徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

手術後のリハビリテーション・・・⑤

2014年10月16日 08時52分11秒 | 腰部背柱管狭窄症について

10月16日で手術後、6か月になります。
日常生活には支障はないのですが、まだ身体をひねったり、かがんだりすると、腰の痛みが走ります。

1か月前に比べると大分良くなったのですが、重いものを持ち上げたり、走ったりするには、まだまだ術前の状態には戻っていません。

かがむのも、一旦膝を曲げて徐々にかがむという動作となり、スピード感がなく緩慢な動きとなるようです。
これほど筋力が低下しているとは、想像以上です。
もちろん、個人によって、年齢によって違うようですが・・・・・。

医者からは、日常生活を続けることがリハビリで、無理をしてはいけませんということを言われています。
しかし、その無理という程度が難しいのです。

今は、歩くことを基本にしていますが、残念ながら体重が増えてきました。
術後、一時は、2,30分も歩けば、足腰が重く、痛く、動けなかったのですが、最近は、1時間近くも歩くことが出来ます。
万歩計では、1分あたり90歩も歩けば良い方だったのですが、最近は110歩/分 近く歩くことが出来るようになりました。


  今年の作品から              

 
      昨年 訪れた”竹田城址” F6号             

体重が増え、身体が重く感じ、身体をまだ十分動かすことが出来ませんが、手術前のあの足がしびれや痛みに比べれば、今の痛みはそれほど苦になるものではありません。
でも、病気になる前の状態には、ヒヨットすれば完全にもとには戻らないかもしれないと、最近思うようになりました。

背骨に6本のチタン合金が打ち込められていることから、これからの寒さなどで、腰の痛みは断続的に起こるものと覚悟をしなくてはならないようです。

今、やることは、これ以上体重を増やさないことで、ストレッチなどの運動等が必要なようです。
来月早々に、主治医の予約診察がありますので、その時に、ジムなどに行っても良いかどうか、行った場合の運動の範囲などの承認と確認をしたいと思います。


名字を考える・・・・③ ー 名字の成り立ち -

2014年10月13日 09時28分18秒 | 独り言・社会・ニュース

最近の十大姓とは・・・・
 ①  鈴木  ②  佐藤  ③  田中  ④  山本  ⑤  渡辺  ⑥  高橋  ⑦  小林
 ⑧  中村  ⑨  伊藤  ⑩  斎藤
                                    (なお、この統計は、佐久間英氏による)

「田中」 「山本」 「小林」 「中村」 といった名字は地形や地名から思いついたものと思われますが、
しかし、「鈴木」 「佐藤」 「渡辺」 「高橋」 などは、日常生活のの中から考え出されたのでしょうか?
それは、どのようにして付けられたのでしょうか・・・・

「鈴木」姓は、古代には見られないそうです。
「鈴木」は、古くは「すすき」と読まれていました。
これは、秋に稲を収穫して積んである状態をさす言葉です。

後に稲穂を積んだものを「すすき」とされ、このありさまを「穂積」とも言われていました。
熊野大社の神官は、物部氏の同族の穂積氏で、それが「すすき」と呼ばれるようになると「鈴木」という姓が生まれました。

「鈴木」の名字は、熊野大社の末社の分布が濃い東海地方や関東地方に多い。

  
 
 今年の水彩画作品から・・・・ 

  ”公園の冬支度” F6号



「佐藤」姓は、藤原秀郷の子孫にあたる藤原系の武士が名乗った名字で、秀郷が領主を務めた下野国佐野庄にちなみ「佐野」の「佐」と「藤原」の「藤」と合わせて「佐藤」という名字が生まれました。

「田中」 「中村」 は、一つの農村が作られた時その中心部としての地名から出来ているようです。
「中田」 「本村」 「木村」 なども同じような意味で名付けられたものです。

集落の指導者で、代々神社のそばに住んで、祭りを行っていた家が、「山本」 「小林」 「山下」 「森本」 「宮本」 「宮下」 「小森」 「小山」などの名字を名乗っていたようです。

十大姓のうち「渡辺」は、嵯峨源氏の血をひく武家の名字です。
ほかに、「伊藤」 「斎藤」も武家の名字です。

「高橋」は、地名をもとに広まった特別なところから名づけられています。
古代人は、天地を結ぶ梯子や柱があると考えられていました。
つまり、神々が降りてくる神聖な土地には目に見えない高い梯子や柱があり、それが「たかはし」といい、「高橋」の地名が生まれ、その地に住む人が「高橋」を名乗ったとされています


