1、はじめに、私は以前からお大師様の『秘密曼荼羅十住心論』の十住心の順番、特に法相と三論宗の順番がどうして法相が先で三論が後になっているのかわからなくて不思議でした(これは大日経や日本で成立した八宗綱要でも同じですが)。最近の仏教書では歴史的展開に沿って考えて、「空」(三論)を先に「唯識」(法相)を後に解説されているものばかりですから。
そこで教相判釈を少し調べると、いろいろな宗派で教相判釈ということが行われてきていました。お釈迦様の教えをどう整理するかです。そしてそれらは必ずしも歴史的展開を踏まえているものではありませんでした。歴史的な経典の成立時期と教相判釈は必ずしも一致しないのです。こうして調べているうちに、結論として、歴史的展開と十住心論の順番の整合性を取る必要は全くないことがわかりました。後に述べる宇井博士の言葉が結論です。要は歴史的成立時期を考えても意味がないということです。とりあえずそこに至るまでの考えを整理しておきます。
2、教相判釈で有名なのは、天台智の五時八教の教判です。即ちお釈迦様は最初に華厳経を説き、その教えが難しいため、次に平易な阿含経、次に方等経、般若経を説き、最後の8年間で法華経と涅槃経を説いたとするものです。そして最後に説いた法華経がお釈迦様のもっとも重要な教えであるとしています。これがポピュラーな考えです。
しかしほかにも多くの教相判釈があります。例えば華厳宗第三祖の賢首大師法蔵は『華厳五教章』で、小乗教(阿含経、婆沙論)・大乗始教(法相宗、三論宗)・終教(勝鬘経、楞伽経、大乗起信論)・頓教(禅)・円教(華厳経)と判釈しました。
3、日本に来て台密の五時五教の判では第一時華厳、第二時阿含、第三時方等(維摩・勝鬘)、第四時般若、第五時醍醐(初は法華経、中は涅槃経、後は大日経)とされます。そのほかにも多くの説があるようですが省略します。
4、歴史的に各経の成立時期をみてみると、BC三世紀ころ阿含経、法句経、AD一二九年から一五〇年ころ般若経、維摩経、法華経、華厳経、浄土三部経、一五〇年ころ中論頌、十二門論、そのあと勝鬘経、涅槃経、解深密経、成実論、そのあと四百年ころ倶舎論、唯識二十論、唯識三十論、四百五十年ころ大乗起信論、六百年代後半金剛頂経、大日経となっています。歴史的には空の般若経も一乗の法華経も無尽縁起の華厳経もほとんど同じ時期に説かれていたのです。さらに唯識にいたってはそのあとに出てきているのです。
従って、宇井白寿は『仏教汎論』において「仏陀の思想それ自身に発展とか進歩とかがあると考えるがごときは、到底許されるべきことではないから、仏陀の教えの根本趣意を説くに於いて、聴者の機根素質の如何を考察して、その説きかたに幾段かの異なりがあることを明らかにせんとするのは、むしろ正しい方法であるといわねばならぬ。故に五時の教判を以て、それが歴史的研究または歴史的伝説に一致しないというて、一概に之を排除せんとするのは、むしろ排除せんとする人の考えに足らざる点のあることをあらわして居るといふべきであろう。」としています。
5、お大師様はこういうことも当然踏まえたうえで『秘密曼荼羅十住心論』で人の心の転昇を、一、異生羝羊心 (動物)二.愚童持斎心 (儒教)、三嬰童無畏心 (道教)、四.唯蘊無我心 (声聞)、五.抜業因種心 (縁覚)、六.他縁大乗心 (唯識・法相宗)、七.覚心不生心 (中観・三論宗)、八.一道無為心 ( 天台宗)、九.極無自性心 (華厳宗)、十.秘密荘厳心 (真言密教)と発展する順に捉えられました。「大日経の三劫の法門は小乗教から三乗教、三乗教から一乗教、更に顕教の一乗教から秘密真言乗に転入する経路を明かすものであって・・一般仏教の説に対比して真言行者の信念向上の歴程を明かそうとして、顕教の小乗、一乗の教意を説かれたものであるという。・・されば真言行者の菩提心の転昇を明かすにあると知るべきである。・・人空無我の観智の光によって人我の妄執を除くのが初劫の法門である。・・弘法大師の十住心でいえば第四住心(唯蘊無我心 (声聞))の教えである。・・弘法大師は第二劫において第六住心と第七住心等を開設された。第六の住心とは法相宗で、第七の住心とは三論宗である。即ち第二劫には萬有は心から生ずという唯心縁起と、またこの唯心の自体も畢竟空であると説く三論の義とが合説されている。・・有為の第八阿頼耶識を本として因縁生の義を明かすは第六住心(法相宗)で、また萬有は唯心の所生であるというてもその心自体は堅実常住なものではなくて心の自性も無自性空であるという理趣を開演するものは第七住心覚心不生心 (中観・三論宗)である。・・」(大日経綱要、金山穆韶)。こうみるとお大師様も当然歴史的前後でなく、心の転昇の順番を考えて順番を付けておられるということでした。
