極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

レモンタイムとパラモータ

2016年04月08日 | 日々草々

 

 

 

    
       自民党と民主党も、反対なもののはずなんだけど、今は同じなんですよ。利害関係が同じになってる。
       同じことを小さく言うか大きく言うか、または、同じことをカッコよく言ってるかどうか、そこだけの問題に
       なっています。
       自分たちは汚いことはしないよ、と言うのか、自分たちのポッポに入れちゃっておいて、でも何かもう少
       し違うことを考えてるよとか、そういう違いはあるかもしれないけどでも、そのくらいの違いなんです。 

                                          吉本 隆明

 

                                         

   
                             Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924-16 Mar, 2012 

 



Scarborough Fair/Canticle / April Come She Will (Word&music:Simon & Garfunkel) 

【レモンタイムを植える】

昨日、注文したレモンタイムの苗木をいつものユーパックの女性に届けてしたのだが、天候が悪く、今朝方植え
る。ところで、
タイムにはフルーツの香りのするオレンジバルサムタイムやレモンタイムなどいろいろ種類があ
るという。ほふく性――茎が地面表面に沿って伸びる性質、這い性、クリーピング性を意味――のクリーピング
タイム、
ゴールデンタイムやゴールデンクィーンタイム、シルバータイムこれはほんと一面に植えると銀の世界
に広がり展開する。
その他にはキャラウェイタイムなどがある。日本のイプキジャコウソウは細い枝をのはして、
ほふくして広がる。葉をもむと芳香が匂い立つ。
民間では発汗剤として利用。タイムを敷石や岩組の間に植える
とはぴこり、歩く折に踏みつけると
足元ら芳香が漂い香りの散歩道として親しまれてきた。



レモンタイムは、名前のとおり、レモンの香りが特徴のヨーロッパ南部地中海沿岸が原産地のタイム。直立性か
らほふく性様々な品
種があり、花は初夏~夏にかけて白やピンクの小さな花を咲かせ一面を覆うと美しい。古代
ギリシア・ローマ時代の人達にとり
、タイムは勇気、品位、優雅の象徴で男の人は入浴後、このタイムの香りを
胸にすりつけたといわれる。中世の婦人たちは、スカーフ
に蜂とタイムを刺繍して勇者に贈ったと伝えられてい
る。葉は対生――葉が茎の一つの節に2枚向かい合ってつくこと。対生葉序――
につき濃緑色の円形で長さ7ミ
リたらずと小さい。また、
日当たりを好み、水はけがよ<風通しのいい場所を好みます。初夏にはじゅうたんの
ように花を咲かせる。とてもコンストランスがよく楽し
ませてくれる。水やりは、乾燥を好むハープだが、地植
えや植替えの場
合は根がつくまではしっかり約1ケ月は水を与える。冬の期間は乾いたら2~3日、そのままで
置いてから水を与えると良いが、
肥料は生育期間に液肥などを施こせばよいと言う。



レモンタイムのレシピは香草としてサラダやチキンなどの肉類に加えられるが、それ単独でも、レモンの芳香が
強いが、レモン汁を加えよりシャープに調理するため加えられる。下/左写真は「ズッキーニトルテのレモンタ
イムゴーダチーズ添え」。

  

また、レモンタイムは、上/右写真(右はレモンタイム、左はコリアンダー)のようにレモンタイムシロップ―
―砂糖を水を沸かし溶かし放冷し、レモンタイムの茎を投入し30分間浸漬し香りだしを行えばシロップができ
る。砂糖を入れずに香りだしたものを冷水として飲むと仄かなレモンの香りしておいしくいただける。写真のよ
うにコリアンダーをレモンタイムシロップにコリアンダーの茎をピッチャーに加え、テキーラ:ウオッカ・
ライ
ムジュース:レモンタイムシロップ(コリアンダー入り):炭酸水=1::1:1:1.8:4でよくかき混ぜ
「ハーブ・テキーラーのシンコ・デ・マヨ」の爽やかなカクテルができあがる。今年の夏はサマー野菜サラダや
野菜スープで暑さを楽しく乗り切り、レモンタイムの冷水でのどを渇きを癒すことにしよう。


● パラモータを楽しもう!

  Paramotor Sky Racers - Parabatix

 


川を渡り、海を越え、山飛びのバラグライダーが、いかにサーマルを掴まえて距離を稼ぐかにかかっているのかに
し、燃料の続く限り半永久的にフライトを続けることができるパラモーター。クロカンは、その醍醐味を存
に味わえるフライトスタイルと言
える。仲間と一緒に無線交信しながら、次々と変わっていく景色を進んでいく
フライト
は、普段の決められたエリア内でのフライトでは味わえない発見の連続となるだろう。ただし、当然ど
こを飛んでも良い
わけではない。離着陸する場所は事前に許可を得る必要があるし、通過する空域も、空港や基
地の管制圈や
フライト制限区域を通ってはならな
いルールがある。場所によっては関係省庁や自治体、電力会社
などに事前に許可を申請する必要がある場合がある。万が一のために、安全に着地できる途中のランディング候
補地も考えてく。許可の必要はなくても、住宅地や市街地、ゴルフ場や放牧地などを避けたり、または十分な高
度をキーブする必要がある(エンジン音は、フライトしていない者にとっては、迷惑な騒音であることをしっか
り自覚しておこう)。水辺をフライトするなら浮力体などの装備も必須。気象条件や地形の調査なども含めた事
前の徹底した情報取集や準備が、楽しいクロスカントリーフライトの秘訣となる。自己責任の重さを腹に括り飛
び立ち、そいて自然環境の奇跡を楽しもうではないだろうか。

Jigsaw Sky High

国内には、複数エリアで連絡を取り合って、お互いのエリアを行き釆したり、クラブなどでマイクロバスを貸切
り、機材も積み込んで、各地を旅しながらフライトツアーを楽しんでいる人達もいる。また、体一つで海外へ渡
り、レンタルのパラモーターユニットで、現地のフライトを楽しむことも整いだしている。

Van Halen Jump

 

 

 

 

 

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帝國のロングマーチ Ⅴ

2016年04月07日 | 時事書評

 

 

    
       今の年寄りは、体のほうだけ成長というか、老いていって、寿命は延びていって、精神のほうは成長しないです。 
  

                                          

   
                             Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924-16 Mar, 2012     

 

 

● マエケン強烈なデビューで初勝利!!

 


● 折々の読書  『China 2049』23  


                                  秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」     


                                                    マイケル・ピルズベリー 著
                                                    野中香方子 訳 

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケル・ピルズベリーが
自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづ
けてきたと認めたうえで、中国の知られざる秘密戦略「100年マラ
ソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌を描いたもの。日本に関する言及も随所にあり、これから
の数十年先の
世界情勢、日中関係そして、ビジネスや日常生活を見通すうえで、
職種や年齢を問わず興味をそそる内容となって
いる。 

 【目次】

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔
 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
     森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣)   

  第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン

                趁火打却(ちんかだこう)――火に趁(つけこ)んで却(押し込み)を打(はたら)く

                                                                     『兵法三十六計』第五計
  

  実のところ、中国政府もよく知っていたように、アメリカはすでに、その出来事について繰り返し謝罪して
 いた。その月曜日、クリントン大統領自身が記者たちの前に
現れて、再度、謝罪した。

  「謝罪します。この出来事を残念に思っています。けれども、悲劇的な過ちと、故意の民族浄化行為との間
 に明確な線引きをすることは非常に重要であり、アメリカはそ
の線引きを今後も続けます(注26)」

  
アメリカの情報コミュニティの反応は、サッサーと同じく当惑と驚きだった。ミスター・ホワイトから中国
 の行動についての予測を聞いていたにもかかわらず、わたし
も同じ気持ちで、とりわけ中国の公式の反応の激
 しさには当惑させられた。共産党政
府のプロパガンダ機関紙である人民日報は、大使館への爆撃を「野蛮な犯
 罪」と呼
び、「アメリカ合衆国に率いられたNATO」は「凶悪犯罪者」だと断じた。第一面の長い記事は、
 アメリカは八つの点でナチス・ドイツと同じだと主張した,例えば、ア
メリカの「自己中心性と覇権を求める
 野心はまったく同じだ。(中略)世界のどの国家
が、かつてナチス・ドイツが目指したように『地球の支配者』
 になろうとしているの
かと尋ねれば、答えは一つ、つまり覇権主義を奉じるアメリカである(注27)。」

  10年前の大安門広場で民主主義を求めるデモのさなかに立てられた中国版自由の女神とは対照的に、この時、
 中国の学生は、アメリカを中傷するポスターを掲げた。中
には、ピカソの1937年の反戦壁画「ゲルニカ」
 の巨大な複製に赤いペンキを散らせたものもあった。彼らはまた、段ボールで自由の女神像を作り、ピル・ク
 リントンの面をかぶせ、その手にはたいまつの代わりに血塗られた爆弾を握らせた(注28)。

