孝経
2018-10-06 | 諸経
孝経
仲尼居し、曾子侍す。子曰く、「先王、至徳要道あって、もって天下を順にす。民用って和睦し、上下怨みなし。汝これを知るか」と。曾子席を避て曰く「参、不敏なり。何ぞ以て之を知に足ん」。子曰く、「それ孝は徳の本なり。教のよって生ずるところなり。坐に復れ。われ、汝に語らん。身体髪膚之を父母に受く。敢て毀傷せざるは、孝の始めなり。身を立て道を行い、名を後世に揚げ、もって父母を顕は、孝の終りなり。夫れ孝は、親に事うるに始まり、君に事るに中し、身を立つるに終る。大雅に曰いわく、爾の祖を念うことなからんや。その徳を聿のべ修む、と。
天子
親を愛する者は、敢へて人を悪(にく)まず、親を敬する者は、敢へて人を慢(あなど)らず。愛敬、親に事(つか)ふるに尽きて、徳教、百姓に加はり、四海に刑(のり)す、蓋し天子の孝なり。甫刑(ほけい、書経の呂刑・周穆王の刑書)に云はく、一人慶び有らば、兆民之を賴(こう)ぶる、と。
諸侯
上に居て驕らざれば、高くして危からず、節を制し度を謹めば、満ちて溢ふれず。高くして危からざるは、長く貴きを守る所以なり、満ちて溢れざるは、長く富を守る所以なり。富貴其の身を離れず、然る後に能く其の社稷を保ち、而して其の民人を和す、蓋し諸侯の孝なり。詩(詩経)に云ふ、戦戦兢兢、深き淵に臨むが如く、薄氷を履むが如し、と。(詩経に「敢(あえ)て虎を暴(てうち)にせず 敢て河を馮(かちわた)らず。人はその一を知るも その他を知るなし。戦戦兢兢として深淵に臨むが如く 薄氷を履むが如し。」)
卿大夫章 第四
先王の法服にあらざれば、敢て服せず。先王の法言にあらざれば、敢て道いわず。先王の徳行にあらざれば、敢て行わず。法に非ざれば言わず、道に非ざれば行わず。口に択言(たくげん)無く、身に択行(たくこう)無し(道理にかなった立派な言行をする)。 言(こと) 天下に満ちて口過無く、行い 天下に満ちて怨悪無し。三者備わりて、然る後、能く其の宗廟を守る。蓋し卿大夫の孝なり。詩(詩経)に云く、「夙夜(しゅくや早朝から夜半まで) 懈おこたらず、もって一人(いちにん)に事つかう」と。
士章 第五
父に事つかうるに資とってもって母に事う、而して愛同じ。父に事つかうるに資とってもって君に事う、而して敬に同じ。ゆえに母にはその愛を取り、君にはその敬を取る。これを兼かぬる者は父なり。ゆえに孝をもって君に事つかうればすなわち忠なり。敬を以て長に事ふれば則ち順。忠順失わずして、以て其の上(かみ)に事う。然る後、能く其の禄位を保ち、その祭祀を守る。詩に云く、「夙つとに興おき夜よわに寐いねて、爾なんじの所生(しょせい・父母)を忝はずかしむることなかれ」と。
庶人章 第六
天の道を用い、地の利を分ち、身を謹み用を節し、以て父母を養う。此れ庶人の孝なり。故に天子より庶人に至るまで、孝 終始無くとも、及ばざるを患うる者、未だこれ有らざるなり。
三才章 第七
曽子曰いわく、甚しいかな、孝の大なるや。
夫れ孝は天の経(けい)なり、地の義なり、民の行いなり。天地の経にして、民 是れこれに則(のっと)る。天の明に則のっとり、地の利に因より、もって天下を順にす。ここをもってその教おしえ肅しゅくならずして成り、その政ごと厳ならずして治まる。先王、教えのもって民を化すべきを見るなり。この故にこれに先んずるに博愛をもってして、民その親を遺わするることなし。これに陳(の)ぶるに徳義を以てすれば、民 興り行う。これに先んずるに敬譲を以てすれば、民 争わず。 これを導くに礼楽を以てすれば、民 和睦す。 これに示すに好悪を以てすれば、民 禁を知る。詩に云く、「赫赫たる師尹しいん。民ともに爾なんじを瞻みる」と。(詩経、光り輝く名宰相、民はみんな汝を仰ぎ見る)
