今日は智泉が大師請来とされる大随求曼荼羅を書写された日です。大随求曼荼羅の奥書に「惣廿七張 弘仁十二年四月十六日記 僧智泉」
重要美術品|大隨求曼荼羅諸尊等図像|奈良国立博物館
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観音霊験記真鈔16/33
西國十五番山州(山城国)京今熊野十一面像。御身長一尺五寸餘。
釈して云く、此の十一面の像の事、前第八番目に解すと雖も未盡なり。重ねて曲しく釈せば、第一頂上佛は螺髪の形なり。餘の十一面は菩薩形なり。前の三面は慈悲寂静の貌。左三面は
忿怒の形。是は悪を作す者を見て対治せんとし玉ふ形なり。右の三面は牙を上に現じ善根を修する者を讃ふ形なり。後ろの一面は善悪交雑して衆生を見て . . . 本文を読む
靖国社頭掲示令和二年十一月に
「 絶筆
陸軍大尉 猪瀬徳命 昭和二十年四月十六日 フィリピンにて戦死
栃木県宇都宮市出身 二十六歳
決戦場進發の前夜一筆仕る
一、帝国決戦正面軍の一員たる 実に男子の本懐 万死以て任務を完遂せんことを期す。
一、父母様御安堵御長生の事願い上ぐ
於比島 猪瀬徳」 . . . 本文を読む
虎関師錬は弘安元年4月16日(1278年5月9日) 生まれで、興国7年/貞和2年7月24日(1346年8月11日))に69歳で遷化されています。臨済宗の僧。諡号は本覚国師。仁和寺・醍醐寺で密教も学ばれています。当時は八宗兼学が当然でもともと宗派色はなかったのですから当然です。建長寺の一山一寧に本朝の名僧の事績について尋ねられ、満足に応えられなかったことをきっかけとして、元亨2年(1322年)に『元 . . . 本文を読む