福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

川崎大師の大般若会参拝(修正)

2014-10-21 | 法話
 今日川崎大師へお参りに行きました。自分でブログに川崎大師では今日21日に大般若会があると書いていたのですがそれは3時からと思いこんでいました。家人と1時ころ着いたので時間を間違って二時間も先に着いた思い込んでいたのですが、本堂の中を見ると丁度大般若経の机を並べて、般若十六善神の掛け軸もかけ、これからまさに大般若会が始まろうという処でした。管主様はじめ式衆が正面玄関から遷列され、各々大般若経が堆く積み上げられた机の前に座ります。管主様が護摩を焚く間、周りで式衆が大般若経を転読します。転読というのは『大般若経』の正式名称の『大般若経波羅蜜多経 巻第○○ 唐 玄奘三蔵 奉詔(ぶじょう)訳』と読んで初め・中間・終わりの数行(7行・5行・3行)を読み、そして高く差し上げてぱらぱらと広げます。これにより風が起きます。これを梵風(ぼんぷう)といって、この風をあびることにより信者の所願成就につながるというものです。 玄奘法師が翻訳した50年後、今から1300年程前にはもう日本に伝えられ、文武天皇が大宝3年(703年)に初めて 『大般若会』を行いました。(続日本紀に記録があります(「大宝三年(七〇三)三月辛未(十)》○辛未。詔四大寺、読大般若経。度一百人。」)、元明天皇が和銅元年(708年)に、毎年一度『大般若経』を転読するように命じ(続日本紀に「和銅元年(七〇八)六月己丑(廿八)》○己丑。詔、為天下太平百姓安寧。令都下諸寺転経焉」とあります。)次いで聖武天皇が宮中等で盛んに『大般若会』を営み、全国に広まったとされます。
 元寇の役に際して、興正菩叡尊は、文永10年(1273年)伊勢神宮に参籠し大般若経を転読したことは有名です。(「金剛仏子叡尊感身学正記」によると文永10年2月叡尊は、伊勢内宮禰宜荒木田親倫(あらきだちかみち)の進めに従って伊勢神宮に参拝、大般若経を転読し、異国退散の祈祷を行っています。)
 明治の神仏分離令までは神社で、この『大般若会』が盛んに営まれていました。
 川崎大師では、私も久しぶりに『大般若会』を参拝でき、最後に式衆の唱える御寶号や世界平和、災害絶滅、万民豊楽等を一緒にお唱えでき、有難い気持ちで帰途に就きました。
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