孝治章 第八
子曰く、昔者、明王の孝をもって天下を治むるや、あえて小国の臣を遺れず。しかるをいわんや公侯伯子男においてをや。ゆえに万国の懽心(かんしん・歓心)を得て、もってその先王に事う。国を治むる者はあえて鰥寡(かんか・男やもめ女やもめ)を侮らず。しかるをいわんや士民においてをや。故に百姓の懽心を得て、もってその先君に事う。家を治むる者はあえて臣妾を失わず、しかるをいわんや妻子においてをや。ゆえに人の懽心を得てもってその親に事う。夫れ然り。故に生けるには則ち親之に安んじ、祭には則ち鬼(死者の霊)之を享く。是を以て天下和平にして、災害生ぜず、禍乱作(おこ)らず。故に明王の孝を以て天下を治むるや此の如し。詩に云く、「覚(かく)たる徳行あり、四国これに順(したが)う」と。(詩経・大雅仰「競ことなし、維れ人、四方それこれに訓(なら)う。覺たる德行あり、四國これに順(したが)う。訏(大、おおい)なる謨(謀)にて命を定め、遠猶(=猷、謀)して辰(とき)に告げ、敬慎して威儀す、維れ民の則。(競わなければ四方の人々はついてくる。覚悟の德行があれば、周囲の国々は順う。深謀遠慮で適時適切な指示を出し人民を敬い慎しみ威儀を正していれば(おのずと)民の手本(則)になる。)」
聖治章 第九
曽子曰く、あえて問う、聖人の徳もって孝に加うることなきかと。
子曰く、天地の性、人を貴しとなす。人の行いは、孝より大なるはなし。孝は父を厳にするより大なるはなし。父を厳にするは天に配するより大なるはなし。 すなわち周公はその人なり。昔者、周公は后稷(こうしょく周王朝の始祖)を郊祀してもって天に配し、(父の)文王を明堂に宗祀してもって上帝に配す。ここをもって四海のうち、おのおのその職をもって来り祭る。それ聖人の徳、また何をもってか孝に加えんや。ゆえに親これを膝下に生じ、もって父母を養い、日に厳にす。聖人厳に因りてもって敬を教え、親に因りてもって愛を教う。聖人の教えは肅ならずして成り、その政は厳ならずして治まる。その因るところのものは本なり。父子の道は天性なり。君臣の誼。父母これを生む。績くこと、これより大なるはなし。君親としてこれに臨む。厚きことこれより重きはなし。
ゆえにその親を愛せずして他人を愛する者、これを悖徳(はいとく)と謂う。その親を敬せずして他人を敬する者、これを悖禮(はいれい)と謂う。順をもってすれば則り、逆なれば民、則ることなし。善にあらずして、みな凶徳にあり。これを得といえども、君子は貴ばざるなり。君子はすなわち然らず。言は道うべきを思い、行は楽しむべきを思う。徳義尊ぶべく、作事法(のっと)るべく、容止観るべく、進退度すべし。もってその民に臨む。ここをもってその民畏れてこれを愛し、則ってこれに象(かたど)る。ゆえによくその徳教を成して、その政令を行う。
詩に云く、「淑人(しゅくじん・善人)君子、その儀忒(たが)わず」と。(詩経・鳲鳩篇)「鳲鳩(しきゅう・カッコウ)桑にあり、その子は棘にあり。
