極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

エネルギーと環境 66

2024年12月02日 | スピントロニクス

彦根市ひこにゃんイラスト に対する画像結果
彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救ったと
伝えられる招と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え(戦国時代の井伊
軍団編成の一種、あらゆる武具を朱りにした部隊編成のこと)と兜(かぶ
と)を合体させて生まれたキャラクタ-

【季語と短歌:12月1日】 

          十二月二度降雪し除夜の鐘    

                  高山 宇 (赤鬼)

【今日の短歌研究:能登半島地震】



               ふるさとの能登に祈る歌 岡野弘彦  

伊勢・大和・山脈ふかき村に生まれ、海
知らざりし 七歳の我

能登はわが父の故郷。はじめて父にともなはれ 見し海原の色忘れず

あてどなく 海辺の道をさすらひて 成すすべもなく 泣きいたりけり

海原のはてより昇る朝の日に おのずから掌を合わせ、祈りぬ

潮騒のとどろく家に一夜寝て、目覚めし朝の心。清しさ

🧑‍🎨岡野弘彦:(おかの ひろひこ、1924年
7月7日 - )1946年(昭和21年)
学生時代から釈迢空(折口信夫)主宰の短歌結社「鳥船社」に入社、1947
(昭和22年)からは折口家に同居、その死を看取った。折口の最後の弟
子とも評される1973年(昭和48年)「人」創刊。1995年から2008年ま
読売文学賞選考委員。1999年平成11年)「岡野弘彦個人雑誌、うたげ
の座」を編集。近年、折口と同様の句読点空き字等を使用、また長歌
短歌を組み合わせた組歌を発表するなど意欲的な取り組みをしている。伝
統的な詠法に則り、定型を守り、調べが清らかで、確立している。

🪄総合年刊歌集「2024年の1万首」と手にとり驚く。年間を通し情報処理
量の大きさに驚嘆。
また疲弊する昨今。秋の歌会も流し活動方針もいまだ
暗礁に乗り上げまた漂流・忙殺。季語に縋り辛うじて毎日俳句のみ掲載し
てる有様である。
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✳️ 神聖幾何学とは
神聖幾何学という言葉を知っていますか。植物だけでなく、動物の体のデ
ザイン、小さなものでは分子から、人体や川の流れ、大きくは大気の循環
や銀河系の構造など、自然界や宇宙のあらゆるデザインは幾何学に従う。
そして、古代ギリシャの哲学者、ピュタゴラスやユークリッドやタレスの
ような人たちは、古代エジプトの神秘学派から数学を学び、自然界に、数
学にもとづいた規則正しさがどのように表れているかを盛んに研究した。

中世のヨーロッパでは、コンパスと目盛りのない定規だけを使う幾何学が、
数学の中でも特に尊い学問だと考えられ、神聖幾何学と呼ばれていた。
して、それが自然界にどのように表れているかを調べることに加えて、

築や他の芸術に生かす研究が行なわれていました。 神聖幾何学の研究に
は、
専門家でなければとても理解できないような複雑なものもあるが、
誰にも
理解できるものもある。


◾フィボナッチ数列とは

まず準備として、クイズをひとつ解いてみてください。
1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,・・・
この列の55の次にくる数は何でしょうか…
この列では、前の2つの数を加えると次の数にるので、答えは、34+55
=89となる。
この数列は、12世紀のイタリアの数学者フィボナッチが著
書「算盤の書」で紹介したので、フィボナッチ数列と呼ばれ、この数列に
表れる数はフィボナッチ数と呼ばれている。たとえば、34や55、89
はフィボナッチ数。

✳️ フィボナッチ数列と黄金比
フィボナッチ数列の、隣り合う2つの数の比を計算すると次のようになる。

この値は、数列の右に行けば行くほど、黄金比(golden ratio)という値
に限りなく近づいていくことが知られており、黄金比は通常ギリシャ文字
のΦで表すが、次の式で定義される。
Φ = (1+√5)/ 2 = 1.618033988……

◾ 自然界における対数らせん 松かさの鱗片 
下の松かさの写真は。規則正しい美しいデザインです。この写真の中央よ
り、ほんの少し右下のあたりには、柄が付いていた場所があるのが分かる。
そこから、鱗片が放射状に並んでいて、外側に進むにつれて右にカーブす
る「らせん」を描いている。

