極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

わたしの魔方陣

2016年10月12日 | 時事書評

 

 

        

         悪を悪とすれども、去ること能はず。亡びし所以なり。



                            

                                                     管子 Guan-zi   720–645 BC

     ※ 先秦思想の「割れ窓論」「蟻の一穴論」と解すことも可。気の弛みが命取りに。

 

  

【我が家の焚書顛末記 Ⅷ:中国思想 管子】  

   大  匡    ――管仲の前半生――

    だれのために死ぬか

  管仲の意見を煎じつめれば「紅が失敗すれぱ次は松柏。いま飽叔が小白の教育係になっておけ
 ば
きっとそのとき役に立つ」というものである。これを聞いて、召忽はびっくり仰天、はげしい
 調子
で反論する。かりに紅さまが地位を形われるのを黙って見ているようなことがあれば、それ
 は君命に背くことにな
る。そのときには、わたしは生きていないつもりだ。たとえ斉の国を、い
 や天下をおまえにやるといわれても主君は裏切れない。君命を奉じからには、その責任を・身命
 を賭して遂行すろ。これが臣下たるものの義だ」 

  管仲はいった。
 「いや、わたしはそうは思わない。臣下というものは、君命を溺じた以上、国の安泰をはかり宗
 廟を守ることをまず第一に心がけるべきだ。紅さまおひとりのために死ぬ必要はない。もし死ぬ
 とすれば、それは国が敗れるか、宗廟が鍼びるか、先祖の祭りが絶えるかしたときだ。この三つ
 の場合でなければ、命をすてようとは思わない。この管仲がいてこそ斉の国は安泰なのだ。わた
 しが死ねば国も危うい」

  鮑叔は、二人のやりとりを間いていたが、ここで管仲に向かってたずねた。
 「それでは、わたしはどうすればよい」
 「出仕してむ命を受けることだね」
  と、管仲はこたえた。
  結局、鮑叔は管仲の意見に従い、君命を受けて小臼の教育係となった。
  就任にあたって鮑叔は、どのように仕えたらよいかを管仲にたずねた。管仲は、
 「まず主君のために全力をつくすことだ。さもないと信頼されない。信頼されなければ、なにを
 建議しても採用されない。そうなれば国を安泰にすることはできない。なによりもまず二心を抱
 かないこと、これが臣下の道だと思う」
  飽叔は、大きくうなずいた。

    忠誠のあり方

  自分が直按つかえる主人に殉じようという鮑叙。自分も主人もふくめた全体的
組織こそ忠誠の
 対象であるとする管仲。ふたりの考え方は、忠・誠のあり方の二つの対照的方向を
示している。

  召忽曰く、「百歳の後、わが犯して、
わが立つところを廃し、わが糾を奪うや、天下を得ると
 いれどもわ
れ生きざるなり。いわんやわれに斉国の政を与うるをや。君命をうけて改めず、立つ
 ところを奉じて済さざるは、これわが義なり」。
  管仲曰く、「夷吾の君が臣たるや、君命を承け、社稷を泰じ、もって宗廟を持せんとす。あに
 一礼に死せんや。夷吾の死するところ
は、社稷破れ、一糾に死せんや。夷吾の死すところは、社
 稷破れ、宗廟滅し、祭起絶ゆれば、夷吾これに死せん。この
三者にあらざれば、夷吾生きん。夷
 吾生くれば、斉国利なり。夷吾
死せば、斉国利あらず」。
  
鮑叔曰く、「然らばいかん」。管子曰く、「子出でて令を令ぜぱ可なり」。鮑叔許諾す。すな
 わち出でて令を奉ず、ついに小白に傅り。

  鮑叔、管仲に謂いて曰く、「伺をか行なわん」。管仲曰く、「人臣たる者は、君に力を尽くさ
 ずば、親信せられず。親信せられずば、言聴かれず。言聴かれずば、社稷定まらず。それ君に事
 (つか)うる者は二心なし」。飽叔許諾す。

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 召忽曰:「百歲之後,吾君卜世,犯吾君命,而廢吾所立,奪吾糾也,雖得天下吾不生也。兄與我
 齊國之政也。受君令而不改,奉所立而不濟,是吾義也。」管仲曰:「夷吾之為君臣也,將承君命,
 奉社稷,以持宗廟,豈死一糾哉?夷吾之所死者,社稷破,宗廟滅,祭祀絕,則夷吾死之,非此三
 者,則夷吾生。夷吾生,則齊國利,夷吾死,則齊國不利。」鮑叔曰:「然則奈何?」管子曰:「
 子出奉令則可。」鮑叔許諾,乃出奉令,遂傅小白。鮑叔謂管仲曰:「何行?」管仲曰:「為人臣
 者,不盡力於君,則不親信,不親信,則言不聽,言不聽,則社稷不定,夫事君者無二心。」鮑叔
 許諾。

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「匡」は正す、教化する、との意味。斉の桓公は、春秋の五覇の一に数えられ、名宰相管仲の補佐で
天下に覇を称えることができた。生産力が小さい中国の先住民は、生命体の「類」として、生産力向
上(富国強兵論)として君主制国家を選択・集中させ、諸子百家を生み出す。法治主義に片足を置き、
覇権君主制政策集団の「管子思想」が登場する。さて、次回から本格的に編集諸説の読み解きに入る。

                                                                                                               この項つづく



【RE100倶楽部:世界潮流 再エネ導入促進!】

世界の全電源に占める太陽光と風力の割合は、現在の約4%から、60年までに最低でも25%、多
ければ39%まで高まると、このような予測を国際団体の世界エネルギー会議(World Energy Council
今月10日に公表。 それによると、同報告書では、エネルギー分野における60年までの見通しに、
次の3つのシナリオと7つの予測を提示。

(1)世界の一次エネルギー需要の成長が鈍化し、一人当たりのエネルギー需要が300年より前にピ
  ークを迎え、このの変化は、新技術やより規制的なエネルギー政策により省エネの進展による。
(2)
エネルギー消費の最終的な段階では、60年までに電力需要が倍増。また、電源構成に占める
  太陽光と風力の比率が、現在の約4%から25~39%の幅で増加する。
(3)最も低炭素電源の割合が多くなったケースで、化石燃料の使用が一次エネルギーの60%にま
  で減少。
(4)3のシナリオでも、今後30~40年で二酸化炭素の増加を抑えられず、気温の2℃以上の上
  昇は避けられない。



それを受けるかのように、11日、「再生可能エネルギーの導入目標を、30年に30%を超えるよ
うな意欲的な水準に引き上げるべき」――。「パリ協定」の年内発効が決まったことを受け、自然エ
ネルギー協議会の飯泉嘉門会長(徳島県知事)が環境省の関芳弘副大臣に提言書を渡している。パリ
協定は、20年以降の地球温暖化対策の国際枠組みで、「今世紀後半に人為起源の温室効果ガスの排
出をゼロにする」などの目標を掲げ。、欧米では30年に40%を超える高い再エネ導入目標を掲げ
ている国や地域がある。これに対し、日本政府は、温室効果ガスを30年までに13年比で26%削
減する約束草案――ベストミックス(30年の望ましい電源構成)では再エネ比率22~24%と設
定―――を国連に提出。提言書の中、「地球温暖化対策を強力に進めていくためには、その切り札と
なる再エネの導入拡大が不可欠。再エネ導入は、温暖化対策やエネルギー自給率の向上はもとより、
地域経済の活性化や雇用の創出、防災力の強化を実現する」と強調し、パリ協定の早期批准と、再エ
ネ比率30
超える目標を設定。


● 孤軍奮闘のソーラーフロンティア

同11日、海外の太陽光パネルメーカが急成長するなか、10年以降、なりを潜めるかのような国内
メーカの惨劇状態の中、太陽光パネルメーカーのソーラーフロンティアは化合物半導体(CIS)系
奮戦。パネル約60カ国に出荷している。累計出荷量が4ギガワットに達したと発表。直近の約1年
間で、約1ギガワットパネルを出荷―――ノルウェー、ソマリア、モンゴルといった、初めて出荷し
た11カ国を含む―――出荷先が広がってきていることを強調。同社によると、累計出荷量の増加、
出荷国の広がりは、(1)CIS 化合物型太陽光パネルの特徴である薄くて軽い、高温や影に強い、
(2)実際の設置環境下における発電能力の高さ、(3)日本製の製品・サービス(保守・管理)の
高品質性、(4)長期保証の好評価によるという。
同社製パネル製造の国富工場(宮崎県)は11年
に商用生産開始後、現在では当初の設計を上回る生産を実現。公称年産能力は900メガワット。

た、パネルの変換効率も徐々に向上、1枚あたりの出力を増し、10月には、出力175ワットの量
産を開始。
また、16年6月には、同社として4番目の宮城県大衡村の東北工場で量産開始。同新工
場では、フル生産時の出力で180ワット/枚以上目指す(下写真ダブクリ)。

 Oct. 11, 2016

【折々の読書 齢は歳々にたかく、栖は折々にせばし】    

   Jun. 26, 2016 

● 朝日新聞「迫る2025ショック取材班」

          
『日本で老いて死ぬということ』9
 
 

 [目次]

   はじめに

   第1部 日本で老いて死ぬということ

  第1章 生きがいの喪失と回復

  第2章 難しい「平穏な在宅死」
  第3章 口から食べたい
  
  第2部 介護の現実~在宅・施設それぞれのリアル

  第4章 三人介護
  第5章 遠距離介護
  第6章 ダブルケア
  第7章 虐待を防ぐ
  第8章 在宅でみる 
  第9章 訪問看護師の力
  第10章 特養で看取る

  第3部 老いは地域社会で見守れるか

    第11章 地域で暮らす

  第12章 コミュニティ再生
  最終章 未来へつなぐ

  おわりに
  

   第3章 口から食べたい

    回復へ連携ピタリ

  2012年3月、吉武歯科医院の歯科衛生士、斉藤理子さんを中心に、サクさんヘの口から食
 べるリハビリが始まった。
  最初は、プリンやヨーグルト。スムーズに食べられるようになると、約1年間つけていなかっ
 た上下の義歯を調整した。違和感が強いので、最初は短い時間からつけ始め、徐々に長くしてい
 った,斉藤さんは「特に下の義歯は、口の中を刺激してつばでむせることがあるので、時々外し
 てもいいですよ」と助言した。
  普通の食事に近づけていく時は、鶴見犬歯学部助教の飯田さんが、長女・喜美子さんが調理し
 た試験食を使い、のみ込みの評価をした。飯田さんは「私が専門的な評価をして、それを元に斉
 藤さんたちが実践する。大学と現場が一体となることでリハビリの効果が上がる」と強調する。

  リハビリを始めて約4ヵ月。在宅主治医の了解も得て、サクさんは毎日昼食は、ロから食べる
 ようにした。朝と夕は、無理せず胃ろうからとった。
  のみ込みが難しかったのは、おかゆやおでんの大根など、水分と固形物が混じった食事だ。固
 形物を咀咽している問に、水分が染み出して先にのどに流れる。「通常は、咀嘔とのみ込みを同
 時にできるが、それが難しくなるんです」と飯田さんは説明する。
  リハビリでは、食べる訓練だけでなく、全身運動をしたり、童謡を歌ったりする。
  きちんと食べるには、良い姿勢を保つなど、全身の力が必要だからだ。 
  サクさんがお気に入りだったのは、笛のおもちや「吹き戻し」を吹く訓練だ。回数も徐々に増
 え、約1年たつと「2個付き」を15回吹けるようになった。

  こうした訓練は、訪問看護師や家族も協力してくれた,斉藤さんは随時、訪問看護師にサクさ
 んの状態を伝えた。斉藤さんは血圧を測るなど全身状態にも目を向け、訪問看護師は口腔ケアも
 するなどして、お互いの職種をカバーし合った。
 「90代でここまで回復するケースはあまり経験したことがない。在宅医と歯科医、歯科衛生上
 と訪問看護師、そして家族を含め、すべての連携がうまくいったからでしょう。全員が『サクさ
 んに食べさせたい』という思いを共有していた]と飯田さんは振り返る。
  2013年9月の敬老の口には、家族や親戚が集合し、大好物のおすしを食べた。
 「せいぜいみかんゼリーぐらいかなあ、と思っていたので、本当にうれしい」。喜美子さんは、
 しみじみ語った。

   
のみ込み、音で確認

  ロから食べる支援に積極的に取り組む神奈川県藤沢市の療養型病院「クローバーホスピタル」
 (120床)。中でも重要な役割を果たすのが、口のリハビリの専門家二百語聴覚士(ST)だ。
 20114年8月末、入院患者のリハビリをする場面に立ち会わせてもらった。
  のみ込みが難しくなり、胃ろうをつけている鳥居実さん(80)の病室を、STの掛田貴大さん
 (28)が訪れた,小さなスプーンでりんごゼリーをすくい、鳥居さんの口に運ぶ。その後、聴診
 器をのどにあてた。のみ込みきれずゼリーが残っていたため、雑音が聞こえる。このままだと、
 食べ物が過って気管に入る「誤嘸」が起きる可能性がある。掛田さんは、すかさず「もう一回ゴ
 ックンしましょう]と声をかけた。
  胃ろうをしていた患者が、リハビリで目から食べられるようになり、胃ろうを外したケースも
 ある,言語聴覚主任の杉山理恵さん(28)が開わった男性(69)=藤沢市=だ。
  脳幹梗塞の後遺症でのみ込みが難しくなり、2013年12月、クローバーホスピタルに入院し
 た。翌年1月から食べる訓練を始め、2月に胃ろうをつくった。
  男性の場合、食道の入り口の開きが悪いのが特徴だった。ものをのみ込むときは、のど仏が上
 下するが、上に上げたまま止める訓練を続け、食道が開く時間を延ばすようにした。「普通「ゴ
 ックン』とやるのを、『ゴッッックン』とやるイメージですね」と杉山さん。

  最初の3ヵ月は、ほぼ毎日訓練をした。食事は、ゼリーから始まり、とろみをつけたおかゆや
 おかず………胃ろうも併用しながら、口からとる回数を除々に増やしていった,
  杉山さんが繰り返し言ったのが、「のみ込むことに集中して」だ,例えばテレビを見ながら食
 べると、むせやすい,「男性は忠実に実行していた」と杉山さんは振り返る。
  5月にはほぼ通常の食事がとれるようになり、胃ろうを外し退院。男性は今、妻(64)らと自
 宅で元気に暮らす,むせやすいものは避けるなど、まだ注意は必要だが、大好きなまぐろのおす
 しも食べられるようになった。 
  一度はあきらめかけた口からの食事-。今、男性はいう。「食べる幸せを実感しています,病
 院の人たちが一生懸命やってくれたおかげです」

  垣根なくチームで

 「クローバーホスピタル」には、のみ込みが難しくなった患者らを支援する「NST(栄養サポ
 ートチーム)」がある。消化器科の望月弘彦医師のほか、看護師や管理栄養士、薬剤師や言語聴
 覚士らで構成する。
  NSTは、2000年前後から各病院に広まった。この病院では月2回、NSTの定例会議と
 回診がある。2014年10月H日の会議に同席させてもらった。メンバー7入が、ナースステー
 ションに集まり、3入の入院患者について話し合った,
  85歳男性のケースー。介護施設で誤嘸性肺炎を起こし、同月1日に入院した。まず看護師の
 五十嵐千恵予さん(34)が「出した食事の3~6割しか召し上がっていません」と現状を説明。
 管理栄養士の小林マリさん(45)が「ST(言語聴覚士)が介助すると食べますが、そうしない
 と食べません。とろみつきのミキサー食よりも、ゼリーの方が好きみたいですと続けた。 

  手首の静脈から栄養を入れて、何とか必要栄養量を確保している状態,身長160センチで、
 休航が約37キロしかない。
  望月医師は「(体重が)37キロは少ないなあ。3食の量を減らし、高カロリーのゼリーをつ
 けたら?」と提案。栄養課主任の高橋範子さん(56)は「じやあ、10時と15時にゼリーを食
 べてもらいましょう」と引き取り、全員が同意した。
  この男性は、退院して、施設に戻ってもらうことが目標,栄養が不足するため、望月医師は「
 胃ろうをつけ、1~2食は胃ろうでとってもらうことを考えてもいいのでは、と投げかけた。

  NSTのメリットについて、望月医師は、栄養、看護、薬、リハビリなどそれぞれの視点から
 意見を出し合えることを挙げる。例えば、薬剤師から「この薬はおなかが張ってしまう」という
 助言があれば、食が進むように薬を変える。また、理学療法士から「リハビリの負荷を増やした」
 という情報提供があれば、3食以外に捕食(おやつ)をメニューに加えるj――より良い栄養プ
 ランを決める際の参考にできる。
  望月医師は「管理栄養士が調理室から病昧に出るようになったことが大きい」と話している。

                                     この項つづく

   Magic square

昨日は、食あたり状態で午後から仕事にならなくなり、おかげで慢性?の眼精疲労からくる偏頭痛は
なくなる。目の疲れが出ない範囲で、数式の魔方陣に熱中する。魔方陣Magic square)とは、正方形
の方陣に数字を配置し、縦・横・斜めのいずれの列についても、その列の数字の合計が同じになるも
ののことである。特に1から方陣のマスの総数までの数字を1つずつ過不足なく使ったものさす。こ
れを数式に表すと次のようになる。



※ 完全魔方陣

ところえが、途中で、こだわれば、こだわれるだけ対象が増え深みにはまると切り上げる。齢は歳々
にたかく、世界は深く遠くなりにけり、か。と、自嘲する。思えば、色素増感形太陽電池の調査研究
を中間総括し、予知したことは現在ことごとく現実のもとなっている。逆に言えば、これは他人には
理解し得ない、わたしだけの「魔方陣」であり、こうして、わたしが構築してきた「魔方陣」(例え
ば、東北部流域下水道計画の改変を迫る運動の戦略に通じる)だったのではと過ぎった。これは、自
惚れかもしれないが、米国仕立ての「RE100倶楽部」もわたしの最後の魔方陣であるのだと思っ
ている。

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理想のエレキケトル

2016年10月10日 | WE商品開発

 

 

 

                多くの人間はソーセージに似ている。何をつめこもうと、
                それをちゃんと入れているであろう。  

                                       アレクセイ・K・トルストイ

                          Many men are like unto sausages:  
                          whatever you stuff them with,that they
                          will bear in them.

