福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

中臣祓訓解、(伝弘法大師作)から・・・4

2016-07-03 | 諸経
中臣祓訓解、(伝弘法大師作)から・・・4

吾聞く、天神地祇を敬祭するには、潔清なるを以て懐おもひを益したまふ。故に不浄のものは鬼神の悪むところなり。<天霊を神といひ、地霊を祇と名ずけ、人の魂を鬼と号く。謂はゆる天神地祇人鬼これなり>。聖朝勅語の辞は「災いを擾ひ福を招き、必ず幽冥に憑よる。神を敬ひ仏を尊び、清浄なるを先とす」(続日本紀、神亀 2 年 (725) 7 月 17 日の詔勅『続詔二七道諸国一。除レ冤祈レ祥。必憑二幽冥一。敬レ神尊レ仏。清浄為レ先。今聞。諸国神祇社内。多有二穢臭一。及放二雑畜一。敬神之礼。豈如レ是乎。宜下国司長官自執二幣帛一。慎致二清掃一。常為中歳事上。又諸寺院限。勤加二掃浄一。仍令下二僧尼一読中金光明経上。若無二此経一者。便転二最勝王経一。令下二国家一平安上也。)経にいわく「己が心念清浄なれば諸仏この心にあり」と云々。清浄は即ち己心清浄の智用、寂静安楽の本性なり。不浄は即ち生死輪廻の業因、無間火城の業果なり。ゆえに不浄の中には生死の穢泥太はなはだ深し。仏説にのたまはく「垂迹誠むるところは、諸仏の顕戒に通じ、諸神の誡めに従えり。諸仏の戒に順ず。あるいは斎日祭日の精進を勤め、或いは往詣して歩を運び、貴賤等もしくは一花一香をささげて、三宝を供養し奉り、もしくは[うきくさ・しろよもぎ・みずくさ]を以て神祇等にそなえまつる。かくのごとき等の者は漸くこれをもって縁となり、内法に導き入れてい浄土の縁をむすびて、生死の海をわたりて、涅槃の岸に着かしむ。もし亦衆生善なければ我善を以て衆生に施し、悟りなければ我悟りをもって衆生に向かいて内証す」と云々。定めて知りぬ、これ人、三世の諸仏の智慧を持ち、二世の所求の円満を得ること不可説なり。々々々なり。

いふならく、これより東の方、八十億恒河沙の世界を過ぎて一仏国土あり、名ずけて大日本国といふ。神聖その中にいませり。名ずけて大日霊貴おおひるめのむち、天照大御神のこと)ともうす。まさに知るべし、生をこの国に受けたる衆生は、佛威神力を承けて諸仏とともにその国に遊ぶ。これ則ち仏説なり。これ吾言にあらずと云々。

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1 コメント

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Unknown (देवदत्त)
2019-06-03 03:35:57
「鬼人」ではなくて「鬼神」の誤りですね。
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