「・・36億人の人口には36億の死が必ずある、1億2千万人の人口には1億2千万の死がかならずある。その死を受け取り、その霊にやすらかな無限の世界を与えるのは宗教のほかにはない。 特に日本人は死者の霊魂の実在を強く信じ、これを鎮めたり、慰めたりして、やがてその恩寵を求める民族であった。それも先祖から子孫へと伝わる系譜的霊魂の実在を信じたから、葬式と供養が日本の「家」を支え、社会秩序と歴史の根底をなしている。日本仏教はただ葬式だけを執行してきたのではなく、葬式を通じて日本人の精神を豊かにし、社会と歴史を支えてきたのである。・・(五來重「日本の庶民仏教」)」 . . . 本文を読む
「それは滝行?それとも水浴び?」
高尾山で2回目の滝行のご指導を受けました。当日はたまたま50歳の誕生日。これまで20歳、30歳、40歳という節目の誕生日にどこで何をしていたのかさっぱり覚えていない私ですが、今回は思い出に残ることでしょう。一時の猛暑も去り、9月の高尾山では秋の気配も感じました。
今回もおよそ20人の方が参加、やはり半数が女性です。前回は陽気な若い男性に話しかけられたりもし . . . 本文を読む
「・・生きるという事は四苦八苦との戦いである。之に負けたら死だ。そうしてこの苦のどん底に喘ぐひとびとが実は仏の正客なのだ。この人たちのためにこそ仏はいますのである・・・生きるか死ぬかの生死の一大事を前にして、生と死を分かつものであるがゆえに、いい加減な念仏であってはならない。・・」(増上寺 今月の言葉 大室了皓) . . . 本文を読む
23、高野山開創(大師四十三歳、弘仁七年、八一六年)
丹生高野の両明神より高野山の地を托された大師は、2匹の犬の案内のもと、高野山へと登られ、そこが大日経の説く、東西に龍の如く水脈が流れ、8つの峯に囲まれた、蓮華の台のような浄土であり密教道場を開くに適地であるとさとられました。さらにそこには大師が唐より投げられた三鈷杵がのっている松があったのです。
大師は以下の上表をされて弘仁七年高野山を下賜され . . . 本文を読む
10、日本磐余彦天皇(やまといはあれひこのみこと)は彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなくさてけうかやふきあわせずのみこと)の第四子なり。母は玉依姫ともうす。海童(わたつみ)の大娘なり。日本の神皇の始めの天照太神より五代の孫なり。庚午(かのえうま、こうご)の歳に誕生(みあれます)云々。天皇天基(あまつひつぎ)を草創の日、皇天(みおや)の厳命に任して、八柱の霊神を齊(いつきたま . . . 本文を読む