      ※ ヘンなものをつめられても困る、(事前に)蓄えられているのだから。
        like unto ・・・ (古い体)「・・・に似た」stuff A with BABをつめこむ」

                                                 
                                                Sep. 5, 1817 - Oct. 10, 1875

 

 

 

スタイリッシュなバルミューダ製のエレキケトル「BALMUDA The Pot」が発表された。ティファール
のエレキケルトと吹くこぼれがあり、お湯の注ぎ口から漏れというが問題だと嘗てブログ掲載したが
これで理想がかなうことになり、この商品に限って、英仏国の戦いは英国側の勝利(って、勝手に書
いているが)。「BALMUDA The Toaster」や「GreenFan」シリーズなど、シンプルで美しいデザイン
の家電を世に送り出しているBALMUDA。今回はトースターに続くキッチン家電の第2弾、エレキケ
トルの「BALMUDA The Pot」を発表。小さな本体と、長い注ぎ口が可愛いケトル。

このケルト特徴は、その小さな本体。一般的なエレキケトルの容量は1.1リットル程度、少ないもの
で0.8リットルだが、このケトルの容量は0
.6リットル。一般的なケトルの半分。つまり、今までに
ケトルいっぱいに水を注いで沸かしたことは何回だろうか?また、お湯を沸
かしすぎて、無駄にして
しまうことが多かった経験を何度もしている。
今までの一般的な容量を見直し、ちょうどいい量のお湯
が沸かせるようにデ
ザイン。0.6リットルは、コーヒー3杯、カップヌードルを2食作ることがサイズ
で日常生
活にヒットする。


少し話はずれるけれど、トースターも扇風機もあるいはダイソンの掃除機も、「ガラカボス」と揶揄
されるけれど、日本の文化伝統精神は「縮む」つまり「比較マイナス思考」が特徴。従って、商品は
自然と洗練される。「(余計な)おまけ機能」を付加価値と錯覚するのは「精神の弛緩(バブル思考」
で家電販売戦略のミスリードにつながったが、これも通過儀礼と考えれば、「ガラカボス国・日本」
は世界のアンテナ・ショップと考えればわかりやすい。要するに「リバランス」が肝となる。これか
らも「オンリー・ワン」(一品)を追い求めていくことにしよう。



● 傷つけられても元に戻る透明で曇らない膜の形成

-水溶性ポリマーと粘土粒子からなるハイブリッド膜で表面処理-



Feb. 1, 2013 大和製罐株式会社との共同開発事例:粘土の吸湿による防曇

これから寒くなる季節がやってくるが、めがねとマスクを一緒にすると、環境により曇ってしまい作

業できなくなることがしばしば。このように、めがね、ゴーグル、車両・建物用ガラス等の表面に付
着した微小な水滴が引き起こす"光の散乱"や"曇り"による光透過性の低下を防ぐさまざまな親水性素
材を用いて材料表面への曇処理が行われているが、これまでの防曇処理技術では、処理された表面
の耐久性が低い、(1)一度物理的損傷を受けると、恒久的に防曇機能を失ってしまうという課題や、
(2)皮膜
の密着性が十分でないなどの問題がある。

今月7日、産総研の研究グループは、透明で耐久性に優れた防曇膜を開発したことを公表。これで簡
便な処理により、ガラス等の透明基材の防曇膜として利用可能となり、
めがね、ゴーグル、車両・建物
用ガラス、太陽光発電パネルや、その他の産業機器への活用できそうだという。今回、防曇機能の向上を目
的とし、水溶性ポリマーであるポリビニルピロリドンPVP)と、アミノプロピル基を表面に付けた
タルクに似たフィロケイ酸塩を基本組成とするナノメートルサイズの粘土粒子(AMP-ナノクレイ)か
らなるゲルを皮膜とし、コーティングする技術を開発。この皮膜は、高い光学特性や防曇性に加え、
自己修復性、密着性、水中での安定性、水中はつ油性(油が付着しない性質)にも優れ、様々な基材
表面にも容易にコーティングすることができる。

 Oct. 7, 2016

今回開発した防曇処理を施したスライドガラス(左上)、通常のスライドガラス(左中)、防曇膜の
構造(右上)と自己修復する様子の電子顕微鏡像(下)

※防曇処理の例には、(1)紫外線照射によって表面が超親水化する二酸化チタンを塗布する方法や、
 (2)親水性素材(二酸化ケイ素や酸化亜鉛)を微細構造化、層状構造化するといった手法がある
 が、これらは、塗布プロセスが複雑で、大面積処理には適さない。さらに、表面形状が複雑な場合
 は汚れやすく、表面に形成した膜の耐久性が低く、一度、物理的に損傷を受けると、恒久的に防曇
 機能を失ってしまう。そこで、表面の親水性を保ったまま、耐久性を向上させた防曇処理技術が求
 められている。↓
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● 新非有機フッ素化合物・シリカ系防曇剤の開発

 Dec. 11, 2016

・固体表面から液体をにじませて、粘性液体の付着抑制や氷の付着力を大幅に低減
・有機フッ素化合物を使わず、一般的な元素を使用するため低コスト低環境負荷
・材料やエネルギー損失の削減、太陽光発電の稼働率向上、交通機関の安全運行への貢献に期待
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→今回開発したPVP/AMP -ナノクレイハイブリッド膜の自己修復性を確認するため、膜をシリコン基
板上に成膜し、表面に外科用メスで傷をつけて基板のシリコン表面を露出させた。その後、試料を相
対湿度約80%、室温の環境下に置き、表面の様子を走査型電子顕微鏡(SEM)で観察した。図2に、
PVP/AMP-ナノクレイハイブリッド膜の表面形状の観察結果を示す。SEM像の白い部分は、露出した
基板のシリコン表面である。傷つけた直後はシリコン基板が露出している(図2(a))。しかし、2
4、48時間が経過すると、損傷が修復され始め、基板の露出箇所の大部分が埋まっていることが分
かる(図2(b))。さらに、48時間後には、傷幅が20~30 μmの広い領域で傷が完全に消失し、
この膜が自己修復性をもつことが分かった(図2(c))。

今回開発したPVP/AMP  -ナノクレイハイブリッド膜の想定される自己修復メカニズムを図3に示す。
膜が傷ついたときに、空気中の水分を吸収して、膜が膨潤、移動、接触して、傷を埋める。さらに、
PVP AMP -ナノクレイの間の水素結合が再形成されて膜が再生すると考えられる。現状では、20
~30μm 程度の傷は回復することを確認している(下図参照)。また、開発したPVP/AMP-ナノクレ
イハイブリッド膜の水中でのはつ油性を確認するため、水中で油滴を形成させ、PVP/ AMP-ナノクレ
イハイブリッド膜の表面に油滴を押し付けて引き離したところ、油は全く付着しなかった(図4)。
このことから、PVP/AMP -ナノクレイハイブリッド膜は、水中でのはつ油性機能にも優れていること
が明らかとなった。これは、皮膜の表面に安定な水の膜が形成され、油や汚れの付着を抑制したため
と考えられる。



自己修復(Self-repairing)とは、
生物工学の話かと驚く。3年かけて実用化といわずにすぐにでも欲
しい曇処理剤だ。


※ 関連特許:
特開2013-213181  有機-無機透明ハイブリッド皮膜とその製造方法 独立行政法人産業
  技術総合研究所 20131017

 

 

【我が家の焚書顛末記 Ⅶ:中国思想 管子】  

   大  匡    ――管仲の前半生――

 「忠臣は二君に仕えず」というのは、観念論もてあそぶ初学者の"たわごと"である。真の政治家
 は国のために生会を投げだすが、一君主のために死ぬことはしない。この篇は管子が
かつて敵対
 した鮑公のもとで宰相となるまでのいきさつである。

  ことば

 「子を知るは父にしくなく、臣を知るは君にしくなし」

 「社稷宗廟を持する考は、事を譲らず、閒を広しくせず」
 「人にたる者は、君に力を尽くさずば、親信せられず、親信せられずば、言聴かれず」
 「召忽の死や、その生くるに賢る(まさ)なり。管仲の生や、その死するに賢るなり」

   良臣は仕事を選ばぬ

  斉の憘公には、諸児、糾、小白という三人の公子がいた。憘公は末子・小白の教育係として、
 臣下
の鮑叔をえらんだ。だが鮑叔は、病気を口実に辞退し、家に引きこもってしまった。
  同僚の管仲と召忽は鮑叔を訪れ、そのわけをたずねた。鮑叔は、「昔から、子供のことなら親
 に聞け、臣下のことなら君主に聞け、というではないか。わたしのこと
は、だれよりもわが君が
 ご存知のはず。わが君は、わたしが無能だとお考えになったからこそ、小白
さまの教育係という
 閑職を申しつけられたのだ。これは、わたしなどいなくてもいい、ということで
はないか]
 召忽はすっかり同情した。

  「よし、わかった。そういうことならあくまで辞退すべきだ。このさい、わたしから、きみの病 状が思わしく
 ないと申し上げてねこう。きっとこの人事は撤回なさるにちがいない」
  「そうしてもらえればありがたい。ぜひ頼む」
  そばで聞いていた管仲が、口をはさんだ。
  「それはまずい。国の大事をあずかる以上、どんな仕事でも辞退すべきではないし、いかに閑職とはい
 え任務をおろそかにすべきではない。だいいち、だれがつきの国君になる決まったわけ ではないのだ。
 やはり、引き受けるべきだと思う」

  そこで、召忽と管仲の議論となった。召忽がいった。
 「いや、わたしはそうは思わん。斉の国にとって、われわれ三人は、いわば鼎の三本足のような
 もの
だ。一本欠けても鼎は倒れてしまう。ここは、慎重に考えねばならぬ。小白さまは、とうて
 い後結ぎに
なれる方ではないのだから」
 「いや、そうと決まったわけではない。紅さまは、母君が国中の人々から憎まれているため、ご
 自分
も不利を被っている。一方、小白さまは実の母君がいないので、世間の同情を買っている。
 諸児さま
は、なんといってもご長男で、いちばん有望だが、母君のご身分が低いという弱点かあ
 る。いずれも
一長一短、にわかに判断を下すことはできない。

  しかし、結局、将来の斉を背負って立つのは軋さまか小白さまだろう。わたしは小白さまを買
 っている
。あの方は、小智を弄せず、大所高所から物事をとらえるというタイプのお方だ。人物
 のスケー
ルが並みはずれて大きいので、なかなかひとに理解されない。あの方のことが、ほんと
 うにわかって
いるのは、わたしくらいのものだろう。
  順序からいけば糾さまが先だが、不幸にして将来、わが斉が天からわざわいを受けた場合、紘
 さま
ではとても乗り切れるとは思えない。そうなったとき、国家安泰のため、鮑叔の力がいるの
 だ」

      いずれも斉の憘公(「史記」では釐公)の公子。その関係を整理す
      れぼ、下図のごとくである。公孫無知は次々章に登場する。

  《鮑叔》管仲の親友。名は叔牙。管仲の才能を汲もよく和解した男で、管仲は、「われを生みし
  者は父母、われを知る者は鮎子」とWった。管仲を引き立てるために飽叔はいつでも損な役を引
  き受けた。管仲は自分の才能よりも、鮑叔の友情によって出世したというのが、もっぱらの評価
 だったという。
 《召忽》飽叔とともに管仲のよき理解費であり、心からの友でもあった。管仲といっしょに公子
 紅の叔育係になっていたが、後年、紅の後を追って殉死した。
 《母君が国中の人々から僧まれている》紅の生母は魯国の公女。魯は斉の隣国で、両国間には、
 いざこざが絶えなかった。したがって、魯国出身の女性は斉では人気がなかったのだろう。
 
  先物買い 支配体制がゆらぎつつある春秋時代、お家騒勁は常識であった。その間にあって、

 それぞれ異母公子の後見役に任命された重臣同士の議論は、"先物買い"をめぐって興味深い。
 すでに次男・糾つきの教育係を命ぜられていた管仲は、むしろ小白の将来性に期待し、親友鮑叔
 に教育係就任を説いているのだ。

  --------------------------------------------------------------------------------------
 齊僖公生公子諸兒,公子糾,公子小白。使鮑叔傅小白,鮑叔辭,稱疾不出。管仲與召忽往見之曰:
 「何故不出?」鮑叔曰:「先人有言曰:『知子莫若父,知臣莫若君』,今君知臣不肖也,是以使
 賤臣傅小白也賤臣知棄矣。」召忽曰:「子固辭無出,吾權任子以死亡,必免子。」鮑叔曰:「子
 如是,何不免之有乎?」管仲曰:「不可,持社稷宗廟者,不讓事,不廣閒。將有國者,未可知也。
 子其出乎。」召忽曰:「不可,吾三人者之於齊國也,譬之猶鼎之有足也,去一焉,則必不立矣,
 吾觀小白,必不為後矣。」管仲曰:「不然也,夫國人憎惡糾之母,以及糾之身,而憐小白之無母
 也;諸兒長而賤,事未可知也;夫所以定齊國者,非此二公子者,將無已也。小白之為人,無小智
 惕,而有大慮。非夷吾莫容小白,天不幸降禍加殃於齊,糾雖得立,事將不濟,非子定社稷,其將
 誰也?」
  ---------------------------------------------------------------------------------------

                                     この項つづく

  

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秋宵の読書

2016年10月09日 | 時事書評

 

 

 

       世界にはたった二つの家しかいない――「持てる家」と「持たざる家」。

      There are only two families in the world, the Haves and Have-Nots.

                           ミゲル・デ・セルヴァンテス

                            
                                                       Miguel de Cervantes Saavedra
                                                                                                               Sep. 29, 1547 - Apr. 22, 1616

 

【折々の読書 齢は歳々にたかく、栖は折々にせばし】    

   Jun. 26, 2016

 

● 朝日新聞「迫る2025ショック取材班」

          
『日本で老いて死ぬということ』8
 

 

 [目次]

   はじめに

   第1部 日本で老いて死ぬということ

  第1章 生きがいの喪失と回復

  第2章 難しい「平穏な在宅死」
  第3章 口から食べたい
  
  第2部 介護の現実~在宅・施設それぞれのリアル

  第4章 三人介護
  第5章 遠距離介護
  第6章 ダブルケア
  第7章 虐待を防ぐ
  第8章 在宅でみる 
  第9章 訪問看護師の力
  第10章 特養で看取る

  第3部 老いは地域社会で見守れるか

    第11章 地域で暮らす

  第12章 コミュニティ再生
  最終章 未来へつなぐ

  おわりに
  

   第3章 口から食べたい

   栄養指導、生活変わった

  食卓に背筋を伸ばして座り、熊倉良造さん(73)=神奈川県綾瀬市=は「パピプペポ……。タ
 タタ・・・・・・」と口を動かす。食事前の「準備運動」を隣で管理栄養士の宮脇貴美子さん(44)が
 見守る。台所からは妻・妙子さん(70)がゆでたモロヘイヤを包丁で桐かくたたく音が響く。
  昼食に全がゆ、ウナギのかば焼き、モロヘイヤのおひたし、とろみをつけたみそ汗などが並ん
 だ,ウナギは軟らかい真空パックで、皮を取って盛りつけられていた,良造さんは脳出血の後遺
 症でのみ込みに障害があり、歯ごたえのあるものをかむことや、うまく水分を飲むことができな
 い。大好物の脂がのったウナギを箸で小分けにし、目に運んだ,

  宮脇さんは、自宅で暮らす患者を訪問して栄養指導をする「地域栄養ケアPEACH厚木」(
 神奈川県厚木市)の一員,良造さんに1年前から栄養指導をしている。
  宮脇さんはみそ汁をスプーンですくって飲む良造さんを見ながら、妙子さんに「スプーンを変
 えた?」と聞いた。今までより厚みがあり、飲み方が普段と追っていた。
 以前のスプーンに戻すよう助言した。
  近くに住む長女の樋口優江さん(42)は「話しかけると『誤嘸』しそうで怖い」
 と、良造さんが食べ物を過って気管内にのみ込んでしまうことを恐れて、食事中は見つめるだけ
 だった,宮脇さんは「ペースがゆっくりになるから話しかけた方がいいんですよ」と会話を促し
 た。
  宮脇さんの訪問時間は約一時間だが、食べる機能を回復させるため、指導は調理方法や食べ物
 の形態だけではなく、姿勢や食器、口の中のケアまで幅広い。脚の太さも計測する。
  食事を終えた良造さんは宮脇さんと次の目標を話し合った。良造さんは「レタスやキュウリが
 食べたい」。シャキシャキした食感を味わいたいのだという。
  新しいメニューの際は、必ず宮脇さんが見ている前で食べる。妙子さんは「ちやんとのみ込ん
 でいるのか素人には分からない。栄養指導してもらうだけでこうも追うなんて」と話す。
  次回はサンドイッチに挑戦することになった。

  2011年3月、脳出血で救急搬送後に入院した良造さんは、ロからの食事ができなくなり、
 胃からチューブで栄養を取る「胃ろう」の生活が続いた。
  退院後、妙子さんたちは「好きな物を食べさせたい」と情報を集め、言語聴覚士からPEAC
 Hを紹介された,「すがる思い」(妙子さん)で連絡を取り、2012年5月から栄養指導が始
 まった。最初は一ロ大のカップゼリーから始まり、ゼリーの量が増え、おかゆに移行していった。
 副菜も増えた。今は朝、昼は食事をしているが、夜間には誤嘸の不安があるため、夕食は胃ろう
 で栄養をとっている。

