極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

時代は太陽道を渡る Ⅲ

2015年07月18日 | デジタル革命渦論



   人生に手遅れは無い。  /   孫 正義

 

【 再エネ百パーセント時代: 時代は太陽道を渡る Ⅲ


● 
今世紀半ばまでには、太陽光は全エネルギーの4分の1に

2013年には、太陽光は世界の発電量のうち1%をかろうじて占める程度だった。しかし、

IEA(国際エネルギー機関)は、近年の太陽光発電のコスト低下を挙げ、今世紀半ばまでに
太陽光が世界中の電力の約4分の1をまかなう最大の電力源になりうると予測している。ブル
ームバーグ・ニュー・エナジー・ファイナンスの太陽光チーフアナリスト、ジェニー・チェイ
スは、「40年までには、途上国での小規模太陽光発電への投資額が1兆ドル(約120兆円)
に達し、へき地の村々でも初めて電気が使えるようになる。また、陸上での風力発電と太陽光
発電設備の新設コストは、30年までに新設または既存の化石燃料発電設備のコストを下回る
と予測している」と語る。

また、アヒム・シュタイナー国連環境計画(UNEP)事務局長は、「再生可能エネルギーの普及
は再び活発化しており、14年に新たに加わった正味電力量の半分近くを占めている」と語っ
ている。この分野への投資は12年と13年に落ち込むが、14年には回復。再生可能エネル
ギーのうち最も大きな割合を占めるのは水力発電で、風力とバイオマス発電が続く一方で、太
陽光の普及速度が最も速い。
米国エネルギー省および国際非営利組織「Ren21(21世紀のた
めの自然エネルギー政策ネットワーク)」によると、過去2年間に導入した風力発電の容量が
大きかった米国と中国で、同じ期間の太陽光電力容量ではドイツと中国が大きい。一方、途上
を含む比較的小さな5カ国でも、積極的に取り入れている。

その他の国では、イタリアは、太陽光の発電量が世界第3位だ。国内の発電量に占める太陽光
の割合は世界で最も高く、スペインは、反射鏡を使って大量の太陽光を狭い範囲に集める集光
型太陽熱発電(CSP)の発電量で世界第1位となった。2位以下は米国、アラブ首長国連邦(UA
E)、インド、アルジェリアの順となっている。デンマークでは、12年の発電量のうち風力の
割合が世界最高となった。同じくヨーロッパ沿岸国のポルトガルとスペインは、それぞれ2位
と3位に入る。

 また、インドは4人に1人が電気を使え状態にいるが、世界風力会議(Global Wind Energy
Council
)によれば、14年末までに風力の電力容量が世界第5位となり、4位のスペインに迫
る。日本は11年に発生した福島第一原子力発電所のメルトダウン事故以降、原子力発電が停
止し、太陽光への関心が高まる。国際エネルギー機関(IEA)の報告では、14年に新設し稼働
を始めた太陽光発電設備の容量は、中国に次ぎ世界第2位だった。しかし、技術力もあり実力
もそなえている日本がここまで停滞しているようかな状況に甘んじているは、皮肉にも、古賀
茂明氏の『日本中枢の崩壊』(第4章 役人達が暴走する仕組み
)を文字通り、産業政策を推
進する官僚組織の暴走が遠縁?しているかもしれないが、ここは、「役人達の暴走」でなく、
「地球温暖化の暴走」を食い止めるために、「再エネ百パーセント社会」に向け、世界各国の
人が一人でも多く参加することを呼びかけたいと思う。 

※ 出典:ナショナルジオグラフィック日本語版「日本はどう?再生可能エネルギー普及、世界
  で加速」 2015.07.17

                                        

 


● 寝屋川市が芥川賞受賞で沸く 又吉直樹とは


売れない芸人・徳永は、熱海の花火大会で、先輩芸人・神谷と電撃的な出会いを果たす。徳永
は神谷の弟子になることを志願すると、「俺の伝記を書く」という条件で受け入れられた。鬼
才で人間味に溢れる神谷に徳永は惹かれていき、神谷もまた徳永に心を開き、神谷は徳永に笑
いの哲学を伝授しようとするというストーリ。


  大地を震わす和太鼓の律動に、甲高く鋭い笛の音が重な
り響いていた。熱海湾に面した
 道は、白昼の激しい陽射し
の名残りを夜気で溶かし、浴衣姿の男女や家族連れの草履に踏
 ませながら賑わっている,沿道の脇にある小さな空間
に、衷返しにされた黄色いビールケ
 ースがいくつか並べら
れ、その上にベニヤ板を数枚重ねただけの簡易な舞台の上で、僕達
 は花火大会の会場を目指し歩いて行く人達に向け
て漫才を披露していた。
 
 中央のスタンドマイクは、漫才専用のものではなく、横からの音はほとんど拾わないた
 め、 僕と相方の山下は互い
にマイクを頬張るかのように顔を近づけ唾を飛ばし合って
 たが、 肝心な客は立ちどまることなく花火の観覧場所へ
と流れて行った。

