福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

大智度論・・11

2019-11-15 | 諸経
(大智度論釋初品中戒相義第二十二之一)
(不邪淫)
若し女人にして父母兄弟姊妹・夫主兒子・世間法・王法の守護するを若し犯す者は是を邪婬と名く。若は守護せずと雖も法を以って守らるものあり。云何が法をもって守るとなす。一切の出家の女人と、在家の一日戒を受けたる、是れを法をもって守ると名づく。
若しは力を以ってし、若しは財を以ってし、若しは誑誘し、若しは自ら妻が受戒、乳児を娠めるを婬するは、非道なり。是の如きを犯せば、名づけて邪婬と為す。是の如きの種種、乃至華鬘を婬女に与えて、要を為し、是の如く犯せば、名づけて邪婬と為し、是の如き種種を作さざれば、名づけて不邪婬と為す。
問曰。「人守名あらば人を瞋らせ、法守ならば破法となり應に邪婬と名くべし。人自ら妻あるを何を以ってか邪となすや」。
答曰。「既に一日戒を聽受して法中に堕す。本と是れ婦なりと雖も今は自在ならず。受戒の時すぐれば則ち法守にあらず。娠婦人は其身重きをもって本習ふところを厭ひ娠を傷むとなす。兒乳の時に其母を婬すれば乳則ち竭く。又心が婬欲に著するをもって復た児を護らず。非道之處は則ち非女根なり。心に樂はざるに強ひて非理をもってなすが故に邪婬と名く。是事を作さざるをもって名て不邪婬となす。問曰。「
若し夫主が不知・不見・不惱ならば他に何の罪あらんや。」答曰。「其の邪なるを以っての故に、既に名づけて、邪と為し、是れを不正と為す。是の故に、罪有り」。復次に此に種種の罪過あり。夫妻之情は異身同體なり。他の愛するところを奪って其の本心を破る、是を名けて賊となす。復た重罪あり。惡名醜聲にして人のために憎るるところとなり少樂多畏。或は刑戮を畏れ又た
夫主傍人の知りところとなることを畏れ、多く妄語を懐く。聖人の呵するところにして罪中之罪なり。
(丹注云わく婬罪は、邪婬・破戒の故に罪中の罪と名く)
復次に婬劮の人は當に自ら思惟せよ。「我婦も他妻と同く女人たり。骨肉情態彼此異るなし。而も我れ何ぞ横いままに惑心を生じ邪意に隨逐するをなさんや。邪婬の人は今世後世の樂を破失す。好名・善誉・身心の安楽は今世の得なり。天に生じて道を得る涅槃の利は後世の得なり」と。復た次に、己を迴らして、処を易え、以って自ら心を制せん。「若し彼れ、我が妻を侵さば、我れは則ち忿恚せん。我れ若し彼れを侵さば、彼れも亦た何ぞ異ならん。己を恕して、自ら制するが故に、応に作さざるべし」と。
復次に佛の所説の如くんば、邪婬之人は後に劍樹地獄(八大地獄の一で劍樹が林立している地獄)に堕して衆苦を備受し、出でて人となるを得ても家道不穆(むつまじからず)、常に婬婦に値ひ邪僻・殘賊・邪婬、患をなす。譬ば蝮蛇のごとく、亦た大火の如く、急に之を避けずんば禍害將に及ばんとす。佛の所説のごとくんば、邪婬に十罪あり。一は常に婬せらるるところの夫主は之を危害せんと欲す。二は夫婦むつまじからず常に共に鬪諍す。三は諸不善法日日に増長し諸善法は日日に損減す。四は身を守護せざれば妻子孤寡なり。五は財産日に耗(へ)る。六は有らゆる諸の悪事を常に人に疑わる。七は親属・知識に愛し喜ばれず。八は怨家の業因縁を種う。九は身壊れ命終りて死すれば地獄に入る。十は若し出でて女人と為れば多人と夫を共にし、若し男子と為れば婦は貞潔ならず。是の如き等の種々の因縁を作さざる、是れを不邪婬と名づく。
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