「成實論・三報業品第一百四」「惡を行じて樂を見るを惡未だ熟せずと為す。其の惡熟するに至れば自ら苦を受るを見る。善を行じて苦を見るを善未だ熟せずと為す。其の善熟さば自ら樂を受るを見る。」(悪行をなして楽をしているものは悪行の果報がいまだ熟してないだけで期が来れば苦を受ける。善を修して苦を受けている者は善の果報の期がくれば楽を受ける。) . . . 本文を読む
八幡宇佐宮託宣集
「醍醐天皇五年。延喜二年902壬戌四月二日。二歳許の少児に託宣して宣く『我自無量劫より以来、難度の衆生を教化しき。未度衆生末法中に在るために、如是、衆生に大菩薩と示現す。我は是れ大自在王菩薩也。大明神とは非ざる者。我れ釈迦の化也者』」。 . . . 本文を読む
観音霊験記真鈔2/34
観音霊験記真鈔巻の一
西國一番那智山如意輪堂 此の如意輪の御長さは一そう指半と云へり。一そう指半は金にて一尺二寸也。是周の世の尺なり。佛の長さは金で極る也。
先の如意輪観世音菩薩は謂く如意輪、具には義浄三蔵所譯の如意心陀羅尼呪経の説には、如意宝珠の徳義に依順して名とす、如意宝珠とは寶思惟(「宋高僧傳」に北印度迦濕彌羅國(今の人。剎帝利種。幼にして出家し習禪す。具足戒を . . . 本文を読む