  アメリカの情報コミュニティの面々は、中国の行動についてさまざまな結論を出していた。それを中国人の
 過度の敏感さ、ひいては被害妄想のせいにする人もいた。一方、それほど害のない騒動であるとし、他の問題
 についてアメリカの譲歩を引き出すのが目的だと見る人もいた。しかし、わたしが覚えているかぎり、中国に
 はさらに深い計算があり、やがてアメリカは対中戦略の見直しを強いられることになる、と予測する人はいな
 かった。つまり、ミスター・ホワイトの推測に基づく主張を信じようとする人はいなかったのである。

  2001年、アメリカの情報コミュニティは、1999年のベオグラード爆撃直後に中国共産党中央政治局
 が問いた緊急会議の、機密扱いの議事録を人手した(注29)。この議事録には、中国指導者の真のアメリカ観
 が露呈していた。会議のメンパーは、状況をどう理解し、どう対処するかについて意見を交わした。それを読
 むと、中国政府の偏執的な愛国主義に関するミスター・ホワイトの警告は、まだ控えめだったことがわかる。
 江沢民はこう述べた。

 「アメリカはこの出来事を利用して、国際危機や衝突、とりわけ突発的な事件に対する中国の反応の強さを調
 べようとしている」

  江は、空爆は「さらに大きな策略」の一部かもしれないと警告した。政治局常任委員会で二番目に高位の李
 鵬は宣言した。

 「同士よ!血塗られた大使館の事件は単独の問題ではなく、単なる中国人民への侮辱や挑戦でもない。これは
 入念に仕組まれた破壊工作だ。この出来事は、他の何よりも、アメリカが敵であることをわたしたちに思い出
 させる。ある者が言うような友人では決してない」

  副首相の李嵐清は次のように述べた。

 「将来、中国とアメリカとの直接的な衝突は避けられない!」

  彼は、クリントン大統領が「国際危機と衝突に対する中国の反応の強さ、人民の生の声と大衆の意見、それ
 に政府の意見を確かめ、中国がどんな手段に出るかを調べるために」「軌道を探る石として」爆撃を命じたと
 いう見方を提起した。
  議事録によると、アメリカを弁護する人はひとりもいなかったようだ。この爆撃は本当に事故かもしれない
 と考え、主張する人は皆無だった。クリントンを非難する前に数時問待ってみよう、アメリカ大使館前で学生
 による大規模なデモ活動を始める前にアメリカの見解を尋ねてみよう、と提案する人は誰もいなかった。19
 7
3年以来北京で築いてきた善意と信頼は、議事録のどこにも見当たらなかった。

  こうしたことが明らかになっても、中国に関するわたしたちの満足と楽観は揺らがなかった,中国にタカ派
 は確かに存在するが、その影響力は、より理性的で冷静な考え方をする人々によって排除できるし、実際、排
 除されるだろうとわたしたちはまだ考えていた。そして同僚たちは再度、信頼を築き、誤解を減らすための努
 力を始めた。まもなく、江沢民と「中国の友人たち」は、ところかまわず、「減少誤会、増加信任」(誤解を
 減らし、信頼を築く)という言葉を口にするようになった。それを見てわたしたちは、中国の「愛国教育」は
 無害らしいと結論づけた,結局、アメリカ人も同じことをしている。中国政府内の反欧米分子は厄介だが、中
 国トップの指導者は彼らには同調していない、とわたしたちは自らに言い聞かせた,

  米当局者の大半は、反米の兆候を完全に無視した。兆候の中には、もみ消されたものもあった。1990年
 代、わたしは(ワシントン首都圏内の)バージニア州レストンにあるCIA翻訳センターをよく訪れたが、そ
 の折に、中国指導者のアメリカに対する非難が報告書にほとんど見られないのはなぜかと翻訳者に尋ねた(注
 30)。米当局者の大半は、中国指導者の考えを追うのに、このセンターで翻訳した情報を頼っていたが、それ
 は中国語を読める人、そして多くの重要なニュアンスを把握できる人がほとんどいなかったからだ。

 「簡単なことです」と、翻訳者は答えた。
 「ナショナリズム的な書類は翻訳しないよう指示されているからです」

 わたしは当惑した。

 「どうして?」
 「本部の中国部門から、そんなことをすれば、ここワシントンの保守派と人権擁護左翼のどちらをもあおって、
 中国との関係を悪くするだけだからと言われました」

  その時ですら、わたしが中国の未来に対して抱いていた信頼は、多少、揺らぎはしても、消えはしなかった。
 ミスター・ホワイトと政治局会議の議事録から得た情報に
もかかわらず、わたしは依然として中国懐疑派では
 なかったし、また、どの筋からの
情報もこれは一時的な段階にすぎないと語っていた。中国は、経済はいまだ
 脆弱だ
が、必然的に民主化に向かっている。タカ派は70年代後半から80年代という高齢で、いずれ穏健派
 の改革者たちに取って代わられる。したがって、アメリカはしばらく我慢し
ていればいいのだ、と。それほど
 多くの情報が皆、中国の情報機関によって操作され
ているというのは、あり得ないことのように思えた。

  言うまでもなく、わたしたちの楽観は、中国の内部情報を提供してくれるトップスパイのひとり、ミズ・グ
 リーンに支えられていた。彼女は、中国政府はアメリカにと
って脅威ではなく、中国のさらに過激で危険な政
 治分子を監視するために共産党のリ
-ダーシッブは不可欠だと、繰り返し語った。彼女の報告と中国指導者と
 のつながり
は、2003年4月9日、彼女がFBIに逮捕されるまで、アメリカの当局者に影響しつづけた(
 注31)。中国にいるCIAの情報源が彼女の正体を暴露したらしい。彼女
はFBIから受け取った170万ド
 ルを申告しなかったことを認め、自分が中国の当局者に語った秘密を明かすことに同意した。しかし、司法省
 が彼女をFBIの担当者のもとに拘束し、証人を喚問する権利を侵害したため、連邦裁判所判事は本件を棄却
 した。彼女は再び起訴されたが、協力を約束したため、3年の執行猶予ですんだ(注32)。

  この件を受けてFBI監察官は、偽情報を提供しかねない中国人情報源のファイルに赤旗(警告信号)を立
 てるシステムを作ることを推奨した。FBIで防諜活動を担当する副長官、デビッド・スザディは記者に、本
 件は「(FBIには)その情報源をよりしっかり管理し、彼らが提供する情報をチェックする」必要があるこ
 とに光をあてた、と語った(田淵)。ミズ・グリーンの偽情報に基づいてまとめた報告書の機密扱いをFBI
 が解くことは決してない。そしてそれが公開されるまで、世間の人々は、どちらがより悪いか(彼女が中国に
 秘密を漏らしたことか、それとも、中国のことを心配しなくてもいいとアメリカ人に思わせたことか)を知る
 ことはできない。現代版の「赤壁の戦い」を語るタカ派の言葉を無視する者は、このような間違いを犯しやす
 い。


注26.Transcript: Clinton opens youth violcncc summit、 May 10,1999,CNN,以下のサイトで入手可能。
     http://www.cnn.com/ALLPOLTICSICS/stories/1999/05/10/youth.violence.sumnlit/transcript.html.
注27. “Anlerica vs. Japan and Germany,”Jin Dexiang, 3, cited in Pillsbury, China Debates the Future Security, 99.
注28. Eckholm,“China Raises Then Lowers Tone in Anti-U.S.Protcsts at Embassv.” 
注29. だが、中国の外交政策決定にとって、中国の指導者たちがベオグラード爆撃をどう解釈するかを知ることのほうがも
            っと重要だった。ゆえに朱鎔基が、共産党の記録保管所から密かに持ち出した文書をもとに、自らも参加した秘密会
            議の詳細を、Zhu Rongji(1999),Publishcd in Chinese Law and Goverment 35, nos. 1-2(2002)で公表したのは、非常
            に啓発的だった。これらの文書は、中国の政策決定のトップにいる人々が1999年、特にベオグラードの中国大使館
            をアメリカが爆撃した時にどう考えたかを明らかにしている。ニューヨーク・タイムズ紙のある記事が論評するように、
            この文書の出現は情報を西側に漏らすことで党の歴史を書き換え、中国の将来を変えようとするパワフルな集団が
           共産党内部で育ちつつあることを示唆している。Craig S. Smith,“Tcll-AII Book Portrays Split in Lcadcrship of China,”
            New York Times, January 17,2002,以下のサイトで入手可能。
            http://www.nytimcs.corn/2002/01/17/world/tell-all-book-portrays-split-in-lcadcrship-of-china.html.

注30. その組織の当時の名称は Foreign Broadcast lnformation Center だった。Hoffman,Spy Within,54-55 によると、ラリ
            ー・チンは数年間、そこで働いていた,
注31.
BiII Gertz,Enemies; How America's Foes Steal Our Vital Secrete -and How We We Let It Happen(Ncw York: Crown
            Forum, 2006), 52-53.
注32. 次を参照,Glenn P. Hastcdt,“Leung,Katrina(May 1, 1954-),”in Glcnn P. Hastcdt,cd.,Splies, Wiretaps, and Secret
            Opertions:An  Encyclopedia of American Espionage, Volume I(Santa Barbara,CA: ABC-CLIO, 2011). 468-69, Cha-
            rles Feldnlan and Stan Wilson, “AIleged Chinese Double Agent lndicted, ”CNN.com,May 9, 2003,以下のサイトで
            入手可能。http://wlvxv.cnn.conl/2003/LAW/05/08/double.agent.charges/; and  “A Review of the FBI’s Handling and
            ovcrsight of FBI Asset Katrina Leung (Unclassincd Executive Sunlmary).”SpcciaI Rcport. U.S.Departmcnt of Justice,
            Office of the lnspector General, May 2006. 以下のサイトで人手可能。
      http://www:justice.gov/oig/special/s0605/index.htm. 
注33. Gcrtz,Enemies,52-53.

