今日保元元年1156、4月29日は清盛が高野山根本大塔の再建を果たし、座主寛遍が導師となり開眼供養した日です。この後、7月には保元の乱が勃発しますが、清盛は戦功により播磨守となっています。
しかし清盛はこうして高野山に寄進したり、厳島神社を造営し平家納経を納めても子孫はあっという間に滅亡してしまいました。瞬間的には清盛自身は栄達を極めてお陰があった様に見えますがそれも一瞬の夢でした。なにか割り切 . . . 本文を読む
大同二年807、4月29日は大師が勅命により九州・観世音寺に留まられた日です。高野大師傳には「大同二年、四月二十九日。大貮従四位下 藤原藤嗣朝臣、牒を観世音寺三綱に送府す云々。入唐廻来学問空海師、件の僧、笈を負って遠藩し大道を耽嗜し空しく往いて満ちて帰る。優学称すべし。今帰朝に及ぶ、暫く彼の寺に住す。宜しく入京の日に至るまで准借すること件のごとく住み供養せられよ。」 . . . 本文を読む
三代実録 / 元慶二年(878)四月廿九日甲午条
「廿九日甲午 一百座を設けて 仁王般若経を説く。 京師御在所より始め 聖神寺に至る迄卅二、 畿内及外国六十八。 其呪願文曰 『・・・兼て因縁を察し 千の光明を放って 七災難を銷し・・(後略)」
聖神寺は、山城国愛宕郡紫野大門辺にあった寺院。弘仁十一年(820)に賀茂男牀が神託によって造立。
天皇は陽成天皇。元慶二年(878年) . . . 本文を読む
観音霊験記真鈔29/33
西國二十八番丹州成相寺千手像御身長一・・
釋して云く、千手經に云ふ大悲神呪
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を誦する者は十五種の善生を得ることを誓ひたまへり。
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今日は蝦夷の乱平定のため仁王般若経百座の説会を命じた日です。三代実録 / 元慶二年(878)四月廿九日甲午条「廿九日甲午 設一百座 説仁王般若経 京師始自御在所 至于聖神寺卅二 畿内及外国六十八 其呪願文曰 (中略) 兼察因縁(注1) 放千光明 銷七災難(注2) 」(四月二十九日、百座を設けて仁王般若経の講説を行った。京師では御在所からはじめて聖神寺に至るまで三十二箇所、畿内及び畿外では六十八箇所 . . . 本文を読む
今日延慶二年1310四月二十九日、後宇多法皇は三通目の手紙を醍醐寺憲淳に出され密教興隆を誓われました。国宝・後宇多法皇宸筆当流紹隆教誡(第三通目) 一通以下「宸翰英華」等によります。今日延慶二年1310四月二十九日、後宇多法皇は三通目の手紙を醍醐寺憲淳に出され法流を継ぎ密教興隆を誓われましたがこの前には、憲淳が法皇に以下のような附法状を奉っています。憲淳は法皇が報恩院に住持した場合は、法皇を正嫡と . . . 本文を読む