淑人君子、その儀忒(たがう、違う・差錯)わず。その儀忒わず、是の四國を正す。(鳲鳩桑にあり、子の一人は棘にいる。これも淑人君子で、その挙動には間違いがない。その挙動に間違いがないから、是の國四方を正せる。鳲鳩かっこうは繁栄の象徴であり子沢山で、みんな君子で団結しているし、威儀も立派で行動もまちがいない、そして国や人を正すから統治は万年におよぶ。)
紀孝行章 第十
子曰く、孝子の親に事(つか)うるや、居(おる)にはすなわちその敬を致し、養(やしない)にはすなわちその楽を致し、病にはすなわちその憂を致し、喪にはすなわちその哀を致し、祭にはすなわちその厳を致す。五つのもの備わりて、しかる後よく親に事う。
親に事うる者は上に居て驕らず、下となって乱れず、醜(もろもろ)に在って争わず。上に居て驕ればすなわち亡び、下となって乱るればすなわち刑せられ、醜(もろもろ)に在って争そえばすなわち兵せらる。三つのもの除かざれば、日に三牲(さんせい牛・羊・豕)の養を用いるといえども、猶不孝となすなり。
五刑章 第十一
子曰く、五刑の属(ぞく)三千、罪、不孝より大なるはなし。(刑罰は五刑があり内容は三千ある、そのうち不孝にまさる罪はない)。
君を要する者は上を無(なみ)し、聖人を非(そし)る者は法を無し、孝を非る者は親を無す。此れ大乱の道なり。
廣要道章 第十二
子曰く、民に親愛を教うるは孝より善きはなし。民に礼順を教うるは悌(てい・年長者に従順)より善きはなし。風を移し俗を易うるは、楽より善きはなし。上(かみ)を安んじ民を治むるは、礼より善きはなし。礼は敬のみ。
故に其の父を敬すれば則ち子悦び、其の兄を敬すれば則ち弟悦び、其の君を敬すれば則ち臣悦ぶ。一人を敬して千万人悦ぶ。敬する所の者は寡くして、悦ぶ者は衆し。之を此れ要道と謂うなり。
廣至徳章 第十三
子曰く、君子の教うるに孝をもってするや、家ごとに至って日ごとにこれを見るにあらざるなり。教うるに孝をもってするは、天下の人の父たる者を敬するゆえんなり。教うるに悌(てい)をもってするは、天下の人の兄たる者を敬するゆえんなり。教うるに臣をもってするは、天下の人の君(きみ)たる者を敬するゆえんなり。
詩に云く、「愷悌(がいてい・和楽)の君子は民(たみ)の父母なり」と。
至徳にあらざれば、それ孰(たれ)かよく民に順にすること、かくのごとくそれ大なる者あらんや。
廣揚名章 第十四
子曰く、君子の親に事うるや孝。ゆえに忠をば君に移すべし。兄に事うるや悌(てい)。故に順をば長に移す可し。家に居て理(おさ)まる、ゆえに治をば官に移すべし。ここをもって行いは内に成って、名は後世に立つ。(故に長者に事えるや順、家に居らば家人自ずから和する、故に官職を得れば天下和順し定まらざるところなし。 その行を自ら修めて世に示す、故に後世にその名が立つ。)
諫諍章 第十五
曽子曰く、夫の慈愛恭敬、親を安んじ名を揚ぐるがごときは、すなわち命を聞けり。 あえて問う、子、父の令に従うは、孝と謂うべきか。
子曰く、これ何の言ぞや。これ何の言ぞや。昔者、天子に争臣七人あれば、無道といえどもその天下を失わず。侯に争臣五人あれば、無道といえどもその国を失わず。大夫に争臣三人あれば、無道といえどもその家を失わず。士に争友あれば、すなわち身、令名を離れず。父に争子あれば、すなわち身、不義に陥らず。ゆえに不義に当っては、すなわち子もって父に争わざるべからず。臣、もって君に争わざるべからず。ゆえに不義に当ってはすなわちこれを争う。父の令に従う。また焉んぞ孝と為すを得んや。(いつでも父の命令に従うだけでは考といえない)。
