福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「十善法語」その35

2019-10-05 | 十善戒
この業相縁起の中に。先人間と云者は。其姿にも十善はあらはれてある。其世界にも十善は顕はれてあるじゃ。經の中に。三惡趣の者は其身も麁臭穢なるとある。其世界も熱鐡煨河(ねってつわいが)・黒風熱沙じゃとある。此中地獄餓鬼は肉眼に見えぬことなれば且く置いて。畜生に比對して此人間を知れ。

第一に先(まず)仁愛の姿じゃ。身に猛き爪牙がない。頭に角がない。身體も柔軟なるじゃ。坐するも正しく行歩も正く。臥も正く衣冠威儀も正きじゃ。不殺生戒の影は先こうしたことじゃ。畜生を看よ。獅子虎狼よりして下蛇蛙(へびかわず)微細の蟲蟻に至るまで。大小強弱の別はあれども。皆噉害(たんがい)する毒があるじゃ。角あるもあり。牙あるもあり。利爪あるもあり。大は小を凌ぎ強は弱を挫きて。互に噉害し呑嚼(どんしゃく)するじゃ。彼の殺生業道の姿如是じゃ。

古に麒麟は生物を害せず青草を踏ぬと云類は(「説文解字」に「麒――麒麟は仁獣也、「公羊伝」に「麟なるものは仁獣也」と曰ひ、何注に「状は麕の如く、一角ありて而うして肉を戴く。武器を設けて而して害を為さず。仁為る所以也」。…「五経異議」に「許慎謹みて案ずるに、『礼運』に云く、『麟・鳳・亀・龍、之れを四霊と謂ふ』と。龍は東方也。虎は西方也。鳳は南方也。亀は北方也。麟は中央也」。…此こに「仁獣」と云ふは、公羊の説を用ひ、其の角の端に肉を戴き、「生蟲を履(ふ)まず、生艸(くさ)を折らざる」を以てする也。」とあるようです。)畜生道の中に一分人間の徳を失ぬことじゃ。畜生の當まへではない。又經中の鹿野苑の縁などは。更に別途のことじゃ。(鹿野苑と言う名は妊娠している鹿の為、國王の狩の犠牲となった鹿の王にちなみ名付けられたと大唐西域記にある)。

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