松かさのらせんの本数を数えてみました

話が飛躍しますが、水の中や私たちの体の中など濡れている環境でも機能
する「接着剤」について。外科手術など医療分野での応用が期待されおり、
ある意外なモノが開発のヒントになった。東北大学青葉山キャンパスの学
際科学フロンティア研究所阿部博弥准教授、阿部博弥 准教授「ムール貝と
いう海の中の生物からヒントを得て。水中でもくっつく接着剤を作りまし
た」



✨ムール貝からヒント?水の中でもくっつく接着剤?                                     
貝が海辺で石などにビッシリとくっついているのはなんとなく想像がつく
だろう。
その中で、ムール貝の場合はこの髭のような部分「足糸」という
のだがこの接着力がポイントで、阿部さんはその化学構造に注目した。

まり聞いたことはないかもしれないが、「カテコール」と呼ばれる構造が
水の中でもくっついていられる秘密だという。
この構造を持つ液体を作っ
た阿部さん。さらにもう1つのアイデアを加えた。
阿部博弥 准教授「普通
の環境に置いておくとトロトロしているんですけど温めると溶液全体が白
く硬くなる特性を持っている特殊な溶液を使う」

液体状の接着剤をドライヤーで温めると白く濁りはじめ、次第に固体に変
わった。
阿部博弥 准教授「35℃より低い体温より低い温度ですと濡れた表
面にやさしくくっつく。体温よりも高い35度以上ですと、強く接着するこ
とができまして、その差も1000倍になる強い接着を示す」
「温度の上げ下
げで接着力が変わる性質」と、「ムール貝の足からヒントを得た構造」。
これを特殊な方法でかけ合わせて完成させたのが『水中接着性ハイドロゲ
ル』。
黒色で、固体と液体の中間ゲル状になっている。40℃の温水の中でも
手首にピタッとついて決して離れない。

😊 阿部准教授が研究者になったきっかけは「数学」
山形県酒田市出身の阿部さん。研究者になるきっかけは数学の授業だった。
阿部博弥 准教授「高校の時山形の高専にいたんですけどその時の数学の先
生がフィボナッチ数列という数列を教えてていた、例えばヒマワリの種の
並び方とか自然の中に科学が潜んでいるんだよっていうのを教えてもらっ
た」「フィボナッチ数列」とは、イタリアの数学者が示したある規則性に
基づく数列のこと。びっしりときれいに埋まっている種の配列にも通じる
ものがある、とされている。このような自然界に潜む科学に阿部さんは興
味を持ち、ムール貝から着想を得て水中接着剤の開発にたどり着いた。
「生物が何千万年何億年と進化をかけてたくさん学んで色んな機能を出し
てきた。そこからヒントを得ることによっていきなり近道ができることに
なる」

✨ 生物のすごい特徴×いまの技術
水の中で使える接着剤はすでにあったが、身体の組織を傷つけずに安全に
はがせるものは少なかった、温度の上げ下げでくっつく力を変えられると
いう今回の研究が進めば、皮膚や組織の傷を元に戻す治療への応用が期待
できるという。
阿部博弥 准教授「すごい特徴を持った生物が世の中にはこ
んなところに潜んでいるのかというのがありますので、その発見と今持っ
ている技術を組み合わせることでさらにすごいものが作れた時に非常に嬉
しいと思います」と話している。



❤️ アストラゼネカのぜんそく薬、発作時にステロイドより有効

ぜんそくないし慢性閉塞性肺疾患(COPD)の発作リスクが高い英国の患者
158人を対象に行った研究では、喘鳴、咳、胸部圧迫感などの症状を伴
う「増悪」と呼ばれる発作時にファンセラを注射すると、副腎皮質ステロ
イド内服薬よりも効果が高いことが示された。ステロイド薬は肺の炎症を
抑えるが、重い副作用を引き起こすことがある。
研究者によると、こうし
た発作に見舞われた多くの患者がステロイドの繰り返し投与や再入院が必
要で、90日以内に死亡することもある。
一方、ベンラリズマブを使用し
た場合は、投与から28日後に呼吸器症状が改善。90日後では、ベンラ
リズマブ投与群ではステロイドによる標準治療群と比較して治療に効果が
なかった患者の数が4分の1にとどまった。