  翌年の正月、優江さん一家は良造さんの前で食事をすることに気兼ねし、お茶だけ飲んで帰っ
 た。でも、2014年は硬さは違えど、一緒にまぐろやおせちを味わった。優江さんは言う。「
 こんな日が来るとは思わなかった」

   
退院後の食支える

 「地域栄養ケアPEACH厚木」の代表・江頭文江さん(43)は、元々は病院の管理栄養士だっ
 た。聖隷三方原病院(浜松市)で同期から誘いを受け、のみ込みに障害がある人の食事の研究に
 携わるようになった。
  同院には入院のほか外来を担当する栄養士もいて、食べられるようになった人を継続して支援
 できる仕組みがあった。一方、せっかく食べられるようになったのに、自宅に戻ったり施設に移
 ったりした人が、環境が整わずに誤嘸性肺炎で再入院してしまうケースもあった。「患者さんが
 地域で安心して暮らすには、食の支援が大事だ」と訪問の栄養指導に興味を持った。

  結婚を機に神奈川県内に転居。2000年に前身の「ビーチ・サポート」を設立。
  当時は「管理栄養士が自宅に来て、何をするかは全く知られていなかった]という。
  患者の家族からは「あれもこれも食べてはだめ]と食事制限する人と思われ、玄関で腕を組ん
 で待ち構えられたこともあった。
  医師ら他職腫にも江頭さんの役割は浸透していなかった。「料理を作るだけではなく、食事時
 の患者の姿勢や身体機能にも着目して改善していく」という仕事を理解してもらうと、医師やケ
 アマネジャーから患者の訪問依頼が相次いだ,
  2003年に名称を変え、現在は3人の管理栄養士がいる。60~70人の患者を受け持ち、
 神奈 川県内の厚木、伊勢原、秦野、平塚市を中心に横浜市にも訪問する。
  2014年10月9日、厚木市内の会議室に在宅や施設などで食に関わる栄養士や看護師、介
 護職ら25人が渠まった。江頭さんたちが手がける「あつぎ食支援ネットワーク」の研修会だ。

  講師を務めた東名厚木病院摂食嚥下療法科の芳村直美課長(45)が、認知症で食べられなくな
 った高齢者に、おせんべいを食べさせた経験を話した。「しょっぱいものが好きで、たくあんも
 しやぶった。現在の患者さんの状態を見極めることと、その人の食生活の歴史を知ることが大事
  研修会の開催は、前身の研究会を含め120回を数える。地域で暮らす人の食を継続して支え
 るためには、在宅や施設、病院の連携が不可欠だという,江頭さんは「同じ栄養士でも、在宅か
 施設で立場が違うと、仕事をイメージしにくい。毎月集まることで、互いの環境を見えるように
 している。地域で質の高い食支援ができるよう技術の底トげが目的だ」と話す。

   水ゴクン、訓練いける

 「ここまで食べられると、昔食べられなかったのがうそみたい。3桁(100歳)までいきます
 ね」
  2014年10月16日夕方、川崎市中原区の宮川サクさん(93)の自宅。鶴見犬歯学部助教
 の飯田良平さんは、一口大の栗のお菓子をしっかり食べるのを見て、長女・喜美子さん(68)に
 話しかけた。
  この日は、高齢者歯科が専門の飯田さんのほか、吉武歯科医院の吉武学院長(57)や歯科衛生
 士の斉藤理子さん(42)が訪問した。以前は、胃からチューブを入れる「胃ろう」で栄養をとっ
 ていたが、ほぼ普通の食事をとれるようになっていた。
  斉藤さんが買ってきたお菓子を食べてもらい、のみ込みの様子や音を確認。「お茶も(むせず
 に)ちゃんと飲めていますね」。飯田さんらは、太鼓判を押した。
  2011年2月、サクさんは自宅でくも膜下出血で倒れ、川崎市内の病院に入院した。口から
 必要な栄養がとれなくなり、4月に胃ろうをつくって退院した。

  サクさんは、ほぼ寝たきりの要介護5。在宅で喜美子さんが介護した。食事は3食とも胃ろう
 でとった。
  サクさんは、喜美予さんが食事をしているのを、うらやましそうに見ていた。「少しでも、口
 から食べさせてあげたい」。喜美子さんは、そう思うようになった。
  2012年春のことだった,訪問看護師が、ロをきれいにしようと、うがいをさせていた。す
 ると、うがいをした水を間違ってゴクンとのみ込んでしまった。「え? もしかしたら、口から
 何か食べられるかもしれませんよ」。驚いた看護師は、喜美子さんに言った。

  早速在宅医に相談、そこから吉武院長に、のみ込み評価の依頼があった。約1年間、ロからは
 食事をとっていなかった。3月に口や后の動き具合を見るテストを行い、「専門家に評価しても
 らった方がいい」と判断、飯田さんに詳しい検査を依頼した.、
  9日後に飯田さんが訪問,内院鏡検査などでプリンののみ込み状態を確認した,のどに少し残
 っていたが、唾液を誤嘸してしまうほど重症ではなかった。
 「これは、(食事訓練が)いける」。飯田さんの助言で、斉藤さんはサクさんに、プリンやヨー
 グルトから食べさせ始めた。毎週訪問するうちに、サクさんの表情が、少しずつ変わり始めた。

                                      この項つづく

 

 

 

【我が家の焚書顛末記 Ⅵ:中国思想 管子】  

    解題 3 『管子』の思想

  管仲の経済政策 『管子』には、生産と流通に関する多くの見解が述べられている。二千数百年
 前という
 ことを考えるならば、これはおどろくべき卓見であった。管仲の経済k改革を列挙すれば
 つ
ぎのようになろう。

  1.農業の保護奨励
  1.塩、鉄、金、その他重要物資の生産管理
  1.均衡財改の維持
  1.流通、物価の調整
  1.税制および兵賦の整備

  当時、鉄製農具の普及と役牛の使用によって農衆生産が進むとともに、所有制度は貴族・領主の
 土地占有から封建地主の土地所有刺へと移行しつつあった。一方、商工業がさかんになり、大商人
 が勃興してきた。市-商業都市が形成されつつあった。
  斉の地は、『史記』貨殖列伝によると「潟鹵」(せきろ:塩分の多い湿地)だったという。紀元
 前11世紀
(?)この地に封ぜられた太公望呂尚は機織り、漁業、製塩をおこした、という記録が
 同書にあ
る。また、桑の原産地は、この山東地方であるといわれている。



  こうした基盤にたって、管仲は、製塩業、金、鉄の探知、地方の特産物(青茅、赤弓の材料、玉)
 などを生産管理したものと思われる。これらのものは、従来、自給自足程度の細々としたものであ
 った。その産業化か斉の国力を充実させたことはいうまでもない。漢代に至って、「斉は山と海を
 ひかえ肥沃な土地は千里にわたり、桑・麻が育ち、人民は多く、いろとりどりの布畠や魚塩がある」
 (『史記』貨殖列伝)といわれるようになったのも、管仲の事績が実を結んだためであろう。

  管仲はまた、流通の調整にも着目した。中国の歴史で、物価(とくに穀物の価格)の調整を考え
 だし、それを実際政策に実現させた政治家は、管仲をもって嚆矢とする。「軽重斂散法」といわれ
 るこの方法は、農民の保護と表裏一体を成すものである。『管子』の価格調整法は、一口にいえば
 需給のバランスをとりながら人為的に市場を操作することである。これは近代経済学でいう「管理
 価格Administered Priceと一脈通ずるものがある。

  流通手段としての貨幣について論及したのも、『管子』が最初である。発生の起源は明らかでな
 いが、斉で作られた刀銭(刀の形をした貨幣)が、今日各地で発掘されていることも、これと無関
 係ではあるまい。『管子』は貨幣の役割を重視し、「貨幣発行権は統治者にのみあるべきである
 と説いている。
  封建社会では、国家収入の大宗は地租である。このばあい、税額の査定が当を得ているか否かに
 よって、その田家の政治的安定が左右される。管仲は、ここでもきわめて合理的な考え方をしてい
 る。

  それは、税額の査定に当たっては、所有地の面積の大小だけにとらわれずに、その土地の生産性
 を考慮にいれることである。反当り十石の土地と、反当り一石の荒地に同率の税金をかけられたの
 では農民はたまらない。
 『管子』は、土地を普通の土地と開墾困難地の二極に大別している。そして役者をさらに、沼地、
 藪準河川地、準山地、山地、河川、森林、……といくつかの段階にわける。各段階によって税率に
 違いがある。また、査定の公平を期するために、三年に一度の調整、五年に一度の土地調査を主張
 している。

 君権の確立 管仲は主君の桓公にむかって、周王室に忠誠をつくすことを説いている。かれが本心
 から斜陽にひんした周王室の権威回復を望んだとは考えられない。かれは、その大義名分を利用し
 て斉の富強をはかろうとしたのである。
  経済政策で、きわめて進歩的な見解を示した管仲は、政治の面では保守的な姿勢をとっているか
 のようにみえる。が、血縁的な氏族の紐帯をたちきり、君権支配を確立することは、当時において
 は前むきの姿勢であった。これを郡県割によって確立し、ついに天下を統一したのが後の秦である
 ことを考えればこのことは判然とする。

 人民のコントロール 当世風の表現をかりるなら、『管子』は、「人民は為政者に飼育されている
 と考えていた。牧民笥にある有名なことば、「およそ地を有し民を牧する者は、務め四時に在り。
 守り宮座に在り」はこれを端的に示している。これは『管子』だけでなく、中国の古代社会ではき
 わめてポピュラーな考えであったわけで、「牧民」とか「畜民」とかいう表現がよくでてくる。郭
 沫若はこれを奴隷社会制度の意識として非難しているが、当時の支配眉からみれば、飼育されてい
 る長沢は、放牧されている家畜と、大差なかったのかもしれない。

  管仲は、人民をうまく飼育することを統治者の義務と考えた。そのためには、かれらの生活を保
 証してやることであり、さらに、法律による規制と、制度による抑圧があると考えた。後世の法家
 思想の源泉がここにある。
 
 階層分業の思想 『管子』は階級的な差別を積極的に肯定する。乗馬箱にこういう説明がある。

 「国中の人開かみな高位高官ばかりなら、勤労者はいなくなる。したがって、生産は停止し、国家
 は危機に顔する。反対に、高位の者がいなかったらどうなるか。人民ばかりで統治する者がいない
 から、国家はいたずらに混乱するばかりだ。適正な序列や格差をつけることによって、長幼の序、
 貴賤の別を明らかにすることが肝要である」
 『管子』の階縁談は政治的特権の有無によって差別される、いわゆる「身分」とも違う。それは
 「身分」より一歩進んだものである。『管子』の階級観は、「身分」に一定の生産意識と社会的任
 務を加えたものである。
 

 『管子』は社会を君主・卿大夫・士・農・工・商のいくつかの階層にわけている。この中で、士・
  農・工・高の四階層は、各分担すべき業務があり、互いに違う所に住まわせるべきであり、兼業
 する
ことは望ましくないと主張している。中国の学者はこれを「四民分業定居論」といっている。
 これは
管仲の発想ではなく、周王朝の社会制度の一特長だが、『管子』はとくにこれを強く打ち出
 している。

  四民分業には序列があるか。『管子』は、農業を最も重んじ、工業を一番軽く見る。この考え方
 は
その後、中国よりも日本に強い影響をあたえたようだ。「士・農・工・商」は漢代以降になると
 中国
ではあまり口にされなくなったが、日本では、江戸時代に至って社会的身分をこのことばで概
 括して
いたのである。

 『管子』は後世、じつにさまざまな批判を受けた。孔子・孟子を合む儒家はもちろんのこと、先秦
 時
代では、崇子、列子、荘子、菊子、韓非、漢代では劉向、司馬選、楊雄、近世では程伊川、蘇洵、
 蘇似、呂祖謙、梅士卒、朱長谷、郭正域、兪椙、王念孫、日本では伊藤仁斎、荻生組徐、細井徳民、
 猪飼敬所、安井息軒……と、批判者の数は枚挙にいとまない。現代でも郭沫若、詩仙潜などから批
 判
されている。

  まず管仲という人物にたいする批判がある。これは主として、かれが二君に仕えたことに由来
 る。
が、管仲にとって肉体的な "君主その人" は問題でなかったのだ。かれはいう。「紅さまお
 ひとりのために
 死ぬ必要はない。もし死ぬとすれば、それは、国が敗れるか、宗廟が滅びるか、
 先祖の祭りが
絶えるかしたときだ」(大匡篇)。一種の"君主機関説"とみることができよう。また、
 ともに公子総
に仕えた召忽が自害したのに、管仲だけが桓公の招きに応じたという点にも攻撃が集
 中した。そこに
は、「判富びいき」を哀がえした、アンチ勝利者の心理も作用しているようだ。

  儒家はほとんど例外なく『管子』に反感をもつ。孟子は、管仲と比較されるのは不愉快だといわ
 ん
ばかりだし(公孫丑篇)、孔子は『論語』の中で、「管仲の器量は小さい」「管仲は礼儀をわき
 まえない
やつだ」などといっている。これは、『管子』の説く覇道が、儒家の唱える「仁」や「王
 道」とは対蹠
的なものであることからして当然であろう。『管子』の覇道の根底を成すのは富国強
 兵策であり、
物質優先の考え方であり、儒家にとっては、許し得ぬ "不仁の書" なのである。
  また、『管子』の経済政策も後世の論議をよんでいる。たとえば、明代万暦年間の学者朱長春は
 こういう。
 

 「管子の軽重箱を見てみると、あまりにも米や塩のことに力をいれすぎていることがわかる。政策
 的にも下層階級の救済にばかり気をとられ、ちゃんとした商人や地方の素封家の生活を省みようと
 しない
  こうした批判にたいして、同じ万暦の進士で、経済に精通したといわれる郭正城はいう。 
 「わたくしも『管子』を読んだ。この書は商品の流通をはかり、富国強兵を策してい元その政策は                                                                 

 当時の人民の希望にかなったものである。管子を非難する者はこういう。『管子は小利にこだわり
 大
節を失している』『管子の政策は大商人や金貨業者にきびしすぎ、人情をわきまえていない』。
 だが、
これらはみな木を見て森を見ない論である。管子は人民大衆の気持をよく察しており、すこ
 しも苛酷
ではない。一言一句に千古の道理を秘めているから、その辺り実行すれば、必ず国を富ま
 し、兵を強
くし、民を安んじることができよう」

        解題 4、『管子』の構成

 『管子』は管仲とその弟子たちの著書といわれている。おそらく一世の大政治家の言行録として戦
 国
時代には『管子』は一種のベストセラーになっていたと思われる。
  漢の劉向か訓べたところ、管仲の著作といわれていたのは実に五百六十四指もあった。そこで、
 劉
向は記述の回復した部分を除き、『管子』八十六指を紺染した。これが『漢書』芸文志でいう
 『管子』
である。(後略)


古代中国(先秦時代)の唯物主義のマルクス・レーニン主義的官僚の風貌が浮かんでくるように、こ
れが現代の中国共産党の革新官僚像とダブルようで、なかなか面白い。

                                       この項つづく

 ● 秋宵の2つの新聞

もの憂う秋の夜も悪くはないが、そればかりではねと、前向きに室内運動に精をだす。7日、ワイヤド・
ジャパンは、「魚の言葉にも"
方言"がある」ことを伝えている。エクセター大学の海洋生物学者スティ
ーヴ・シンプソン教授によれば、魚にはそれぞれの生息地固有の「方言」があるという。そして彼は
、地球温暖化に伴う海水温度の上昇により、一部の魚が北上を余儀なくされているなかで、異なる「
方言」をもつ魚が出会ったときに何が起こるのかを突き止めたいと考えているとか。
アメリカのタラが
発する音は、『ドシンドシン』という感じの低い短音です。一方ヨーロッパのタラの音は周波数が高く、
そのうなり声は長く続く。このことから、地域方言は存在すると考えられ、こうした地域方言とは、
鳥類や哺乳類でも見られる現象と同じで、人間も含まれるという。魚の生態がわかりすぎて、そのうち
食べにくくなるぞと、これは犬、猫だけでなく牛、豚、山羊、鶏も同じで、菜食主義に転向するんじゃ
ないかとメランコリーに包まれる?てなっことはないか!(上写真ダブクリ)。

これは旧聞になるが9月27日、ベルギーの独立系研究機関imecらの共同研究グループは、ペロブスカ
イトと銅インジウムガリウムセレン(CIGS)をタンデムに積層し、変換効率17.8%となる薄膜太陽電
池モジュール(上写真/右下)――同積層モジュール(3.76cm2)(図参照)はぺロブスカイトをトップ・
モジュール、CIGSをボトムモジュールとして用い、それぞれ7枚および4枚のモジュールを用いてい
る――試作したことを伝えている。これは、imecが持つぺロブスカイトモジュールの15.3%という
世界記録を超え、ZSWCIGSモジュールの持つ15.7%をも超す値。今回の成果は研究のほんの入口
で、17年には変換効率25%を超す多重接合ぺロブスカイト/CIGS太陽電池モジュールの開発を目指
す。開発段階であるが、ここでも頑張っている。さぁ、実用レベルの30%超開発競争もわたし(た
ち)日本人が終焉(=ゴール)させようではないか、諸君!


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エネルギー問題に終止符?

2016年10月08日 | EMF安全保障

 

 

 

 

          自分一人のものが夢。みんなで共有できる夢が志だ。

                           孫 正義 

                                   

                                                                  Aug. 11, 1957 - 

 

  Dec. 27, 2015

【RE100倶楽部:水素運搬プラスチックの開発】

● エネルギー問題に終止符かそれとも?