應感章 第十六
子曰く、昔者、明王父に事えて孝、故に天に事えて明なり。母に事えて孝、故に地に事えて察なり。長幼順なり、故に上下治まる。天地明察なれば神明彰わる。故に天子と雖も必ず尊(そん)有るなり。父有るを言うなり。必ず先(せん)有るなり。兄有るを言うなり。宗廟に敬を致せば親を忘れざるなり。身を修め行いを慎むは、先を辱めんことを恐るるなり。宗廟に敬を致せば鬼神著(あらわ)る。孝悌の至りは神明に通じ、四海に光(み)ち、通ぜざるところなし。
詩に云く、「西より東より、南より北より、思うて服せざるなし(文王の治に諸侯は、西より東より、南より北より不服と思わず参集した)」と。
事君章 第十七
子曰く、君子の上に事うるや、進んでは忠を尽さんことを思い、退いては過ちを補わんことを思う。その美を将順し、その悪を匡救(きょうきゅう)す。故に上下よく相親しむなり。
詩に云く、「・に愛せば遐(なん)ぞ謂(つ)げざらん。中心これを蔵(ぞう)せば、何れの日かこれを忘れん」と。(詩経・小雅・ 隰桑 ( しゅうそう )「沢の桑は阿(おおい)なり、その葉は難(だ:=儺、阿儺=婀娜)たり。既に君子を見る、その樂しきこと如何(いかん)。沢の桑はおおいなり、その葉は肥沃たり。既に君子を見る、云何(いかん)ぞ樂まざらん。沢の桑はおおいなり、その葉は幽玄たり。既に君子を見る、その愛の言葉は孔(はなは)だ膠(粘着、篤い)。心には愛、遐(なん)ぞ謂わざらん。心中に愛を藏す、何れの日かこれを忘れん(決して忘れはしない))」。
喪親章 第十八
子曰く、孝子の親に喪するや、哭して偯(い)せず、礼は容つくるなく、言は文(かざ)らず、美を服して安からず、楽を聞いて楽しまず、旨きを食らいて甘からず。これ哀慼(あいせき)の情なり。
(孔子いう「孝子が親を失った葬儀では、大声で泣くがそれを引き伸ばすことはしない、礼では容儀を整えることはせず、言葉は飾らず、ちゃんと喪服を着ても心安からず、音楽を聴いても楽しくはなく、旨いものを食べてもうまく感じない。これが哀惜の情である。」)
三日にして食す。民をして死をもって生を傷(そこな)うことなく、毀して性を滅せざらしむ。これ聖人の政なり。
喪、三年に過ぎざるは、民に終りあるを示すなり。これが棺椁(かんかく)衣衾を為ってこれを挙げ、その簠簋(ほき)を陳ねて、これを哀戚(あいせき)し、擗踊(へきよう)哭泣して、哀んでもってこれを送り、その宅兆を卜して、これを安措し、これが宗廟を為(つく)って、鬼をもってこれを享し、春秋に祭祀して、時を以てこれを思う。(喪は三年、やはりものには終わりがあることを教えるためである。内棺外棺・死装束・葬儀の祭壇供え物・哀惜し大きく泣き声をあげもだえ動く、哀れんで野辺送りし、占った墓穴墓地に葬り安置し、宗廟を作って祖先を祀り、春秋にお祭りをして思い出す。)
生けるに事うるには愛敬し、死せるに事うるには哀戚す。 生民の本尽くせり。死生の義備われり。孝子の親に事うること終れり。
閨門章 補章
子曰く、閨門の内、礼を具うるかな。親を厳にし、兄を厳にす。妻子臣妾は繇(な)お百姓徒役のごときなり、と。(孔子がいう「一門においては、親と兄が最優先で妻子臣妾はお手伝いの人と同じあつかいでよい。」)