製造特許について
東京大学の研究により、「ブロリコ」は主に細胞壁の内側から抽出される
成分であり、家庭で行われる一般的な調理方法ではほとんど抽出できない
ことが明らかになりました。
そのため、イマジン・グローバル・ケアと東
京大学は共同で「ブロリコ」を抽出する技術を開発し、この独自の抽出プ
ロセスに関する特許を取得しました。従来の方法では得られなかった「
ロリコ
」を安定的かつ高効率で抽出することが可能となりました。 







🧑‍🎨 水道水のPFAS濃度 過去4年間に14か所で目標値超える 国が調査
11月29日、一部の物質が有害とされる有機フッ素化合物のPFASについて、
国が全国の水道水の検出状況を調査した結果が初めて公表され、昨年度ま
での4年間に14か所で国の暫定的な目標値を超える濃度が検出された一方
今年度はすべてで目標値を下回った。


🤔 「PFAS」のうち「PFOS」と「PFOA」は有害性指摘
有機フッ素化合物の「PFAS」のうち「PFOS」と「PFOA」の2つの物質は
有害性が指摘されていて、国は「健康に悪影響が生じないと考えられる水
準」として、2つの物質の合計を水道水1リットルあたり50ナノグラムとす
る暫定目標値を設定している。国は全国の水道水の検出状況を把握するた
め、自治体や水道事業者に対し、今年度までの5年間のPFASの水質検査の
実施の有無や、検出された場合の最大値などについて報告を求め、今回初
めて公表。

🗾自治体や水道事業者 14か所で暫定目標値超の値を検出
上水道と規模の小さな簡易水道などを運営する自治体や水道事業者3755か
所のうち、2022年度には岡山県吉備中央町で暫定目標値の28倍にあたる
1リットルあたり1400ナノグラム、2021年度には岐阜県各務原市で11倍に
あたる550ナノグラムなど、昨年度までの4年間に14か所で目標値を超える
値が検出された。 いずれもその後、水源を切り替えるなどの対応がとられ、
現在は目標値を下回っているという。 そして今年度、検査が行われた1745
か所ではすべて目標値を下回わった。 環境省はこれまでの検査で給水人口
に換算すると全体の95%で目標値を下回っている。一方、今年度も一定程
度、PFASが検出されたところがあり、例えば目標値の半分にあたる25ナ
ノグラムを超えたところは30か所に上っている。 また、排出源については
ほとんどわかっていない。 さらに、簡易水道を中心に全体の4割にあたる
1528か所で検査を行っていなかったり回答がなかったりしていて、検査の
徹底が課題となっている。 国は今回の結果も踏まえ、暫定目標値を、法律
で検査や改善が義務づけられる「水質基準」に引き上げるかどうか検討す
ることにしている。 国の暫定目標値を超える濃度検出一覧(2020~2023
年度) 今回の調査で、これまでに水道水から国の暫定目標値を超える濃度
のPFASが検出されたところは次のとおり。 2020年度は検査を行った466
か所のうち、暫定目標値の1リットルあたり50ナノグラムを超えたのは11
か所で、 ▼東京都の東京都水道局で64ナノグラム ▼神奈川県座間市で63
ナノグラム ▼長野市で58ナノグラム ▼岐阜県各務原市で99ナノグラム ▼
愛知県の北名古屋水道企業団で175ナノグラム ▼三重県桑名市で290ナノ
グラム ▼京都府精華町で63ナノグラム ▼大阪府の大阪広域水道企業団四
條畷水道事業で73ナノグラム ▼兵庫県宝塚市で54ナノグラム ▼岡山県吉
備中央町で800ナノグラム ▼沖縄県金武町で70ナノグラムでした。 2021
年度は801か所のうち5か所で、 ▼岐阜県各務原市で550ナノグラム ▼三
重県桑名市で170ナノグラム ▼兵庫県西脇市で100ナノグラム。


人間の未来 AIの未来 講談社(2018/02発売)

まえがきにかえて 羽生善治から山中伸弥さんへ
第1章 iPS細胞の最前線で何が起こっていますか?
第2章 なぜ棋士は人工知能に負けたのでしょうか?
第3章 人間は将来、AIに支配されるでしょうか?
第4章 先端医療がすべての病気に勝つ日は来ますか?
第5章 人間にできるけどAIにできないことは何ですか?
第6章 新しいアイデアはどこから生まれるのでしょうか?
第7章 どうすれば日本は人材大国になれるでしょうか?
第8章 十年後、百年後、この世界はどうなっていると思いますか?
あとがきにかえて 山中伸弥から羽生善治さんへ
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人間の未来AIの未来』連載第10回

