福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

お大師様に救われて(s.s、御所市東松本、明治42年)

2018-09-04 | 頂いた現実の霊験
私は昭和5年軍隊生活に身を投じ、以来終戦まで16年間何の信仰もせずきた。又終戦後は朝鮮より引き揚げ家族6人を養うに瀬一杯だった。
しかし木材業を営んだ関係で周りのものに負けたくない一心でいつしか三輪さん、生駒さん、弁天さんにおまいりするようになっていた。そのおかげで商売にも余裕ができてくると戦友の供養もしたい、四国を回りたがっていた両親の供養もしたいという気持ちが出てきて、家内と二人で四国八十八所の団体に参加した。
昭和46年4月14日、遍路装束に身を固め、導師、先達につれられて、いよいよ1番から巡拝をはじめた。地蔵寺、大日寺あたりで足をいためたがどうにか6番安楽寺にたどりつけた。足の痛みでなかなか寝付けなかったが其のうち疲労でいつしか深い眠りにおちた。するとだれかが枕元で「靴を切れ、靴を切れ」という。眼を覚ますとだれもいないが寝付くと又同じように「靴を切れ」という。
其のうち朝になり、参拝をつずけたが熊谷寺までくると足が痛くて歩けなくなった。ついに昨夜の夢を思いだし、バスの中で靴の小指部分を切ってみた。小指を外に出すと足の痛みも感じず次の切幡寺は無事お参りできた。それからは足の痛みもなく十四日の巡拝を無事打ちおえることができた。これは夢でお大師様が靴をきるように教えていただいたお蔭と思っている。
昭和49年体に異常を感じるようになった。顔はむくみ、舌は回らず、歩行困難になる。診断の結果、心臓病とのことですぐ入院した。1年後退院直後に75名で四国遍路にいった。しかし足が動かない、お寺の階段ものぼれない、みなの中で一番惨めな姿だった。しかし皆さんのおたすけでなんとか結願できた。その直後、8月23日、夢を見た。『俺は死ににいくんだ。』といって白衣をきて私は一人でとぼとぼと歩いている。何とか死ななければならないと思い岩のうえに座り一心に心経をあげる。するとビニールが火に溶けるように私の体が溶けてしまった。此れで死ねたと思って先に行くと三途の川にでた。たくさんの死人にまじって川を渡り閻魔さまの前に行く。すると閻魔様は「おまえはここにくるのはちょっと早い。今すこし現世に留まって働け。」といわれる。自分はしかたないのでまた来た道をとぼとぼと引き返す途中で目がさめた。
妻にはなすと「おとうさん。病気がなおる夢かもしれませんよ。」という。その後家内の言ったとおりどんどん回復し治ってしまった。現在76歳、健康を取り戻し、盆栽や骨董品をながめながら余生を楽しんでいる。これもお大師様のお蔭とただただ感謝の日々を送っている。
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