                               又吉直樹 著『火花』


4歳年上と3歳年上の姉の下に生まれる。父は沖縄県、母は奄美群島の出身。比較的貧しい家
庭で育ち、家族で焼肉店に食事に行っても「焼肉2枚でお腹一杯だから」と母や祖父が無理を
して子供たちに食事を譲り、子供たちもそれを分かっていて親に「お茶漬けでお腹一杯」と食
事を譲る、と言った生活をしていたとという。国語の実力テストの知能偏差値75で全国トッ
プになったことがある。小学生の頃からサッカーを始め、中学校は寝屋川市立第五中学校に通
い、高校時代は北陽高校サッカー部に所属し、03年(平成15年)夏まで原偉大]と「線香花
」というコンビで活動していたが解散し、その後、同期で仲の良かった綾部祐二とピースを
結成、現在に至る。趣味は散歩と読書で、通算二千冊以上も本を読んでおり、活字が躍りだす
夢を見るほどの読書家で、「太宰治ナイト」「松尾芭蕉ナイト」などのイベントを主催してい
る。


文藝春秋発行の『文學界』2015年2月号に掲載。発売前から「タレントが純文学作品で主
要文芸誌デビュー」と話題に。発売初日の1月7日にインターネット各書店では軒並み品切れ
状態となり、8日に7千部、9日にはさらに2万3千部の再増刷が決定し、累計は4万部に達
した。『文學界』の増刷は19333年の創刊以来、資料に残る範囲で初めての増刷でという。
15年3月11日に同社から単行本として発刊され、64万部を超えるヒット作となる。装画
は西川美穂。装丁は大久保明子。第228回三島由紀夫賞候補作、第1533回芥川龍之介賞受
賞作(出典:Wikipedia)。



● 吾が心のフォークロック ライク・ア・ローリング・ストーン




昔は派手に着飾って、浮浪者に10セント硬貨を恵んでいたって。「用心しろよ、すぐに消え
っちゃまうからさ」とひとにてからかわれたって。いまは落ちぶれ、高笑いも、プライドも失
せ、食事もままならないってか・・・・・・。1965年、その年、2月アメリカ軍が北ベトナム爆
撃を開始、黒人運動指導者マルコムXが暗殺されている。4月には、アメリカの北爆に反対し
小田実らが「ベトナムに平和を!市民・文化団体連合」(ベ平連)を結成。6月には日韓基本
条約が締結され、翌月、1日には名神高速道路が全線(小牧-西宮間)開通し、20日に、この
曲がシングルリリースされ、アルバム『追憶のハイウェイ61』に収録されている。尚、このこ
ろの日本では、エネルギー政策が石油にシフト加速する中、石炭鉱山採掘現場では炭坑事故が
多発していた。 

 

   Once upon a time you dressed so fine
   Threw the bums a dime in your prime, didn't you ?

   People'd call, say, "Beware doll, you're bound to fall"
   You thought they were all a’kiddin' you
   You used to laugh about
   Everybody that was hangin' out
   Now you don't talk so loud
   Now you don't seem so proul
   About having to be scrounging your next meal


                                    “ Lake a rolling stone
"  

 

 


   Oh, God said to Abraham, "Kill me a son"

   Abe says, "Man you must be puttin' me on"
   God says, "No", Abe say "What?"
   God say "You can do what you want Abe but
   The next time you see me comin' you better run"

   Well Abe said, "Where do you want this killin' done?"
   God say, "Out on Highway 61"

   Well Georgia Sam he had a bloody nose
   Welfare department they wouldn't give him no clothes
   He asked poor Howard, "Where can I go?" 
   Howard said, "There's only one place I know"
   Sam said, "Tell me quick man and I got to run"

   Old howard just pointed with his gun
   And said, "That way down Highway 61"

                                                                            “ Highway 61 Revisited ”

ボブ・ディランは、『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』からエレクトリック
ギターとバンド演奏によるサウンドを導入。この曲でマイク・ブルームフィールドのブルース・
ギターとアル・クーパーのキーボードを加え、より歌詞に相応しい重量感と起伏・深度を表現
する。ザ・ホークス(後のザ・バンド)を従えた1966年のワールドツアーのバージョン(『ロ
イヤル・アルバート・ホール(Live 1966)』収録)で、そのサウンドが完成する。アニマルズ
の「朝日のあたる家」や、バーズによるディラン作品のカバー曲「ミスター・タンブリン・マ
ン」などの曲が大ヒット。この曲はフォークのトーキングソングとロック・ビートとが融合し、
言語の多様化と60年代の社会革命が語られていると評価された。 

"孤独嬢"(Miss Lonelyの転落ストーリーを語ることで人々の心の救いを説く?この歌詞をどれ
ほど理解していたか?まったくの理解なしに共鳴したのはゆえだったと思いつつ、仲間とある
いはソロでフォークギターを奏でながら歌っていたあの頃を振り返え
る。

 

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