20年前頃に盛んに研究開発されたポリケトンもしくはポリケトンポリマーが話題となっている。9月
30日、早稲田大学の研究グループが、水素をためた状態でも手で触ることができる素材「水素運搬プ
ラスチック」――研究グループは、プラスチックシートとして成形できる「ケトンポリマー」を水に浸
し、マイナス1.5ボルトの電圧をかけると、水素が固定された「アルコールポリマー」が生成される
ことを明らかにし、このポリマーを80℃に加温すると水素ガスを放出し、水素の固定と放出のサイク
ルを簡単にに繰り返すことを突き止めた――を開発したことを公表。両ポリマーは、室温・大気下で長
期保存できる。特別な装置が必要なく、身近な場所で水素が貯蔵できるため、地域分散型のエネルギー
システム構築できる期待される。従来法では、水素は高圧ボンベなどでの保管・運搬や爆発の危険など
課題が多く、安全で効率良く水素を運搬できる素材の開発が望まれていた。つまり、今回の研究成果は、
プラスチックシートとして成形できるケトンポリマーを水に浸し-1.5Vの電圧をかけると、水素(2
H)が固定されたアルコールポリマーが生成されることを発見し(水素固着)アルコールポリマーを80
℃で加温すると水素ガスを放出したことが世界に先駆けて実現したことである。


図:(a)は5グラムスケールでフルオレノンとフルオレノールヒドロゲルのシート(水素放出後)ガス
  バリア袋を用いて封止したフルオレノールシート。(b)水素固着-放出サイクルの模式図。(c)フ
  ルオレノンとフルオレノールポリマーの調製スキーム。

● 技術背景

「水素」をエネルギー源の一つとする社会の実現に向けて、施策と研究・開発が進んでいる。しかし、
水素は高圧ボンベなどでの保管・運搬や爆発の危険など課題が多く、安全で効率の良い水素キャリア(
搬体)の開発が望まれている。有機物の中には化学結合で水素を固定し、また放出するものがある (例
ばアンモニア(NH3)は窒素(N2)に水素ガス(H2)が固定され生成)。しかし水素の固定・取り出しには高
温・高圧を要し、揮発・毒性などの観点からも扱いは容易ではない。水素の貯蔵・運搬・放出において
エネルギー負荷が少なく、かつ安全で軽量な、まったく新しい形式の水素キャリア(運搬体)を実現しよ
うとした。

● 新しく開発した手法 

プラスチックシートとして成形できるケトンポリマーを水に浸し-1.5Vの電圧をかけると、化学結合
によって水からプロトンが取り込まれ、水素(2H)が固定されたアルコールポリマーが生成されることを
見出した。さらにアルコールポリマーは80℃の加温により水素ガスを放出した。水素固定と放出のサ
イルは温和な条件下で簡易に進み、繰り返せた。

  1. 「水」をプロトン源として水素(2H)をケトンポリマーに固定できた。水素をアルコールポリマー
    の形で貯蔵。このプロセスは-1.5Vの電圧印加(簡易、一時間程度)で進む。
  2. 80℃の加温により水素ガスが発生し、ケトンポリマーに戻る。1gのプラスチックから約30
    mlの水素ガスが発生(一時間程度)する。
  3. 上記の水素固定-水素発生は繰り返せる(50回試験、性能減少はわずか)。
  4. アルコール、ケトンポリマーはともに安定、室温・大気下で長期保存することが可能(1ヵ月後
    も変性なし)。

● 今後の課題

質量水素密度(1.1 wt%)が低いことが課題であり、よりコンパクトな――例えば水素定着ユニット
として、ピペラジンテトラノール(2.8重量%)など―― 分子構造のアルコール、ケトンポリマーで
検討中であるという。

 Sep. 30, 2016

図:AN電解質中で測定された10クーロンの速度でフルオレノンポリマーの曲線を放電/充電する。
  挿入図:ポリマー層中の電荷伝播の概略画像、フルオレノンポリマー層中のフルオレノールユニッ
  トのフルオレノン変換プロットは電解AN/水電解液で減少。
フルオレノンポリマー被覆電極の理論
  容量は、0.2mg のポリマーあたり52 mC
破線は、通過した電荷を持つ理論的な変換を示す。
  s.d.のエラーバー5つのサンプルから計算。

   doi:10.1038/ncomms13032

図:同様のプロトン伝播は、ハイドロキノンのポリマーを用いて検討。しかし、それらのほとんどが原
  因ホッピング非常に遅い電子/プロトンのとポリマーの疎水性の水性媒体中で電気化学的に不活性
  であった、と酸化還元活性の例は、非黒鉛炭素上にコーティングされた非常に薄いキノン層に制
  限。フルオレノン高分子ヒドロゲルは、おそらくフルオレノン単位の適切なネットワーク構造と親
  水性ゲル状態に、電気化学的に有効電荷およびプロトン伝播またはホッピング両方が発生する(図
  2 挿入図 図3(b))。電解還元及びフルオレノンポリマーの連続水素化は、室温で水性電解質の
    存在下で進行していることに要注意。

※ 関連資料

・「特集|水素貯蔵プラスチック」(環境工学研究所 WEEF、オールソーラーシステム code No.20161007_01

 


 

このニースリリース資料と技術論文で、一番の疑問は、ケトンポリマー(二官能性フルオレノン、フル
オレノール誘導体、2,7-ビス[2-(ジエチルアミノ)エトキシ] -9-フルオレノン)の膨潤→繰り返し使
用の耐久性→機能性有機化
合物特有のターンオーバーの有無。本当に「半永久使用可能?」である。ま
あ、この問題はここではおいておこう。次に、非黒鉛化炭素(=グラシアカーボン)に非被覆し電極形
成するフルオレノンポリマーの厚み。これは1μm の均一な膜で被覆し実験し、フルオレノンポリマー
層は水
で膨潤したが、アセトニトリル(AN)またはそれらの混合物が不溶出であったとする。つまり、
実用的
な最適膜厚と言い切れるのかという点。非黒鉛化炭素(=グラシアカーボン)に変わる導電体と
模索した場合、
カーボンナノファイバー(ナノワイヤーあるいはナノドット)あるいはグラフェンフィ
ルムを使ってフルオレノンの表面積の最大化を図ることで、水素放出の最大化(=単位重量あたりの水
素生成量)を考える上の重要因子であることへの疑問である。さらに、今後の開発戦略について。ここ
では分散型のコンパクトな可搬ツールを想定しているが中・大規模の水素固定(固着)/水素放出シス
テムへの展開が示されなかった点である。その他、詳細な疑問などはここでは保留しておくが、この3
つの疑問の最後の点に触れてみよう。

What to expect from your biomass boiler

水素固定(固着)工程での電源は、太陽光、風力、水力などの再生可能エネルギーで賄うとして、水素
放出の加
熱エネルギーにバイオマスボイラーからの熱エネルギーを使用し、水素ガスは燃料電池で電力
変換するシステム
考えてみた(要特許申請)。こうすれば、百パーセント再生可能エネルギーで賄える。
後はエネルギ&マテリアル収支と個別機構・機能・品質設計へと続く。この発明がここまでいけば、エ
ネルギー革命となり世界を席巻することとなる。ビバ!エネルギー革命、百パーセント再生可能エネル
ギー倶楽部は終焉する、これは愉快だ。


【我が家の焚書顛末記 Ⅴ:中国思想 管子】 

 ● 管仲の生涯

 「管鮑の交り」という故事がある。管仲と親友鮑叔牙の友情物語をもとにしたことばで、真の友情
 をたたえる意味に使われ、唐の詩人杜甫などは、軽薄に堕した人情をなげいて「君見ずや管鮑貧時
 の
交り、この道いまの人捨てて土のごとし」とうたっているほどだ。
  が、管仲の真骨頂は、こうした故事とは別のところにある。かれは、社会経済の発展過程と客観
 的
条件とを冷静に見きわめ、いかにして斉の富国強兵をはかるかに一生を終始した。意地の悪い見
 方を
すれば、そのために友情をも踏み台にしたとさえ考えられるふしがある。
  管仲、名は夷吾、字を仲、または敬仲といった。『史記』によれば頴上の生まれということにな
 っ
ている。

  頴上は、安徹宵の西部にある高菜の中心地で、穎水のほとりに位している。頴水は頴上から東南
 に五十キロ流れて池水に合流する。『漢書』地理志によれば、頴水も混水もその流れは背とほとん
 ど変わっていない。頴上は水運の使がよく、ここから池水に沿って東流すれば江蘇や山東に出られ
 るし逆に頴水を題ると河南平野に達する。おそらく春秋の時代にもここは商業都市として栄えてい
 たのだろう。計数に明るく、需給のバランスを言祝するというかれの考え方は、その生い立ちの環
 境に関係があるといってよい。



  管仲の青少年時代については、いわゆる「管鮑治の交り」以外には、知るすべはない。かれは鮑
 叔牙とともに斉の唇公に仕え、管仲は公子紅、鮑叔牙は公子小白の、それぞれ教育係になった。紅
 と小白との相続争いで、管仲は治政牙と敵味方になって戦い、結局、紅・管仲側は敗れ、紅は殺
 された。しかし、管仲は親友鮑叔牙の推挙で、敵だった小白に仕えるようになった。小白は斉君と
 なり(斉の桓公)、管仲は桓公の宰相にとりたてられた。それから四十数年、管仲は桓公を補佐し
 て、斉の黄金時代を築きあげるのである。


  当時、四百年以上にわたって中原に君臨してきた周王室の
統刺刀は次第に衰え、斉、楚、晋、秦、
 燕、魯など太小数十の諸岡が群雄割拠し、兼併をすすめていた。周王室の東遷から始まる春秋時代
 の初期から中期にかけての時代である。内には、後述するよう
な社会変革が徐々にすすみ、外から
 は夷秋の脅威がせまっていた。

  斉は、周王朝の成立とともに太公望呂尚が封ぜられた地であり、臨瑙(現在の山東省)に都して
 いた。
降って春秋中期から戦国時代に至ると、臨晶は古代中国における最大の都市のひとつとなる
 のだが、
桓公以前の斉は、黄河下流にあって海をひかえるとはいえ、海運がさはどの役割をもたぬ
 当時の中国
では、中原の中心から東にへだたった後進地域にすぎなかったであろう。その斉の君主
 となって早くも七年目(前679年)に、桓公は衛の直に諸侯を召集して会議を主宰し、"覇者"

 地位を確保している。覇者とは、名目的な周王室に代わって実質的に諸侯を統制する盟主
である。 

  いうまでもなく、ここには宰相管仲の政治力があった。たとえば、それより二年前、桓公が魯に
 戦
勝して平和会議を開いたときのエピソードがある。会議の岸上、魯の将軍曹沫が短刀をかぎして
 桓公
に迫り、「侵した領土を返せ」と迫った。桓公は一度承知しながら約束を履行せず、曹沫を殺
 そうと
した。管仲はそれをおしとどめて信義を説き、領土を返させた。その結果、桓公の名声が諸
 侯の間に
ひろがったのである。

  
桓公は在位四十三(前685~前642)年の問に、北は現在の河北省北部、西は大行山脈、南は河南
 中央部あたりまで出京している。当時としては全中国といってもよい。もともと桓公自身は、凡庸

 といってもよく、自力で覇者になり得るほどの素質をもっていない。「桓公が諸侯をひきいて天下
 の
政道を正したのは、管仲のはかりごとによる。……管仲は貨物を交易して財をつみ、国を富まし
 兵を
強くし、世間の好悪にさからわぬような政策(※重商主義)をとった」(『史記』貨殖列伝)。
 「管仲が宰相となるや、経済官庁(※財務省)を設置し、物価調整法を立案して、みごと再建に成
 功した。その結
果、斉君桓公は覇者として諸侯を統率し、天下をひとつにまとめることができたの
 である」(『史記』
貨殖列伝)。

  管仲は「周官」にある制度を再編成し、より合理的な法律や制度を制定した。内政の充実をはか
 る
と同時に、対外的にも適切な政策を実施した。またかれは、周王朝の威信をもりたてることによ
 って斉国
が天下に覇を成すための大儀名分とした。まず自ら周王室に朝貢し、周に入貢しないこと
 をとが
めて諸侯を伐っている。また管仲は、今口でいう「小国の集団防衛」に近い考えをもってい
 た。諸侯
は一つの先進国家――つまり斉――の指導のもとに、ブロック国家をつくるべきだと説い
 た。管仲の
治政は、小は斉一国の強大化から、大は天下の平和維持へと、大きな実績を残すことが
 できた。管仲
の人となりや思想には反感をもっていた孔子も、その政治上の功績は認めざるを得な
 かった。『論語』憲間篇
にこんな話がある。

 
 子貢がいった。「管仲は仁義のある入門ではありません。主君に殉死することができなかったば
 かりでなく、そのうえ、自分の主君を殺した桓公に仕えています」
  すると、孔子は、「管仲は桓公をたすけて、諸侯を指導し、天下の平和を維持させた。庶民なら
 は今でもその恩恵をうけている。もし管仲がいなかったら、とうの昔にわが中国は夷狭に占領され、
 今頃、われわれはザンバラ髪に左前というエビスの風俗を強制されていたであろう」
  ――桓公の治世四十一年目(前645年)に、管仲は死んだ。かれが死ぬと、桓公はたちまち無
 能ぶ
りを発揮し、管仲の遺言に従わなかったため、五人の公子の相続争いが表面化している。管仲
 の死後
二年して、桓公も世を去るが、相続争いに熱中した公子たらはその屍を六十七日間も放置し、
 「蛆が
わいて戸外にはいだした」(『史記』斉太公世家)という。

尚、「※」の箇所は小生の注釈、加筆。

 ● 『管子』の思想

  管子は法家の祖とされている。これは『回書』経籍志で法家に列されてからの一般的な伝統でゐ
 る。
また一部では、かれを道家の筒躊にいれている。これは『漢書』芸文志で道家に列しているこ
 とに端
を発している。
  しかし、『管子』を法家または道家の言という分類で概括してよいだろうか。これは『管子』の
 思想を一つの型にはめようとするものであり、いわゆる諸子百家ということばにとらわれすぎるた
 めである。こうした分類には、今日的な意義はあまりない。
 既述のように、管仲は思想家というより政治家であり、経済政策のプロモーターであった。したが
 って、『管子』は信書のような道徳教科書ではなく、広い意昧での政治綱領というべきものである。
  ここでは、その経済政策や政治綱領の中にあらわれた気長な思想を、いくつかとりあげてみよう。

  唯物的な立場 管仲を、厳密な意昧での唯物論者ということはもちろんできないが、かれは古代
 中
国の思想家のなかで、はじめて唯物的な立場を明確に打ち出した人物である。かれはいう。
 「日々の慕らしが楽になれば、自然に礼儀をわきまえる、生活にゆとりができさえすれば、道徳意
 識
はおのずと高まる」(牧民篇)。
 「"金持ちケンカせず"といわれるように、物質的な面で苦労がなければ争いはおきるものではない。
  "食物の怨みは長い"ともいうが、食うのに事欠くことがなければ、人を怨む者はいなくなる」(禁
 蔵
笥)。
 「物質の豊富なことで天下一の国でなければ、精神的に天下をリードすることはできない」(七法
 篇)。

 ここには、いわゆろ「先王の道」という発想はない。物質的条件を重くみるというこの考え方は、
 当時、急速にすすんだ農業生産力の発展を反映しているとみることができよう。
  儒家の説く仁・訟・礼・智・信も、法家の強調する法律も、兵家の目的とする戦争に勝つ方法も、
 すべて物質的な基礎を確立しなければ、机上の空論に終わるだけだというのが、『管子』の根底に
 流れる思想である。


この時代と比較しても意味ないかもしれないが、現代の日本は「軍事力整備」という点では経済的側面
では、金額的にも、生産力に占める割合からも、突出していな唯一の先進国であり、経済力や文化的側
面では突出した国力(政治・経済・文化・環境・人権)の総合的な意味合いで)をもつ特異な国家――
細かな点での問題点を列挙すれば、世界の中位に格下げされるきらいは否定できないにしても、評価さ
れて良い――である。さて、この本と関連しで、あるは、まったく独立して考えを認めていく。速度を
上げて読み進めていこう。

                                       この項つづく                                         

 

 

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新徐福伝説のはじまり

2016年10月06日 | 医療健康術

  

 

 

 

            心の中の自我を抑えることのできぬ者ほど、自身の驕慢な
               心のままに、隣人の意志を支配したがるのです。

                                                    ゲーテ 『ファウスト』
 

                                                                                            
                                                                                                            Aug. 28, 1749 -Mar 22, 1832

 

 

【折々の読書 齢は歳々にたかく、栖は折々にせばし】    

   Jun. 26, 2016

 

● 朝日新聞「迫る2025ショック取材班」

          
『日本で老いて死ぬということ』7
 

 [目次]

   はじめに

   第1部 日本で老いて死ぬということ

  第1章 生きがいの喪失と回復

  第2章 難しい「平穏な在宅死」
  第3章 口から食べたい
  
  第2部 介護の現実~在宅・施設それぞれのリアル

  第4章 三人介護
  第5章 遠距離介護
  第6章 ダブルケア
  第7章 虐待を防ぐ
  第8章 在宅でみる 
  第9章 訪問看護師の力
  第10章 特養で看取る

  第3部 老いは地域社会で見守れるか

    第11章 地域で暮らす

  第12章 コミュニティ再生
  最終章 未来へつなぐ

  おわりに
  

  
第2章 難しい「平穏な在宅死」

     胃ろうのプロフェッショナル

  2014年9月9日夕方、横浜市のマンション,大垣さんのケースで紹介した赤羽重樹医師は、
 男性患者(66)宅で胃ろうのチューブを交換していた。一胃の中はきれいだね」。内撹鏡でのぞき
 ながら、妻(65)に声をかけた。



