徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

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黒い城と白い城・・・・・

2005年10月14日 11時03分57秒 | 独り言・社会・ニュース

昨日、お城の写真を見ていたら、日本のお城の壁が黒いのと白いのがある事に気がつきました。 ご存知の方もおられるでしょうが、気になり調べてみました。

日本には、関が原以前には、26000もの城があったそうです。
が、関が原以降、徳川の時代になると一国一城制度で、多くの城が廃止され、幕末には200となり、その内天守閣のある城は、70あまりとなりました。

官軍に砲撃を受けた会津若松城(明治の初め)

その後は、廃県置県とともに、又封建時代の象徴と言う事でその城も多くが潰されました。先の大戦では、城の敷地は、軍の施設が設置され、空襲等でもなくなり、今現存する城は12城しかありません。

復元された名古屋城


この空襲でなくなった名古屋城は、天守閣と同時に御殿をも火災でなくなったのは、残念なものでした。 今、御殿(天守閣は、権力の象徴であり、戦いのために建てられたもので、城主は、天守の周りに御殿を建て、日常の生活はこの御殿で政務を執っていました)が残っているのは21棟で代表的なのは、二条城の御殿です。

二条城御殿

しかし、戦後になって、その現存する城以外に、移築現存する城復元された城外観のみ復興した城資料がなくある程度想像で復興した城まったくの模擬的に建てられた城、そして観光用に新たに建てられた城、等々色々あります。

そこで、お城の壁が黒色白色がありますが、この区分はどうなっているのでしょうか?

 白壁の姫路城(現存)    黒壁の松本城(現存)

大阪城の当初のお城天守閣は黒塗の板張りでした。これを有力大名が競って真似をしました。この黒い壁の城は、豊臣時代の古い様式となります。

関が原以降には、防火性に優れた白漆喰の壁の技術が開発され、徳川幕府が奨励し、白い壁の城は、徳川時代の新しい様式となります。

お城もこのように見ていくと中々面白いもので、お城に立つと古い時代の息吹が感じられ、その当時の武士の気持ちを考えるのもいいものです。