 今日の言葉:

1277夜 『変貌する民主主義』 森政稔 − 松岡正剛の千夜千冊

 『変貌する民主主義』 森政稔 - 千夜千冊
1277夜 世走篇 2008年12月29日 ⓼

ところで、民主主義の多様な“変貌”は、当然ながら企業社会にも押し寄せ
た。とくに新自由主義の旋風以降はその波及はいちじるしい。そもそも「
官から民へ」というムーブメントの狙いは、政府機能が市場に移管してい
くということでもあるのだから、実は企業側にも“政治”や“統治”が求めら
れるということなのである。

これを受けて日本で盛り上がったのが、「株主資本主義」こそが民主的で
あるという議論の流行と、そして「コーポーレート・ガバナンス」論だっ
た。

日本のコーポーレート・ガバナンス論は、終身雇用制や親方日の丸制にみ
られる日本企業の体質は、まことに悪しき日本的慣行であって、こんなこ
とではITネットワークと金融資本が張りめらされたグローバル化時代の
競争にはとうてい勝ち残れない。勝ち残るには企業マネーの背骨をつくっ
ている株主(シェアホルダー)や投資家の利益の立場に立った態勢と体制
を整えなければならない、というよ
うな判断から流行したものだった。
業においてはさしずめ「民主」は「株主」になったのである。

こうして企業はあたかも自己暗示にかかったかのように「自己責任」を問
うことになり、公正なアカウンタビリティ(説明責任)をわざわざ自陣に
引き込むことにした。大企業はあわてて社外取締役(outside directer)
を導入し、公的機関や国立大学なども経営協議会などを設置して、“公正
なチェック"がおこなわれていることを示すことにした。

しかしこのような措置は、もともとがグローバル時代での勝ち残り戦略の
ためにスタートを切ったものだったから、一方では規制緩和を、他方では
合併やM&Aをはじめとする規模の拡大をつねにせざるをえなくなり、
コーポーレート・ガバナンスは市場優先時代のなかでの“民営政府”のよう
な議論のようになったのである。


この雪崩のような現象は、アメリカ最大のエネルギー企業であったエンロ
ンの破綻の原因が、見かけはコーポーレート・ガバナンスの要件を満たし
ていたにもかかわらず、結局は不当な自己利益で粉飾されていたことがあ
かるみに出るにおよんで、ここには何かの欺瞞のロジッックがあるように
思われもした。岩井克人(937夜)や原丈人が「会社は誰のものか」を
問うのは、このころだ。

けれども、それでもなお日本企業の多くは、今度はコンプライアンスの呪
縛を、いまなお自己暗示のようにかけたままになっている。このことをめ
ぐっては前々夜の『暴走する資本主義』(1275夜)にも書いたばかり
だ。
コーポーレート・ガバナンス論がもたらした問題は、いったい民主的
な状態を何によって判定できるかという議論の行方を象徴的にあらわして
いる。

判定を外部の評価に委託したからといって、事態は何も変わらない。案の
定、かえってタレコミなどによって雪印や不二屋や吉兆が痛手をこうむる
ことが多発
した。社会というもの、内部にも外部にも自治体や企業や学校
をとりまく多数の利害関係者(ステークホルダー)がいるわけで、それを
シェアホルダーに限定して発展させようという株主優先方式には、過剰な
片寄りがあったのである。

また、統治のバランスをステークホルダーに広げたところで、かえって事
態の複雑性は増すばかりで、それによって「正しさ」の判定基準に何の変
化がおこるわけではない。予期せぬ担当者のモラルハザードがおこって、
事件やニュースになるだけなのだ。本書の著者はこうしたガバナンスに対
する過剰な期待は、目利きのいない社会」の代案としてみなしたほうが
いいだろうとも言っている。

ガバナンス(統治)の議論は、これをとこん追いかけていけば、必ず自己
統治(セルフ・ガバナンス)のほうへ煮詰まっていく。さきほどのべた「
アイデンティティ」とも絡まっていく。

それがまさに当時の風潮でいうところの自己責任の問題でもあったのだが、
それを求めすぎれば、現代社会における「主体」や「自己」とは何かとい
う難問によりいっそう遭遇するにちがいない