  赤羽医師は、胃ろうや「摂食・嘸ド(のみ込み)」に詳しい在宅医として、訪問診療をこなす。
 患者や連携する看護師らの信頼は厚い。横浜市内の在宅医らでつくる「在
宅医ネットよこはま」(
 岡田孝弘代表)の東部地区代表も務め、胃ろうなどに関するシ
ンポジウムを問くなどしてきた。
  そんな赤羽医師だが、胃ろうについては、ある「トラウマ」がある,病院勤務医だった2000
 年前後、毎年50~80件の胃ろう手術を手がけていた。数年後、その患者
たちの生命予後を調べよう
 と、約200入に電話をかけた。すると、数人の家族から
「何で胃ろうをつくる前に、こんな大変
 な状況になると説明しなかったんだ!」と怒ら
れた。「転院先を3ヵ月ごとに自分で探し続けた]
 「介護施設には『胃ろうの人は入れ
ない』と断られた」――当時は、今より病院や施設の支援態勢
 が弱く、「胃ろう難民]が出ていた。

 「自分は多くの患者さんを救ってきた」と思っていた赤羽医師は、大きな衝撃を受けた。胃ろう難
 民のことも知らなかった。同時に罪悪感が膨らんでいった。

 「これからは胃ろうにした後のサポートをしていこう]。そう考え、2007年に今のクリニック
 を開業した。「自分としては、懺悔のつもりで今の仕事をしているんです」

 在宅医療の現場に入り、患者により深く関われるようになった。胃ろうの管理で困ったことに相談
 に乗るだけでなく、つくろうかどうか迷う人の支援もする。

 胃ろうにするかどうかは、(1)夫婦・親子間の愛情、(2)経済力、(3)空間的なゆとり(家
 の造り)
などを元に助言するという。「自分だったら、どうする?」と聞くことも多い。「母親に
 胃ろうをつくって」という息子がいた。「自分だったら、どうしますか?」と聞くと、「つけませ
 ん」。「本当にお母さんのことを考えるなら、「自分だったら』の選択の方が、思いやりなのでは
 ありませんか」赤羽医師が言った。もう、度考え、結局胃ろうにはしなかった。

  赤羽医師は、今まで多くの「胃ろうの選択」に立ち会ってきた。わかったことは、「胃ろうはつ
 くってもつくらなくても、必ず後悔は残る」ということだ。つくると「自分が罪悪感から逃れるた
 めにやった」と思い、つくらないと「死期を早めてしまった」などの思いを抱いてしまう。
  だからこそ、亡くなった後のケアが大事だという。前述の大垣進さんの妻、佐智子さんは今も月
 1回、健康チェックのため赤羽医師の元を訪れると、当時の思い出話をする。胃ろうの選択は、重
 い。でも、こうした心のケアや周囲の支えがあれば、和らげることができる。



   胃ろうのメリット・デメリット

  胃ろうは、介護保険が導入された2000年前後から、食事がとれない高齢者らに急速に広がっ
 た。毎年10万人前後が新たにつくり、40万~50万人が利用していると推定されている。だが数年
 前、安易に胃ろうをつけることに批判が高まった。長所と短所を見極め、家族で話し合って判断す
 ることが必要だ。

   〈患者、不快感少なく〉

  胃ろうは、ロから食べられなくなったとき、おなかに穴を開け、管から胃に栄養や水分を入れる
 方法だ(次の図)。「ろう(秦)」とは、「本来ないところに道ができる」という意味だという。
 元々は、障害があってロから食べられない子ども向けに開発された。 人工的に栄養を補う方法に
 は、大きく(1)管で胃や腸に栄養を送る「経管栄養法」、(2)首などの静脈や不足の細い血管
 に点滴する「静脈栄養法」がある。(1)の中に、胃ろうと、鼻から管を入れる方法などがある。
  胃ろうは、ほかの方法に比.へ、患者の不快感が少なく長期問使いやすい。メリットとしては、
 「口から食べるリハビリをしやすい]「家族が食事介助する時間を減らせる」「栄養状態が改善し、
 床ずれが治る」などが挙げられる,一方デメリットとしては、「胃ろうに頼り、ロを使う機会が減
 る」「介護施設では入居制限がある」「一度開始すると、やめにくいIなどがある。

  手術は20分程度で済む。管はIカ月~半年に一度、交換が必要だ。栄養剤には「医薬品扱い」
 と「食品扱い」がある。医薬品扱いだと医療保険がきくが、食品扱いは全額自己負担。医薬品扱い
 のものを中心に使えば、1割負担で月1万円以内に収まるという。

    〈安易につくる例も〉

  一気に広がった胃ろうだったが、「平穏死」「自然死]という言葉が広まるようになった数年前
 から、風当たりが強くなってきた。本来は、口から食べるまでの一時的な手段のはずだったが、老
 衰で死期が追っている患者に、安易につくるケースなどが明らかになってきたためだ。実際、20
 12年度の医療経済研究機構の調査では、胃ろうにした人の59%は「将来ロから食べられる可能性
 はない」と判断したのにつけられていた。「口から食べる可能性があった」のは24%に過ぎなかっ
 た。のみ込み機能の検査を受けずに胃ろうにした患者も23%いた。

  このほか、家族と十分に話し合わずにつくったり、再び食べられる可能性があるのにリハビリを
 しなかったり、といったケースがあった。認知症が進み食べられなくなった患者に、何年も胃ろう
 にし続けることの是非も、議論になった。
  こうした状況を受け、厚生労働省は、2014年春の診療報酬改定で、可能な限り「ロからの食
 事摂取」を促そうと、胃ろう手術の点数を引き下げた。そして胃ろうの必要性を調べるのみ込み機
 能の検査や、術後のリハビリヘの加算を手厚くした。
  また、日本老年医学会は2012年、胃ろうを含む人工栄養法について、患者の人生に有益でな
 いと判断される場合には、差し控えや中止も選択肢とする指針をまとめている。

  一方、ベテランの医師ですら、将来口から食べられるかどうか、回復の予測は難しいという。胃
 ろうに詳しい赤羽重樹・西神奈川ヘルスケアクリニック院長によると、つくるかどうか決める時点
 で、人まかにいえば「確実に回復する]「回復はまず無理」とはっきりわかる患者は各1割、残り
 8割は「どちらになるかわからない」のだという。

   〈補完的に使う選択肢〉

  批判の高まりもあり、ここ数年、胃ろうを選択する患者・家族は減ってきているようだ,
  さきにも触れた朝日新聞横浜総局が横浜内科学会と共同で2013年11月に実施した「在宅で
 の医療と看取り」アンケートでは、胃ろうをつけない選択が増加傾向にあることが、わかる。「過
 去10年間ほどで、家族が胃ろうをつけない選択をするケースは増えているか」と尋ねた。回答し
 た診療所・病院40ヵ所のうち、「増えている」が14ヵ所(35%)で最も多かった。「変わら
 ない」12ヵ所(30%)、「減っている」3ヵ所(7・5%)、「わからない」11ヵ所(27・
 5%)だった。具体的な事例についても尋ねた。「家族と十分話し合い、胃ろう造設を病院に依頼
 したが、担当医が胃ろうに批判的で、ほぼ追い返されてしまった」(横浜市南区のクリニック)な
 どの回答があった。

  胃ろうに詳しいクローバーホスピタル(拍‥奈川県藤沢市)消化器科の望月弘彦医師(53)によ
 ると、最近「胃ろうはやめてほしい」という患者・家族が増えている。だれか1人を胃ろうにして
 看取ると、2人目のときに拒否するケースが目立つという。
  こうした流れに対し、赤羽医師は、冷静な判断を呼びかける。「たとえやせてしまったお年寄り
 でも、胃ろうにして栄養補給することで、のみ込みに関わる筋肉がついて、2年後に食.へられる
 ようになった、という例もある。完全にロから食べられるようにならなくても、胃ろうを補完的に
 使う選択肢もある。メリットとデメリットを家族で十分に話し合い、介護力などを勘案し、決めて
 ほしい」

  口から食べられなくなったとき、胃ろうをつけるか、つけないか-。2025年に向け、こうし
 た選択を迫られる人たちは増えていくだろう。「自分なら、どうするだろうか」。元気なうちに、
 ある程度のシミュレーションをし、家族や医師、看護師らと話し合い、その意思をきっちり伝えて
 おくことが大事だと思う。

リアルな描写に、やはり健康が一番を痛感する。

                                      この項つづく 

 Sep. 27, 2016

【新徐福伝説の始まり】

つい最近、ブログ『徐福伝説は真実だった ?』(2016.09.27)を記載したばかりだというのに、今月5
日、
米アルバート・アインシュタイン医科大学の研究グループが、世界各国で、最も高齢の人たちの寿
命は
延びが止まっていて、人間が125歳を超えて生きることは将来的にも難しいとする研究結果(下
図)
を発表している。医療が発達しても人間の寿命には限界があるとしており議論になりそうだという。
界の40の国と地域の、最長でおよそ100年分の人口統計をもとに、年齢層ごとの寿命の延び方を
析、各国の平均寿命自体は延び続けている一方で、百歳を超えるような最も高齢の年齢層については、
80年代以降、寿命は延びなくなっている。

長寿の人が多い日本やフランスなど4か国で最高齢の人が亡くなった年齢が、70年ごろから90年
前半までは毎年0.15歳ずつ延び続けたが、 122歳まで生きて歴史上最も長寿と確認されている

ランス人のジャンヌ・カルマンさんが亡くなった97年ごろからは下がる傾向にある。統計的に解析

ると、将来的に125歳を超える人が出る確率は1万分の1未満だとしています。人間の寿命について
はこれからも延び続けるという説もありますが、研究グループは、医療が発達しても寿命には限界があ
ると結論している(下図ダブクリ)。

 


Evidence for a limit to human lifespan, NatureYear published:(2016)DOI:doi:10.1038/nature19793 

そうすると、125歳と言えば大還暦に5歳足せばいいのだ。この限界を突破すれば一応、マスコミに
取り上げられ名前が残る可能性が出てくるんだなぁっと?それじゃ、チャレンジするのも悪くない。ま
てよ、健康でいなければ、それも、肌が艶々させておかなければ・・・・・・と。妄想モードに入る。デスク
ワーク中心の今のままじゃだめだし、健康上の不安は?環境上の不安は?と展開していく。後者の放射
能汚染や地球温暖化による罹災は社会問題だから個人では非力だが、後者は個人として解決できるが・・・
そうだ、二度寝癖がある、とりあえずそれを直そうととネット・サーフすると、「オルニチン」という
非必須アミノ酸がヒットする。
 
つまり、こうだ。日本人の半数以上が「寝つきが悪い」「熟睡できない」「目覚めが悪い」といった眠
りに対する不
満を抱えていて、そこで、疲れ気味の方を対象に、オルニチンが睡眠や朝の目覚めに及ぼ
す影響について検討試験を行なったところ、その結果、就寝前にオルニチンを摂取する事により、眠り
の体感が良くなり、翌朝起床した際 に頭がより早く目覚める可能性が示すという。

 

それじゃ、シジミ、しめじ、だだ茶豆などから摂取できるし、サプリメントも市販されているので手に
入る。念のため、オルニチを合成できないか特許技術をリサーチすると可能なことが解る。なお、オル
ニチンの製造の技能習得には、高等学校レベルの教養があり、有機合成(生命工学)の知識があれば、
あとは英語力とデジタルツール・リテラシがあれば3年程度の実務体験で製造可能。それと、滋賀県で
ではシジミがとれるので、セタシジミの養殖工場とシメジの植物工場、さらに地元の味噌を商品開発し
これらをセットにし販売。毎食時に「シジメ味噌汁」として県の名産品として販売すれば、20年後に
は、世界で一番125歳超のパワフルお年寄りが多い県として名を馳せることとなるだろうと妄想する。
尚、関連特許技術を下記に参考掲載しておく。


 特開2005-237379 L-アミノ酸生産菌及びL-アミノ酸の製造法

【RE100倶楽部:燃料電池航空機も 4人乗りで最長1500kM 】

ドイツの国立航空宇宙研究センターが燃料電池で飛ぶ4人乗りの航空機の飛行に成功した。低温で動く
固体高分子形の燃料電池と水素格納装置を搭載して、水だけを排出しながら最長1500キロメートル
を飛ぶことができる。最大出力は80キロワットで、離陸時や上昇時には蓄電池から電力を補給する。

 

 

9月29日、ドイツの南西部にあるシュトゥットガルト空港をドイツ国立航空宇宙研究センターが開発
した「HY4」1機が飛び立った。水素で発電する燃料電池を搭載した航空機で、4人乗りでは世界で初
めてのフライトに成功。HY4は機体の中央部に燃料電池による駆動システムを内蔵して、前方のプロペ
ラを回転させる仕組みだ。左右に分かれた2つの胴体の前部に、パイロットや乗客を2人ずつ分散して
収容。人間を乗せる部分を左右に分散させた構造が最も効率よく飛ぶことができるとのことである。

動力源の燃料電池はカナダのハイドロジェニックス社が供給。低温で動作する固体高分子形の燃料電池
――燃料電池自動車に使われているのと同じタイプ――。HY4に搭載した燃料電池の出力は80キロワ
ットで、トヨタ自動車の燃料電池車「MIRAI」の出力(114キロワット)と比べると少し小さい。
これは面白い。

 

 

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傷口を広げる福島第一

2016年10月05日 | 緊急|東日本大震災
  1.  

 

    

         本当に役に立つことは10年後、あるいは100年後かもしれない。
         社会が将来を見据えて、科学を一つの文化として認めてくれるような
         社会にならないかなあと強く願っています。


                               
                                 
                                            Ōsumi Yoshinori?, born Feb.9, 1945

 

 
東京新聞 福島第一原発の現状  Oct. 1, 2016

【傷口を広げる福島原発事故】

4日、電力業界団体の電気事業連合会が、東京電力福島第1原発事故の損害賠償・除染費用について、
東電を含む大手電力各社の負担額が当初計画を約8兆円上回るとの試算をまとめ、超過分を国費で負担
するよう政府に非公式に要望していることが4日明らかになった。政府はこれまで「賠償・除染費用は
原則的に原発事業者の負担」との立場を取ってきており、慎重に検討するとみられるという(毎日新聞
2016.10.04)。

それによると、福島第1原発事故の賠償・除染費用は、

  1. 国がいつでも現金に換えられる「交付国債」を原子力損害賠償・廃炉等支援機構(国の認可法人
    )に渡す
  2. 東電は機構から必要な資金の交付を受け、賠償・除染に充てる
  3. 機構は後に東電を含む大手電力から負担金を受け取り、国に返済する

という仕組み。賠償分は東電と他の大手電力が分担▽除染費用は機構が持つ東電株の売却益を充当▽中
間貯蔵施設の費用は電源開発促進税で賄うことになっている。そして、政府は13年、賠償費用5.4
兆円▽除染費用2.5兆円▽中間貯蔵施設の建設費などを1.1兆円と見込み、機構への資金交付の上限
を9兆円としたが、関係者によると、電事連は、賠償費用が見通しより2.6兆円増の8兆円、除染費用
が4.5兆円増の7兆円になると試算。また、東電株売却益も株価下落で1兆円減少し、合計で8.1兆
円の資金が不足すると見積もる。大手電力各社は「除染費用は東電株の売却益で賄えず、最終的に電力
各社が負担を迫られる」とみる。

一方、原発再稼働の停滞や、電力小売り自由化による競争激化などから大手電力の経営環境が悪化した
として、賠償・除染費用の超過分の政府負担を求めた。 福島第1原発の廃炉費用を巡っては、東電が
2兆
円を工面しているが、数兆円規模の財源不足も予想される。東電ホールディングスは7月、廃炉費
用などの負担
支援を政府に求めている。今回の電事連の要望に廃炉費用は含まれていない。政府は福島
第1原発の賠償や
廃炉費用の負担について、5日から始める「東京電力改革・1F問題委員会」などで
議論することにしており、電
事連の要望も今後協議される可能性があると同社は伝え、これは「事故つ
け回しで無責任」と次のように解説する。

  毎日新聞

電気事業連合会が東電福島第1原発事故の賠償・除染費用の超過分を国に負担するよう要望した。だが、
大手電力各社はこれまで「原発のコストは安い」と説明してきた。事故のつけを国に求める姿勢は「無
責任」との批判が免れない。
電力各社には「原発は『国策民営』で推進されてきたのに、事故が起きた
ときは事業者が責任を取らされる」との不満がある。東電以外の大手には「東電の事故の責任を負わさ
れるのは理不尽」との思いもある。しかし
、大手電力は原発稼働で巨額の利益を上げてきた(どのぐら
いの金額?)。原発の「安全神話」に寄りかかり、事故対策を怠ってきた面は否定できない。福島第1
原発事故に伴う賠償・除染費用が膨大な額に達する見通しになったからといって、国に負担を押しつけ
るのは筋が通らない。国が負担を引き受ければ、最終的に税金が投入され、国民負担につながる。
福島
第1原発事故の処理費用は、国が原子力損害賠償・廃炉等支援機構を通じていったん立て替えるが、最
終的に電力各社が負担する仕組みだ。この制度の趣旨にも大きく反すると指摘する。