映画 「 蜩(ひぐらし)の記 」

2014年10月10日 20時28分36秒 | 映画・社会

原作は、葉室 麟著の第146回直木賞の受賞作のベストセラー時代小説です。

前々回見た 「 るろうに剣心 」 は、コミックが、そして前回は 「 柘榴坂の仇討 」 は、直木賞選考委員の浅田次郎の時代劇小説が、 そして、今回の 「 蜩の記 」 は、浅田次郎氏をして、「これまでにない完成度」 と言わしめた作品です。
時代劇として、それぞれ違いますが、根本は、やはり「武士道」精神なのでしょう。

時代劇の一つの楽しみは、日本の原風景が、四季を通じて映し出されることです。
今回も、遠野の四季の風景が鮮やかに映し出されていました。

      

小説には書いていませんが、映画では、「柚子(ゆず)」が、原作者の思いを表していました。
「桃栗3年、柿8年で実がなる」ですが、「柚子は、9年で花を咲かせる」ということです。
”実”ではなく”花”を・・・・・

事件後、10年後の夏に、切腹することを命じられた戸田秋谷(役所広司)の妻、戸田織江(原田美枝子)が、その柚子を庭に植えました。
そして、その柚子の花を咲かせることが出来るのでしょうか・・・・

さて、その事件とは・・・・
真相は、映画が進むと徐々に分かってきます。

事件を起こした罪として,10年後の夏に切腹を命じられ、その間に、藩の歴史である「家譜」を完成することでした。

  

映画は、あと3年で切腹という時から始まります。
檀野庄三郎(岡田准一)は、家譜編纂の作業から藩の秘め事を知ることになる秋谷が逃亡しないように監視せよと、藩命を受けます。

幽閉中の秋谷の見張り役として、織江や娘の薫(堀北真希)、息子の郁太郎(吉田晴登)と生活を共にし始めます。

そこで人と人との絆や愛が生まれ、それぞれの生き方を描いています。
夫婦愛、師弟愛、家族愛、そして初恋があり、友情があり、あらゆる愛のカタチが語られます。



この映画には、ハッとする名セリフが出てきます。

切腹までの限られた時間を懸命に生きる秋谷のことば・・・・・

「1日、1日を懸命に生きる身でござれば、その日暮らしの意味合いを込め”蜩の記”と名づけました」     庄三郎に日記を付けていることを聞かれて・・・・

「歴史とは、都合のよきことも、悪しきことも、子々孫々に伝えられてこそ、世の指針となりうる」

「義を見てせざるは、勇なきなり」 
    正しいと知りながら実行しないのは、臆病者という孔子の言葉が、劇中度々出てきます。

「決して諦めてはならない。 人が生きている限り、灰の下のどこかに、埋火が隠されているはず・・・。  大切なのは、吹き続けること。」

「この10年、死ぬことを、自分のものとしたい。 そう思って生きて参りました」

 


ー 皆既月食 -

2014年10月09日 09時51分30秒 | 独り言・社会・ニュース

昨晩(平成26年10月8日)の皆既月食を、家のベランダから撮ってみました。
普通のデジカメでは、あまり鮮明に写りませんが、欠けぐあいは何とかわかると思います。 

皆既月食の時間帯は、19:25~20:25で、一応、テレビから撮った皆既月食を合わせて載せました。

なお、欠け始めは、18:15で、終わりは、21:35.


 
 


 

 


名字を考える・・・② -4大姓と10大姓・・・-

2014年10月09日 08時46分30秒 | 独り言・社会・ニュース

平安時代末以来、「 源 ・ 平 ・ 藤 ・ 橘 」 つまり、源氏、平氏、藤原氏、橘氏が4大姓と言われてきました

平安時代初めまでに天皇家から分かれた家は、橘、文屋、清原、平、在原などのさまざまな姓を用いました。
ところが、嵯峨天皇の子供たちが源姓を名乗った以後に、皇室から分かれた家は、ほぼ例外なく源の姓を用いた。
そのため、源氏の系統を嵯峨源氏、清和源氏、村上源氏などと区分されました。

