【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】
●『異形の心的現象』を二度読む
2009.11.25
吉本は、「精神」というのは人間の内面的なものを全体的に含めて言うときと、感覚、感性に関
与する部分だけを「精神」と言っている場合があります。そして、「心」という場合は、この人
は心の中でこう思っているかもしれないということも含めて、コミュニケーションの問題を二次
的にして言う場合には「心」と表現しています。つまり「どう思っているか」ということを中心
にしている場合は「心」を使うというが(『里山資本主義で経済成長 Ⅰ』)、家族、地域(共
同体)、宗教、政治・経済・社会環境、自然環境などの環界の変動による「心の危機」あるいは
「精神疾患」を社会や家族的状況の変化でどのように変わってきたのか見てみよう。
●社会の病理と若者たちの無差別殺傷事件-正常と異常の狭間で
A:僕は戦争中でもそういう考えはなかったですね。戦争は肯定してやれやれといっているく
せに、個人的な殺傷を肯定するようなことはなかったような気がしますね。もう一つ、そ
れと少し関連することなんですけども、フルハムロードの三浦和義という人ですが、あの
人は日本では無罪だったわけでしょう。アメリカヘ行って、アメリカで逮捕されて無罪で
はないとして連行されて、獄中で自殺しました。その時に、何はともあれ日本の法律で無
罪とされた人なんだから、アメリカに寄こせといわれたところで断るべきなんじゃないか
と僕は思ったんです。断る方が正当だと考えていいわけです。
僕は別に縁があるわけではないんですけれども、三浦和義の親父さんから電話をもらった
ことがあるんです。親父さんは正反対のことを言っていましたね。うちの息子が犯罪を犯
したといわれて捕まっているけれども、それは私とは別問題で、近所の子どもが家の前の
道を通るたびに一言ずつ悪口をいって通っていくし、近所の人は輪をかけるように急にそ
っけない態度をとるようになっていったと言うのです。こういうのはどうしたらいいんで
すかと、訊かれたのですが、僕に訊かれたってわかるわけないじゃないかと思ったのです
が、窮余の一策で、僕はよくわからないのですが、地方にはそれぞれ弁護士さんの集団で
人権擁護委員会があると思いますので、そこにに訴えてそういうことを止めさせてくれる
ようにしたらいかがでしょうか、と応えたことを覚えています。ご縁はそれだけなんです
が、何となく彼がどうなったか気にはなっていたのです。
ですから、日本政府はアメリカに断るべきだったのではないかという疑問が常にあって、
それをしなかったというのは日本政府が悪いのじゃないかという考えが僕に残っていたわ
けです。そう考え出すと、三浦和義が自殺したというけれどもそれは本当なのか、とまた
疑いたくなってきて、自分のなかでも収拾がつかなくなってしまいます。
そうなると、アメリカという国は、大統領を白昼狙撃した犯人が誰だかわからないよう
にすることができるすごい国だなとか、江藤淳さんが言っていたことも思い過ごしではな
くて本当だったんじゃないかと思ったりします。そういうところがみんな繋がってしまう
感じですね。そうすると、あらゆる日本の法的な刑罰や判決が全部信じられないような気
になって、だんだん自分もまた収拾がつかなくなるような、それがどこまでも繋がってい
く感じがします。
Q:そのお話と関係するかもしれませんが、先ほど解離とうつ病が増えたと言いましたが、そ
れとほぼ機を一にして、逆に分裂症・統合失調症が一面で軽症化、軽くなってきて、その
比率も減ってきていると思われます。昔風の、例えば1960年代ではとにかく激しい患
者さんがいて、やたらに攻撃したり、入院してもらうのに大騒ぎをして、入院してからも
しばらく大騒ぎをする。それから妄想にしてもすごい妄想を持っている。そういうこと1
960・70年代くらいまではありました。これには一つのパターンがあって、激しい患
者さんの父親像というのはとてもガミガミいう、怖くきついお父さん、抑圧的で支配的で、
そのかわりに息子は俺がとにかく面倒を見るんだと肩ひじを張っている、いわゆる昔風の