  First Opium War


  第5章 アメリカという巨大な悪魔
 

                                   夢中生有――夢中に有を生ず

                                     『兵法三十六計』第七計

  当時の米当局者は知らなかったことだが、1989年6月4日を境に、中国共産党指導者が国民に描いてみ
 せるアメリカのイメージは大きく変わった。共産党内部に
は常に、西洋から不当な扱いを受けているという根
 深い認識があったが、中国が西洋
諸国と並ぶ超大国に発展するには西洋の力が不可欠だという、毛沢東の計算
 によって
それは和らげられていた(注1)。亡命者が後に明らかにしたところによると、その頃、最高レベル
 の指導者たちは、真の民主主義化さえ検討したそうだ。当時はジェ
ームズ・マディスンの権力分散という考え
 までもが支持されていた。中国から密かに
持ちだされた公文書から2001年までに明らかになったのは、
 小平と長老たちをパ
二ックに陥れるために、タカ派がいかに事実を歪曲して伝えていたかということだ。

  本書の主張が根拠としているのは、近年増える一方の、「中国のタカ派が指導者たちを巧みに操り、アメリ
 カを凌駕すべき危険な覇権国と見なすように導いた」ことを裏づける証拠である。1989年、中国政府は、
 アメリカを危険な覇権国と見なす姿勢を明らかにし、アメリカ政府は悪魔のような存在だと国民に思わせるた
 めの組織的な活動を始めた。党公認のメディアが国内に流している情報は、中国がアメリカの前で装っている
 姿からは想像もつかないものだ。タカ派の主張ははっきりしている。覇権国アメリカは中国政府の転覆を目論
 んでおり、1980年代には実際に転覆を試みた、というものだ。中国タカ派はこの「愛国教育」と反米教育
 を推し進めようとしている。なぜなら、ライバルであるハト派が今なおアメリカに魅了されているからだ。

  実際、毛沢東がニクソンを招待した後の数年問、中国の大衆文化と国営メディアは、アメリカを注目すべき
 輝かしい存在として描いていた。しかし「天安門」の後、タカ派はそれを危険な過ちだったと断じ、政治局の
 指導者に方針転換をさせた。アメリカは異議を申し立てることもできたはずだが、黙っていた。というのも、
 アメリカの諜報機関の分析官と中国専門家は、自分たちが目の当たりにしているのは一時的な局面であり、マ
 ルクスを奉じ、中国が超大国になるという夢にしがみついている極端なタカ派が、恐竜のごとく死に絶えれば、
 そうした局面はたちどころに消えるだろうと楽観していたからだ。

  天安門の虐殺とほぼ同じ時期に、もう一つの地政学的大変動が起きた。タカ派の高官が毛沢東、魏(ソ連)
 に対抗するために呉(アメリカ)と同盟するよう進言して
から20年が過ぎた1991年、ソビエト連邦は崩壊
 した。冷戦におけるアメリカの勝
利(ベルリンの壁の崩壊、東ヨーロッパにおける民主主義国家の誕生、ソ連
 の完全な
解体に象徴される)は、中国政府を揺るがした。それは、天安門事件以来強まっていた、中国指導者
 の反アメリカの妄想をさらに強めた。彼らの目に「天安門事件」は、
戦国時代の言葉を借りれば、アメリカに
 よる「混水摸魚(こんすいぼぎょ)」(敵の内部を混乱させる戦
略)」(『兵法三十六計』)の最初の一打の
 ように見えた。急進的なタカ派に言わせれ
ば、中国共産党はアメリカのせいで崩壊しかけたが、その瀬戸際で、
 改革主義の趙紫
陽やその他のアメリカの「味方」を政府から追放し、辛くも持ちこたえたのだった。

  1980年代に影響力を増してきた親米の改革論者を追放したことは、中国知識階級やアナリストのコミュ
 ニティに空席をつくったが、それは高位にいた親米論者をほ
ぼ.掃しただけでなく、そうした人々の将来の出
 現を抑止することにもなった。こう
して、かつては「超ナショナリスト」として敬遠されていたタカ派の妄言
 が、党の公
の方針になった。
  中国政府はその後、事実上、中国とアメリカの歴史を徹底的に「改ざん]しはじめ。その時代もアメリカ
 は、中国の成長を支えつづけていたが、涅造された歴史で
は、アメリカはそのような表向きの姿とは別に、中
 国人に害を与えつづける悪魔のよ
うな側面を持つ国として描かれた。しかし、中国の指導者は、大衆文化には
 アメリカを攻撃させながら、アメリカの指導者の前では、それについて何も知らないようなそぷりをした。ア
 メリカの官僚や外交官は、中国の指導者から、わたしもよく聞かされたお題目を何度となく聞かされた。そう
 した反米姿勢は、保守強硬派の小さな派閥のものであり、「主流」の共産党指導各層の見方ではない、と。

  現在、中国の若い世代が知るアメリカの物語は、ほとんどのアメリカ人が知るものとはまったく異なる。彼
 らは、アメリカは170年にわたって中国を支配しようとしてきたと信じている。中国は、アメリカの国民的
 英雄であるアブラハム・リンカーン、ウッドロウ・ウィルソン、フランクリン・ルーズベルトを、中国の官僚
 などを操り、中国を弱体化させようとした「邪悪な画策者」と呼ぶ。このねじ曲げられた歴史観は、両国の「
 協力」に対する現在の中国人の見方に影響し、多くの中国人は両国の協力を、中国の正当な世界的地位を破壊
 しようとアメリカが絶えず十字軍を派遣する中での、一時的な局面にすぎないと考えている(注2)。

注1.  ジミー・カーター政権下のNSCにおける中国の専門家で、後にスタンフォード大学の政治科学教授になったマイケル・
         オクセンバーグは、「中国の指導者は通常、外国勢力を信用できないものと見なしている。外国の指導者は中国の台
         頭を歓迎せず、その進歩を遅らせるか、妨害しようとしている、と彼らは考えている。さらに、多くの外国が機会さえあ
         れ ば中国を分割しようとしている、と恐れ、(中略)外国の影響を受けやすい周辺地域・海域に関する戦略マップを常
         に念頭に置いている」と記している。
         Michel Oksenberg,Taiwan, Tibet, and Hong Kong in Sino-American Relations (Stanford,CA: lnstitute for lntemational
         Studies、 1997).56.
注2 米中関係の歴史と進展に関する中国の解釈については、例えば、Qiao Mingshun,The First Page in Chinese-US Rela-
         tion(Beijing:Social Sciences Academic Press. 2000):Shi Yinhong and Lu Lei.“Thc U.S.Attitudc Toward China and China’s
         Entrancc to thc lntcmational Communitv: An Ovcrvicw of 150 Years Historv,” in Tao Wcnzhao and Liang Biyin, eds.,
         The United States and Modern and Contemporary China (Beijing:  CASS Press, 1996)を参照。


中国が170年にわたり侵略を企てているとしたのはアヘン戦争を起点に想定しているのではと考える。さて、人
口13億人を
中国共産党が教育し煽ればどうなるか。マルクス思想を信奉すれどマルクスを逸脱した世界が待って
いると、本書はそのよ
うに警告している。さて、それを確認するために先を急ごう。

                                                                                        この項つづく

   ● 今夜の一曲

『北京の55日』(55 Days at Peking)は、63年に製作・公開された米国映画。清朝末期に義和団の乱が起こり、
首都北京に義和団が押し寄せて、外国人居留区が包囲されて11か国の居留民が籠城して55日間を戦った物語を
描いている。ジェームス・ディーン主演の「理由なき反抗」のニコラス・レイ監督で主演はチャールトン・ヘスト
ン、エヴァ・ガードナー、デヴィッド・ニーヴン。音楽は「真昼の決闘」や「OK牧場の決闘」などを手がけたディ
ミトリ・ティオムキン。また日本から伊丹十三が当時としては珍しく米国の超大作に出演して日本軍将校柴五郎を
演じている。オーケストラの演奏であるテーマを主題歌として“55 DAYS AT PEKING”は、ブラザーズ・フォア
日本で販売されヒットする。

 

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一期一櫻 2016

2016年04月06日 | 日々草々

 

 

       法あるいは宗教あるいは儀礼あるいは風習、習慣というものを、本来的
               な所有よりも、
もっと強固な意味で、 自らのものであるかの如く振舞
               う構造のなかに、 本当の意味
での、日本の大衆の総敗北の構造がある。

                                                                    吉本 隆明 

 

                                         

                                                                                 Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924-16 Mar, 2012  

 