そのうち、橘氏は平安時代の半ばまでは、公卿を出す家として勢力をもっていましたが、中世に衰退し、橘姓を名乗っていた武士も中世以降、源氏や平家に変わったものも多かったと言われています。

日本の旧家には、源平藤橘の系統をひくものが多い。
明治時代の華族(主に公家と大名の系譜)と呼ばれる系譜は、1位から5位まで藤原氏、源氏、平氏で占められていることからも、その系統が多いことがわかります。

1位 藤原氏 (201家)  2位 清和源氏 (124家)   3位 桓武平氏 (22家)  
4位 宇多源氏 (21家)  5位 村上源氏 (18家)

 

現在は、10大姓と呼ばれているものがあります。
その10大姓は、日本の人口の1割余りが、この中に入るそうです。

10大姓とは・・・・
1位 鈴木    2位 佐藤   3位 田中   4位 山本   5位 渡辺
6位 高橋    7位 小林   8位 中村   9位 伊藤  10位 斎藤

それぞれの姓の成り立ちについては、次回に述べます。

 今年の作品から
    水彩画 F6    
        交通公園にて  ” 影 ”       


タイガースの2位を考える。 良かったのか・・・・

2014年10月07日 20時03分49秒 | 野球・タイガース

6日、広島が負けたために、タイガースが2位となりました。
それはそれで良かったのですが、今日の球団のニュースを見て、何かちょっと違うんではと思いました。

今年で3年契約が満了する和田監督に対して、来季も続投させる方針を内部で再確認したということが報道されました。
その理由が、最終的に2年連続2位に食い込み、その手腕を買ったということだそうです。

続投ということは、来季も和田監督で優勝出来ると、球団は判断したのでしょう。

確かに、2年連続の2位は、結果としては立派なものですが、それは、優勝を期待されているのに、2年連続の2位は、決して満足できるものではありません。

優勝を期待していたのは、どうやらファンだけだったようで、球団は優勝より、なんとかCSに出て、それも甲子園球場で試合が出来、その収入をあてにしていることの方が、良かったのではないかと勘繰りたくなるのは、僕だけでしょうか・・・・・

 

確か、和田監督が就任した時には、少しのスパイスをかければ、優勝できるようなことを言っていたのですが、そのスパイスは3年たってもかけらません。

その上、和田監督が続投して、コーチ陣を入れ替える話が出ています。
現場のトップが責任を取らず、それを部下であるコーチ陣に責任を取らすということも、トップとして、そして多くの選手を束ねる監督として、いかがなものかと思わざるを得ません。
コーチを入れ替えるのは、決して悪いことではありません。
全体を締めるということにつながると思いますが、それだけ、監督自身の能力が問われるのです。

選手個々の成績は、見事なものだと思います。
多くのタイトルを取っていながら、それを優勝という結果が残せないのは、なにか采配に問題はなかったのでしょうか?

そして、首位になる機会を何度もありながら、ことごとく、ここと云う時の勝負弱さは、選手だけのセイでしょうか?
昨年と同じ轍を踏んで、絶好の機会を逃がし、優勝を逃がしても良しとする球団の姿勢も、事なかれ主義の表れではないでしょうか?

 


まだ、最終的に決まった訳ではないようですが、シーズン中にも、そしてこの微妙な時期にも、球団が中途半端な発表をすること事態が、おかしいのではないでしょうか?
続投させるなら、そう言えば良いところ、このCSの結果によっては、辞めてもらいますよ・・・というようなエサを釣るようなことでは、監督自身もさることながら、選手も戸惑うのではないでしょうか?

来年は、球団創設80年です。
2005年の優勝以来、来年で10年。  9年間、優勝から遠ざかっています。
優勝への意気込みをファンに見せて欲しいものです。


名字を考える・・・・① ー名字と苗字ー

2014年10月07日 08時32分16秒 | 独り言・社会・ニュース

日常生活に欠かせない「名字」ですが、平素はあまり気にしません。
それは、単なる記号、符号と捉えている面があります。
今、あるのは両親がいて、そして先祖があるからこそなのですが、最近、そのような考えをしなくなってきています。
しかし、今の自分の性格は否応なく、先祖から受け継いでいるものがあり、DNAを受け継いでいるのです。


その先祖の名字はどのようにして生まれ、どのようにして付けられたのでしょうか?