父親のひとつの典型みたいな、要するにカフカの父親みたいなそういうイメージがありま
した。そうした病状の重さは、父親像との関係に加えて、まだ当時は社会というか世間が
それなりに抑圧的で重く機能していたことが関係していたのではないかと思います。それ
が先はどの解離、うつ病の増加に関連する社会や家族的状況の変化が、逆に統合失調症の
場合には軽症化や減少に関係しているのではないかと思われます。いずれにしてもやっぱ
り精神病の病像が変わってきてしまっていることは事実だと思います。吉本さんのところ
にも患者さんから手紙や電話がくると思うんですが、その辺りの変化についてご意見を伺
いたいのですが。
●ある事故の顛末-憂さ晴らしの会の変貌と荒廃
A:あまり難しいことはわからないのですが、僕らと子どもたちのそれぞれの知り合いで酒好
きな人が集まって、イデオロギーも何もなくただ単に飲んでその場で憂さを晴らそうとい
う集まりがあったのですが、その中で、別に何かの理念的、思想的なものがある人ではな
いのですけれども、自殺した女の人が二人いるのです。これは何なんだろう、どうしてな
んだろうということをいろいろと考えてみると、この憂さ晴らしの酒飲み会の雰囲気が素
直で開けっぴろげな感じではなくなってきたということがありました。
まったく含みはないですし、失礼な言い方になるかもしれませんが、そういう憂さ晴らし
の場に商売のために飲みにくるという人が出てきたのです。こうなるとこの会も末期的症
状だな、こういうのはよくないな、商売の話はこの場ではやめてくれと言える器量が僕に
は無いんです。僕は当たり障りが無いように小さな声で内緒話みたいに商売の話をしてし
まう。そういうふうにやり過ごしてきてしまったことが、一番悪かったのではないかと思
うのです。そういう余計な話は違う機会にしてくれとか、そうは言わないまでも自分の方
で断ってしまうという器量が僕には無いんですよ。自殺する人が出てしまったことを自分
自身の周囲で考えると、これが一番の原因だと思いました。なぜ、そのことと自殺と関連
があるかというと、僕自身にはなかなか解釈できないのですが、商売の話になると、ある
社の編集者とある社の編集者で、大げさにいうと敵対関係、競争関係にある人たちが、お
互い口をきかなくなってしまったりして、蜂の巣をつついたみたいになってしまったので
す。関連付けるのはおかしいのかもしれませんが、政治的なものとかはまったく関係ない、
家庭的な問題はあったかもしれませんが、そういう女の人が自殺してしまったのです。飛
び降り自殺でした。
-中略-
もっと荒廃した状態なのは、僕がものすごく信頼していた立派な編集者で、自分の家族
や友達だけで出版社をやっている人たちが、これはもしかすると現在の不況だ、不況だと
いっていることと関係があるのかもしれませんが、どういったらいいのか、ものすごく露
骨にお金のこと、商売のことが先になってしまって、こういう人じやなかったんだけどな、
こういう人とは思わなかったなと、その人が初めて見せるものすごい一面が現れ始めて驚
いたのです。これは日本の保守政府の差し金なのか、それに追従する気持ちの表れなのか
僕にはわからないのですが、何かもう露骨にお金の問題が表面に出てくるようになりまし
た。
もうひとつは、僕が疑問に思っていて、はっきり解決できていないことがあります。例
えば、「あなたが前に出版したものをこういうふうに出すことに決まりました」と、要す
るに、僕が何か言ったわけでもなんでもないのに、「決まりました」という話になるので
す。それで進行してしまうわけです。それはすごい変貌の仕方ですよ。今までは考えられ
ないことです。ものすごく長い間付き合ってきて、お互いに十分知っている親しい人から
そういう要素がでてきて、これにも驚いているところです。ですから、簡単に承知したと
か、いいよ、と言えずに止めているものがいっぱいになってきて、それも最近の様相の1
つなのです。それで憂さ晴らしの会は、これではもうだめだ、集まり自体を止めにしよう、
解散しようと いうことになってしまったのです。
Q:それはいつ頃のことですか?