【今夜のソーラー工学Ⅰ:自動電圧調整器】

自動電圧調整器(AVP:Automatic voltage regulation for photovoltaic systems)は、太陽電池で生成された直流電力
で、電圧降下検出器測定で電圧降下を検出する電源システム――直流電圧制御の第一次直流電圧制御装置(インバ
ータ)で、電圧低下を検出した場合に直流電圧を自動制御――で出力電流抑制し発電効率(従来のパワーコンディ
ショナー統合型よりコストはアップ(数%?)するが、大規模ソーラー発電施設の実例では25%以上
:発電量を
最大化(25%趙)する「パワーオプティマイザー」)
を高めることができるというものである。原理的には、ソ
ーラー発電だけでなく、系統別発電装置の統合システムは簡単に(?)構成できるものである。ところが、ひょん
なことから米国特許情報を検索していると、2つの特許が目にとまる。1つは東芝三菱電機産業株式会社の「
US 9
300226 Solar power generation system
」と2つめはサンパワー株式会社の「US 9300224 Automatic voltage regulation for
photovoltaic systems
で公開日は先月の29日と同日で登録番号が2つ後者が先行しているというわけだ(2つの下図参
照)。


US 9300226 Solar power generation system

US 9300224 Automatic voltage regulation for photovoltaic systems

特許請求項目をみているが項目件数では、19対8で前者の方が多いが内容はほとんど同じ。そこで、前者の日本
国内特許を検索するが、「特開2016-032353 自動電圧調整器」が該当するが(下図参照)、太陽光発電という利用
分野の規定がなされていないが、機能・構成特許では類似している。つまり、前者が適用事業分野を指定し被せ公
開されたものと推測――言い換えれば、出願側が自己優位性の確信的動機(防衛行為)があり申請されたともとれ
るが、熾烈な情報戦争の一例である。


特開2016-032353 自動電圧調整器



 【中国の思想: 戦国策Ⅱ】  

  ● 目 次

   解題

   
   
   
   
   
   
   
   西周・東周・宋・衛・中山 

  

  西周・東周・宋・衛・中山

 戦国乱世の時代にあっては弱小国の立場ほど苦しいものはない。生きのびるためには、強大国以上に権謀術数
 をめぐら
さなければならないし、手のこんだ外交的テクニックも弄さなければならぬ。東周・西湖・宋・衛・
 中山の六カ国はいずれも"戦国七雄"
の間にはさまれた弱小国である。「戦国策」に記載されているこれらの国
 々にまつわるエピソードは、弱小国の苦しさと
生きのびんがための必死の"あがき"を浮きぼりにしているもの
 が少なくない。


 「名加わるところありて実帰するところあり」
 「それ人はおのれに剪うるに於いては急に過ぎ、人に事うる
 に於いては緩に過ぐ」
 「与は衆少を期せず、それ厄に当たるに於いてし、怨は深浅
 を期せず、それ心を傷うに於いてす」

  ● 怨は深浅を期せず

 中山君が国中の名士を招いて一席設けた。その席に、司馬子期(しばしき)という者がつらなっていたが、
 またま羊のスープが足り  なくなって、かれのところまで回ってこなかった。これを根にもった司馬子期
 りにまか
せて楚に逃亡し、楚王をけしかけて中山を攻撃させた。中山君は、国外へ脱出をはかった。と戈(ほ
 こ)を手にした男が二人、後を追ってくるではないか。中山君は振り返って、

 「何者だ」

 「先年、君から一壺の食物を与えられて飢死を免れた者がおりました。わたしどもはその者のせがれ
 『中山に事あるときは、死をもってこの思に報いよ』

 と言い遺して果てました。今こそ恩に報いるときと思い、かくはせ参じたしだい」

 中山君は思わず歎息した。

 「わずかな施しでも、相手が困っているときにすれば効果はてきめん。ささいな怨みでも、相手の心を傷つけ
 れば、手ひどい報いを受ける。わたしは一杯のスープで国を失い、一壺の食物で勇士二人を
得た」

以上をもって『戦国策』はひと先におわるが、マイケル・ピルズベリー著『China 2049』の考察はつづく。
中国二千数百年に脈々と綴れてきた思想、現代中国の政治背景をこの一巻に求めるわけもいかないだろうが、ピル
ズベリーの力を借りなんとか理解を深耕できるだろうと楽観しつつ?『China 2049』を読み通した後も、
この『中国の思想』のほぼ全巻読み飛ばしていこうと考える。なお、『戦国策』の詳細を知りたい方は上図2をク
リックし参考されたし。各々のビジネスや人
生シーンで窮地に陥ったときの打開の一助になる言葉に出会あえるか
もしれない。
次回は、『管氏』を紐解く予定だが、いつからはじめるかはわからない。

                                              この項了

 



● 一期一櫻 2016

桜満開の好日、早速、弁当とお酒・ビールを持つて城内におきまりのドーンで頂く。馬屋の改修工事が完了していたので参観
し、散策し彼女の運転で帰ってくる。デジカメが生憎の不調でピンぼけばかりで、二枚だけアップ。お陰で男前が台無し???
お酒が回り頭が痛い中打ち込みしているので、今夜はこの辺で。

 フルート&ピアノ演奏

  arrange cove by HINA

                                                                         

 

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ルックスも全て

2016年04月04日 | 時事書評

 

 

   日本人の中からサドとかバタイユのような、そういう作家を求めようとしても難しい。
      みんな何かにすり替わっている。   
       


                                         吉本 隆明


                                     

                                                 Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924-16 Mar, 2012 

 

● ルックスが全てじゃない、遺伝子の宝くじに当たっただけ!

毎年大規模な世界的講演会を主催している非営利団体TEDの公開ビデオの驚異的なアクセス数を記録するキャメ
ロン・ラッセル――87年6月14日米国ボストンに生まれ、16歳のときスカウトされ、モデルとなる。身長1
メートル75センチ、黒めのブロンズの髪の毛、茶色の瞳、趣味はチョロ演とカンフー――は、彼女自身が「遺伝
子の宝くじ」に当たったと認めている。彼女は長身で美しいファッションモデル。下着モデルとしても有名だが、
外見だけで判断してはいけないと、彼女はこの勇気ある誠実なトークで、自身を育てたモデル業界の実情をセルフ・
デリジョンにシニカルに暴き、「ルックスが全てじゃない、遺伝子の宝くじに当たっただけ!」と語り注目を浴び
る。たしかに、生命を授かる確率が2百数十兆分の1といわれるなかのでのことと考えれば彼女の言い分通りだが、
数億分の1の頂点に立つ現実はいかんし難く、「ルックスも全て!」と 見惚れている男がいることも事実。しかし
ながら、高価なプレデンターション料を支払っても出演する裏には、ヒラリークリントンに見倣い女性大統領を目
指すつもりか、あるいは、新しい企業家を目指すのかそれはわからなが、それはさておき、米国はTEDのように
プレゼンテーション事業のプラットフォームを開発する国柄であると感心するビデオである。

 

 

 


 【中国の思想: 戦国策Ⅱ】
 

  ● 目 次

   解題

   
   
   
   
   
   
   
   西周・東周・宋・衛・中山 

  

  中原の、しかも中心にありながら、そのためにかえって強くなれなかった国、それが韓だ。強国に囲まれて外
  交に腐心
し、この国出身の韓非子に「外交にぽかり気をとられて内政の充実を忘れるとは!」と叫ぱしめたゆ
 えんである。
韓は、現在の河南省中部から山西省にかけて位流し、都を鄭においた。魏・趙とともに晋を三分
 して独立し、前四〇三
年、諸侯として認められる。七雄の中では、国土も狭く国力もふるわなかった。地理的
 に、まともに秦の圧力を受けたの
で、滅ぼされたのも六ヵ国の中では一番早い(前二三〇年)。

 「それ尽くるあるの地をもってして、已むなきの求めを逆(むか)うるは、これいわゆる怨(うらみ)を市(
 う)りて禍を買うなり」
 「むしろ鶏口となるとも、牛後となるなかれ」
 「禍を造(な)して福を求むるは、計戊くして怨深し」
 「唇掲(つ)くればその歯寒し」

 

   

 戦国時代の刺客には、後世の"暗殺者""殺し屋"のくらいかげはない。あるものは。"意気"に感じ、"義"を行な
 う悲壮
感である。有名な刺客・荊軻の故事をうんだ燕は、戦国七強のうち、最も北にあった。北方の勇猛な未
 開民族と南の強国
にはさまれ、よく八百年にわたって存在をつづけたが、そのフィナーレは悲壮であった。

 「臣の不信は、これ足下の福(さいわに)なり」
 「指を詘(く)してこれに事え、北面して学を受けば、己れに百する者至り、先だち趨(はし)りて後れて息
 (いこ) い、まず問うて後に嘿(もく)せば、
己れに什する者至り、……恣睢(しすい)奮撃し、呴籍叱咄
 (くせきしつとつ)せば、徒隷の人至らん。これ……士を致すの法なり」
 「死馬すらかつこれを五百金に買う。いわんや生馬をや」
 「王、まことに士を致さんと欲せば、まず閥より始めよ」
 「風は蕭々として易水寒し、壮士ひとたび去りてまた還らず」