14年には原発事業を切り離し国有化するというビジョンをもっていたわたし(たち)にすれば、傷口
を広げる過渡
期的な現実ということになる。



【台風18号チャバの軌跡】

 
Thu, 06 Oct 2016 09:00:00 GMT

Powerful typhoon Chaba barrels toward Japan : 台風18号チャバ日本を強襲

【RE100倶楽部:太陽光パネルに塗るだけで発電量3%増】

太陽光パネルの表面に、反射防止と防汚の機能を併せ持つ材料を塗布することで、1枚当たりの発電量
が約3%増加する革新的な技術が注目を浴びている。この基本技術は、中央自動車工業が製品化し、塗
布材料――新コーティング剤は、オルガノシリカゾルと無機添加剤を主成分としたもの。スピンコート
やディップコート、刷毛塗りといった方法で塗布するだけで、成分中のシリカが針状構造を形成し、親
水性によるセルフクリーニング機能を発揮する。前処理が不要なほか、自然乾燥により1分程度で針状
構造を形成し始めるため、施工が簡単で均質性に優れる。アクリルやポリカーボネート(PC)、ポリ
エステルといった樹脂素材にコーティングした場合、基材表面(30?90ナノメートル)に親水性成
分が入り込むことによって、素材自体の美観を損ねずに皮膜の高密着性を実現。また、無機系のため原
則的に黄変や劣化がない透明皮膜を形成するとともに、光がない場所でも親水性を発揮する。評価試験
では、アクリルおよびPCともにコーティングによる透過率(波長550ナノメートル)の減少がみら
れなかったほか、テープ剥離性試験(セロテープ剥離)で問題がないことを確認ずみ。耐久性も「5年
以上は持つ」(同社)ことから、同社では窓や外壁をはじめアクリルミラーやレンズ、繊維、フィルタ、
ディスプレイといった用途での採用を見込む――は、九州大学と共同で開発したもの。

ARコートとはAnti-Reflecting-Coatの略で、反射防止膜の意味があります。(低反射ガラスという事も
ある)日本では13年頃から徐々に普及しており、各モジュールメーカーが標準装備品として採用して
いるケースがある。品番によって異なるので、ARコートの有無は各モジュールメーカーへ問い合せる。

太陽光発電所で、稼働を停止することなく塗布できる。当初は、先端にスポンジなどを取り付けたモッ
プを使い、人手で塗布していたものの、その後、同社は日鉄住金物産の太陽光パネルの洗浄ロボットを
応用して塗布する手法に変えた(下写真)。事前の洗浄から塗布までこのロボットを使い、適切な薄膜
を均一に形成する。現地では、(1)まず、太陽光パネルの表面のカバーガラスを洗浄する。脱脂が目
的で、純水で洗浄し、乾燥させる。(2)次に微細な凹凸を含む膜を形成する。シリカ系の材料をカバ
ーガラス上に塗布する。無機材料は、液体ではなく、そのままでは塗布できないので、アルコール系の
材料を溶媒に使う。洗浄ロボットで塗布し、溶媒が蒸発すると、カバーガラス上で硬化し、膜が形成さ
れる。

日中に発電しながら塗布できる上、成膜は常温で可能で、光や熱を使った硬化プロセスも不要となって
いる。塗布後の外見は、塗布前に比べて、濃く見えるようになる。紫や黄色といった縞模様を生じるこ
ともある。無機材料のため、経年によって変色したり、機能が劣化したりすることも原則的にはない。
~10年相当の加速試験では、反射防止効果がほぼ変わらないことがわかっている。ただし10年以
上に相当する加速試験では、効果が落ちる場合がある。留意点は、太陽光パネルのメーカーにより保証
対象外とするメーカーもあるので保証内容について、必ずメーカーに確認した上で塗布施工すること。



● 
事例研究:館林ソーラー発電所

群馬県館林市にある出力約2メガワットのメガソーラー「館林ソーラー発電所」では、パワーコンディ
ショナ段階で出力が平均で3.2~3.3%増える効果があったという事例がある。発電事業者は、ダイ
ヤモンドカッターメイカーの三星ダイヤモンド工業(大阪府摂津市)と日鉄住金物産の合弁によるSPC
特定目的会社)であるMDI-SBソーラー(大阪市西区新町)。

この発電所では、インドのモーザーベアー・ソーラー(Moser Baer Solar)製の多結晶シリコン型パネル
を採用。出力は240ワット/枚。PCSはスイスABB製で、定格出力は630キロワット。全体で、3
台のPCSに入力する8640枚の太陽光パネルのうち、1台に入力しているすべてのパネル(2880
枚)に対し、15年4月にこの材料を塗布し発電量を検証。

この結果、塗布した当日からPCSの出力が増した。塗っていないパネルが入力しているPCSに比べ、元々、
接続しているパネル枚数の違いから、平均で1.4%高い出力となっていたが、その後の1年間で、平均
で4.8%高くなり、年間平均で発電量が3.3%増の効果を記録。冬は特に増加した。具体的なメカニ
ズムは不明だが、霜が溶けやすくなるなど、太陽光の入射が増えているためではないかと推測。この効
果を踏まえて、もう1台に入力しているすべてのパネル(3024枚)にも、16年6月にこの材料を
塗布。最後の1台分の2736枚を残して、すべて塗布施工する。

 日経テクノロジー

発電量が平均で3%以上増える効果に対して、塗布費用は、材料費と塗布費を合わせ、1枚当たり600
円と設定し。例えば、出力1メガワットメガソーラーで、出力250ワット/枚の太陽光パネルを設置
の場合、40000枚全部に塗布すると240万円。買取価格が40円/キロワトアワーで、元の年間発
電量が東京都の平均以下の約110万キロワットアワーと想定、その3%の増加分は年間発電量で3.3
万キロワットアワー、売電額は132万円増える。その結果、塗布費用の2400万円は、2年以内に回
収できる計算。発電量を増やす効果を発揮できるのは、製品設計上、もともと反射防止機能のない太陽
光パネルに限定される。こうしたパネルは、買取価格40円/キロワットアワーなど、FIT開始当初に建
設された発電所では、広く採用されていると見ている。日鉄住金物産では、太陽光パネルメーカーを主
なターゲットとしているほか、こうした反射防止機能のないパネルを採用した発電所に採用を働きかけ
ている。

従って、今後は新製品には、出荷前にこのプロセスを組み込んだものを出荷すれば、既存のパネル性能
より3%向上できるので、低コストで高性能なソーラーパネル販売の競合が続くことになる。ある意味、
『デジタル革命渦論』的側面の過酷な競合をパネルメーカーに強いることとなる。政治がやることは、
キャシュフローの是正(=税制改革)にある。

下図に関連特許事例(1)特開2013-185043 光触媒塗工液、太陽光発電システム用カバー、及びその製
造方法(2)特開
2013-203774  有機基材用防曇防汚剤及び当該防曇防汚剤で有機基材を被覆する方法を
掲載しておく。

 特開2013-185043 

 特開2013-203774

  

【折々の読書 齢は歳々にたかく、栖は折々にせばし】    

   Jun. 26, 2016

 

● 朝日新聞「迫る2025ショック取材班」

          
『日本で老いて死ぬということ』6
 

  [目次]

   はじめに

   第1部 日本で老いて死ぬということ

  第1章 生きがいの喪失と回復

  第2章 難しい「平穏な在宅死」
  第3章 口から食べたい
  
  第2部 介護の現実~在宅・施設それぞれのリアル

  第4章 三人介護
  第5章 遠距離介護
  第6章 ダブルケア
  第7章 虐待を防ぐ
  第8章 在宅でみる 
  第9章 訪問看護師の力
  第10章 特養で看取る

  第3部 老いは地域社会で見守れるか

    第11章 地域で暮らす

  第12章 コミュニティ再生
  最終章 未来へつなぐ

  おわりに

  

  
第2章 難しい「平穏な在宅死」
 
     悩ましい胃ろうの選択

  加齢や脳梗塞の後遺症などで口から食べられなくなると、胃に穴を開け、チューブで直接栄養剤
 を入れる「胃ろう」と呼ばれる方法を導入するのが一般的だ。40万~50
万人の人たちが利用し
 ているとされる。2025年に向け、利用者はさらに増えてい
くとみられる.
  ただ、それは「延命」にもなり得る。ベッドに寝たままの状態で胃ろうを使い生きることが、果
 たしてたして本人が望むことなのか。でも、胃ろうをしなければ、自分が命を
終わらせることにな
 ってしまう……。その選択に悩む家族は多い。

  ここでは、胃ろうをつける選択をした家族と、つけない選択をした家族のケースを、それぞれ紹
 介する。


                        つけてよかった。でも、2度目はない」

 「パパ」。妻の呼びかけに、もう反応はなかった。2013年4月28日の夕方、横浜市で在宅介
 護を受けていた大垣進さん(享年82)は、天国に旅立った,妻の佐智子さん(78)や息子らに見守
 られ、穏やかな最期だった。
  進さんは2002年から、脳梗塞などで人退院を繰り返した。左半身のマヒが残った。2008
 年2月から、西神奈川ヘルスケアクリニック院長の赤羽重樹医師(52)の訪問診療を受けていた。
 2009年6月、肺に食べ物や唾液などが入って起きる「誤嘸性肺炎」を起こし、巾内の病院に入
 院した。

  退院を前に、佐智子さんは病院の主治医から告げられた。「このままだと肺炎を繰り返して大変
 です,在宅に戻るなら、胃ろうにした方がいいと思います」
 「胃ろう?]。佐智子さんは、言葉は聞いたことがあったが、どんなものかは知らなかった。でも、
 何となく「終末期の延命治療一というマイナスのイメージがあった。以前、夫に胃ろうをつけた友
 人が「あんなもの、するもんじやない」と言っていたからだ。

  進さんは、胃ろうをするかどうかの判断をできる状態にはなかった。佐智子さんが、難しい判断
 をしなければならなかった。
  胃ろうの選択を迫られる少し前、ケアマネジャーで訪問看護師の大西美智子さん(56)からは「
 自然のままで(逝かせて)もいいんだよ]と言われていた。約7年間、佐智子さんの介護を見てき
 た大西さんの目には、「もう十分やった」と映っていたからだ。
  当初、佐智子さんは「胃ろうはやめよう」という考えに傾いていた。「でもとりあえず赤羽先生
 に相談しよう」。市内の病院から自宅に帰るその足で、赤羽医師のクリニックを訪ねた。「詳しく
 説明しますので、診療が終わるころにまた来てください」と言われた。

  夜、阿びクリニックを訪れると、赤羽医師は、胃ろうに使うチューブなどの器具を何種類か机の
 上に置き、使い方や特徴を説明してくれた。管理にかかる手間や栄養剤の値段なども話してくれた,
  そして、佐智子さんにこう声をかけた,「怖いことは全然ない。もしやるなら、我々医療スタッ
 フが全面的にサポートします」「佐智子さんは、やれるところまでやらないと気が済まない性格で
 しょ? 僕の意見としては、胃ろうをつくった方が、後悔は少ないと思いますよ」

  「先生、お願いします」。佐智子さんの心から、迷いは消えていた。約2時間がたっていた。赤
 羽医師は、このときのことを振り返って言う,「夫婦関係や経済状況、家の造りなども考え、大垣
 さんならやれる、と判断したんです」
  胃ろうの管理は、決して楽ではなかった。1日3回、栄養剤と水を1時間半ずつかけ注入した。
 トラブルの可能性もあるので、その問は目が離せない。実際、栄養剤が管のつなぎ目から漏れて、
 シーツがびしょびしょになったこともある。栄養剤をうまく消化できず、下痢をすることもあった,
 そのときのおむつ替えは大変だった,

  良いこともあった。それは10年ぶりにお酒を少しだけ味わえたことだった,2013年4月1
 日、進さんは、自宅から桜を眺めながら、ウイスキーをほんの少し口に含んだ,「おいしい?」。
 傍らで妻の佐智子さんと歯科衛生士の佐藤由紀子さん(42)が笑顔で見守った。1カ月後、進さん
 は天 国に旅立った。
 「胃ろうのおかげで、夫婦の時間を取り戻せて、本当に良かった一と佐智子さんは振り返る。そう
 言えるのは、佐藤さんら医療スタッフの温かいサポートがあったからだろう。
  最初のうちは、口からも少し食べられた。佐藤さんは、いろいろなものを食べさせてくれた,ゼ
 リーやヨーグルト、うなぎのたれ、手作りのシチュー……,後半は、口に含ませる程度だったが、
 「味やにおいで脳を刺激する{という効果を期待した。進さんののみ込み機能の検査をした鶴見大
 歯学部助教の飯田良平さん(42)のアドバイスを受けた。

  亡くなった後は、佐藤さんから、訪問の際の写真を貼ったアルバムをプレゼントされた。「たく
 さんの優しさと心の学び、楽しい時間をありがとうございました」などのコメントも添えられてい
 た。赤羽医師の存在も大きかった。胃ろうでトラブルが起きると、佐智子さんはすぐ電話した。一
 度こんなことがあった。昼過ぎに買い物に行ってタ方に帰ってくると、昼食用に入れたはずの栄養
 剤が、管が詰まったのか止まっていた。慌てて赤羽医師に電話すると「残りを入れてあげれば、夕
 食は抜いて大丈夫ですよ」。気持ちが落ち着いた。

  結局、自宅で約3年半、胃ろうをつけた生活を過ごした。最後の1年間は反応も乏しくなり、「
 この人は、生かされていてかわいそう」という気持ちも出てきた,それでも今、佐智子さんは「胃
 ろうにして本当によかった」という。進さんは商社に勤めており、単身赴任が長かった。佐智子さ
 んの母親と仲が良く、介護を手伝ってくれたこともあった。胃ろうにすることで、その恩返しがで
 き、一緒にいられなかった夫婦の時間を取り戻せたのだという。
  だが、こうも付け加えた。「未知の世界だから、できた,「もう一回』と言われたらやりません」

   「胃ろうにしない」苦渋の決断

 「胃ろうにしない、という本人の選択を尊重したかったんです」。東京都内に住む父親(享年83)
 を2013年H月に看取った、神奈川県逗子市の長女(49)は、そう振り返る。「胃ろうにしない」
 と決めて退院してから、8日後に穏やかに旅立った。
  2003年に脳梗塞で倒れて以来、人退院を繰り返した。2012年2月に都内の特別養護老人
 ホームに入居したが、2013年10月に誤嘸性肺炎で入院した,肺炎の治療を終えると、主治医か
 ら告げられた,「もうロから摂取するのは難しいと思います。胃ろうにするかどうか、決めて頂け
 ますか?」。母親(77)と長女は「胃ろうにしないと、あとどれぐらい(の命)ですか?」と尋ね
 た。「頑張れる方で、2週間ぐらいでしょうか」

  母親と長女は、ベッドに横たわる父親に確認した。「お父さん、胃ろうの手術をする?」。黙っ
 て首を横に振った。「このままでいいの?」。うなずいた。通常の会話は厳しい状況だったが、判
 断能力はあった。胃ろうにしなければ、父親との別れは早まってしまう……。でも2人は「10年
 間、よく頑張った。本人の意思を尊重しよう」という気持ちに傾いた。
  それを長男(52)に伝えると、「胃ろうにしなかったら、終わりになるんだぞ」と言われた。母
 親は「やっぱり、やった方がいいよ」と長女に迫った。
  母親は、枕元で本人に確認した。「本当にいいの?『さよなら』」いやだから、胃ろうつくろう
 よ」。だが、父親の意思は変わらなかった。母親の心は、揺れた。
  長女の考えは、ほぼ一貫していた。2003年に脳梗塞で倒れた際も、主治医から胃ろうをつく
 る話があった,だが拒否して、ロから食べる訓練を続け、食べる喜びを取り戻していた。

 「10年間、食べる楽しみだけで来た。その楽しみを奪って何年か生き続けることが、本人にとっ
 てどうなのか。父の尊厳を考えたときに、胃ろうにしない方がいい、と思ったんです」
 胃ろうの提案があって、約1週間後。母親と長女は、主治医からこう言われた。「実は私と副主治
 医で、ご主人に改めて意思を確認したんです。やはり胃ろうにしない、というご本人の意思は固か
 ったです」

  これで母親は吹っ切れた,「胃ろうはつくらなくて結構です」。長男も理解してくれた。
  今、長女は複雑な胸の内を明かす。『父の決断を尊重してあげられた喜びの一方、『これでよか
 ったのかな』という思いもあります。でも、私がす.へてを背負うしかない」


死は自分では決められない。それを、残された側で「決断」し「死亡証明書」を作成しなければならな
い。そうして「絶対矛盾」を超えていく。しばらく、悔やみに包まれる。

                                       この項つづく

     ● 今夜の一冊

環境ビジネス白書2016年版は、1997年版の創刊版から数えてシリーズ第19弾となる。収録内
容は前回版に続けて、主に~2016年春までの事象とした。最近3カ年は、

  ●リシェイプの時代-環境ビジネスでリシェイプする企業戦略(2013年版)
  ●環境最前線有望ビジネスを掌握する(2014年版)
  ●格差の時代-格差をつける環境有望ビジネス10選(2015年版)

と続け、好評を博している。今回は副題に“ゼロベースの時代-ゼロベースで考える環境ビジネスの視
点”を掲げた。現在は世界的に先進国の成熟化、新興国の発展による世界秩序及び勢力関係の変化が顕
著になっている。国内においては少子化・高齢化により経済活動が停滞気味である。それらを背景に様
々な企業・ビジネスを巡る問題も起こっている。ここでいうゼロベースとは、

  ・一からのスタート
  ・原点回帰
  ・ゼロからの挑戦
  ・これまでの常識の払拭
  ・高度成長期の成功体験からの脱却
  ・ビジネスモデルの転換

等々である。日本企業・ビジネスがさらなる発展を図るためのキーワードと考え、今回の当「環境ビジ
ネス白書2016年版」についてもこの切り口で整理・分析を行った。本文は2章で構成した。

  Ⅰ.環境ビジネス2016年版の総括
   表:ゼロベースの時代-ゼロベースで考える環境ビジネスの視点
  Ⅱ.ビジネス事例&市場・ビジネスデータ

Ⅰ章は本年版の結論的総括であり、Ⅱ章は本書独自の視点から、環境ビジネスを9大分類、26中分類
に区別し、最新事例を吟味・収録した。また、当該ビジネスへの新規参入及び取り組み強化の参考とし
て「市場・ビジネスデータ」を付加している。
 

