東北本線は、もともと東京と青森を結ぶ大幹線であり、現在でも首都圏と東北・北海道を結ぶ寝台列車や貨物列車が多数走っている。しかし、2002年の東北新幹線・盛岡~八戸間の開業によって、同区間は、IGRいわて銀河鉄道&青い森鉄道に移管され、東北本線は分断された格好となった。
私が東北本線の完乗を果たしたのは2000年3月であり、その際にもいくつかの駅に下車している。本ブログで紹介するのは、2006年9月以降の駅巡りについてである。
ここからは、羽越線全駅下車達成前夜の2006年9月16日の旅模様を紹介しよう。
出発は例によって、新津0時6分発のムーンライトえちご(K2編成)で。青春18シーズンが終わっているにもかかわらず、隣に人が座っていたのは意外だった。
新宿での3分乗り継ぎに失敗し、後続の406T(201系T4編成)で東京に向かう。当時は201系が中央線の主力であった。
東京でやまびこ41号(J64編成)に乗り継いだ。この時は指定を取っていたので、安心して駅弁を買った。しかし、指定された号車は、本来自由席であるはずの4号車で、B席、C席にも座っている人が居た。自由席は激パ必至であろう。
一ノ関で下車して東北線駅巡り開始。9時丁度発の1531Mでとりあえず北へ。
最初の下車駅は六原。それほど大きくない駅ながらも2面3線あった。社会科研究をしている女の子が居座っていたが、旅行者である私の事はどう映ったのだろうか。
東北線ではすっかり数を減らしたED75が出発の時を待っていた。
六原10時丁度発の1532Mで2駅戻って水沢へ。水沢駅は一応水沢市の代表駅ということで、駅前はそこそこ活気がある商店街が形成されていた。
10時45分発の1533Mで1駅北上し、金ヶ崎に下車。1534Mの発車まで19分あったが、そこで信じられない情報を聞いてしまう。
「東北新幹線全線運転見合わせ」
架線にビニールが引っかかって停電したのが原因らしいが、これから首都圏から東北に向かおうという人には悪い情報である。1番列車で東北に抜けてよかったなと思った瞬間であった。一方、東北本線は殆ど影響を受けておらず、定時運転の1534Mで前沢へ。
前沢駅の東西自由通路「ぽっぽ」は、平成17年12月に完成。2面3線である。ここで26分滞在し、1535Mで陸中折居へ。
次に降りた陸中折居は、期待を裏切らない木造駅舎。無人駅だったが、囲碁サロンが併設されていた。駅前は米の倉庫があり、長閑な場所にある。
陸中折居に17分滞在し、1536Mにて山ノ目に向かう。
山ノ目も白系の木造駅舎。駅舎内には中里小2年生の絵画が展示されていた。
13時8分発の1539Mにて北上へ。
北上駅は、東北本線の他に北上線の発着駅でもあり、入線及び発車の際に其々異なるテイチクのメロディーが使われている。発メロは1発で成功したが、入線音は、ダイヤが少し乱れた関係で1回失敗し、1回外して、ようやく成功したのは14時44分頃。東北新幹線が当てにならないので、14時45分発の1541Mにそのまま乗車して盛岡に向かったのである。途中、村崎野や石鳥谷などに下車したかったが…。
盛岡に到着したのは15時35分。
新幹線ホームでは、ちょうど「はやて」「こまち」の併合シーンに遭遇した。
その後、フェザンの地下の小吃でじゃじゃ麺を食べて小腹を満たす。
16時30分発の山田線658D(キハ52 148)に乗車し、本日最大のイベントである浅岸駅訪問を果たす。
17時4分に浅岸駅に下車したには私1人!(それは当然でしょう!)元スイッチバック駅であるが、山の中にあり、近くの建物は全て廃屋しかも、車の音は殆ど聞こえない 私がこれまで訪問してきた駅の中では、断トツのレベルの秘境駅であった。
17時28分に迎えの653D(キハ52 147)がやってきた!
盛岡には18時丁度に到着し、改札口で次のこまちの指定をとってもらう。すると、本来は16時21分発の「こまち21号」(R21編成)が入線してくる。喫煙車の指定席(通路側)に座って秋田まで過ごす。盛岡を発車すると、大釜、小岩井…の順に停車していく。やはり東北新幹線のダイヤ崩壊だからに違いない。高清水を投入し、隣席の女性に聞いてみると、東京発は14時半過ぎだったという。
秋田には19時55分に到着し、東横イン秋田駅東口にチェックインした。