サクレクール聖堂のすぐ西側にテルトル広場がある。ここには1860年にモンマルトル村がパリ市に編入されるまでは、村役場があった所だ。辺地のために安い家賃のアパートがあり、そのためにイタリア、スペインなどからやってきた貧乏画家たちが移り住み、野望を抱いた若者たちの聖地となっていた。
今では観光客目当ての似顔絵描きたちの店となっている。絵描きさんたちもようやく開店準備を始めたところだ。
賑わいはこれから、ということで、近くの店に飛び込んでカフェオレとクロワッサンで腹ごしらえをした。
しばらくして店を出てみると、ちょうど団体のグループが到着したよう。
一気に広場も賑わいを見せ始めた。
急な階段の下り坂を降りた。
下の道にある風情たっぷりの店はまだ閉店中。
その近く、ガブリエリ通りにピカソのアトリエがあった。
1900年にパリに着いて友人と共有したアパートだ。
ピカソは1904年からエミール・グドー広場にあるバトー・ラヴォワール(洗濯船)と呼ばれるアパートに移った。
ある日、突然降りだした大雨を避けようと、一人の若い女が急な階段を駆け上がり、小広場にあるボロアパートに飛び込んだ。すると、そこには燃える瞳を持った小柄なスペイン男が立っていた。
23歳のピカソが、同い年の恋人フェルナンド・オリヴィエと出会った運命の日だった。
以来二人は「洗濯船」で青春の日々を過ごし、若い画家たちと夢を語り合った。
ピカソは生涯何度も大恋愛をするが、その最初の恋でもあった。
このアトリエはやがてモディリアニ、アポリネール、ジャン・コクトー、マティスなどの芸術家が出入りする伝説的な場所となった。
「洗濯船」の名称は、「歩くとギシギシ音がする床が、まるでセーヌ川に浮かぶ洗濯用の船とそっくりだ」と詩人マックス・ジャコブが名付けたものだ。
前の広場には、こんな4人の女性が支え持つ噴水があった。