  ● 先ず隗より始めよ

 前四世紀末、燕は内乱がおこり、これに乗じた斉の侵略を受けて壊滅状態となった。そのさなかに即位した昭
 王は……。

 
 燕は敗戦で荒廃していた。そのとき、王位についたのが昭王である。

 昭王は、敗戦の恥をすすぐため、礼をつくし、禄を厚くして、人材を招こうとした。
 そこでまず郭隗先生に相談した。
 
 「わが国は、内乱に乗じられて斉に破れた。この恥をすすぎたいが、小国の悲しさ、力不足はいかんともしが
 たい。この
際、人材を招き、その協力を得て先代の恥をすすぎたいが、ついては、先生の考えを、お聞かせ願
 いたい」

 郭隗先生は答えた。

 「帝王はよき師をもっております。また王者はよき友を、覇者はよき臣をもっているもの。しかるに燕国を滅
 ぼす王は、つまらぬ臣をかかえているものです。人材を招きたいとおっしゃるが、それにはいくつかの方法が
 あります。
 礼をつくして相手に仕え、謹しんで教えを受ける。これならば、自分よりも百倍すぐれた人材が参ります。
 相手に敬意を表し、その意見にじっと耳を頓ける。これならば、自分よりも十倍すぐれた人材が集まります。
 相手と対等にふるまう。これでは自分と似たり寄ったりの人間しか集まりません。
 床几(しょうぎ)にもたれ、杖をにぎって横目で指図する。これでは小役人しか集まりません。
 頭ごなしにどなりつけ叱りとばす。これではもはや下僕しか集まりません。
 これが人材招致の常識です。
 いま、広く国内の人材を選んで教えを受ける。この贈が広まれば、天下の人材は、われもわれもと集まって来
 ます」
 「では、誰に教えを受けたらよかろう」
 「こんな話を間いたことがあります。むかし、ある王が、千金を投じて千里の馬(一日に千里も走る名馬)を
 さがし求めました。三年かかっても手に入れることができません。そのとき、『わたしがさがして参ります』
 とお付きの者が申し出ました。王はこの男にまかせました。それから三月、男は、千里の馬の居所を聞き出し
 たが、いざ行ってみると、馬はすでに死んでいたのです。男は馬の骨を五百金で買い取り、帰って王に報告し
 ました。王は立腹し、『欲しいのは生きている馬だ。死んだ馬に五百金も出す馬鹿があるか』男は答えました。
 『死んだ馬さえ五百金で買ったのです。生きた馬ならもっといい値で買ってくれる、ときっと評判になります。
 馬はすぐにも集まって参ります』
 はたして一年もたたぬうちに、千里の馬が三頭も集まってきたということです。
 あなたも本気で人材を招こうとなさるなら、まずわたし、この傀からお始めください。わたしのような者でも
 大切にされるとなれば、わたしよりすぐれた人物はなおさらのこと、千里の道も遠しとせずにやって参りまし
 ょう」

 そこで昭王は、邸宅を築いて郭隗に与え、師と敬って教えを受けることにした。すると魏の国からは楽毅が、
 斉の国からは都府が、趙の国からは劇辛がはせ参じ、人材はぞくぞくと燕に集まった。昭王は、戦死者をいた
 み、生存者の安否を気づかい、喜びも悲しみも人民と共にした。こうして二十八年、国力は充実し、休養十分
 な兵卒は戦いを恐れなくなった。

 時は来た。燕は楽毅を総大将にし、秦、楚、三晋の諸国と語らって斉に攻め入った。斉は破れ、閔(びん)王
 は国外に逃亡した。
 燕の軍は単独で、敗走する敵を追撃、斉の都臨溜に入城するや、斉の宝物をことごとく奪い、宮殿、宗廟を焼
 き払った。斉の城で降らなかったのは、苢(きよ)と即墨(そくぼく)だけだった。

      〈昭王〉 燕の三十九代目の君主。内乱と隣国背の侵略で疲弊しきった燕の王位を継ぎ、みごとに

       国力を回復した。すなわち、在位三十二年(前三一一~前二七九年)のうち、二十八年間はもっ
       ぱら内政の充実につとめ、前二八四年に至って韓・魏・秦・趙と同盟を結び、名将楽毅を起用し
       て宿敵背を討ち、一時は首都まで陥落させた。
      〈郭隗〉 昭王の師傅(しふ)。
      〈楽毅〉 燕の名将。もと趙の武将だったが、燕の昭王があつく人を遇することを聞いて来たり仕
       え、前ニ八四年、総司令官として背を討ち、全土を席巻した。しかし、この章の末尾にあるよう
       に、菖と即墨の二城(ともに現在の山東省)は陥落せず、包囲戦は三年に及んだ。その間、楽毅
       をねたんだ燕の太子が父の昭王に「楽毅は敵に恩を売り背王になろうとしている」と中傷したが、
       王はかえって太子を笞で打ち、楽毅を占領地の王に任じようとした(韓非子流の見方をすれば、
       王は楽毅の本心を試したことになろう)。もちろん楽毅は受けず、王の信頼は増した。が、前二
       七九年、昭王が没すると、楽毅に不運が訪れた。かれに反感をもつ太子が王位をついだのである
      (恵里という)。恵王は、敵国斉の田単が流したデマに乗せられて楽毅を罷免した。いらい燕の遠
       征軍は振るわず、ついに全戦線で後退し、斉に失地回復を許した。恵王は再び楽毅を登用しよう
       としたが、かれは受けず、生国の趙でぬいた。
       相手は自己の投影 人材を得る基本は、人間の幅射作用にあるという発想は、きわめて合理的だ。
       こちらに熱がなければ、相手も熱せられないはずである。その意味では、相手は自己の投影であ
       る。
       「死馬を買う」「まず傀より始めよ」という故事成句はこの章から出ている。死んだ馬を買う―
       ――人材を得るにも捨て石が要る、という文宇どおりの意味だけでなく、「無用の用」「ジグザ
       グのコース」を示すゆとりの知恵をもくみとることができよう。

       ※ 余りにも有名エピソードは、現代ビジネスもそれは生かされているが、その逆もある。それ
         が「シャープの凋落劇」でもある。ビジネスの栄枯盛衰も、結局は、そのコアにあるのは人
         材の
"情熱"(=アクショでありパッション)の塊の総合力である。インセンティブ、モチベ
         ーション、報酬、教育、企業内外福祉、そして、ゴールと計画、人・もの・金・技術などの
         再配分への腐心・・・・など全て収斂させ行動する。やつぱり一番は報酬? ^^;。

 

 

 

 

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帝國のロングマーチⅣ

2016年04月02日 | 世界歴史回廊

 

 

           ぼくはきみたちの標本箱のなかで死ぬわけにはいかない。     


                                   吉本 隆明『その秋のために』


                                     

                                                 Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924-16 Mar, 2012 

 

 

 

● ロ-リングストーズ・イン・キューバー

 



The Rolling Stones are coming to Cuba!

 

さすが、ヘミングウェイが愛したキューバ。何でも気楽に受け入れる国柄。キューバ危機はいまや隔世の感。劇的に変わっ
ていくのだろうか?所得格差や環境破壊や犯罪がだけがガン細胞のごとく浸潤していく社会になっいくのか?そんな心配
事はさておき50万人の観客が熱狂する。 


 【中国の思想: 戦国策Ⅱ】
 

  ● 目 次

   解題

   
   
   
   
   
   韓
   燕
   西周・東周・宋・衛・中山 

 

   魏

 中原にあって"天下の枢(くるる)"と称された魏は、戦国初期、他国に先がけて国内の改革に着手した結果、当
 時最強の国にの
しあがった。最初、安邑に都したが、前三六一年、大梁に遷都してからは、"梁"とも呼ばれる
 ようになった。
中原は文化も開けていたが、反面、戦乱に巻き込まれる回数も少なくなかった。魏はそれで急
 速に国力を消耗する。と
くに決定的な損害を受けたのは、斉に大敗した「馬陸の戦い」(前三四一年)である。
 その翌年には、商君の率いた秦の軍
にも敗れ、時代の指導権を秦、斉にあけわたした。

 「悖(もと)れる者の患(うれ)いは、まことに悖らざる者をもって悖れりとなすにあり」
 「王の動いよいよ数(しばしば)せば、王を離るることいよいよ遠からのみ。楚に至らんとして北行するがご
 とし」
 「天子の怒りは、伏屍百万、流血千里なり」


  ● 無茶な話

 魏の公叔痤(こうしゅくざ)病む。恵王往きてこれに問いて曰く、「公叔、病もし諱むべからずんば、まさに
 社稜をいかんせんとする」。公叔痤対(こた)えて
曰く、「痤に御庶子(ごきょし)・公孫鞅(こうそんおう)
 あり。願わくは王、国事をもってこ
れに聴け。もし聴くこと能わずんば、境を出でしむるなかれ」。王応えず、
 出でて左右に謂いて曰く、「あに悲しからずや。公叔の賢
をもってして、寡人に、必ず国事をもって鞅に聴け
 と謂う。悖
らずや」。公叔痤死す。公孫鞅これを聞きて出奔し、西して秦にとく。孝公受けてこれを用う。秦
 果して日にもって強く、魏、日にも
って削らる。これ公叙の悖れるにあらず、恵王の悖れるなり。悖れる者の
 思いは、まことに悖らざる者をもって悖れりとなすにあり。

