今日久安5年4月12日(1149年5月20日))は三宝院大僧正・定海が76歳で遷化した日。
以下密教大辞典等による。「定海は三宝院流祖。右大臣右大臣源顕房の息。醍醐寺16世・東大寺別当・東寺40代長者。大治五年七月勅を奉じて醍醐釈迦堂に孔雀経法を修して雨を祈り賞あり、天承二年四月上皇の不豫を祈り勧賞として法印に叙す。長承三年七月待賢門院御瘡御祈のため三条殿に孔雀経法を修し霊験あり、保延四年三月孔 . . . 本文を読む
扶桑略記・延喜十五年915 四月十二日 「三箇日十一社(注)に於て仁王経を読ましめ諸国京師 の疫を祈る」(注、『日本紀略』 永観2年(984年)には奉幣十一社として伊勢、石清水、賀茂、松尾、平野、稲荷、春日、大原野、住吉、大神、丹生をあげる。)
『日本紀略』(延喜十五年)「九月近者万木華發く。諸人赤痢を煩ふ。」
『扶桑略記』には、天台座主増命が天皇の不豫を祈り霊験があったことを記しています。「 . . . 本文を読む
上宮太子講式 (傳顕真(鎌倉時代前半の法隆寺の僧侶)作)
先、惣禮
敬礼大人大覚尊、恒沙福智円満、因圓果満成正覚、福寿凝然無去来、
南無恭敬供養救世観世音菩薩
次、着座
夫、聖徳太子は用明天皇の太子、推古天皇の儲君、欽明天皇の孫、敏達天皇の甥也。天下に於て賤しからざるの人也。十七個条の憲法を儲けて王法の規模と為し、諸悪莫作の教を弘めて仏法の棟梁と為す。名誉遠く聞て、海内風を慕ふ。西 . . . 本文を読む
観音霊験記真鈔12/33
西國十一番山州上醍醐寺准泥(ママ)観音像。御身長三尺90㎝なりと。一説に不空羂索の像と云へり。釋して云く、此の准泥(ママ)観音とは謂く准泥の二字を世上に種々に書き持ゆるなり。絶山観音經和字の鈔には順禮観音と註す。但し本據ある歟用られず。或は准の字を準の字に書く人あり。此れ準の字正字なる故に用ゆべし。准は俗字なる故に願くは準泥観音と書くべきなり。或が云く、準は俗字、准は正 . . . 本文を読む
法華転
開口転法華、閉口転法華、如何が法華転、合掌して曰く南無妙法蓮華。
序(序品第一。霊鷲山に釈尊がおられたとき、諸菩薩・諸天・十大弟子三迦葉等が集まっていた。釈尊は白豪相から光明をはなたれて、六道輪廻の世界を照らし出されたので弥勒菩薩は文殊菩薩に、その理由を尋ねると文殊菩薩は、「今から『法華経』を説かれるのでしょう」と答える。)
幾多の光明、光明を放つ、打 . . . 本文を読む
摩訶止観より「円頓とは初めより実相を縁ず。境にいたるにすなわち中道にして真実ならざることなし。縁を法界に懸け念を法界に一(ひとし)うす。一色一香も中道にあらざる事無し。己界および仏界、衆生界もまたしかり。陰入みな如なれば苦の捨つべきなく、無明塵労即ちこれ菩提なれば集の断ずべきなく、辺邪みな中正なれば道の修すべきなく、生死すなわち涅槃なれば滅の証すべきなし。苦なく集なきがゆえに世間なく、道なく滅なき . . . 本文を読む