著者はこの点についても鋭い指摘をしている。民主主義が権力の外部に責
任体制を広げていったことには、社会の各領域で「主体」がわかりにくく
なったため、その不安を外部からの評価によって穴埋めしようとしたので
はないか。また、複雑な社会での「自己」はたえず不当評価・意欲喪失・
失業・疾患・犯罪・事故・精神的危機・家庭崩壊などのさまざまなリスク
に直面し、それがIT技術の発達もあって社会現象とあからさまに直結す
るようになったため、自己統治と社会統治との問題が近づきすぎてしまっ
たのではないか。ぼく流にいいかえれば、そういう指摘だ。✨

たしかに、今日の「自己」は自分のリスクを克服するのに、以前よりずっ
とカウンセリング、サイコセラピー、メンタルクリニックなどに頼るよう
になった。ここには種の「セラピー社会」もたちあらわれている。著者
は、このような状態からは新たな展望は出てこないと考えているようだ
むしろ、かつてミシェル・フーコー(545夜)が「主体」の哲学を避け
「自己」を社会の抵抗性と見ようとした視点に共感を示している。

ざっとは、このくらいでいいだろうか。あらかたの構図は見えてきたはず
だ。まさに民主主義は変貌しつづけて、いまや最も厄介なスローガンにな
っていたわけなのだ。

民主主義が長い歴史のなかで、それなりに一貫して「多様なものの統合」
という方針をもってきたことは否めない。民主主義が「差異と統合」を調
整するための技法であることも、この多難な時代のなかではっきりしてき
たともいえる。

しかし、21世紀社会はあまりに「官から民へ」が進みすぎて(これから
は中国やロシアやインドにそれがおこっていく)、かえって民主的制御が
効かなくなりつつある時代にもなってきた。これは新たな「民主主義の赤
字」(democratic deficit)という問題を生み出している。新たな民主的
システムへの転出が、そのシステムのコストを取り戻そうとすればするほ
ど、そのシステムの維持だけにとらわれていく病気というものだ。かくし
ていまや、民主主義はいちばんコストのかかるシステムになってしまった
のである。

というところで、ここでぼくが民主主義を扱うことを苦手としてきた理由
をふりかえってみると、それは「多数決のあやしさ」というものにあった
このことについてはいまだ当初の感想を変更するつもりはないのだが、著
者が次のように言っていたことには、いまではじっと耳を傾ける気になっ
ている。なんといっても、今夜は年の瀬なのである。炭男としては、そう
いう気分になるものだ。
政治とは多かれ少なかれ強制や権力を伴う営みであるが、それでもなお、
それらがひとしなみ過酷というわけではない。民主主義が専制や全体主義
から区別されるつもりであるとすれば、それは民主主義にあっては権力が
同意に基礎づけられているという信念に由来するところが大きいと、ひと
まず言うことができるだろう

(そうすると多数決の問題になっていくのだが、このとき)多数決に同意
するということは、多数の決定をあたかも自己の決定であるかのように受
け入れるフィクションを承認するということである。これを承認しない人
々に対しては、当然に多数決の原理は力を持たないということになる。
数者の根拠にあるのは、このような多数決への不信である
ここでは、少数者の立場が、討論などの民主主義的プロセスを経ることに
よって、多数者の見解を変化させる可能性があるかどうか、ということが
重要な分かれ目となる。多数と少数とを区別するものが、変更することの
むずかしい生得的なアイデンティティに由来する場合(言語・民族・宗教
等)、多数はつねに多数であって、少数はつねに少数ということになりや
すい。対立は構造化され、政治的統合に亀裂が生じる。(中略)このよう
な場合、この政治社会にとどまっていることの意義が疑われる。この政治
社会から分離独立することがあるべき選択として浮上する。
ある意味ではこのような選択は、かつての多民族帝国から国民国家が独立
するさいの民族自決の論理と共通であるということができる。異なるのは
国民国家より小さな単位において主張されていることであって、この区別
によって、一方は国民国家を擁護する議論に、他方はそれを解体する議論
になるということである。                   了
🪄脱新自由主義政策や脱貨幣交換主義政策の手法として「経済の社会の
組み込み」が「
エネルギ-と環境 ㊲」(2021.10.18)や「千夜千冊エデ
ィション 資本主義問題」 (角川ソフィア文庫)(2021.7.16)で掲載されて
いるような「経済の社会への埋め込み政策」の、非主体化(政策の評価・
測定手法の開発と政策推進の立案と持続的な政策是正)を総合的に推進
することが肝要と考えている(具体的な政策論についてブログ掲載して
いきたい)。

 

 


 

コメント
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