A:解散する流れになったのは、潜在的には去年(2008年)の暮れからですが、今年の春
ごろに解散しました。よくよく観察しておくと商売するという雰囲気はすぐ気がつきます
が、もしかすると、こちらがあまり商売していないから気づかなかっただけかもしれませ
んが、何かもう驚きですね。最近はそんなことばっかりですね。こうしたことを考えると、
僕はちょっと人間というものをうかうかと考えてきたのかなという思いがありますね。
Q:それだけ余裕が無くなってきたということなんでしょうね。
A:そうだと思いますね。余裕というのはいい言葉で、僕が考えても余裕の問題のような気が
しますね。つまり、アメリカが一世紀に一度くらいの大恐慌にさらされていますが、僕が
付き合ってきた日本の出版社というのは中小企業ですからそんなこととは関係ないよと、
僕は突っぱねているんです。本当はどうなのかわかりませんけれど、年商何兆円とか何十
兆円とかいう超大企業とは関係ないよ。一冊の印税がいくらとか細々と原稿料出してくれ
たらいいよと思っているだけです。ですから、過剰な萎縮だといって僕は突っぱねていて、
依然考え方は変えていません。世界恐慌とは関係ないよ、自分で萎縮しているだけだよと、
そういうふうに言うことにしているんです。
でも、それは通用しないですね。だいたい進歩派の人たちにも通用しない。今の自公連
立の麻生内閣みたいに、一般の庶民のことを考たこともないような政府のいうことほど馬
鹿らしい話はないですから、あんまり同調しない方がいいと思っていますし、アメリカの
大恐慌とは何も関係ないよ、ということにしているんです。それをものすごく関係付けて、
弱腰になっているのが今の出版社自体です。
あたかも戦争中の統制経済の時と同じで、軍事的体制制約で抜き差しならないみたいにな
っている。そういう状態を僕らはよく知っていますが、そこまではいかないけれどもそれ
に近いくらいにすごく凝り固まっていて、大手だといわれている講談社や文蕪春秋がそこ
から抜け出せない感じです。君らの出版社なんか誰も何も制約していないよ、というので
すが、聞く気が無いですね。
僕らは今、精神的に第二の戦争末期、第二の敗戦後のような精神状態が出てきていて、
そうしたことが原因で萎縮してきているのかなと思いたいわけです。けれども露骨にそう
いう面を出されると、何だ、こんな人だとは思わなかったと嘆いても、人間はそういうも
のだと思った方がわかりやすいですけれども、そう思いたくないというのが一方にあって、
どうしてもどこかにひっかかって、すごいことになったなという感じが旺盛です。
●精神科バブル現象と唯物論的思考の蔓延-ゆとりの喪失とエゴイズム
Q:今、精神科の診療所やクリニックがどんどん増えていて、増えるごとに患者さんを作り出
すといわれるくらいいっぱいになってきています。その診療所の医者がやる診療内容が、
いわゆるカウンセリング、昔でいえば相談事ですが、それがすごく多くなっていると言わ
れています。昔でいえば、身近の友人なり先輩なり親なり親類なりに相談してみんな何と
か過ごしていたことが、もう相談できる相手がいなくなってしまっていて、結局、精神科
の診療所に来るしかない。そんな感じになってきています。
ついでに精神医療の場の変化について説明させていただきます。一つは、1960・7
0年代以前は、精神病院というのは巨大で、一種の収容所みたいなところだったのですが、
だいたい1970年代すぎから全世界的に変わってきました。いわゆる脱施設化といって
患者さんを病院からどんどん退院させて、その結果一部はストリートピープルとなる現象
が一方でありましたが、病院はずっと小さくなりました。二番目に、1970年代から精
神障害者の人権が認められてきました。精神障害者の人権というのは、人類初めての概念
だと患います。
かつては差別の対象だった精神障害者に人権が認められるようになる。そしていわゆる
ノーマライゼーションといって、患者さんも普通の人と同じように社会参加できるような、
