「洗濯船」跡から坂道を下って、風車のある建物を目指した。
ムーラン・ド・ラ・ギャレットだ。
19世紀後半、セーヌ県のオスマン知事がナポレオン3世の下でパリ大改造を推進し、パリは近代都市へと変貌した。また万博のために造られたモニュメントがパリを彩って行く。
そんな時代の中で、労働者階級にも暮らしにゆとりが出始めてくるようになった。
ギャレットは1890年にオープンしたダンスホールの付いた酒場。庶民たちも日曜日には、ここに集まってダンスを楽しむという憩いの場所になって行った。
その模様を鮮やかに掬い取ったのが、ルノワールの描いた「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場」だった。
ルノワールは近くにアトリエを借り、毎日ここに出かけると、外光の降り注ぐ情景を丹念にスケッチした。そして、この作品を完成させた。
今でも健在の風車が、当時の開放的な賑わいを思い起こさせてくれる。
そこから北へ歩いてゆく。とても気持ちの良い晴天だ。
ダリダ広場に出た。この近くに住んでいたシャンソン歌手・ダリダは1987年に亡くなったが、死後10年の1997年にこの地にブロンズの胸像が置かれた。モンマルトル墓地に等身大の像が建っている。
イタリア・ベローナのジュリエット像のように胸がピカピカに光っていた。やはり「幸せ伝説」でもあるのだろうか。
この地から見上げると、サクレクールの塔がはるかに見える。
はつらつと写真を撮る女性と出会った。
「どこから?」と聞くと、「コロンビアから」。やはり、モンマルトルにあこがれて訪ねてきたのだという。
少し坂道を上ると、コルトー街12番地にモンマルトル博物館がある。
1875年から数年間、ルノワールがここに住み、制作に励んだ。「ギャレット」に通ったのもまさにここから。その後、ユトリロ一家が住んだ家でもある。
今はモンマルトルの文化史を紹介する博物館になっている。
この周辺の風景はとても美しい。