 

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先ずは、自己凝縮

2016年10月04日 | 時事書評

 

 

 

        たくさんの人がやっている領域は『俺が1番』と早さを競うしかない。
        でもそこに興味がない。誰も見たことがない現象を見るのが楽しいんです。


                                                    
                                              Ōsumi Yoshinori?, born Feb.9, 1945

 

                                                                   

 

【受賞理由:オートファジーの働きの解明】

ノーベル医学・生理学賞の賞者に、細胞が不要になった、たんぱく質などを分解する、「オートファジ
ー」と呼ばれる仕組みを解明した東京工業大学栄誉教授の大隅良典が選ばれた。日本人のノーベル賞受
賞は3年連続、米国国籍を取得した人を含め25人目で、医学・生理学賞の受賞は去年の大村智に続き
4人目。パーキンソン病などの神経の病気の一部ではオートファジーの遺伝子が、正常に機能していな
いことが分かっていて、予防法や治療法の開発につながるとして世界的に激しい競争が続いている。



● 3Dプリンターでボディー外装を製造

4日、ホンダは「CEATEC JAPAN 2016」(幕張メッセ、16年10月4~7日)小型電気自動車(EV)
「MC-β
」のボディー外装を3Dプリンタで製造し公開。設計から製造まで2カ月と短い期間で開発でき
る。カブクが意匠設計を手掛ける。
開発品は2人乗りのMC-βの座席を一つなくして荷室とし、1人乗り
にした。カブクが、「鳩サブレー」などの菓子で有名な豊島屋の要望に応える形で設計。外装部品の大
半を3DDプリンタで製造する。日本で開発された3Dプリンタでオーダーメイドな自動車が作られる時
代に突入する。

● ヘルスケア・ウェアラブル機器のワイヤレス充電ソリュー ション

先月26日、ルネサス エレクトロニクス株式会社はウェアラブル機器や補聴器など防水、防塵等のニー
ズが多い小電力アプリケーション向けに、電力を非接触で送受電するワイヤレス充電システムソリュー
ションを開発し、11月よりサンプル出荷開始すると発表。ワイヤレス充電技術は、小電力アプリケー
ションの電池交換や充電の煩わしさをなくし、充電する機器本体にコネクタ不要で、スマートフォンを
はじめ様々なアプリケーションへの適用や産業用途への応用が期待されている。機器の小型化、高い防
水・防塵性、接触不良低減等のニーズが高い小電力アプリケーションに有用であるが、既存のワイヤレ
ス充電技術は規格ごとにアンテナサイズ規定され小型化が困難。小電力アプリケーション充電は充電流
大きく、放熱が難しいといった理由から小型リチウムイオン2次電池充電システムに適さず課題があっ
た。


 VIDEO

 

【RE100倶楽部:出力変動1%のメガソーラー着工】 

北海道では発電能力が2メガワット以上のメガソーラーを新設する場合には蓄電池を併設しなくてはな
らない。天候により太陽光発電の出力が変動する影響を緩和するためで、変動幅を1分あたり1%以下
に抑えることが条件だ。国内最大級の蓄電池を併設するメガソーラーの建設工事が苫小牧市で始まると
いう(スマートジャパン 2016.10.03)。大型の蓄電池を備えたメガソーラーを建設する場所は、北海
道の空の玄関口である「新千歳空港」に近い苫小牧市内の林地(上図)。空港の敷地から南に1キロメ
ートルほどの至近距離で、平坦な林地を造成してメガソーラーを建設する。用地の面積は78万平方メ
ートルにのぼる。

建設・運営は日本グリーン電力開発で、10月5日に着工、18年8月に運転を開始する予定。発電能
力は38メガワット。年間に37000キロワット時の電力供給、一般家庭の使用量に換算して1万世
帯分を超える。この事業の特徴は、容量1万キロワットアワーの大型蓄電池――韓国LG化学製リチウ
ムイオン蓄電池――を導入する。

● 蓄電池併設で建設費15%増

北海道では固定価格買取制度が始まった12年度から大規模なメガソーラーの建設計画が相次ぎ、13
年4月、北海道電力が全国に先がけて規制に乗り出す。発電能力が2メガワット以上のメガソーラーを
建設する場蓄電池などを併設して出力変動を緩和しないと、送配電ネットワークに接続できなくし、出
力の変動量を1分あたり1%以下に抑えることを条件とする。

メガソーラーから送電する電力は最大で25メガワット設計のため、出力変動を1分あたり250キロ
ワット(25メガワットの1%)以下に抑える条件に合せ蓄電池容量を試算すると、1万キロワットア
ワーが最適となる。蓄電池併設で建設費が15%増え、建設費の総額が百億円超の見積もになるが、

定価格買取制度の認定を12年度に取得した案件であることから採算がとれるめどが立った。買取価格
が1キロワットアワーあたり40円(税抜き)になり、年間の売電収入は15億円弱となる。ここでの
出力変動抑制は1分間である。わたし(たち)が考えているのは、年間あたり2%以下であるから、い
かに、スケールの大きい水素貯蔵型蓄電システムであることを改めて確認する。

 

【折々の読書 齢は歳々にたかく、栖は折々にせばし】    

   Jun. 26, 2016

 

● 朝日新聞「迫る2025ショック取材班」

          
『日本で老いて死ぬということ』5
 

  [目次]

   はじめに

   第1部 日本で老いて死ぬということ

  第1章 生きがいの喪失と回復

  第2章 難しい「平穏な在宅死」
  第3章 口から食べたい
  
  第2部 介護の現実~在宅・施設それぞれのリアル

  第4章 三人介護
  第5章 遠距離介護
  第6章 ダブルケア
  第7章 虐待を防ぐ
  第8章 在宅でみる 
  第9章 訪問看護師の力
  第10章 特養で看取る

  第3部 老いは地域社会で見守れるか

    第11章 地域で暮らす

  第12章 コミュニティ再生
  最終章 未来へつなぐ

  おわりに

  

  
第2章 難しい「平穏な在宅死」

                         穏やかな死を迎えられない?

  自宅で穏やかな最期を迎えたい-。そんな思いを抱く高齢者や家族は多いだろう。だが、自宅や
 介護施設での「在宅死」の半数ほどが、実は「異状死」として扱われていることが、在宅医らの調
 査で明らかになった。その中には、本来在宅で自然な看取りをできるはずだったのに、救急搬送さ
 れ望まない治療をされたり、警察が検視に入ったりするケースがあった。今後「多死社会」を迎え、
 在宅死を増やしていく中で、こうした「不本意な最期」をどう減らしていくかが課題である。

  2015年夏、横浜市鶴見区の済生会横浜市東部病院の救命救急センター。重症肺炎の80代女
 性が搬送されてきた。気管切開し人工呼吸器を装着、人工透析など濃厚な治療が行われた。1カ月
 弱入院したが、亡くなった。
  この女性は、在t医の定期的な訪問診療を受けていて、心臓マッサージや気管内挿管はせず、自
 宅で穏やかな最期を迎える、と決めていた。ところが在宅医の紹介で、
この救命救急センターに運
 ばれてきた。同センター部長の山崎元靖医師は「ご本人が果たしてこうした治療を望んでいたのか、
 かえって苦しみを与えているのではないか、という葛藤があった。本来、救命救急センターではな
 い病院へ運ぶべき患者だった一と複雑な心境を吐露する。

  山崎医師は、そのときの患者家族の状況をこう説明する。「全力を尽くして治療をするという選
 択肢」を改めて、救急医から提示される。しかも、それを極めて短時間で返答しなければいけない。
 以上の2条件が満たされると、家族は、どうしても「全力を尽くしてください」と答えがちになる。
 時間をかけて在宅医と議論した上で作成した、有形無形のリピングウィル(延命治療の拒否などを
 事前に意思表明しておく文書)が、「患者急変時の短時間の救急医の説明]に負けてしまうのだと
 いう。
  山崎医師によると、こうした「不本意な最期」ともいえるケースは、よくあるという。「在宅医
 が海外旅行中だったため、救急搬送され、病院で最期を迎えた」「リビングウィルがあったのに、
 知らずに挿管された」などだ。
  在宅医は通常、家族に対し「急変したら、まず在宅医か訪問看護師に連絡を」と伝えている。だ
 が家族が突然のことに驚き、救急車を呼んでしまうことは少なくない。
  また在宅医から「夜中なら、救急車を呼んで」と指示を受けることもあるという。救命救急セン
 ターに運ばれれば、救急医はそれまでの病気の経過などを知らないので、「異状死」として警察に
 届け出ざるを得なくなる。

  医師法では、遺体に賢状があった場合、医師に24時間以内の警察への届け出を義務づけている。
 事故や他殺、心疾患や脳疾患などによる急性死のほか、死因を特定できない場ハ目も、異状死扱い
 になる。すると警察は事件性があるかどうかを調べ、遺体の検視をする。ある救急医は「病死の可
 能性が高くても、万が一のリスクを考えると、警察に届け出ざるを得ない」と打ち明ける。
  東京都立川市にある立川在宅ケアクリニックの荘司暉昭医師(50)が、訪問診療をする多摩地域
 で2012年に自宅で亡くなった1106人を分析したところ、56%にあたる615人が、異状
 死扱いだった,また異状死扱いの30%が、「老衰」「がん」「肺疾患」などの慢性疾患で、医師が
 定期的に診ていれば、「病死」として死亡診断書がもらえ、警察を呼ぶ必要はないケースだったと
 いう。横浜市や大阪府岸和田市の出水明医師(63)らの調査でも、異状死は自宅死亡者の約半数を
 占めた。

  一方、行政や医療・介護職にも、「自宅で死ぬと、警察を呼ばないといけない」「24時間以内
 に診察をしていないと、自宅で死亡診断書を発行できない]といった誤解が、いまだにあるという。
  2014年春、ある50代の在宅医は、それを実感する経験をした。がんを患う首都圏の60代の
 独居男性が、自宅で亡くなった。同僚の在宅医が往診し、死亡診断書を書いた。ケアマネジャーが、
 自治体のケースワーカーに電話すると、「自宅で最期を迎えたのであれば、事件性があるかもしれ
 ないので、警察を呼んで]と指示された。ケアマネジャーは指示に従った,最終的には、在宅医が
 診ていて事件性がない、とのことで警察官は引き揚げたが、落ち着くまでに数時間かかったという。

  こうした「不本意な最期」にならないように、地域の複数の在宅医が看取りをカバ-し合ったり、
 リビングウィルを市民に配布したりする取り組みも進んでいる。横浜市鶴見区医師会の訪問看護を
 受ける松本孝彦さん(80)は、リピングウィルに「終末期の心肺蘇生はしてほしくない」「最期は
 自宅か施設で迎えたい」などと記している。
 「こうして書くことで、妻や娘とじっくり話し合うことができ、望んだ最期を迎えられるようにな
 る」と話す。

  全国在宅療養支援診療所連絡会事務局長の太田秀樹医師(62)は「患者や家族、医師や看護師介
 護職員らが何度も話し合い、意思の統一をしておくことが大事だ,特に、普段疎遠な家族が突然車
 て、『何で救急車を呼ばないんだ』と言うケースも少なくないので、なるべく多くの家族を巻き込
 んで話し合う必要がある」と話している。

                        救急病院が高齢者であふれる?

  高齢者の救急搬送の増加は、これから大きな問題になる,前述のように、回復の可能性がほとん
 どないのに、心臓マッサージなどの延命措置がなされ、「不本意な最期」を迎えることにつながる
 からだ。また、入院日数が長引くとベッドが足りなくなり、救急治療を受ければ回復する可能性の
 高い患者を受け入れられなくなる。
  年間約1万人の患者を受け入れる聖マリアンナ医科大病院(川崎市宮前区)の救命救急センター。
 2013年9月中旬の3連休中の午後6時前。特別養護老人ホームから、心肺停止状態の93歳の女
 性が救急搬送されてきた。
  救急外来処置室のベッドの周りには、この日のセンター責任者の下渾信彦医長(48)ら救急医3
 人と看護師が降っていた。女性の目から気管挿管チューブを入れ、人工呼吸器をつける。医師と救
 急隊員が、交代で心臓マッサージを続ける。

 「アドレナリン(強心剤)!」。救急医が足に針を刺し、骨髄からアドレナリンを投与。4分ごと
 に投与を続けた。
 「(アドレナリンを)6度目打ったってことですよね」。看護師のリーダー、平良弥生さん(30)
 が確認する。処置を始めて30分がたった。「もうこれ以上は、やめよう大下渾医長が指示する。結
 局、女性の心拍は再開しなかった。

  しばらくして、女性の長女(73)と四女(61)が病院に到着した。ベッドの横に座ると、医師か
 ら臨終の説明を受け、人工呼吸器を外した。2人は「できる治療を全部やってもらい、ありがたか
 った」と□をそろえた,だが、そういう人ばかりではない。下渾医長は「同様のケースでも、家族
 から「なぜ蘇生処置をしたんだ」と言われることもある。意向がわからないこともあり、悩ましい」
 と明かした。下洋医長が担当した24時間に37人が来院。うちH人が65歳以上だった。この女性のよ
 うに自宅や施設から救急搬送され、「看取り」をするケースは増えているという。継続的な入院治
 療が必要と判断されると、隣接する集中治療室(ICU)と高度治療室(HCU)に運ばれる,両
 室に入院する24入のうち、6割を超える15人が65歳以上だった。65歳以上の割合は、2008年
 度 は51・8%だったのが、12年度は56・1%に上昇したという。
              
  救急で入院する原因は、誤嘸性肺炎や脳卒中などという。案内してくれた平泰彦・同医科大救急
 医学教授(60)は「複数の疾患を持っていたり、人工呼吸器などをつけた患者を受け入れる施設が
 見つからなかったりして、在院日数が長くなるんです」と説明してくれた,入院が長引くと、空き
 ベッドは当然少なくなる。この日の空きは、ICUが1床、HCUは2床,同センターは近隣の3
 0病院以上と連携しているが、患者の転院先がなかなか見つからないこともあるという。
  65歳以上の入院患者15人のうち5人は、これ以上の積極的な治療を希望しない意思表示「D
 NR」を本人か家族が示している。だが、一度装着した人工呼吸器を抜いたり、点滴を外したりす
 ることはできないことになっている。

  超高齢社会に向けて、平教授は「救命救急センターにとって、高齢の救急患者が増えて入院が長
 くなり、重症患者を受け入れる空きベッドがなくなるのは最近の大きな課題だ。『出口』を確保し、
 近隣の病院だけでなく、在宅医や介護施設とのつながりも深め、高齢者の受け入れ先を確保してい
 く必要があるだろう」と話している。
  「平穏な在宅死を迎えたい」と考える患者・家族が、救急車を呼ぶと、その逆の結果になってし
 まうことが多い。救急医は、たとえ助かるのが0・01%の確率でも、積極的な治療をし命を救う
 ことが使命だからである。

                         在宅医療アンケートで実態浮き彫り

  在宅死の難しさについては、朝日新聞横浜総局が横浜内科学会と共同で、2013年H月に実施
 した「在宅での医療と看取り]アンケート(55診療所・病院が回答)からもわかる。
  回答では、在宅で看取りをした医療機関の数が、2003年度の11ヵ所から、12年度は23
 ヵ所に倍増。総数も、この10年間で64人から144人と2倍以上に増えていた。診療報酬など
 で国が「施設から自宅ヘーと医療のシフトを進めてきたことが影響しているとみられる。2012
 年度に看取った患者は「がん」が最も多く61人、認知症47人、脳血管障害18人、循環器疾患
 14人などと続いた。在宅で緩和ケア(痛みのコントロール)のできる医師が徐々に増え、末明が
 んの患者も自宅で過ごせるようになってきたことが大きいようだ。



  在宅での看取りを経験した34カ所の医療機関に、看取りを増やすために必要なことを複数回答
 で尋ねてみた。「かかりつけ医が在宅医療にかかわる仕組み作り」としたのが、17ヵ所で最も多
 かった。「一般向けの啓発」「看取りに関して診療報酬を手厚くする」が、それぞれ16ヵ所。「
 (24時間対応などが義務づけられた)在宅療養支援診療所の要件緩和」(9ヵ所)、「在宅専門
 医の増加」(9ヵ所)と続いた(次のグラフ)。介護する家族への気遣いも、在宅死が広がってい
 かない要因の1つと言えそうだ。

今回は、瀕死と死の決定の狭間についての思いを認めようとしたができなかった。

                                                                            この項つづく


 

【我が家の焚書顛末記 Ⅳ:中国思想 管子】 

『管子』は、西暦紀元前7世紀、現在の山東省に強盛を誇った斉の宰相・管仲の言行録。管仲は、孔子
が生まれる約90年前に死んでおり、いわば諸子百家の大先輩にあたる。彼を
注目するのは、諸子百家
の多くとちがい、自ら権力の座にすわり、現実に政権を担当した思想
家であるという点にある。とくに、
かれは今日でいう経済政策に独自の手腕を発揮。彼がが仕え
た斉の桓公は、当時、群雄割拠のなかでは
じめて覇者、つまり諸侯の盟主の座につく。
その大部分は管仲の補佐のたまものであった。「倉廩(そ
うりん=穀物蔵) 実つ
れば、則ち禮節(=礼節)を知り、衣食足れば、則ち榮辱(=栄辱)を知る」(
『管子』牧民篇)。このことばが端的に示
題 すとおり、人倫関係(社会関係)の基礎として物質的条
件を重くみる――というのがヽ管仲の一貫した
考え方である。書物としての『管子』は、これは管仲の
当時に完成されたものでなく、当時の書だとすれば、『論語』よりも古くなるが、『管子』はきわめて
雑然とし、管仲自身の著と目される九篇を除き、はるか後世の漢代初期に至る数百年の間に、次第に集
大成されたものされ、このことは必ずしも『管子』の価値を減ずるものではなく、管仲という存在が、
ことほどさように後代の人たちの関心を惹く証左である。