  大秦帝国


 〈公叔座〉 魏の功臣で、宰相の地位にあった。公孫骸の才能を見込み、いずれ恵王に推薦するつもりで自分
 の手元に引き留めておいたのである。このころが魏の全盛時代で、これ以後魏の勢力は下降線をたどって行く。


 〈公孫鞅〉 のちの商君。衛の国王の一族、衛鞍ともいう。かれが魏を出奔したことによって、かれ自身の運
 命だけでなく、その後の歴史を大きく変えた。すなわちかれはこのあと秦に行って孝公に仕えるが、そのとき
 行なった改革は"商君の変法"といわれ、法治主義の立場に立って、強力な中央集権国家をつくりあげたもので、
 後年、秦が富強をなす礎石となった。しかし、あまりにも厳しく法を執行したので、人々の恨みをかい、次の
 恵王の代に、謨言にあって車裂きの刑に処せられる。前三三八年のことである。

 

 


● 折々の読書  『China 2049』22 


                                  秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」     


                                                    マイケル・ピルズベリー 著
                                                    野中香方子 訳     

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケル・ピルズベリーが
自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづ
けてきたと認めたうえで、中国の知られざる秘密戦略「100年マラ
ソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌を描いたもの。日本に関する言及も随所にあり、これから
の数十年先の
世界情勢、日中関係そして、ビジネスや日常生活を見通すうえで、
職種や年齢を問わず興味をそそる内容となって
いる。 


【目次】

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔
 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
     森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣)   

 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン

                 趁火打却(ちんかだこう)――火に趁(つけこ)んで却(押し込み)を打(はたら)く

                                                                     『兵法三十六計』第五計
 

  ニクソンが1972年に対中交渉を始めて以来、アメリカは、中国に対する立ち位置を変え、それほど薔薇
 色でもない光の中で中国のリーダーシップを見つめ直す機会を得た。しかし、アメリカ政府はその機会を生か
 そうとせず、安定した米中関係をできるだけ早く取り戻そうとした。学生たちが虐殺され、リベラルな改革派
 が排除され、穏健派のトップが失脚した後でさえ、ブッシュ大統領は以前からの誤解にしがみついた。自宅軟
 禁に置かれているかつての改革派指導者、趙紫陽や、趙に先立つ機知に富む指導者、胡耀邦を讃えようとする
 人は、アメリカ政府にはいなかった。両者がそれぞれ亡くなった時も、アメリカ政府はその悲運を嘆こうとは
 しなかった。彼らこそ真の改革者だったのでは、と推測する人はいなかった。そもそも、彼らがトップにいた
 時に進めようとした改革の内容を誰も知らなかった。その情報は後に、かつて胡と趙のもとで政治の民乳化に
 取り組んだ亡命者によってもたらされた。

  当時のわたしは相変わらず、小平と江沢民は真の改革者だと思っていた。だがまもなく、偽の改革者を支
 援し、真の改革者を事実上見捨てたことは、アメリカにとって取り返しのつかない過ちだったことを悟った。
  報告を完全なものにするため、わたしはパリに派遣された,逮捕を逃れ、フランス政府に保護されている多
 数の党幹部に会って話を聞くためだった。彼らは天安門事件の後に国外に亡命し、反体制組織を築いて、「
 主中国陣線」と命名した。民主中国陣線は、10カ条の綱領を採用し、亡命政府として西側諸国に受け入れら
 れることを夢見て指導者を選出した。しかし、ブッシュ大統領は、その組織も、10カ条も、その指導者の厳
 家其も無視した。厳は回想録の中で、政治改革を求める苦闘や、アメリカ式のシステムを採用しようとする努
 力について、詳しく述べている(注17)。嚴は趙紫陽直属の部下であり、彼の記述は別の亡命者で、胡耀邦直
 属の部下だったk銘の回想録の内容と一致する(注18)。だが、彼らの声はあまりに小さく、また、アメリカ
 に届くのがあまりに遅かった。結局のところ、鄭小平はフォード、カーター、プッシュ大統領をもてなし、タ
 イム誌の表紙を二度飾った。ミズ・グリーンによると、が選んだ後任者は、エルビス・プレスリーの歌まで
 歌うという。

 「民主主義の力は、天安門広場での不幸な出来事を乗り越えると確信する」と、ブッシュ大統領は語り(注18)
 さらには国防総省に中国への魚雷、レーダー、その他、契約済みの軍需品の出荷を命じた。ニクソンの中国政
 策と深く関わっていたため、ブッシュには中国を新たな光の中で見ることができなかった,その立ち位置をア
 メリカのピジネスリーダーはよしとした。彼らは、いずれ世界最大の市場になるはずの中国とのつながりを深
 め、ピジネスの機会を拡大することを熱望していたからだ。

  中国の「擁護者]というブッシュのスタンスを、後任のビル・クリントンは痛烈に非難した。1992年の
 大統領選でクリントンは、就任した暁には、中国に対し、ブッシュより厳格な姿勢をとると約束した。そして、
 ブッシュに勝って大統領になると、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン以来、どの大統領より強硬な対中
 路線を敷いた。
  クリントンは、中国を訪れたことがなく、アーカンソー州知事時代に、四度、台湾を訪れている。大統領選
 のさなかには、「ブッシュ大統領は北京の肉屋を甘やかしている」と攻撃した(注20
)。クリントンが大統領
 に就任するとすぐ、国務長官のウォーレン・クリストファーは、上院外交関係委員会でこう宣言した。
 「わたしたちの政策は、経済力の強化と政治の自由化を後押しして、中国における共産主義から民主主義への
  広範で平和的な移行を手助けすることだ」
  このような取り組みに、前大使、ウィンストン・ロードも加わったが、彼は大安門の大虐殺と、中国のリー
 ダーシップについての長きにわたる自らの読み違いに大いに衝撃を受けており、アメリカにおける最も容赦な
 い中国批判者のひとりになった。当時、国務次官哺(東アジア・太平洋担当)だったロードは、中国に厳しい
 条件(人権擁護と民主的選挙の面で進歩が見られなければ、貿易上の特別待遇はなくなる)を突きつけること
 を、上院外交関係委員会に約束した。1993年、下院のナンシー・ペロシと上院のジョージ・ミッチェルの
 ふたりの民主党員の尽力により、中国に対する一連の条件が定められた(注21)。1980年代に見られた、
 中国の改革に対する楽観的期待は消滅したように思われた。

  1993年5月28日、クリントン大統領はホワイトハウスにダライ・ラマの代理人と、天安門広場で抵抗
 した学生のリーダーを含む40名の反体制派中国人を招待し、クリントン政権の中国に対する厳しい姿勢はピ
 ークに達した。中国政府はこれを、中国繁栄に必要な米中関係のすべてを脅かす、前例のない批判と見なした。
 そこで彼らは仕事に取りかかった。

  中国の情報源との接触を維持していたミスター・ホワイトによると、中国の諜報局はクリントン政権内部に
 中国の扱いを巡る対立があることに気づいていたので、アメリカ政府内に強力な親中派グループを築く戦略
 立てた。そして、中国に対して好意的な国家安全保障担当補佐官のトニー・レイクと、副補佐官のサンディー
 バーガーに目をつけた,また、当時、国家経済会議議長だったロバート・ルービンを、グローバリゼーション
 と自由経済を擁護するその立場ゆえに味方と見なし、経済諮問委員会議長のローラ・タイソン国際問題担当の
 財務次官でハーバード大学の経済学者、ローレンス・サマーズもその同調者だと判断した。

  中国はあらゆる手を使って、これらの人々を中国寄りの財界人と接触させた,合わせて、影響力あるアメリ
 カの財界人に、商取引をちらつかせた。クリントンの選挙戦を経済的に支援した有力者たちは、クリントンに
 直訴して、中国にボーイング航空機を売り込むのを邪魔したり、アメリカの商業衛星を中国のロケットで打ち
 上げる計画(アメリカにとって数百万ドルの節約になると見込まれた)を妨げたりしないことを求めた。有権
 者の経済的利益を守るという名目のもと、アメリカ連邦議会では、中国に味方する議員が増えていった。

  そしてついに1993年末、中国が現在、「クリントン・クーデター」と呼ぶものが起きた。中国に同調す
 る面々が大統領に、反中姿勢の緩和を認めさせたのだ。クリントンがかつて約束したダライこフマとの新たな
  会談は実現しなかった。対中制裁は緩和され、後に解除された。クリントン政権内の親中派の多くは、先見性
 のある政治的手腕と、中国の意思決定者たちとの接近により、中国政府に「中国の友人」と呼ばれるまでにな
 った。その間、中国では静かに、反体制派に対する厳しい弾圧が進んでいた(注22)。


  すべてが元通りになった、あるいはそのように見えた,再び、アメリカは中国を同盟国らしきものと見なす
 ようになった。アメリカ側は、大安門の弾圧は不幸な、そして一時的な後退にすぎないと解釈した。必要なの
 は、あとしばらくの辛抱だ、と。しかし中国側の反応はまったく違っていた。彼らは、いにしえより覇権国が
 挑戦者をどう扱うかを熟知していた。

