昨日、お城の写真を見ていたら、日本のお城の壁が黒いのと白いのがある事に気がつきました。 ご存知の方もおられるでしょうが、気になり調べてみました。
日本には、関が原以前には、26000もの城があったそうです。
が、関が原以降、徳川の時代になると一国一城制度で、多くの城が廃止され、幕末には200となり、その内天守閣のある城は、70あまりとなりました。
官軍に砲撃を受けた会津若松城(明治の初め)
その後は、廃県置県とともに、又封建時代の象徴と言う事でその城も多くが潰されました。先の大戦では、城の敷地は、軍の施設が設置され、空襲等でもなくなり、今現存する城は12城しかありません。
復元された名古屋城
この空襲でなくなった名古屋城は、天守閣と同時に御殿をも火災でなくなったのは、残念なものでした。 今、御殿(天守閣は、権力の象徴であり、戦いのために建てられたもので、城主は、天守の周りに御殿を建て、日常の生活はこの御殿で政務を執っていました)が残っているのは21棟で代表的なのは、二条城の御殿です。
二条城御殿
しかし、戦後になって、その現存する城以外に、移築現存する城、復元された城、外観のみ復興した城、資料がなくある程度想像で復興した城、まったくの模擬的に建てられた城、そして観光用に新たに建てられた城、等々色々あります。
そこで、お城の壁が黒色と白色がありますが、この区分はどうなっているのでしょうか?
白壁の姫路城(現存)
黒壁の松本城(現存)
大阪城の当初のお城の天守閣は黒塗の板張りでした。これを有力大名が競って真似をしました。この黒い壁の城は、豊臣時代の古い様式となります。
関が原以降には、防火性に優れた白漆喰の壁の技術が開発され、徳川幕府が奨励し、白い壁の城は、徳川時代の新しい様式となります。
お城もこのように見ていくと中々面白いもので、お城に立つと古い時代の息吹が感じられ、その当時の武士の気持ちを考えるのもいいものです。