仲尼居し、曾子侍す。子曰く、「先王、至徳要道あって、もって天下を順にす。民用って和睦し、上下怨みなし。汝これを知るか」と。曾子席を避て曰く「参、不敏なり。何ぞ以て之を知に足ん」。子曰く、「それ孝は徳の本なり。教のよって生ずるところなり。坐に復れ。われ、汝に語らん。身体髪膚之を父母に受く。敢て毀傷せざるは、孝の始めなり。身を立て道を行い、名を後世に揚げ、もって父母を顕は、孝の終りなり。夫れ孝は、親に事うるに始まり、君に事るに中し、身を立つるに終る。大雅に曰いわく、爾の祖を念うことなからんや。その徳を聿のべ修む、と。
天子
親を愛する者は、敢へて人を悪(にく)まず、親を敬する者は、敢へて人を慢(あなど)らず。愛敬、親に事(つか)ふるに尽きて、徳教、百姓に加はり、四海に刑(のり)す、蓋し天子の孝なり。甫刑(ほけい、書経の呂刑・周穆王の刑書)に云はく、一人慶び有らば、兆民之を賴(こう)ぶる、と。
諸侯
上に居て驕らざれば、高くして危からず、節を制し度を謹めば、満ちて溢ふれず。高くして危からざるは、長く貴きを守る所以なり、満ちて溢れざるは、長く富を守る所以なり。富貴其の身を離れず、然る後に能く其の社稷を保ち、而して其の民人を和す、蓋し諸侯の孝なり。詩(詩経)に云ふ、戦戦兢兢、深き淵に臨むが如く、薄氷を履むが如し、と。(詩経に「敢(あえ)て虎を暴(てうち)にせず 敢て河を馮(かちわた)らず。人はその一を知るも その他を知るなし。戦戦兢兢として深淵に臨むが如く 薄氷を履むが如し。」)
卿大夫章 第四
先王の法服にあらざれば、敢て服せず。先王の法言にあらざれば、敢て道いわず。先王の徳行にあらざれば、敢て行わず。法に非ざれば言わず、道に非ざれば行わず。口に択言(たくげん)無く、身に択行(たくこう)無し(道理にかなった立派な言行をする)。 言(こと) 天下に満ちて口過無く、行い 天下に満ちて怨悪無し。三者備わりて、然る後、能く其の宗廟を守る。蓋し卿大夫の孝なり。詩(詩経)に云く、「夙夜(しゅくや早朝から夜半まで) 懈おこたらず、もって一人(いちにん)に事つかう」と。
士章 第五
父に事つかうるに資とってもって母に事う、而して愛同じ。父に事つかうるに資とってもって君に事う、而して敬に同じ。ゆえに母にはその愛を取り、君にはその敬を取る。これを兼かぬる者は父なり。ゆえに孝をもって君に事つかうればすなわち忠なり。敬を以て長に事ふれば則ち順。忠順失わずして、以て其の上(かみ)に事う。然る後、能く其の禄位を保ち、その祭祀を守る。詩に云く、「夙つとに興おき夜よわに寐いねて、爾なんじの所生(しょせい・父母)を忝はずかしむることなかれ」と。
庶人章 第六
天の道を用い、地の利を分ち、身を謹み用を節し、以て父母を養う。此れ庶人の孝なり。故に天子より庶人に至るまで、孝 終始無くとも、及ばざるを患うる者、未だこれ有らざるなり。
三才章 第七
曽子曰いわく、甚しいかな、孝の大なるや。
夫れ孝は天の経(けい)なり、地の義なり、民の行いなり。天地の経にして、民 是れこれに則(のっと)る。天の明に則のっとり、地の利に因より、もって天下を順にす。ここをもってその教おしえ肅しゅくならずして成り、その政ごと厳ならずして治まる。先王、教えのもって民を化すべきを見るなり。この故にこれに先んずるに博愛をもってして、民その親を遺わするることなし。これに陳(の)ぶるに徳義を以てすれば、民 興り行う。これに先んずるに敬譲を以てすれば、民 争わず。 これを導くに礼楽を以てすれば、民 和睦す。 これに示すに好悪を以てすれば、民 禁を知る。詩に云く、「赫赫たる師尹しいん。民ともに爾なんじを瞻みる」と。(詩経、光り輝く名宰相、民はみんな汝を仰ぎ見る)
