延暦二十一年一月十三日は太政官符で、最勝会・維摩会に六宗の学僧をひとしく請じて行うこととしています。
(類聚三代格・延暦二十一年802一月十三日「太政官符/応正月御斎会及維摩等会均請六宗学僧事
上の件、諸寺各々所趣あり。仏教を興さんと欲して一を廃しても不可也。如聞す、三論法相彼此角を争ふ。阿党朋「戸+肉]己宗に専らならんと欲して、更相抑屈、恐くは所絶あるべし、自今以後、件等之会、宜均請諸宗勿聴偏阿、周知諸寺分業競額、/延暦廿一年正月十三日)
」)
・最勝会は金光明最勝王経を講賛して国家安穏と天皇の無事息災を祈願する法会。宮中最勝会は毎年正月8日から14日の7日間にわたって宮中大極殿でおこなわれた。766年(天平神護2)より恒例化し,宮中での年中行事中,第一の大会といわれた。
・維摩会は興福寺で10月10日から7日間,維摩経を讃する法会。657年藤原鎌足が山階寺を建立し,翌年僧福亮(ふくりょう)を招いて講賛させたのが最初。
この時代から既に僧侶の世界は争いが絶えなかったようですが、しかしこういう泥水の中からお大師様をはじめ多くの高僧方が出てこられていることは、今に引き伸ばして考えても心強いものがあります。
お大師様も秘蔵宝鑰では「正法千年の内には持戒得道の者多く、像法千載の外には護禁修徳の者少なし。今にあたって時は是れ濁悪、人は根機劣鈍なり」とおしゃっていますが一方では有名な「人法法爾なり。興廃いずれの時ぞ。機根絶絶たり。正像なんぞ別かたん。」(梵網経開題)」というお言葉もあります。宇宙の真理から見れば機根も正像末も関係ないとおしゃっているのです。まさにいつの時代も末法と正法は一体というか「正法真只中」といえるのではと思った次第です。
・また朝廷も南都各寺院に上に立って「仏法にはどの教えが欠けてもよくない」といって六宗各派の出席平等に求めるなど、なかなか高い見識をもっていたと思われます。当時はやはり政府の役人も相当な見識があったのです。
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