福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は初観音です

2025-01-18 | 法話

今日は初観音です

以下「仏教行事歳時記」等に依ります。

正月は元旦に観音様に詣でると百日に功徳があるとされるが、初観音は十八日である。京都では革堂・河崎清和院(感応寺)・吉田寺・清水寺・六波羅蜜寺・六角堂・蓮華王院(三十三間堂)を順礼するのを七観音詣でといい、江戸でもこれに倣って、浅草寺・大塚護国寺・青山泰平観音などを七観音として十七日から七日間御開帳したといわれる。

 (平成になって新しく、品川寺(江戸33観音)弘明寺(坂東33観音)光明寺(鎌倉33観音)妙音寺(三浦33観音)正法寺(坂東33観音)語歌堂(秩父34観音)橋立堂(秩父34観音)が江戸七観音霊場とされているようです。)

 

七観音とは、千手、馬頭、十一面、聖、如意輪、準胝、不空羂索。

此の他、二十五観音、三十三観音、四十観音などがある。

推古天皇三年595春に香木で観世音像を造ったと扶桑略記にあり、ついで法隆寺に百済観音が招来され、夢殿には救世観音が安置された。奈良時代には大和長谷寺・京都清水寺・近江石山寺等の観音霊場が創建されている。

養老二年(718年)、得道上人は西国三十三ヵ所の観音霊場を設けている。

平安時代も観音信仰は盛んで梁塵秘抄には「観音誓ひしひろければ 普ねき門より出で給ひ 三十三に現じてぞ 十九の品にぞ法は説く 観音深く頼むべし 弘誓の海に船うかべ

沈める衆生引き乗せて 菩提の岸まで漕ぎ渡る 普き門の嬉しさは 教ふる人だに無けれども 観音大悲に導かれ 入らぬ者こそ無かりけれ」とある。

 

平安末期には熊野信仰・浄土信仰の隆盛で那智山を補陀落山に擬した補陀落信仰がおこり海上他界信仰となった。「平家物語・維盛入水の事」に「‥「三位の中将維盛

法名浄円、二十七歳、寿永三年三月二十八日、那智の沖にて入水す」と書きつけて又舟に乗り、沖へぞ漕出たまひける。思ひ切りぬる道なれども、今はの時にもなりぬれば、さすがに心細う悲しからずと云ふことなし。」と。

 

中世には坂東・秩父などの観音霊場が造られたとされています。

福聚講でも坂東・秩父は何度も巡礼して有難いお陰をいただいています。

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