名字は、平安時代末に発生し、徐々に広まったと言われています。
このころ、武士の間で生まれた通称が「名字」となりました。
当初は、姓と明確に区分されていました。

たとえば、北条時政の名字は、「北条」ですが、姓は、「平 朝臣」です。
公式な場では「平朝臣時宗」と称しました。

江戸時代末までは、朝廷の公式行事の場で、位階や官職を与える文書では、姓を重視されていましたが、名字が広まると姓は次第につかわれなくなりました。

江戸時代には、武家身分の者だけに名字を公称することを許されていました。
「名字」の「名」とは、領地を表していました。
つまり、名字とは「領地の地名」といった意味だったようです。
それが、「出目を表す名」を意味する「苗字」と書かれるようになりました。

    

     水彩画 ”くすのきと人力車”  F10 


明治8年(1875年)に「苗字必称令」なるものが出て、全国民が名字を名乗ることになりました。

その時、私称や屋号、そして名家の名字をそのまま勝手に付けた者などがいたため、本来の家の由来というものがあいまいになりました。

なお、「名字」は、かって「苗字」と言っていましたが、文部省が「名字」を用いていたので、学校教育の場で「名字」が統一されてきました。

また、法務省では、「氏(うじ)」を正式名にしているようです。
法律上は、「氏名」・「氏」が使われています。

     

         水彩画 ”八坂の塔と人力車”  F10 



明治時代の「苗字必称令」なるもので、苗字の本来の家の由来などがあいまいになり、現在の名字もある特定の者以外は、出鱈目が多分にあります。

それでは、今でも好きな名字を名乗っても良いか、というとそういう訳にはいかないようです。
現在では、名字の変更は、戸籍法により、やむを得ない事由のあるときに限って名字の変更が出来ます。
そのやむを得ない場合とは・・・
① その名前を名乗るのことが、本人に有害である場合。
   たとえば、天狗とか赤鬼とか珍奇な名字の時。
② 識別機能が十分でなく、難読な場合。
③ 通用が長い場合。
④ 身分の発生・変動に準じる場合。
  たとえば、内縁の妻や子が死亡した夫や父の名字を望む時

つまり、余程変わった名字を持つものでないと変更は認められません。


あべのハルカス 300mの展望

2014年10月05日 08時11分56秒 | 旅行・観光

今年3月 開業した”日本一高い高層ビル”「 あべのハルカス 」へ行ってきました。

世界では98位と高さではまだまだですが、高いだけが能ではないのですが・・・・
ちなみに、世界一は、ドバイにあるブルジュ・ハリファの162階の828mです。

でも、このあべのハルカスには、世界一があります。
それは、世界一高い駅ビルなのだそうです。

他に、日本一としては・・・
百貨店として、日本一の広さ(B2~14F 10万㎡)。
ビルとしての展望台 60階 300m。

    
                           天王寺駅を眼下に・・・・     

  
      港大橋方面                       九条、京セラドーム方面  



今年、1月末に訪れたスカイツリーは高さ634m 展望デッキ 350m 展望回廊 450mに比べると低く、天候のセイもあるのでしょうが、見晴らしももう一つだったようです。

天気が良ければ、淡路島や明石海峡大橋も見えるとのことでしたが・・・・。

東京の展望と違うもう一つの違いは、緑が少なかったことと、ビル群も少なかったのは、都市規模の違いなのでしょうが、以外にも大阪はもっと川があるという印象なのですが、眼下にのぞめなかったことが、景勝として物足りない感じがしました。

緑は、眼の下の天王寺公園・茶臼山と四天王寺周辺、少し離れて長居公園が見えました。



ハルカス

 

あべのハルカス HP

http://www.abenoharukas-300.jp/


「日本の自然を描く展」 開催中・・・・

2014年10月03日 16時30分02秒 | 芸術・水彩画

第27回 上野の森美術館 「日本の自然を描く展」がただいま開催中です。
「西日本展」が10月1日~10月5日(日)まで、原田の森ギャラリーで開催しています。

   開催時間  10:00 ~ 18:00
   場   所  神戸市灘区原田通り3-8-30  TEL 078-801-1591
            阪急電車 王子公園駅下車 西口改札を出て西へ徒歩約6歩。  
   

全国から4599点の作品が寄せられ、2775点が入選され、そのうち197点の入賞作品と近畿、中国、四国、九州の入選作品が西日本展として展示されています。

   

   
    入選 ” 木漏れ陽 ” F8号