尼僧の読み込んだ法華経が除病の霊験をあらわしたこと。今昔物語巻十二第三十話 尼願西所持法花経不焼給語 第三十「今昔、一人の尼有けり。名をば願西と云ふ。横川の源信僧都の姉也。 此の尼、本より心柔暖にして瞋恚を発さず。女の身也と云へども、心に智有て因果を知れり。出家の後は戒律を犯さずして、専に善心有り。亦、法花経を読誦して、其の義理を悟る事深し。凡そ生たる間、法花経を読奉れる事、数万部也。念仏の功を積 . . . 本文を読む
観音霊験記真鈔28/33
西國二十七番播州書寫寺如意輪像御身長一尺五寸(56.9cm)
釈して云く、如意輪と辨財天とは一躰分身の化益なり。辨財天經に云、佛大衆諸菩薩に告げて言、汝等此の神王に於いて軽慢を作す莫れ。此の神王は西方刹土に於いては無量壽佛と稱し娑婆世界に在りては如意輪観音と稱す。宇賀神三日成就經に云ふ、宇賀神将菩薩大蛇の形にて佛前に出現す。我過去に成仏す。名けて正明如来と號す。佛法擁 . . . 本文を読む
今日は疫病・旱害を防ぐために十五大寺等に大般若経の転読を命じた日天長元年(824) 四月丁未(二十八日)「 十五大寺(注3)并五畿内七道諸国をして、大般若経を奉読せしむ。疫旱を防がんが為也。」 (類聚国史)尚、天長元年は天皇は淳和天皇で、この年は大師が朝命により神泉苑で祈雨の霊験を顕わされたり(注1)、神護寺を定額寺神護国祚真言寺にすることを許されたり(注2)した年ですからこの大般若転読も大師の進 . . . 本文を読む
今日は疱瘡甚だしと記されている日
日本紀略 / 寛仁四年(1020)四月廿八日己酉条「廿八日己酉・・・今年自春患疱瘡 四月殊甚」
天皇は、後一条天皇(第68代)
此の年は疱瘡が甚だしかったことは多くの歴史書に在ります。
「春より夏に至る、皰(疱)瘡殊に甚だし(諸道勘文)」「今年疱瘡流行、天下これを煩う(百錬抄)」 . . . 本文を読む
続日本後記・嘉祥二年849四月辛亥二十八日「領客使等、渤海國使王文矩等入京。勅使左近衛少将従五位下良岑朝臣宗貞を遣りて慰労す。」・天皇は仁明天皇。・渤海使は、727年秋から919年までの間に34回の使節来日が記録に残っている。日本側では朝貢に来ているとして接待している。源氏物語等にも度々登場し日本文化にも多大な影響を与えているようです。・王文矩は著名な文化人であったらしく、三度も来朝している。その . . . 本文を読む