福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

村岡典嗣「日本精神を論ず」より・・その3

2017-08-03 | 法話

「「日本精神」と言う語は、昭和六年の満州事変前後から特に顕著に行われたもので、先行的類語としては、「大和魂」・「大和心」また「日本国民性」等がある。
 「大和魂」は淵源は源氏物語・今昔物語等の平安朝の文献に求めうるが、(福聚講でここを指摘しています。「源氏物語・少女」に「なほ、才をもととしてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強うはべらめ」とあり、「学問を積み上げてこそ大和魂を世に問うこともできる」といっています。学問の更に上位に「大和魂」があるとしているのです。このころの「大和魂」の意味は「応用力」とでもいう意味だとする説もありますがそれ以上の日本魂というニュアンスも持ち始めていると思われます。)「大和魂」の近代的成形をみたのは徳川時代で儒学者や国学者の徒に唱えられ、続いて明治維新当時の志士の標語となった。吉田松陰はその代表である。
(一方)「日本国民性」は主として明治後期、日露戦争から大正へかけて学界の関心事となった。
 之にたいして「日本精神」は以上を受けて十数年來(昭和初期からか?)盛んに唱えられ、昭和11年の富山房の国民百科大事典ははやくも一項目として掲げ、昭和13年岩波の教育辞典またこれを載せた。・・日本精神の語は大体「大和魂」の現代的表現と言えるがこれらの辞典でも十分に解説できてはいない。さきの富山房の国民百科大辞典では「日本精神即尊王愛国心」説であるし、岩波では、日本精神とは日本民族の心的と屈性に非ずして日本文化を創造する主体、となす。(いずれも日本精神を定義するに不十分である。)・・」

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