そういう社会を作っていかなければならないということになってゆく。三番目が、医療の
在り方が昔の病院中心主義、昔ははっきり言って病院に入って一生そこにいてもらうとい
うのが精神障害者に対する病院の役目だったのですが、今は地域医療ということで、地域
で患者さんが生活するために支えてゆくことが中心課題になっていきます。
私たちの病院でも一番新しい病棟では、平均在院日数が一月とか一月半とか、どんどん
回転しています。一方では依然として古い病棟では長く、20年とか在院している患者さ
んもいるのですが、そういう両極分解が起こっています。いずれにしてもこういう脱施設
化とか、人権概念、それから地域医療という中で、精神医療の場自体が大きく変わってき
ています。診療所やクリニックがいっぱいできて、普通の市民が通えるようになってきて
いますけれど、その内容はといえば、大半は、昔は仲間の中で過ごせていた問題が、絆が
少なくなってしまって、精神科に、医者に相談するというそんな時代になってしまいまし
た。時代が変わってくると良い面と悪い面と両方出てきてしまって、人間のやることはプ
ラスマイナス両方あわせるとあまり変わらないのかなと思ってしまいます。それが先ほど
吉本さんのいわれた人間にゆとりが無くなってしまって、人が悪くなってしまっていると
いうことと関係があるのかなと思います。
A:何となく見当をつけているんですが、産業が移り変わる一循環の早さが変わってくると精
神的なものがそれにしたがって変わっていくという感じはしています。当てになるかどう
かは別ですけれども、そういう感じはよく考えています。
Q:社会経済的な循環が早まってくると、人間もだんだんせせこましくなってくる。
A:そうですね。歳をとって少しぼけてきたことも含めて考えると、のんびりとかわすことも
少しはできるようになったと自分では思っています。けれども基本的にいうと、日本の産
業の現状に直接触れているわけでもないのに、産業循環が早くなってくることで自分がせ
かせかするというのは、どういう関係があるからそうなるのかなと思いますし、結局、ど
うしたらいいんでしょうかね。
僕が思っているのは、やはり精神構造の問題が先にあって、あらゆる物質的な現象の根
本なのではないかということだけはいつでも感じているのです。唯物論というのはよくな
いというか、狭いものをまた狭くしているという以外の意味はあまりないし、特に文学の
面では、唯物論が世界の文学をだめにしてしまったなという感じが拭い難いですね。精神
の働きから唯物論が出てきそれからたのだと順序付けていればまだよかったのに、あれで
は文学とか芸術はなくなってしまえ、死ねといっているのと同じです。
Q:そうですね、精神科も脳の時代になってしまって本当に唯物論なのです。脳と薬、こうい
う薬が脳にこういうふうに効くからそうするとうつ病がよくなるという説が主流を占める
時代です。
A:ひどいと言ったら怒られてしまうかもしれませんが、テレビに出てくる専門家のなかで、
脳を主体に考える人が一番ひどいのではないかと思います。理屈も何もつけられないでは
ないかと思うのです。
Q:情けないのは宗教学者、宗教家まで、脳はセロトニンでどうこうなるという脳科学を説明
に取り入れてしまって、ひどいものですね。
『異形の心的現象』pp.238-246
ここでは重要なことを語っている。「精神構造の問題が先にあって、あらゆる物質的な現象の根
本なのではないかということだけはいつでも感じているのです。唯物論というのはよくないとい
うか、狭いものをまた狭くしているという以外の意味はあまりない」をわたしなりに言い換える
と、"デジタル革命渦論"のコアとしての半導体の産業特性がもろに反映し、それを補完するよう
に"ネオ・リベラリズム"のコアである"自己責任”というイデオロギーが相乗し個人の精神が疎
んじられる風潮(流行病)を生んだといえる。半導体産業は異質なものの侵入を極端に嫌い、排
除しようと動く上に、民主党政権で行われたスーパーコンピュータの事業仕分けのときに話題と
