私は大正4年生まれで今年71歳になります(書かれた当時)。私が7歳の頃の話をしましょう。ある冬の日母が青龍寺のお大師様にお参りに行こうと言いました。
暗いうちに起きてお弁当と新しい二人分の草履を背負い出かけました。家からお寺までは8kあります。其のうち5kは山道です。お寺に着いた時は12時でした。いりました。お大師様の前で母は心経と光明真言を唱え、さらに500メートル山上の観音様にもお参りしました。
そのあと今度は「お山の八十八所に参ろう」といって真っ白に積もった雪道にはいりました。雪はわたしの脛まで来ました。母は持ってきた2足の草鞋を2足ともだして、私に1足を負わせ、1足をはかせました。母自身は何もはかないで裸足で雪の中をギシギシと歩き始めました。そして「お母さんの足跡をふんですべらないようについておいで」と言うのです。母は何度もふりかえりつつすすみました。
やっとのことで八十八所を巡ってお寺まで帰りました。後を振り向くと二人の足跡が雪の中に点々と残っていました。母は「よくついてきた。なきもしないで。これでお母さんも願いがお大師様に通じることが信じられる。ありがたいことじゃ。」と繰り返し繰り返し言うのです。そして「お大師様が一緒に歩いてくださったから雪の中も歩けたのじゃ」とも云います。子供心にもその時の母のほっとした顔が忘れられません。
翌日は母は私にこういいました。「おまえはなあ、おばあさんに似て、喘息があるので、青龍寺のお大師様に願掛していたのじゃ。それで昨日は21日のお大師様の日でお参りしたのよ。これで喘息が治ってくれたらやれやれじゃ・・・」と言ったのです。そのときの母の姿は一生忘れられません。
母の一念がお大師様に通じて毎年春になると出ていた私の喘息はその歳の春からピタッととまったのです。それいらい71歳の今日まで一度も喘息は起こっていません。有り難いこととこの時のことを思い出すたびに涙が出てきます。
もう一つは甥の交通事故の話です。昭和25年6月20日保険所に勤務していた兄の長男がオートバイで牛の診断に出かけました。しかし県道から18メートル下の川原にオートバイもろともに転落してしまったのです。会社からきた電報を受け取った兄はブルブルふるえ「おばああさん、幸夫は、崖からオートバイと一緒に堕ちたそうな。もう死どるかもしれん。」と大変なあわてようでした。母は仏前に香を焚き、必死で心経を唱え、孫の無事を祈っていました。兄は早速甥の宿舎にいきました。行ってみると甥は右手に包帯を巻いただけで立っていたそうです。あとで甥に聞くと「大怪我をした」と自分でも思ったそうですが『立ち上がるとかすり傷だけでどうにもなってなくて本当にふしぎでたまらんといっておりました。母は毎朝いつも佛前でお祈りをし、家族にはお大師様やお不動様の身代わりお守りを渡し、いつも身に着けて於くようにという人でした。甥が持っていたお守りを開けて見ると、木のお大師様の座像が針のように細く縦に割れてしまっているのです。甥は其れを見るなり、涙をボロボロこぼし『南無大師遍照金剛」と唱えてその場に泣き伏しました。
この甥は現在53歳、其の長男は大学3年です。
以来私は人間は仏様のお蔭で生かされているのだということをかたく信じております。5年前から ご恩返しに一日一善を心がけています。死ぬまで続けるつもりです。
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