蒙古の動きが風雲急を告げていたため文永八年1271九月十三日、執権北条時宗は鎮西の御家人に海防を嚴
にすべきことと鎮西の悪党の鎮圧することを命じています。(文永の役は文永十一年1274 十月三日に起こっています。)
小代文書に、
「蒙古人襲來すべきの由、其之を聞くの間、御家人鎮西に差遣され早速自身下る所なり、所領の守護人相伴ひ肥後國に向へ。
且つ異國之防禦を致すべし、且つ領内之悪黨者を鎭むべし。依仰執達件の如し。
文永八年九月十三日 相模守(時宗) 花押
右京權大夫(政村) 花押。」
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