今日は宮中で四方拝が行われます。
古来、天皇が元旦の寅の刻(午前四時頃)に、清涼殿の東庭へ出御し、属星、天地四方、父母の山陵を拝して年災を祓い、五穀豊穰、宝祚長久、天下泰平を祈願されてきた儀式のようです。これにならって昔は一般庶民まで、元旦の朝、四方を拝し、五穀豊穰、無事息災を祈ったものです。
「宇多天皇御記」の寛平二年(890)正月の記事に「朔四方拝云々、乾方に向ひ、后土及五星を拝す」とあるのが記録の最初と言われています。
礼拝の順等は『江家次第』に「まづ北辰を拝する座にて二拝〔属星の名をとなふ〕。次に天地四方を拝する座に着き給ふ。御座の上ににくをしく。北むきにて天を拝し、いぬゐ(西北)に向ひて地を拝す。子(北)の方より卯(東)・むま(南)・とり(西)、四方おのおのみな二拝なり。御座の前に、白木の机に香花燈を置けり。北辰を拝する座に式筥をおく〔蔵人、これをおく〕。もし二陵(天皇の御両親の)あらば、うしろに又一帖これをしく。おのおの両段再拝なり。御座は、皆両めんのみじかきたゝみなり。」
『江家次第』には又、属星拝の時は「賊冦の中、我が身を過し度せよ。毒魔の中、我が身を過し度せよ。毒氣の中、我が身を過し度せよ。毀厄の中、我が身を過し度せよ。五急六害の中、我が身を過し度せよ。五兵六舌の中、我が身を過し度せよ。厭魅の中、我が身を過し度せよ。萬病除癒、所欲随心、急急如律令。」(意訳すれば「神々よ、様々な災禍は天皇たる我が身を通すことにより国民を守ってください」)
(『江家次第』「臣庶四方拜」「關白四方拜追儺後、御湯殿、 鷄鳴出御〈御裝束如レ式位袍、庶人卯時、〉 端レ笏北向、稱二屬星名字一七遍、 寅年人〈祿存星字祿會子〉 未年人〈武曲星字賓大惠子等類也〉 次再拜呪曰 賊寇之中、過度我身、毒魔之中、過度我身、毒氣之中、過度我身、毀厄之中、過度我身、五鬼六害之中、過度我身、五兵口舌之中、過度我身、厭魅呪咀之中、過度我身、萬病除愈、所欲隨心、急急如律令、 次北向再二拜天一〈庶人乾向〉 次西北向再二拜地一〈庶人坤向〉 次東向再拜 次南向再拜 次西向再拜 次北向再拜 庶人或説可レ加二大將軍天一太白一、〈以上各再拜〉 氏神、〈兩段再拜〉竈神、〈再拜〉先聖先師、〈各再拜〉」)
・なお仏教では十二天が十二方に配置されています。帝釈天(東)、火天(東南)、焔摩天(南)、羅刹天(西南)、水天(西)、風天(西北)、毘沙門天(北)、伊舎那天(東北)梵天(天)、地天(地)、日天(日)、月天(月)です。
・徒然草一九に「公事ども繁く、春の急ぎにとり重ねて催し行はるるさまぞ、いみじきや。追儺より四方拝につづくこそ、面白けれ」