なった「世界一でなければ何故いけないのか(世界で二番ではいけないのか)」に顕れているが
ごとく、半導体の重要機能はスイッチング速度の高速化にあるように、不採算部位や不適合労働
者の排除が高速で行われて来たが(わたしの経験で言えば、それを受け入れる側を担って黙々と
それをこなしていた時期があった)、米国の金融街選占拠運動という形で現れたごとく、そのよ
うに世界的な規模で社会をゆがめたことを経験している。そして、わたし(たち)はそれを乗り
越える術も学んだわけである。次に話は善光寺に移る。
● 親鸞の悟りに学ぶ-チベット仏教を支持した善光寺の教え
A:僕の家の宗教は浄土真宗で、本家本元の東本願寺はインテリ的な人が集まっていて、西本
願寺はあまりそういうことを考えない人が集まっている、そう二つに分かれているのでし
たらまだわかりやすかったのですが、その頃は、浄土真宗の教祖である親鸞が、法然がご
赦免になった時に、京都に帰らないでそのまま関東に行ってしまいます。その途中に一ヵ
所だけ寄っているところがあるんですけれど、それは善光寺なんですね。
Q:私の家が長野市で善光寺の地元なんですよ。確かに善光寺に親鸞聖人が寄った跡というの
があります。
A:なぜ、親鸞が善光寺に寄ったのかというと、浄土真宗の教団の人の考え方は、長野の善光
寺に阿弥陀仏像が何体かあって、それを見るために親鸞は寄ったのだという言い方をして
います。ですけど、親鸞は別に観光に行ったわけではないだろうと、僕は頑強に主張して
います。
僕は、親鸞は浄土真宗を日本固有のものとして作りたかったから、無宗派の善光寺に寄
ったのだと考えています。善光寺というのは、まだ日本の宗教が党派・宗派に分かれない
頃からあって無宗数的な何かを含んでいるのです。親鸞が善光寺に寄ったのは無宗派時代
の何かがあるからで、滞在して何をしたかったのかはわかりませんけれども、滞在した後、
関東にそのまま行ってしまいました。関東に行って、房総半島の辺りを一所懸命に廻りま
す。何もいらないから、ただ、寄る部屋があればいいといって坊さんのところを廻って、
歳をとって足が利かなくなったらさっさと京都に帰って、別に何もしないで弟さんの寺の
一室を借りたのです。そこでは決して宗派の宣伝とか説教とか宗派の題目を唱えるとか、
そういうことをしたわけではないんです。弟さんの寺の一室に龍もって、強いて推察すれ
ば「数行信証」という書経の手直しをしていたぐらいで、あとは関東から寄こすお弟子さ
んの質問状に対してかな書きの返事を書いたりして、そのくらいしかしていないんです。
京都が本場だから宗数的なことをしたかというと、まったくそんなことはないのです。そ
ういうところははっきりしている人です。
Q:つまり晩年では、宗派宗教の政治はいらないということになっていったのでしょうか。
A:そうですね。僕はこの間、注意深く見ていたのですが、ダライこフマー四世のチベット仏
教が自分たちの宗教を認めろと騒いで、中国がオリンピックの邪魔になるというので弾圧
したということがあって、その時に日本の坊さんたちで唯一反抗したのが善光寺でした。
これは何なのだ、と思ってちょっと調べてもらったのですが、やはり無宗派時代からの要
素を含んだ行動だったらしいですね。調べてもらったらそんなことが出てきて、ああこれ
だよ、と思い当たりました。親鸞は日本の仏教の宗派には全部反対で、それを壊したくて
しょうがなかった。自分なりの宗派を立てたかったから善光寺に寄ったのではないかと、
思えるのです。
Q:いや、私も親鸞がなぜ善光寺に寄ったのかよくわからなかったんですけれども。
A:チベット仏教を弾圧したのは不当なことだと、ちゃんと声明を出したのは日本では善光寺
だけですね。なぜ政治的な問題に自分たちの見解をおおっぴらにするのか、宗派では珍し
いですね。
『異形の心的現象』pp.246-248
尚、紙面の都合上、この項のつづきはまた明日にでも掲載する。
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