そこで教相判釈を少し調べると、いろいろな宗派で教相判釈ということが行われてきていました。お釈迦様の教えをどう整理するかです。そしてそれらは必ずしも歴史的展開を踏まえているものではありませんでした。歴史的な経典の成立時期と教相判釈は必ずしも一致しないのです。こうして調べているうちに、結論として、歴史的展開と十住心論の順番の整合性を取る必要は全くないことがわかりました。後に述べる宇井博士の言葉が結論です。要は歴史的成立時期を考えても意味がないということです。とりあえずそこに至るまでの考えを整理しておきます。
2、教相判釈で有名なのは、天台智の五時八教の教判です。即ちお釈迦様は最初に華厳経を説き、その教えが難しいため、次に平易な阿含経、次に方等経、般若経を説き、最後の8年間で法華経と涅槃経を説いたとするものです。そして最後に説いた法華経がお釈迦様のもっとも重要な教えであるとしています。これがポピュラーな考えです。
しかしほかにも多くの教相判釈があります。例えば華厳宗第三祖の賢首大師法蔵は『華厳五教章』で、小乗教(阿含経、婆沙論)・大乗始教(法相宗、三論宗)・終教(勝鬘経、楞伽経、大乗起信論)・頓教(禅)・円教(華厳経)と判釈しました。
3、日本に来て台密の五時五教の判では第一時華厳、第二時阿含、第三時方等(維摩・勝鬘)、第四時般若、第五時醍醐(初は法華経、中は涅槃経、後は大日経)とされます。そのほかにも多くの説があるようですが省略します。
4、歴史的に各経の成立時期をみてみると、BC三世紀ころ阿含経、法句経、AD一二九年から一五〇年ころ般若経、維摩経、法華経、華厳経、浄土三部経、一五〇年ころ中論頌、十二門論、そのあと勝鬘経、涅槃経、解深密経、成実論、そのあと四百年ころ倶舎論、唯識二十論、唯識三十論、四百五十年ころ大乗起信論、六百年代後半金剛頂経、大日経となっています。歴史的には空の般若経も一乗の法華経も無尽縁起の華厳経もほとんど同じ時期に説かれていたのです。さらに唯識にいたってはそのあとに出てきているのです。
従って、宇井白寿は『仏教汎論』において「仏陀の思想それ自身に発展とか進歩とかがあると考えるがごときは、到底許されるべきことではないから、仏陀の教えの根本趣意を説くに於いて、聴者の機根素質の如何を考察して、その説きかたに幾段かの異なりがあることを明らかにせんとするのは、むしろ正しい方法であるといわねばならぬ。故に五時の教判を以て、それが歴史的研究または歴史的伝説に一致しないというて、一概に之を排除せんとするのは、むしろ排除せんとする人の考えに足らざる点のあることをあらわして居るといふべきであろう。」としています。
5、お大師様はこういうことも当然踏まえたうえで『秘密曼荼羅十住心論』で人の心の転昇を、一、異生羝羊心 (動物)二.愚童持斎心 (儒教)、三嬰童無畏心 (道教)、四.唯蘊無我心 (声聞)、五.抜業因種心 (縁覚)、六.他縁大乗心 (唯識・法相宗)、七.覚心不生心 (中観・三論宗)、八.一道無為心 ( 天台宗)、九.極無自性心 (華厳宗)、十.秘密荘厳心 (真言密教)と発展する順に捉えられました。「大日経の三劫の法門は小乗教から三乗教、三乗教から一乗教、更に顕教の一乗教から秘密真言乗に転入する経路を明かすものであって・・一般仏教の説に対比して真言行者の信念向上の歴程を明かそうとして、顕教の小乗、一乗の教意を説かれたものであるという。・・されば真言行者の菩提心の転昇を明かすにあると知るべきである。・・人空無我の観智の光によって人我の妄執を除くのが初劫の法門である。・・弘法大師の十住心でいえば第四住心(唯蘊無我心 (声聞))の教えである。・・弘法大師は第二劫において第六住心と第七住心等を開設された。第六の住心とは法相宗で、第七の住心とは三論宗である。即ち第二劫には萬有は心から生ずという唯心縁起と、またこの唯心の自体も畢竟空であると説く三論の義とが合説されている。・・有為の第八阿頼耶識を本として因縁生の義を明かすは第六住心(法相宗)で、また萬有は唯心の所生であるというてもその心自体は堅実常住なものではなくて心の自性も無自性空であるという理趣を開演するものは第七住心覚心不生心 (中観・三論宗)である。・・」(大日経綱要、金山穆韶)。こうみるとお大師様も当然歴史的前後でなく、心の転昇の順番を考えて順番を付けておられるということでした。