孝治章 第八
子曰く、昔者、明王の孝をもって天下を治むるや、あえて小国の臣を遺れず。しかるをいわんや公侯伯子男においてをや。ゆえに万国の懽心(かんしん・歓心)を得て、もってその先王に事う。国を治むる者はあえて鰥寡(かんか・男やもめ女やもめ)を侮らず。しかるをいわんや士民においてをや。故に百姓の懽心を得て、もってその先君に事う。家を治むる者はあえて臣妾を失わず、しかるをいわんや妻子においてをや。ゆえに人の懽心を得てもってその親に事う。夫れ然り。故に生けるには則ち親之に安んじ、祭には則ち鬼(死者の霊)之を享く。是を以て天下和平にして、災害生ぜず、禍乱作(おこ)らず。故に明王の孝を以て天下を治むるや此の如し。詩に云く、「覚(かく)たる徳行あり、四国これに順(したが)う」と。(詩経・大雅仰「競ことなし、維れ人、四方それこれに訓(なら)う。覺たる德行あり、四國これに順(したが)う。訏(大、おおい)なる謨(謀)にて命を定め、遠猶(=猷、謀)して辰(とき)に告げ、敬慎して威儀す、維れ民の則。(競わなければ四方の人々はついてくる。覚悟の德行があれば、周囲の国々は順う。深謀遠慮で適時適切な指示を出し人民を敬い慎しみ威儀を正していれば(おのずと)民の手本(則)になる。)」
聖治章 第九
曽子曰く、あえて問う、聖人の徳もって孝に加うることなきかと。
子曰く、天地の性、人を貴しとなす。人の行いは、孝より大なるはなし。孝は父を厳にするより大なるはなし。父を厳にするは天に配するより大なるはなし。 すなわち周公はその人なり。昔者、周公は后稷(こうしょく周王朝の始祖)を郊祀してもって天に配し、(父の)文王を明堂に宗祀してもって上帝に配す。ここをもって四海のうち、おのおのその職をもって来り祭る。それ聖人の徳、また何をもってか孝に加えんや。ゆえに親これを膝下に生じ、もって父母を養い、日に厳にす。聖人厳に因りてもって敬を教え、親に因りてもって愛を教う。聖人の教えは肅ならずして成り、その政は厳ならずして治まる。その因るところのものは本なり。父子の道は天性なり。君臣の誼。父母これを生む。績くこと、これより大なるはなし。君親としてこれに臨む。厚きことこれより重きはなし。
ゆえにその親を愛せずして他人を愛する者、これを悖徳(はいとく)と謂う。その親を敬せずして他人を敬する者、これを悖禮(はいれい)と謂う。順をもってすれば則り、逆なれば民、則ることなし。善にあらずして、みな凶徳にあり。これを得といえども、君子は貴ばざるなり。君子はすなわち然らず。言は道うべきを思い、行は楽しむべきを思う。徳義尊ぶべく、作事法(のっと)るべく、容止観るべく、進退度すべし。もってその民に臨む。ここをもってその民畏れてこれを愛し、則ってこれに象(かたど)る。ゆえによくその徳教を成して、その政令を行う。
詩に云く、「淑人(しゅくじん・善人)君子、その儀忒(たが)わず」と。(詩経・鳲鳩篇)「鳲鳩(しきゅう・カッコウ)桑にあり、その子は棘にあり。
