福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

中論・觀作作者品第八 

2023-01-24 | 諸経

中論・觀作作者品第八    ・十二偈             

(一切の生きとし生けるものは業を作しその業に随って輪廻するが、業を為す主体もその為される業も空であるから実は生死涅槃も空である。)

「問曰、現に作有り、作者有り、所用の作法有り。三事和合するが故に果報有り。是故に應に作者作業有るべし。

答曰、上來の品品の中に一切法を破して皆な餘りあること無し。三相を破するが如し。三相は無なるが故に有爲あること無し。有爲無きが故に無爲無し。有爲無爲は無なるが故に一切法は盡く作・作者無し。若し是れ有爲ならば有爲中に已に破せり。若し是れ無爲ならば無爲中に已に破せり。應に復た問ふべからず。汝著心深きが故に而も復た更に問ふ。今當に復た答へん。

「決定して作者有らば 決定業を作さず。決定して作者無くも 決定の業無し。」(第一偈)

若し先に定んで作者有り定んで作業有らば則ち作すべからず。若し先に定んで作者無く定んで作業無くば亦に應に作すべからず。何以故、

「決定業は作す無し 是の業は無作者なり。定の作者も無作なり。 作者も亦た無業なり。」(第二偈)

若し先に決定して作業有らば應に更に作者あるべからず。又作者を離れて應に作業あるべきは但だ是の事然らず。若し先に決定して作者有らば應に更に作業あるべからず。又作業を離れて應に作者有るべきは但是事然らず。是の故に決定の作者、決定の作業は應に作あるべからず。不決定の作者、不決定の作業も亦た應に作あるべからず。何以故。本來無なるが故なり。作者有り作業有るも

尚ほ作す能はず。何ぞ況んや無作者無作業なるをや。復次に、

「若し定んで作者あり 亦た定んで作業有らば 作者及び作業は即ち無因に堕せん。」(第三偈)

若し先に定んで作者あり、定んで作業有らば、汝、作者に作有りと謂はば即ち無因と為る。作業を離れて作者あり作者を離れて作業有らば則ち因縁従り有るに非ず。問曰、若し因縁従り作者あり作業あらば、何の咎あらんや。答曰、

「若し無因に堕せば 則ち無因・無果・無作・無作者・無所用作法なり。」(第四偈)

「若し無作等法ならば 則ち罪福あることなし。罪福等無きが故に 罪福の報も亦た無し。」(第五偈)

「若し罪福の報無くば 亦た涅槃あること無し。諸の所作あるべきもの 皆な空にして果有ること無し。」(第六偈)

若し無因に堕せば一切法は則ち無因無果なり。能生の法を名けて因と為す。所生の法を名けて果と為す。是の二は即ち無なり。是の二、無なるが故に作無く作者無く亦た所用の作法無く亦た罪福無し。罪福無きが故に亦た罪福の果報及び涅槃道無し。是の故に無因従り生ずることを得ず。問曰、若し作者不定にして而も不定業を作さば何の咎有らんや。答曰、一事無なるすら尚ほ作業を起す能はず。何ぞ況んや二事都て無なるをや。譬へば化人虚空を以て舍と為すが如し。但だ言説のみ有りて而も作者作業無し。問曰、若し作者無く作業無くば不所作有る能はず。今、作者有り作業有り、應に作有るべし。答曰、

「作者の定・不定は 二業を作す能はず。有無相違するが故に 一處より生ぜば則ち二無し。」(第七偈)

作者の定不定は定不定の業を作す能はず。何以故。有無相違するが故なり。一處より應に二有るべからず。有は是れ決定。無は是れ不決定なり。一人一事なるに云何んが有無を有せんや。復次に、

「有は無を作す能はず、 無は有を作す能はず。若し作・作者有らば 其の過は先に説くが如し。」(第八偈)

若し作者有りて而も業無くんば何ぞ能く所作有むや。若し作者無くして而も業有らば亦た所作有る能はず。何以故。先に説けるが如し。有の中に若し先に業有らば作者は復た何の所作あらむ。若し先に業無ければ云何んが作を得るべき。如是なれば則ち罪福等の因縁果報を破る。是の故に偈中に説く。有は無を作る能はず、無は有を作る能はず。若し作・作者有らば其の過は先に説けるが如し。復次に、

「作者は定を作さず 亦た不定及び定・不定業を作さず。其の過、先に説けるが如し。」(第九偈)

定業已に破る。不定業も亦た破る。定・不定業も亦た破る。今、一時に總じて破せんと欲するが故に是の偈を説く。是の故に作者は三種の業を作す能はず。今三種の作者も亦た作業を作す能はず。何以故、

「作者は定も不定も 亦定亦不定なるも、業を作す能はず。其の過は先に説けるが如し。」(第十偈)

作者は定・不定なるも亦定亦不定なるも、業を作す能はず。何以故。先の三種の過の因縁の如し。此の中、應に廣説すべし。如是に一切處に作者・作業を求むるに皆な不可得なり。問曰、若し作無く作者無しと言はば則ち復た無因に堕せん。答曰、是の業は衆縁従り生ず。假名にして有と爲す。決定無ること有し。汝の所の如くならず。何以故、

「因業作者有り 作者に因りて業有り。業を成ずるに義は如是なり。 更に餘事有ること無し。」(第十一偈)

業は先に決定無し。人に因りて業を起こし、業に因りて作者有り。作者亦決定無し。作業有るに因りて名て作者と為す。二事和合するが故に作と作者と成ずることを得。若し和合從り生ずれば則ち自性無し。無自性なるが故に空なり。空なれば則ち所生無し。但し凡夫の憶想分別に随ふが故に作業有り作者有りと説く。第一義中には作業無く作者無し。復次に、

「作と作者とを破するが如く、受と受者も亦た爾なり。及び一切諸法も亦た應に如是に破すべし。」(第十二偈)

作と作者と相ひ離れるを得ず、相ひ離るるを得ざるが故に決定せず、決定なきが故に無自性なるが如く、受と受者も亦た如是なり。受を五陰身と名く。受者は是れ人なり。如是に人を離れて五陰無し。五陰を離れて人無し。但だ衆縁従り生ず。受と受者の如く餘の一切法も亦た應に如是に破すべし。」(終わり)

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