三種即身成仏について
大師の異本「即身義」に「理具」「加持」「顕得」の三種の即身成仏が説かれています。これを真言宗読本(栂尾祥雲)では以下のように解説しています。
・「理具」について「・・(永遠と価値と聖愛と創造とを一体とした)仏陀の生体が事事物物の中に天理として具することを真言宗では理具の仏という」
・「加持」について「・・大師が『佛日の影、衆生の心水に現ずるを加といひ、行者の心水よく佛日を感ずるを持と名く』と説ける如くに「生」そのものとしての仏陀の聖体より放射する霊光は、つねに各々個々の衆生の上に加被し光照しているのであるから、衆生がそれを任持し把握することによってのみ、そこに感応・道交の不思議境を現出することができるのである。
・「顕得」について「・・個体にとらわれることなく、周囲の一切のものと協調して全一を生きるようにし、…自ら聖愛の体現者として、一切を教化し、‥絶えず荘厳世界を創造するようになると、それが顕得の仏である」。
要は理具とは自身が大日如来であるという理論的自覚、加持とは信仰によりそれを実感・確信させられること、顕得とはその実感・確信にもとずき利他業に励むこと、ということでしょうか。
大師の異本「即身義」に「理具」「加持」「顕得」の三種の即身成仏が説かれています。これを真言宗読本(栂尾祥雲)では以下のように解説しています。
・「理具」について「・・(永遠と価値と聖愛と創造とを一体とした)仏陀の生体が事事物物の中に天理として具することを真言宗では理具の仏という」
・「加持」について「・・大師が『佛日の影、衆生の心水に現ずるを加といひ、行者の心水よく佛日を感ずるを持と名く』と説ける如くに「生」そのものとしての仏陀の聖体より放射する霊光は、つねに各々個々の衆生の上に加被し光照しているのであるから、衆生がそれを任持し把握することによってのみ、そこに感応・道交の不思議境を現出することができるのである。
・「顕得」について「・・個体にとらわれることなく、周囲の一切のものと協調して全一を生きるようにし、…自ら聖愛の体現者として、一切を教化し、‥絶えず荘厳世界を創造するようになると、それが顕得の仏である」。
要は理具とは自身が大日如来であるという理論的自覚、加持とは信仰によりそれを実感・確信させられること、顕得とはその実感・確信にもとずき利他業に励むこと、ということでしょうか。