宇土を13時6分に発つと、次は川尻に足を記す。
大正6年築の木造駅舎。上下とも追い抜き設備があり、上り列車は待避線に停車する。八代、有佐、松橋、宇土とも、其々形が異なる木造駅舎を訪問した後で、胸がいっぱいだった。
川尻から乗った5342Mは、817系V12編成であった。訪問済みの熊本、上熊本(高架化工事に伴い仮駅舎)、未訪問の崇城大学前~木葉の各駅に停まりながら北上する。
肥後伊倉に降り立った途端、ある種の衝撃を感じた。如何にも木造駅舎という感じの駅舎。委託駅のようで、殆ど荒らされておらず、微笑ましい。 しかも、周辺も長閑。接近音は串木野と同様の踏切音であった。
肥後伊倉で44分滞在した後、5344M(817系V17編成)で玉名に進む。玉名市の中心駅ということで3番線まであり、「有明」や一部の「リレーつばめ」が停車する。
玉名から334M(415系FM1521編成)で1駅、大野下駅に下車する。この駅も肥後伊倉と同様、原型をとどめた木造駅舎。しかも、委託駅であり、接近音が踏切音なのも共通である。ところで、この駅舎は、昭和20年8月13日に米軍機ロッキードP38双胴機の爆撃を受けていて、天井にその跡がある。
大野下から5346M(817系V13編成)で2駅、南荒尾に降り立った。対面式ホームの無人駅である。
踏切を渡ると、黄昏の有明海に出た。干潟がどこまでも広がる海である。新潟県では決して見れまい。
南荒尾から336M(813系R202編成)で4分、今回最後の鹿児島線の訪問駅・荒尾に降り立つ。昭和20年築の木造駅舎である。当駅で折り返す列車も多数あることから、留置線を除いても2面4線の大きな駅だ。
荒尾の駅舎を撮影後、17時12分発の2346M(813系R103編成+R111編成)にて博多に向かう。途中、銀水の駅舎は衝撃モノであったが、17時30分を過ぎると九州といえど撮影条件が厳しくなるので、次への宿題にした。ところで、沿線は、九州新幹線の工事がたけなわであり、羽犬塚に至っては仮駅舎となっていた。鳥栖、久留米、羽犬塚もどうなるのだろうか。
博多到着後、博多ラーメンを食し、臨時快速ムーンライト九州で九州を後にしたのである。
翌日(2006年12月24日)の模様はこちら
参考サイト さいきの駅舎訪問
大正6年築の木造駅舎。上下とも追い抜き設備があり、上り列車は待避線に停車する。八代、有佐、松橋、宇土とも、其々形が異なる木造駅舎を訪問した後で、胸がいっぱいだった。
川尻から乗った5342Mは、817系V12編成であった。訪問済みの熊本、上熊本(高架化工事に伴い仮駅舎)、未訪問の崇城大学前~木葉の各駅に停まりながら北上する。
肥後伊倉に降り立った途端、ある種の衝撃を感じた。如何にも木造駅舎という感じの駅舎。委託駅のようで、殆ど荒らされておらず、微笑ましい。 しかも、周辺も長閑。接近音は串木野と同様の踏切音であった。
肥後伊倉で44分滞在した後、5344M(817系V17編成)で玉名に進む。玉名市の中心駅ということで3番線まであり、「有明」や一部の「リレーつばめ」が停車する。
玉名から334M(415系FM1521編成)で1駅、大野下駅に下車する。この駅も肥後伊倉と同様、原型をとどめた木造駅舎。しかも、委託駅であり、接近音が踏切音なのも共通である。ところで、この駅舎は、昭和20年8月13日に米軍機ロッキードP38双胴機の爆撃を受けていて、天井にその跡がある。
大野下から5346M(817系V13編成)で2駅、南荒尾に降り立った。対面式ホームの無人駅である。
踏切を渡ると、黄昏の有明海に出た。干潟がどこまでも広がる海である。新潟県では決して見れまい。
南荒尾から336M(813系R202編成)で4分、今回最後の鹿児島線の訪問駅・荒尾に降り立つ。昭和20年築の木造駅舎である。当駅で折り返す列車も多数あることから、留置線を除いても2面4線の大きな駅だ。
荒尾の駅舎を撮影後、17時12分発の2346M(813系R103編成+R111編成)にて博多に向かう。途中、銀水の駅舎は衝撃モノであったが、17時30分を過ぎると九州といえど撮影条件が厳しくなるので、次への宿題にした。ところで、沿線は、九州新幹線の工事がたけなわであり、羽犬塚に至っては仮駅舎となっていた。鳥栖、久留米、羽犬塚もどうなるのだろうか。
博多到着後、博多ラーメンを食し、臨時快速ムーンライト九州で九州を後にしたのである。
翌日(2006年12月24日)の模様はこちら
参考サイト さいきの駅舎訪問