  United States bombing of the Chinese embassy in Belgrade,  May 7, 1999

  クリントン政権の2期目の終わりに近い1997年5月7日金曜日、アメリカはNATO同盟国を率いて、
 セルビアとその代理国に軍事攻撃をしかけた。2機のB2爆撃機がミズーリ州ノブ・ノスターのホワイトマン
 空軍基地を離陸し、セルビアの首都、ベオグラードに向かった。パイロットは、「ベオグラードー番倉庫」と
 (表示?)されたものにJDAM(衛星誘導爆弾)を5発、投下した。標的のデータを提供したのはCIAで、
  データは二度検証されていた。しかし、その情報は残念ながら、そして悲劇的に、誤っていた。爆弾は深夜、
 ベオグラードの中国大使館の南側に命中し、3名の大使館員が亡くなった。

  この誤爆が起きたのは、わたしがミスター・ホワイトと出会ってから10年ほどたった頃だった。彼はミズ・
 グリーンほど信頼性は高くなかったが、愉快な人なので、わたしは好ましく思うようになり折に触れて会って
 いた。中国大使館が爆撃を受けた夜、クリントン大統領の謝罪に中国がどう反応するか、見通しを尋ねるため
 にミスター・ホワイトに接触した。
  ベオグラードでの誤爆は、言うまでもなく悲劇的な事故だった。わたしには、それが中国政府からある補の
 反応を引き出すことはわかっていた。だが、その大きさまでは予測できなかった,アメリカ側の情報アナジス
 トの大半もそれを予測できず、中国の意図について別の筋から警告を受けたが、無視した。

  ミスター・ホワイトは即座に、その誤爆は、かつて彼が語っていた新たな超ナショナリズムを実行するため
 の絶好の機会を中国政府に提供した、と言った。「反米の暴動が起こり、何日も続くでしょう」と彼は予測し
 た。
  暴動? まさか。事故だったことが、これほど明らかなのに? すでに、アメリカ高官は謝罪していた。
  しかし、ホワイトの確信は揺るがず、それには十分な理由があった。かねてより彼は中国政府内部で反米勢
 力が力をつけつつあることを知っており、わたしたちにそれを警告していた。その頃、駐中国大使のジェーム
 ズ・サッサーは、自分が包囲されていることに気づいた。

  ミスター・ホワイトは、中国は誤爆を事故と見なさず、覇権国による「鼎の軽重を問う」行為として見ると
  読んでいた。「中国側はこれをアメリカによる警告、中国の決意を問う行為と見るでしょう」と彼は語った。
  暴動が始まったときサッサー大使は、ミスター・ホワイトの予測、つまり中国のタカ派と戦国時代から続く
 考え方を軽視してはならないという信念に基づく予測について、何も知らなかった。またサッサーは、3マイ
 ル西にある共産党中央政治局の秘密会議室で何が起きているかも、まったく把握していなかった。そこでは、
 アメリカによる大使館の「攻撃]は、抗しがたい「開の声」であると結諭づけられた。爆撃から数時間のうち
 に、何百人もの中国の市民が、アメリカ大使館の門前に集結し、その多くが石や卵、トマトを投げ込み、アメ
 リカとNATOへの「復讐」を叫んだ。

  その土曜の午後、サッサーは執務室にいた。まもなく彼は、大使館から安全に脱出できないことを悟った。
 数日間で外の抗議者は数万人に増え、中国で最も高位にあるアメリカ人は事実上、中国大衆の囚人となり、着
 替えもシャワーもできなかった。執務室に閉じ込められたまま、フリーズドライの軍用食を食べ、毛布もなし
 に床で寝た。
  翌5月9日、日曜の夜、デモ隊が大使館の割れた窓から火炎瓶を2本、投げ込んだ。燃え上がった火は、海
 兵隊保安警備隊(各国の米大使館の警備にあたる部隊)が消火器で消した。さほど遠くない部屋には、コンク
 リートの塊が投げ入れられたが、そこは大使の妻と息子が逃げ込んでいた居間だった。大使は、中国高官と電
 話で話せないことに困惑していた。サッサーがニューヨーク・タイムズ紙に語ったように、「大使館の前で何
 が起きているのかを、彼らが知っているかどうかもわからなかった(注23).

   大使の主張、少なくとも希望に反して、中国の指導者たちは何が起きているかを正確に知っていた。中国で
 抵抗運動が自発的に起きることは稀であり、10年前に起きた天安門広場での示威行動が、国の指導者たちを
 怖がらせたのもそのためだ。大使館前の抗議行動を衷で操っていたのは中国情報部だった。その証拠に、多数
 の僧侶、チベットの僧侶、道学者、カトリック、プロテスタント、イスラム教の指導者といった政府公認の主
 要な宗教の代表もやってきて、デモ行進を始めた。

  5月10日月曜は終日、警官が行進の参加者をアメリカ大使館の25フィート内に誘導した。多くの人が「
 打倒、アメリカ帝国主義」と叫び、中国の国歌を歌った。若い男たちがヘルメットをかぶった民兵越しに大使
 館の中ヘコンクリート片を投げ入れた(注24)。ある時点で、大使館貝は、抗議者たちが突入するのを恐れて、
 重要書類をシュレッダーにかけはじめた。ついにその日の午後、中国外相の唐家蔵は、当惑するアメリカ大使
 に電話をかけた。唐は「アメリカ率いるNATO」に四つの要求を突きつけた。それには誤爆に対する「公式
 の謝罪」も含まれていた(注25)。
 

                                                                                 この項つづく

注18.Ruan Ming、with Nancv Liu. Peter Rand. and Lawrence R,Sullivan,eds.,Deing  Xiaoping: Chronicle  of an Empire
           (Boulder,CO: Westview Press, 1994),140,50.
注19."Thc Prcsidcnt's N(nvsConfercnce," June 5、 1989,Thc Georgc Bush PresidentiaI Library, 以下のサイトで人手可能。
           http://bushlibrary.tamu.edu/research/public_papers.php?id=494&ycar&month.
注20.Mann, About Face, 262.
注21.例えば次を参照。Constantine Menges,China: The Gathering Threat (Nashville,TN: Nclson Currcnt, 2005),124-25.
注22.Tylcr,Great Wall, 381-416.
注23.Elisabeth Rosenthal, “Envoy Says Stoning Will End. Ties Won’t, "New York Time, May 11, 1999, 以下のサイトで入
    手可能。http://partners,nytimes.com/library/world/euroPe/05H99kosovo-china-sasscr.html.
注24. Erik Eckholm ”China Raises Then Lowers Tone in Anti-U.S. Protests at Embassy,¨New York Times,May 11. 1999,
            以下のサイトで入手可能。 http://www.nytimes.com/1999/05/11/world/crisis-balkans,china-china-raises,then-lowers-
            tone-anti,us-protests'embassy.html
.
注25.同上。

 



終結合唱「われらは涙流してひざまずき:Wir setzen uns mit Tränen nieder

昨日、安土駅に所用で車を走らせる。カーステの選曲は自動選曲で、何が出てくるかわからないが、偶然に、バッ
ハの『マタイ受難曲』が流れる。"心の中の乾き"に津波のごとく流れ込み聞き入る(運転のの不注意にならぬよう
にBGM感覚で)。

マタイ受難曲 (Matthäus-Passion) とは、新約聖書「マタイによる福音書」の26、27章のキリストの受難を題材にし
た受難曲。バッハのマタイ受難曲 (Matthäus-Passion) は新約聖書「マタイによる福音書」の26、27章のキリストの
受難を題材にし、聖句、伴奏付きレチタティーヴォ、アリア、コラールによって構成された音楽作品。正式なタイ
トルは「福音史家聖マタイによる我らの主イェス・キリストの受難 Passion unseres herrn Jesu Christi nach dem Evan-
gelisten Matthäus
」となる。バッハが作曲したとされる受難曲は、マタイ受難曲(2作あったとされるが、2作目は
合唱が2組に分けて配置される)のほか、ヨハネ受難曲、ルカ受難曲、マルコ受難曲の4つあり、ルカ受難曲は真
作と見なされておらず、マルコ受難曲は台本のみが現存し、他は消失している。



ヨハネ受難曲(Johannes-Passion)は、新約聖書「ヨハネによる福音書」の18-19章のイエスの受難を題材にした受
難曲。多くの音楽家が作曲してきた。このうち最も有名なものはバッハ作品(BWV245)である。この二曲とも合唱
迫力に圧倒されてしまう。飽きるまでオペラや賛美歌など聴きいることに。
 

著作権法が改定あるいは強化され、ユーチューブも何となく疎遠な感じになっている。以前なら、作業の合間気分
転換に鑑
賞できた楽曲類も素人がカバーする曲しか聴けなくなるわびしくなる。車のBGM用に本格的に聴くなら、
ダウンロードするか
レンタルCDで簡単に聴けたのだが、これから、そうも行かなくなるのだろうか?不安だ。、

著作権が彼の創作した著作物に関して有する枠利には次の2種煩のものがある。 その1は、複製権,上演権,翻
訳権など著作
者が著作物に対しもつ財産的利益を保護する権利――総称して著作財産権という。その2は、公表権,
氏名表示権,同一性保持権など制乍者がノ著作物に対して有する人格的利益を保護する権利――総称して著作人格権
または著作人格権という。この2種の権利相互の関係およびこれらの権利と著作権との関係いかんをめぐり、3つ
の見解が対立しているという。

