7、
天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと、天照大神の子の正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊と、高皇産霊尊の娘の栲幡千千姫の子)。天照大神の太子、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、天皇天御中主の神(あめのみおやあめのみなかぬし)の太子(ひつきのみこ)高皇産霊皇帝女(たかみむすびのすめらみことのむすめ)栲幡豊秋津姫の命(たくはたとよあきつひめのみこと)を娶り、天津彦彦火瓊瓊杵尊を生(あれます)。高皇産 . . . 本文を読む
19、南円堂鎮壇、種智院開設(大師四十歳、弘仁四年八百十四)南円堂鎮壇・・・興福寺南円堂(西国九番興福寺南円堂)興福寺南円堂は「弘法大師御行状集記興福寺南円堂第八十」に「右大臣冬嗣と大師檀契深く、・・・大師興福寺の殊勝の地を択びて南円堂を建立さる。」とあります。「弘法大師行状絵巻」には「円堂鎮壇」として、「昔、大職冠鎌子、奉公の労によりて、藤原の姓を賜り、内大臣に拝任して,永く摂籙の . . . 本文を読む