極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

YOSHIMOTOが逝く。

2012年03月16日 | 時事書評

 

【吉本が逝った朝】


文学、思想、宗教を深く掘り下げ、戦後の思想に大きな影響を与え続けた評論家で詩人の吉本隆明が16日 午
前2時13分、肺炎のため東京都文京区の日本医科大付属病院で死去したとNHKでニュースされていたと彼女が
話す。「えぇ~っ」と大きなを奇声ひとつ発した。そして、ネットで確認する。

 

   荒涼と過誤。
   とりかへしのつかない道がここに在る
   しだいに明らかに視えてくるひとつの
   過誤の風景
   ぼくは悔悟をやめて
   しづかに荒涼の座に堕ちこんでゆく
   むかし覚えた
   妙なこころ騒ぎもなくなつてゐる
   たとへばこのやうに
   ひとと訣れすべきるのであらうか

   ひとびとのくらしがゆたかになつたと
   たれが信じよう
   それぞれの荒涼の座に
   若者たちは堕ちてしまつてゐる

   夜。
   頭から蒲団をひっ被って
   フリードリツヒ・リスト政治経済学上の遺書を読む
   〈我々の弱い視力で見得る限りでは、次の世紀の中頃には二つの巨大国しか存在しないだ
   らう(F・リスト)〉

   ぼくはここに
   だがひとつの過誤をみつけ出す
   諦らめて
   ぼくの解き得るちいさな謎にかへらう
   1949年冬。
   深夜。
   そつと部屋をぬけだしていつものやうに
   父の枕元から煙草を盗み出して
   喫する

   あいつもこいつも
   腹中かな奴はみんな信じられない
   どうして
   思想は期望や憧憬や牧歌をもって
   また
   絶望はみみっちい救済に繋がれて提出されねぱならないか

   ほんたうにそう考へてゐるのか
   だがあいつもこいつもみんなこたへない
   いいやあんまり虐めるな
   1943年ころでさヘ
   誰もこたへてはくれなかった
   その時から
   ぼくもそれからほかの若者たちも
   いちやうに暗さを愛してきた

   遠くで。
   常磐列車の響きがする
   ぼくはぼくの時間のなかで

   なんべんそれを聴いたらう
   なんべんもそれを聴いてきた
   軌道の継ぎ目が軋む音なのだと思ふ

   寂しいかな
   すべての思考はぼくにおいてネガティブである
   1949年冬。

   独り。
   想ひおこしてゐる
   1945年冬ころの
   ひとつのへいわ。
   ぼくの大好きだった三人の少女たちは
   その頃から前後して
   いちやうに華やかな装ひをはじめた
   ぼくは
   たらひ廻しにあってゐる徒刑囚のやうに
   暗かった
   そんなに煙草をお喫みになると
   いけませんわと言っていたっけ

   道は。
   ふたつに折れた
   少女いまはふたり嫁し
   ひとりは生きることが寂しいという
   1949年冬。

                                 吉本隆明『1949年冬』 


※期望:〔名〕期待し望むこと。ある事が実現するよう待ち望むこと。また、頼みにすること。また、その望
み(日本国語大辞典)。
※フリードリッヒ・リスト:

Cover of: Friedrich List's gesammelte Schriften by Friedrich List
 

1949年といえばわたしが生まれて1歳だ。言葉もでない、何もタイピングできないそんな状態だ。わたし
にとって、わたしのかけがえのない精神の1つなのだから。この1年で石井智幸、東日本大震災、シェル(愛
犬)、スティーブ・ジョブズ、伯母、義兄に続いて吉本隆明まで葬失してしまったのだ。なにを書けようかと
いうもんだ。そこへ敢えて書くとしたら、故人の詩の一篇『死の国の世代ヘー闘争開始宣言―』を掲載して、
この悲しみを超えようと思う。もう1つは、1995年、大日本スクリーン製造株式会社の労働組合30周年の
記念講演『21世紀の仕事』を企画したものの実現できなかったが、これを具体的にライフワークとして自分
なりに継続探求していくことを再確認し答えたいと考えている。お疲れ様でした。

                                              合掌

 

   どんな遠くの気配からも暁はやつてきた
   まだ眼をさまさない人よりもはやく
   孤独なあおじろい「未来」にあいさつする
   約束ににた瞬間がある

   世界はいつもそのようにわたしにやつてきたか
   よろこびは汚辱のかたちで 悪寒をおぼえ吐きだす澱のように
   希望はよれよれの雲 足げにされてはみだした綿のように
   けれどわたしのメモワール わたしのたたかい
   それは十年の歳月をたえてやつてきた
   わたしの同志ににたわたしの憎悪をはげますように
 
   こころが温もつたときたたかわねばならぬ
   こころが冷えたとき遇いにゆかねばならぬ
   十年の廃墟を搾つてたてられたビルディングの街をすてて
   まだ戦禍と死者の匂いのただよう死の国のメトロポールヘ
   暁ごとに雲母のようにひかる硝子戸を拭いている死の国の街ヘ

   戦禍によってひき離され 戦禍によって死ななかったもののうち
   わたしがきみたちに知らせる傷口がなにを意味するか
   平和のしたでも血がながされ
   死者はいまも声なき声をあげて消える
   かってたれからも保護されずに生きてきたきみたちとわたしが
   ちがった暁 ちがった空に 約束してはならぬ



                           吉本隆明『死の国の世代ヘー闘争開始宣言―』

 

  

 


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