  1. 著作権を財産権と解し,著作財産権として総括される各種の権利はこの著作権から派生するものととらえる
    見解。この説によれば,制乍者人格権は著作権の概念には包含されず、これとは全く別個の権利ということ
    になる(a)。
  2. 著作者人格権を著作権の概念の中に含めはするが,その中で著作財産権と対立・併存するものと解する見解。
    この説によれば,著作権は著作財産権と著作者人格権という性質の相容れない2種の権利の複合権となる(b)。
  3. 著作者人格権を著作権概念の中に含める点では第2説と共通であるが,著作財産権と著作者人格権とは相互
    に密接な関係にあり、分離することは不可能であるとする見解である。この説によれば、著作権とは著作財
    産権と著作者人格権権とが渾然一体となった単一の権利であるということになる(c)。

これらの3つの説は、a、bは二元的構成論、cは一弦的構成論として整理できるが本来的に一致できず、著作権
概念の統一的把握がいかに困難であるかを如実に物語っている
と、『著作権概説』の著者は指摘しているが、粘り
強く合意形成しなければならない?ということらしいしい。

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オールバイオマス時代

2016年04月02日 | 開発企画

 

 

        左翼とは何かを探しつつあるものだけが左翼なのだ。         吉本 隆明


                                     

                                                 Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924-16 Mar, 2012 




● エイプリルフールにM6.1の長周期地震動

昼前、三重県沖を震源とする地震があった。それも忘れもしない、5年前の東日本大震災当時の長周期地震動
のように大きな横ゆれが続く。たまたまNHKの衛星放送を見ていたときで、緊急地震警報が発令し、しばら
くすると彼女から詳細を問い合わす携帯が入る。和歌山沖の陣だよと返事する。震度4の揺れを観測。正確に
言うと、午前11時39分ごろ、三重県南東沖を震源とするマグニチュード6.1の地震。 今回の地震は陸側
のプレートに海側のプレートが沈み込んでいるプレート境界で起きたもので、
12年前の9月にも大きな地震
が起きている。震源は72年前に発生した昭和の東南海地震の震源域よりはやや南側で、南海トラフで想定さ
れる巨大地震と直接関係するかは分からない。先回はマグニチュード6から7前後の比較的規模の大きな地震
が相次いで発生しているので、しばらくは強い揺れを伴う地震が起きるおそれもあるとのことだ。 



念のため、JESEAの3月30日付のメルマガ予測を確認すると、レベル3の震度5以上の地震の起きる可
能性が高い――南海・東南海地方東北・関東の太平洋岸、奥羽山脈周辺北海道北部周辺釧路・根室・えりも周
鳥取県・島根県周辺――とある。まぁ~多角的な検討が必要だが、備えを見直すことに。枕元にはスニーカ
ー、ブレーカー
遮断、ガス栓を締める、防災備品の点検・・・。こんな地震・火山大国に終末処理法も決まっ
ていない原子力発電施設が50箇所(原子炉基数)強もあるなんて、いかにも、時代感覚、バランス感覚が悪い。


 

【ちょっとだけ量子ドット工学講座2】
 

 

量子ドットは無機及び無機化合物だけでなく、フラーレンのC60などの有機化合物も含まれる。下図の公開特
許はその典型例で、カーボンナノチューブにP型有機半導体を蒸着さるだけでは太陽電池の変換効率を高める
ことができないのでカーボンナノチューブ表面に量子ドットC60を蒸着させ、P型有機半導体(P3HT:ポリ(
3-ヘキシルチオフェン-2,5-ジイル)を蒸着後。溶剤アニール処理し残留応力を除去し変換効率を高める方法特
許を開示している。

 
US 9293720 B2  Carbon nanotubes as charge carriers in organic and hybrid solar cells



以上、黒い有機半導体太陽電池が実用化できれば、エネルギーフリー時代は実現する。これど『デジタル革命
渦論』である。下節の熱電発電シートもそれである。これらはすべて、ネオコンバーテックで製造するという
ものである。これは自慢話のようになってしまうねぇ~。

 

【耐久性のあるカーボンナノチューブの熱電変換シート】

人の体や車の配管などに貼り付け、温度差を利用して発電する「熱電発電シート」の耐久性を実用可能な水準
まで高めることに成功したと、奈良先端科学技術大学院大学の河合壮教授らの研究チームが発表。それによる
と、
世界最高水準の発電性能と耐久性もつフレキシブルな熱電発電(温度差発電)シートとなる。特に高耐久
の問題改善に、材料のカーボンナノチューブに食塩などを添加することでり、出力特性が従来の約3倍に向上
150℃の温度で1ヶ月以上の性能保持を実現。

このプレスリリースの前に、ブログで特許公開を掲載(『最新ナノ電子工学:熱電変換素子の場合』2016.03.
07「最新ナノ熱電変換素子技術」)している(下図クリック参照)。これまで、導電性高分子がフレキシブル
なプラス型(p型、低温側がプラスに帯電)の熱電材料として注目されてきたが、実用的な高効率発電のため
には、高性能で耐久性のあるマイナス型(n型、低温側がマイナスに帯電)熱電発電材料を開発、これらを組
み合わせて双極型熱電発電シートを実現する必要があった。

まず、母材である単層カーボンナノチューブに食塩(NaCl)などのアルカリ金属塩と、クラウンエーテルとい
う有機化合物を添加したところ、単層カーボンナノチューブが高性能のマイナス型(n型)材料になることを
発見する。その結果、従来の方法で調整したマイナス型カーボンナノチューブに比べて、電力特性がおよそ3
倍になり大幅に向上する。

さらに、このタイプのカーボンナノチューブ複合体の熱電発電特性をもとに一般的な双極型熱電変換素子(上
図1(B))に適用した場合の出力電圧を推定したところ、プラス型(p型)材料のみを利用した場合に比べて
2倍以上に増強されることが判明。これはカーボンナノチューブがマイナス型(n型)になったことによる。


 
特開2016-009851

先進国で消費されるエネルギーのうち約3分の1が未利用で排熱――この1%でも回収できれば、地球温暖化
の抑制や省エネに大きな効果が見込め、火力・原子力発電所や自動車の排熱などがあり、温泉や私たちの人体
そのものもエネルギー資源である――の80%以上は200℃以下であり、大概は分散し、タービンを回して
発電するような従来型の発電技術によるエネルギー回収は困難であったが、今回の発明の特徴は(1)マイナ
ス型有機材料で世界最高水準の耐熱性と発電出力性能をもっている。(2)従来の熱電モジュールとほぼ同等
の電力を出力できる。(3)従来の熱電モジュールにないフレキシビリティや耐衝撃性を備え、有機系熱電発
電シートとして百℃以上の高温でも高い安定性を示すという3つである。

● オールバイオマスシステム完結論 Ⅹ

わたし(たち)がここで注目するのは、日本の「オールバイオマスシステム」(事業プラットホーム)の実現
が加速することである(『オールバイオマスシステム完結論 Ⅸ』/「ようこそ!スマートキャンティへ」2016
.01.23
)。例えば、木屑をバイオエタノール発酵製造工程の特殊な発酵室投入し発酵熱を熱電変換パネルで直
接変換するか、熱電反感チューブで熱媒体を通して間接変換すれば、燃焼することなく、エタノールなどの有
機溶剤を製造し発電できるので、(1)バイオ燃料やバイオプラスチックなどが製造可能な上に、(2)従来
法よりダウンスペーシングなスマートな発電システムとなる。まぁ、これは、わたし(たち)の独自の事業開
発特許に該当することですが。


  ● 大紫羅欄花

メールで「通勤途中の道端にショカッサイが咲き競い、春の到来を告げています」と文が目に入る。ショカッ
サイとは、ハナダイコン、ムラサキハナナ、オオアラセイトウと解説している。何だ、ハナダイコン、あるい
は、ムラサキハナナ(紫花菜)のことかと少し驚く。ショカツサイ(諸葛菜)とも呼ばれは、諸葛孔明にちみ
孔明は大軍を率い野営するときこの種子を用意し、兵士の野菜を栽培させ食用に供したことに因むが、野菜と
食せばカロチンやビタミンCを含んでいるが調理方法は不詳、ただ、シードはリノール酸系の種子油として生
産されているようだが、道端に咲く春告げ花として愛でたい。生憎のPM2.5の基準値オーバーの曇天日和
だったが、タイム-コモンタイム、サフラワー、クミンの3つのハーブの種を捲く。

  ● 今夜の一曲

ジェロが舟木一夫の「高原のお嬢さん」の歌をカバーしていることを偶然テレビでみる。それと同時に、上司
だった人のことを思い
出していた。歌が上手く時折懐かしい青春歌謡曲を歌っていたのだが、退職後の彼の身
の回りの出来事などが去来し侘びしさと切なさが押し寄せて来るとともに、学生時代の記憶も思い出され、複
雑な気分にもなった。さて、ユーチューブで再生して聴くがオリジナルはもちろんカバーも趣があり、懐かし
さにしばし溺れる。
 

 

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