淑人君子、その儀忒(たがう、違う・差錯)わず。その儀忒わず、是の四國を正す。(鳲鳩桑にあり、子の一人は棘にいる。これも淑人君子で、その挙動には間違いがない。その挙動に間違いがないから、是の國四方を正せる。鳲鳩かっこうは繁栄の象徴であり子沢山で、みんな君子で団結しているし、威儀も立派で行動もまちがいない、そして国や人を正すから統治は万年におよぶ。)
紀孝行章 第十
子曰く、孝子の親に事(つか)うるや、居(おる)にはすなわちその敬を致し、養(やしない)にはすなわちその楽を致し、病にはすなわちその憂を致し、喪にはすなわちその哀を致し、祭にはすなわちその厳を致す。五つのもの備わりて、しかる後よく親に事う。
親に事うる者は上に居て驕らず、下となって乱れず、醜(もろもろ)に在って争わず。上に居て驕ればすなわち亡び、下となって乱るればすなわち刑せられ、醜(もろもろ)に在って争そえばすなわち兵せらる。三つのもの除かざれば、日に三牲(さんせい牛・羊・豕)の養を用いるといえども、猶不孝となすなり。
五刑章 第十一
子曰く、五刑の属(ぞく)三千、罪、不孝より大なるはなし。(刑罰は五刑があり内容は三千ある、そのうち不孝にまさる罪はない)。
君を要する者は上を無(なみ)し、聖人を非(そし)る者は法を無し、孝を非る者は親を無す。此れ大乱の道なり。
廣要道章 第十二
子曰く、民に親愛を教うるは孝より善きはなし。民に礼順を教うるは悌(てい・年長者に従順)より善きはなし。風を移し俗を易うるは、楽より善きはなし。上(かみ)を安んじ民を治むるは、礼より善きはなし。礼は敬のみ。
故に其の父を敬すれば則ち子悦び、其の兄を敬すれば則ち弟悦び、其の君を敬すれば則ち臣悦ぶ。一人を敬して千万人悦ぶ。敬する所の者は寡くして、悦ぶ者は衆し。之を此れ要道と謂うなり。
廣至徳章 第十三
子曰く、君子の教うるに孝をもってするや、家ごとに至って日ごとにこれを見るにあらざるなり。教うるに孝をもってするは、天下の人の父たる者を敬するゆえんなり。教うるに悌(てい)をもってするは、天下の人の兄たる者を敬するゆえんなり。教うるに臣をもってするは、天下の人の君(きみ)たる者を敬するゆえんなり。
詩に云く、「愷悌(がいてい・和楽)の君子は民(たみ)の父母なり」と。
至徳にあらざれば、それ孰(たれ)かよく民に順にすること、かくのごとくそれ大なる者あらんや。
廣揚名章 第十四
子曰く、君子の親に事うるや孝。ゆえに忠をば君に移すべし。兄に事うるや悌(てい)。故に順をば長に移す可し。家に居て理(おさ)まる、ゆえに治をば官に移すべし。ここをもって行いは内に成って、名は後世に立つ。(故に長者に事えるや順、家に居らば家人自ずから和する、故に官職を得れば天下和順し定まらざるところなし。 その行を自ら修めて世に示す、故に後世にその名が立つ。)
諫諍章 第十五
曽子曰く、夫の慈愛恭敬、親を安んじ名を揚ぐるがごときは、すなわち命を聞けり。 あえて問う、子、父の令に従うは、孝と謂うべきか。
子曰く、これ何の言ぞや。これ何の言ぞや。昔者、天子に争臣七人あれば、無道といえどもその天下を失わず。侯に争臣五人あれば、無道といえどもその国を失わず。大夫に争臣三人あれば、無道といえどもその家を失わず。士に争友あれば、すなわち身、令名を離れず。父に争子あれば、すなわち身、不義に陥らず。ゆえに不義に当っては、すなわち子もって父に争わざるべからず。臣、もって君に争わざるべからず。ゆえに不義に当ってはすなわちこれを争う。父の令に従う。また焉んぞ孝と為すを得んや。(いつでも父の命令に従うだけでは考といえない)。
