福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

T・Kさんが16日の定例会の模様を記録してくださいました。

2013-02-22 | 開催報告/巡礼記録
早や2月も、残すところ、僅かになりました。講員の皆様はじめ、このブログを閲覧されて居られる皆様には、お変わりありませんか。お元気の事と、お察しして居ります。

福聚講(高原耕昇講元)では、2月16日(土)午後3時30分から、定例祈願会を、東京文京区護国寺で、開催しました。この日の前日の15日[金]は、お釈迦様の涅槃会にあたり、護国寺も、多くの参詣者で、賑わったことでしょう。翌16日は、人の気配が無く、静寂に包まれ、この日は、寒さが厳しく、折からの、冷たい強風が吹き付けていて、勤行を務める間、寒さを耐えながら、いつもの、般若心経、観音経を、高原耕昇講元様のお導師のもとで、お唱えしました。

勤行中、背後の方から、元気な赤ちゃんの泣き声がします。読経の声に交じって、みどり子の天使の様な声です。参拝者の子かな?読誦が終わって、後ろを振り返ると、高原講元の御子息の赤ちゃんでした、御子息が、この日、奥さまを同伴して、生後、四カ月の男児の赤ちゃんを胸深くだっこして、勤行に参加されたのでした。御子息は「この子が、母親の胎内に宿っている時、観音様から“男の子だよ”という、お告げをいただきました。観音様の有難いお蔭を賜りました。」としみじみ、述懐されていました。いいお話です。

勤行の後は、二次会には、早いので、いつもの護国寺前の菓子司「甲月堂」で、夫々、甘味を戴きながら、時を待ち、5時になると近くにある居酒屋の「弁慶」で、いつもながらのオダを上げることになります。

この日は、話題が豊富で、つい時の経つのを忘れるほどで、2時間半余りがあっというまに経ちました。高原講元に親しくお話しかけることができ、どんどん難問にも答えて戴けるひと時です。

人間は、いのちあるものの生き物、青い野菜や、魚、肉を、「殺生」していきねばならない!なぜ?。
「発達障害」の人とは、どういう人なのか?。
間もなく3月。東北・仙台の津波震災に遭った荒浜海岸に、建ったばかりの被災者慰霊塔に、高原講元様と、講員諸氏が、慰霊巡拝してから、早や、一年が過ぎました。Aさんから、再度、慰霊行をしては?という提案もありました。

そして、
いま、われわれの住む世の中は、政権交代で、復権した自民党・安倍政権のもとで、アべノミックスと、民主党政権では、考えられなかった経済効果が、連日、マスコミをにぎわせ、その昔、体験した、「バブル狂乱時代」の再来、前夜のような賑わいを見せています。
つい先日まで、騒がれない事が無かった「絆」という言葉は、すっかり、影をひそめてしまった感がします。人間の絆。隣人の絆。家族の絆。京都・清水寺の大僧正が、揮毫した「絆」。人の噂も七十五日とは、よく言ったもので、いまでは、「絆」も人の口にのぼることなく、アベノミックスで、円安・株高と喧騒される日々になりました。

そして、生きることが楽しく、夢にあふれていて、明日が来るのが待ち遠しいなどという時代は過去のものとなり、私たちは、みんな生きながら重い荷物をかついだような陰鬱な気分になつて居るのです。お釈迦様のころにも似たような状況にありました。「社会不安や差別や不自由がまかり通り、一部の裕福な人、恵まれた人以外はたいへんな虚しさを感じていました。仏教は、そんな世の中をどう乗り切るかという切実なところから生まれてきた側面があるのです。(ゴータマは、いかにしてブッダとなったのか。佐々木閑著)」

15日は、涅槃会でした。いま、殆どの日本人は、宗教を持っていません。僅かに、少しの人だけが、仏教や、キリスト教などの信仰をもっているという状況だと思います。仏教の大事な行事である、「涅槃会」の意味や、行事をお祀りするという意義を知ることも少なくなりました。

高原講元様は、宗教心のない日本人に、仏様の心を伝え、精神的支柱を作ることが、いま、なされねばならない。と力説されていたことに、深く考えさせられた次第です。
【T・K記】

















コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2月22日は聖徳太子薨去の... | トップ | 醍醐寺の「五大力尊仁王会」... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

開催報告/巡礼記録」カテゴリの最新記事