文を読む