福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「この世の恨みに報いるに徳を以てす」

2024-09-09 | 法話

「この世の恨みに報いるに徳を以てす」
「憂きをなほ昔のゆゑと思はずは いかにこの世を恨みはてまし」(新古今・二条院讃岐) (この苦しい人生を前世の因果の報いなのだと諦めるのでなければ、どんなにかこの世を恨むことでしょう。前世の因果とおもえばこそ堪えているのです。)という歌があります。實は最近強く願っていたことが不首尾に終わり、まさに「いかにこの世を恨みはてまし」の気持ちになっていたところでした。願い事の一助に陰徳を積もうと思い、毎朝駅周辺のごみ掃除を続けてきましたが、「馬鹿馬鹿しい」と自暴自棄になりかけていました。
しかし、今朝、ふと「怨に報ゆるに徳を以てす」(注)の言葉を思い出し、「いくら天を恨んでも仕方ない、本来ボランテアも『三輪清浄』であるべきなのだ。」と思い直し、駅周辺の掃除をしてきました。未明に外に出ると、下弦の月近くになっているお月様が千切れ雲の間から煌々と照り、東の空にはいつものように明けの明星様が輝いていました。「怨に報ゆるに徳を以てす」の気持ちになれば「なごりなく夜半の嵐に雲晴れて心のままにすめる月かな(源行宗・金葉和歌集)」とお月様を素直に中天に仰ぐことができました。
そしていつものように、R.W.エマソンの「・・この美の使者たちは夜毎に出てきては、その諭すような笑みで世界を照らすのだ。・・星々はある意味敬虔な気持ちにさせる。・・・それは世界に薫香を満たす力である。それは空と丘とを崇高なものにする。それは星辰の沈黙の歌である。」という一節を素直に噛みしめることができました。

それにしても自分にとっては「怨に報ゆるに徳を以てす」は千巻のお経にも匹敵した言葉でした。

注)「老子・徳経・恩始第六十三」「無為を為とし、無事を事とし、無味を味とす。小を大となし、少を多となし、怨に報ゆるに徳を以てす。難を其その易きに図り、大を其その細と為す。天下の難事は必ず易きより作り、天下の大事は必ず細より作る。是を以って聖人は終に大を為ず。故に能く其の大を成す。」


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 地蔵菩薩三国霊験記 7/1... | トップ | 九月九日は重陽の節句です »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

法話」カテゴリの最新記事