應感章 第十六
子曰く、昔者、明王父に事えて孝、故に天に事えて明なり。母に事えて孝、故に地に事えて察なり。長幼順なり、故に上下治まる。天地明察なれば神明彰わる。故に天子と雖も必ず尊(そん)有るなり。父有るを言うなり。必ず先(せん)有るなり。兄有るを言うなり。宗廟に敬を致せば親を忘れざるなり。身を修め行いを慎むは、先を辱めんことを恐るるなり。宗廟に敬を致せば鬼神著(あらわ)る。孝悌の至りは神明に通じ、四海に光(み)ち、通ぜざるところなし。
詩に云く、「西より東より、南より北より、思うて服せざるなし(文王の治に諸侯は、西より東より、南より北より不服と思わず参集した)」と。
事君章 第十七
子曰く、君子の上に事うるや、進んでは忠を尽さんことを思い、退いては過ちを補わんことを思う。その美を将順し、その悪を匡救(きょうきゅう)す。故に上下よく相親しむなり。
詩に云く、「・に愛せば遐(なん)ぞ謂(つ)げざらん。中心これを蔵(ぞう)せば、何れの日かこれを忘れん」と。(詩経・小雅・ 隰桑 ( しゅうそう )「沢の桑は阿(おおい)なり、その葉は難(だ:=儺、阿儺=婀娜)たり。既に君子を見る、その樂しきこと如何(いかん)。沢の桑はおおいなり、その葉は肥沃たり。既に君子を見る、云何(いかん)ぞ樂まざらん。沢の桑はおおいなり、その葉は幽玄たり。既に君子を見る、その愛の言葉は孔(はなは)だ膠(粘着、篤い)。心には愛、遐(なん)ぞ謂わざらん。心中に愛を藏す、何れの日かこれを忘れん(決して忘れはしない))」。
喪親章 第十八
子曰く、孝子の親に喪するや、哭して偯(い)せず、礼は容つくるなく、言は文(かざ)らず、美を服して安からず、楽を聞いて楽しまず、旨きを食らいて甘からず。これ哀慼(あいせき)の情なり。
(孔子いう「孝子が親を失った葬儀では、大声で泣くがそれを引き伸ばすことはしない、礼では容儀を整えることはせず、言葉は飾らず、ちゃんと喪服を着ても心安からず、音楽を聴いても楽しくはなく、旨いものを食べてもうまく感じない。これが哀惜の情である。」)
三日にして食す。民をして死をもって生を傷(そこな)うことなく、毀して性を滅せざらしむ。これ聖人の政なり。
喪、三年に過ぎざるは、民に終りあるを示すなり。これが棺椁(かんかく)衣衾を為ってこれを挙げ、その簠簋(ほき)を陳ねて、これを哀戚(あいせき)し、擗踊(へきよう)哭泣して、哀んでもってこれを送り、その宅兆を卜して、これを安措し、これが宗廟を為(つく)って、鬼をもってこれを享し、春秋に祭祀して、時を以てこれを思う。(喪は三年、やはりものには終わりがあることを教えるためである。内棺外棺・死装束・葬儀の祭壇供え物・哀惜し大きく泣き声をあげもだえ動く、哀れんで野辺送りし、占った墓穴墓地に葬り安置し、宗廟を作って祖先を祀り、春秋にお祭りをして思い出す。)
生けるに事うるには愛敬し、死せるに事うるには哀戚す。 生民の本尽くせり。死生の義備われり。孝子の親に事うること終れり。
閨門章 補章
子曰く、閨門の内、礼を具うるかな。親を厳にし、兄を厳にす。妻子臣妾は繇(な)お百姓徒役のごときなり、と。(孔子がいう「一門においては、親と兄が最優先で妻子臣妾はお手伝いの人と同じあつかいでよい。」)