管仲の著書であるとされているものの、実際は戦国期の斉の稷下の学士たちの手によって著された部分
が多いと考えられ、内容的には、各篇によって異なった学派、思想的立場に立つ人たちの著作がまとめ
られ、その面から言えば、「雑家」の著作と呼ぶべきものと言える。また、各々の篇の成立年代に関し
て諸説があり、「経言」は思想史上の史料として、「管子軽重」は社会経済史上の史料として重視され
農業史、農業技術史上の史料も各篇に散見され、「地員篇」は当時の土壌に関する認識をうかがう上で
の貴重な史料である。さらに、『漢書』「芸文志」は、「道家」に分類しているが、『隋書』「経籍志」
以降清代の『四庫全書総目提要』にいたるまで「法家」に分類されるが、宋代の陳振孫がこの書物を法
家に分類することに疑義を呈している。

このように、中国哲学は、中国思想の文脈で書かれた哲学。中国の伝統哲学の多くは「諸子百家」の時
代として知られる春秋戦国時代にまで起源を遡る。諸子百家は顕著な知的・文化的発展によって特徴づ
けられ、中国哲学の多くは戦国時代に始まったが、その構成要素は数千年にわたり存在でありが、その
特徴は、その文化の担当者がいかなる身分職業に属していたかにより決定的な刻印を受ける場合が多く、
インドの思想に宗教色が強いのは,文化の担当者がバラモンという祭司階級であったためとされ、これ
に対し中国思想に政治色が濃いのは,その担当者が士大夫とよばれる政治家・官吏であったことによると
言われ、管子すなわち管仲はその代表的な存在に考えられる。

そこで、
中国哲学の近代化で西洋哲学の概念を吸収し始め、1911年の辛亥革命の頃までに、中国の
古い皇帝制度や実践を廃しようと五四運動などを経て。民主制、共和主義、そして産業主義を中国哲学
と統合しようという試みが、20世紀初めの孫文らによりなされ、さらに毛沢東がマルクス主義、スタ
ーリン主義、そしてその他の共産主義思想を加える。そして、
中国共産党が権力を握ると、既存の学派
とりわけ法家を除けば後進的だとされ後の文化大革命には粛清された、中国思想に与えた影響は今も残
り、現代の中華人民共和国政府は独自の社会主義市場経済を標榜している。このため、文
化大革命の過
激な運動以降、中国政府は精神的・哲学的な慣例は中国共産党に脅威とみなされない限り構築・再構築
が許され、その影響は中国文化に未だ深く染み込んでいおり、
新儒家は、儒教の知的運動で20世紀初
期宋代・明代の新儒学から強い影響を受けているが同一ではないが、に中華民国で始まり、ポスト毛沢
東時代の中華人民共和国で復興している。

このように考えていくと、
ポスト毛沢東時代の中華人民共和国のナショナリズムや政治行動の変容を読
み解く上で管子を踏まえておく(お温習いしておく)ことは重要になるのではかと思える。

                                       この項つづく。



  ● 今夜の一冊

一般家庭でも、電気を作り・ため・消費することができます。しかも身近な素材や簡単に入手できる材
料から手作りの発電機を製作することも夢でない。日常的に照明や家電品の電源を自作の発電機でまか
なっている著者が、家庭でも実践できる発電・蓄電の知識とテクニック、機材の製作方法をわかりやす
く解説する。

中村昌広
1959年、栃木県那須郡那須町に生まれる。08年、手作り風力発電1号機を完成。09年、風力発
電2号機・3号機を設置。2010年、風力発電4号機(デュアルコア発電)完成(本データはこの書
籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

目次

第1章 停電にならない家
第2章 ぼくの家は発電所
第3章 自分発電所の作り方
第4章 電気をためる
第5章 作った電気を賢く使う
第6章 LED照明を手作りしよう
第7章 手作りの電気を楽しく使うための注意点
第8章 この週末、あなたもプチ発電工作を!

 

現在の日本では、情熱と時間さえあれば何でも作れる時代だと考えている。この一冊はそれをわかり
すく実体験から解説されている。ものづくりだけでなく、大げさに言えば社会変革も可能だろう。
「先
ず隗より始めよ!」というではないか、時間をかけ、確りと思いを凝縮させ、自分を追い込み、
それを
発条に行動にでる、「先ずは、自己凝縮!」と。

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ウエルカム・シベリア鉄道 Ⅱ

2016年10月03日 | 極東アジア経済構想

 

 


                        

                   一年の計は穀を樹うるに如くは莫く、

                 十年の計は木を樹うるに如くは莫く、

                 終身の計は人を樹うるに如くは莫し。 

                   管子|Guan-zi    

                                                                   

                                                                   管子 Guan-zi   720–645 BC

 

● シベリア鉄道 北海道まで延伸案が浮上

今月3日、日本の対露経済協力をめぐる政府間協議の中で、シベリア鉄道を延伸し、サハリンから北海
道までをつなぐ大陸横断鉄道の建設案が浮上していることが2日、明らかになった。両国間の物流だけ
でなく、観光など人的交流の活発化につながるとして、ロシア側が強く要望しているという。
シベリア
鉄道の延伸計画は、アジア大陸からサハリン(樺太)間の間宮海峡(約7キロ)と、サハリンから北海
道・稚内間の宗谷海峡(約42キロ)に橋かトンネルを架けて建設する構想だ。実現すれば、日本から
モスクワや欧州を陸路で結ぶ新たなルートとなる。
この構想には、プーチン大統領もかつて、「シベリ
ア鉄道を日本の貨物で満載することにつながる」と語り、低コストの大規模な輸送手段として期待感を
示したという。この延伸計画とともに、モスクワの東約800キロにあるカザンからウラジオストクま
でのシベリア鉄道高速化構想も浮上している。日本側は将来の現地生産をにらみ、車両や信号システム
、レールなど日本の技術をパッケージで売り込みたい考えだ。
ロシアは中国、米国に次ぐ世界第3位の鉄
道大国。シベリア鉄道が高速化されれば、ロシア国内の経済活性化に貢献するだけでなく、日本企業の商機拡
大にもつながりそうだと伝えるSankeiBiz 2016.10.03)。

このニュースは過去、『ウエルカム・シベリア鉄道』(2012.09.25)でブログ掲載したものとすっかり
とはまでとは言わないが、日本とロシアの夢が実現すればこれほど愉快なことはない。


【折々の読書 齢は歳々にたかく、栖は折々にせばし】
    

   Jun. 26, 2016

 

● 朝日新聞「迫る2025ショック取材班」

          
『日本で老いて死ぬということ』4
 

  [目次]

   はじめに

   第1部 日本で老いて死ぬということ

  第1章 生きがいの喪失と回復

  第2章 難しい「平穏な在宅死」
  第3章 口から食べたい
  
  第2部 介護の現実~在宅・施設それぞれのリアル

  第4章 三人介護
  第5章 遠距離介護
  第6章 ダブルケア
  第7章 虐待を防ぐ
  第8章 在宅でみる 
  第9章 訪問看護師の力
  第10章 特養で看取る

  第3部 老いは地域社会で見守れるか

    第11章 地域で暮らす

  第12章 コミュニティ再生
  最終章 未来へつなぐ

  おわりに

   第1部 日本で老いて死ぬということ

  第1章 生きがいの喪失と回復

                                              一言きっかけに『あじパーティー』

 「さあ、いつもの歌弾いて」と、スタッフの稲垣圭香さん(33)が声をかけると、小針絹子さんが
 キーボードを奏で始めた。「赤い靴はいてた 女の子」とみんなで声をへ目わせて歌い、楽しんだ。 
 神奈川県藤沢市亀井野にある「おたがいさん」は、利用者24人の小さな介護施設。「小規模多機能
 型居宅介護」と呼ばれるサービス形態で、「通い」を中心に「訪問」「泊まり」を自由に組み合わ
 せられる。16人のスタッフが、お年寄りの思いをくみ取って過ごし方を決めることで 知られてい
 る。「管理ではなく、自立の支援を大切にしている」と、運営する株式会社「あおいけあ」の加藤
 忠相社長(41スタッフのマニュアルはない,



  加藤さんは、25歳で「あおいけあ」の前身企業を起こした。現在は「おたがいさん」のほか、
 系列の「いどばた」、グルーブホーム「結]を運営する。全部で利用者45人ほどの「まちの介護
 屋さん」(加藤さん)だ。
 「おたがいさん」に通う小針さんは、かつて下宿を営み、学生の面倒をみていた。社交的で世話好
 き、施設でも、「姉御」的な存在だ。2015年9月の「あじパーティー」は、「昔はよく、アジ
 をさばいて、たたきを作ったのよ」という小針さんの一言で始まった。漁港の街、静岡県熱海市網
 代の出身。
 「じやあ、みんなに振る舞って。江の島まで買いに行こう」とスタッフが反応し、イベントになっ
 た。買い物に行く人、アジをさばく人、フライにする人、大漁旗を作る人。お年寄りが役割を分担
 し、スタッフがサポートする,「みんなが喜んでくれて、うれしかった」と小針さん。長女のけい
 子さんは「母の一言からイベントにする、スタッフのセンスがすごい」と感心する。
  高齢になっても一人で海外旅行に行くことがあった小計さんだが、2012年ごろから友人との
 待ち合わせに遅れることがたびたびあった。外出することもめっきり減
った。認知症の初期症状だ
 った。

  心配したけい子さんが、知り合いの社会福祉士に相談し、紹介を受けたのが「おたがいさん」だ
 った。認知症の利用者も多いが、お年寄りの生きがいを引き出すことに
心を砕く。小針さんは転倒
 して太ももを骨折することがあったが、施設に泊まり込
み、リハビリのサポートを受けて回復した。
 小針さんの場合、それまで通いを中心に
利用していたが、このときは集中的にリハビリするために、
 泊まりのサービスを受け
た。
  小針さんの今年の目標は、「おたがいさん」の仙‥間でコーラス隊を作ることだという。「思い
 きり自分自身を表現してほしい一と管理者の飯尾えり子さん(52)。米寿の
小針さんは「コーラス
 隊を実現させるまでは死ねない。発表会もしたいです」。目を暉
かせた。

 
                        恋の力、80代驚異の回復

  「トヨちゃん、頑張ってI]。スタッフの椎名萌さん(23)の声を受け、井上トヨ子さん(83)
 が、全身を使って団子の粉をこねていた。小正月の2016年1月15日、14
人が利用する藤沢
 市亀井野の介護施設「いどばた」。小針さんが通う「おたがいさん」
の隣にある系列施設だ。定員
 が限られているため、二つめを造った。

  正月飾りや団子を焼いた「どんど焼き」を庭で終えると、部屋に入り、みんなで童謡や演歌を歌
 うことに。するとトヨさんは立ち上がり、歌に合わせ打楽器のボンゴを
たたき始めた。
 「こんな元気なトヨさんも、昔は歩けなかったんですよ,でも、あることがあってから、元気にな
 ったんです」。施設責任者の小池みゆきさん(52)が、こっそり教えてく
れた。

  ある男性に、恋をしたのだという。数年前、女性スタッフらとの「女子トーク」の最中、トヨさ
 んは、ぼそっとつぶやいた。「実は、いどばたに好きな人がいて
ね……」。トヨさんは、彼に元気
 な姿を見せたいと、歩く練習に励んだという。「彼に
支えられて歩いたときは、ウハウハ顔でした」
 と小池さんは笑う,

  トヨさんを直撃した。「うん、近くに好きな人はいますよ。一人思い(片思い)だけどね」。そ
 う言うと、顔を赤らめた。「でも、今は別の人が・・・・・・。40歳ぐらい下なんで
すよ」
 「トヨさんは、地域の人たちにも愛されているんです」と小池さん。イベントがあると、「看板娘」
 として案内役や物品販売などに活躍する,「ありがとう、と言われるの
が、何よりもうれしい」と
 トヨさん。

  茶わん洗いや洗濯物の整理なども、進んでやる。自菜漬けは本格的だ。普通に家事をしたり、買
 い物に行ったりすることが、お年寄りにとっては「生活リハビリ」るのだという。
  今は週5回、「いどばた」に通う。「休みの日も行きたくてね。毎日が楽しくてしょうがない」
 とトヨさん。同居する長男の幸夫さん(54)によると、休みの日は、翌日着ていく洋服を楽しそう
 に選んでいるという。「元々そんなに社交的でなかった母が、みんなと幸せそうに働いているのを
 見ると、うれしくなります。恋も回復の力になっているのでしょうね」

  年を重ねても、恋愛が人生の活力になることに変わりはないようだ。ソニー生命の調査でも50
 ~70代でフンニアライフ設計に愛は不可欠」と考える人が全体の6割を占めたという。


                           「お年寄りは社会資源」

  このように、お年寄りたちが仲間の中での役割や恋を生きがいに過ごす施設を運営
する「あおい
 けあ」(藤沢市亀井野)。お年寄りの思いや力を引き出すケアで、全国か
ら注目を集める。視察も
 絶えず、社長の加藤忠相さんは、年50~60回は講演で全国を
回る。「お年寄りは介護される存
 在ではなく、地域の社会資源。知恵や経験を生かして
もらう」と訴える。

  福祉系大学を卒業後、横浜心内の特別養護老人ホームに就職。そこでの経験が原点にある。職員
 の動きが、マニュアルでガチガチに管理されていた。入浴時間になる
と、入居者が嫌がっても風呂
 に入れなければならず、お年寄りが体にタオルを巻か
れ、並ばされていた。
  入居者に「やめないで」と引き留められて3年弱勤めたが、「自分の思うケアをしたい」と25
 歳で起業した。居心地を良くしようと、床やテーブルは無垢材などを使
い、民家のようなたたずま
 いにした。イベントには地域の人も呼び込んで、お年寄り
が楽しませる。普段も学校帰りの予ども
 たちがやってきて、農業を営んでいた男性を
まねて稲を育てたり、認知症の男性と一緒に遊んだり
 する。

 「2000年の介護保険法で、介護職の仕事は『療養上の世話』から『自立の支援』にフルモデル
 チェンジしたはずなのに、多くの施設はそれを知らず、いまだに古いも
のを売っている」。加藤さ
 んの持論だ。

 「あおいけあ」は、事業の最終目標を「より良い人間関係の構築」に置き、スタッフに絨砥を与え
 る。企画書や報告書は存在しないという。「おたがいさん」管理者の飯尾
えり子さんは「「ねばな
 らない』ものは何もない。スタッフも異業種出身が多く、いろ
んな個性が出せる]と話す。
  介護施設の多くは、リスクを恐れ、なかなかそこまで踏み出せない,これまで数十回、あおいけ
 あに取材に訪れたという医療福祉ジャーナリストの藤原瑠美さん(68)
は「加藤さんをトップに、
 スタッフが自由に決められる空気感がある。理屈ではなく、体が自然に動いている感じがする。お
 年寄りの役割をうまく引き出すやり方は、これからの介護サービスのモデルの一つになると思う」
 と話す。

                       米寿で「介護スタッフ」デビュー

  横浜市鶴見区のデイサービス「うしおだ」で20116年3月1目、米寿の女性が介護スタッフ
 としてデビューした。川崎市川崎区に住む竹島静枝さん(88)。糖尿病や心臓病の持病があり、「
 勉強しておけば、介護される時に相手も自分も楽なはず」と2015年12月、介護の学校・QO
 Lアカデミーで介護職員初任者研修を修了した。働くつもりはなかったが、同校の矢野憲彦代表ら
 の勧めで、気持ちが傾いていった。

 「竹島さん、着付けできます?」。ひな祭りを問近にしたこの日、施設では利用者の男女が着物を
 着て、男びなと女びなの役で写真を撮った。エプロン姿の竹島さんは同僚に声を掛けられると、真
 剣な顔つきで帯を結んだり、着物を整えたりした。
 「同じ昭和一ケタ生まれだから、話が合いそうですね」と利用者の男性(83)。管理者の笠原さつ
 きさん(35)も「利用者と年齢が近いので、コミュニケーションカに期待しています」と話す。

  帰宅する利用者を見送った後は、湯飲みを洗い、テーブルを拭いていく。主婦歴770年弱の手
 際の良さを発揮した,午後2時から3時間余りの仕參を終え、「ゆうべは緊張して眠れなかった」
 と竹島さん。「一つ一つ仕事を覚え、利用者の皆さんとも、だんだん友達になれれば」と笑顔で話
 した。
  週に2回、創作活動を手伝ったり、利用者の話し相手になったりする。業務の中で気づいたこと
 は、日誌に書いて本社に送る。施設を運営する「ジャパウイン](川崎市川崎区)の水口勉社長
 (53)は、「竹島さんが入ることで、若い社員に良い影響を与えるのでは」と期待する。「年齢で
 介護する側と、される厠を分ける時代ではなくなる」と話すのは、QOLアカデミーの矢野代表だ。
 次の竹島さんが生まれることを期待し
て、70歳以上は受講料を割引する制度を導入した。何歳に
 なっても、誰かの役に立ついる――。そのことが、お年寄りの生きがいになっている。


   ワンポイントコラム

  お年寄りの取材を重ねていて、「生きがい」「役割」がいかに大事かを痛感する。小さくても何
 かの役割をもっているお年寄りは、表情が生き生きとしている。特に印象に残っている人がいる。
 
70代の末期がんの男性患者を取材したときのことだ。体調が決して良くない状態のところに、在
 宅医と一緒に自宅を訪問し、取材させて頂いた。男性は、そのIカ月後に亡くなった。記事になっ
 たのは、亡くなった後だった。ただ、在宅医に「(取材に協力することで)最後に少しでも何かの
 役に立てれば」と話していたという。奥様からも「記事になって、天国の主人もきっと喜んでいる
 と思う」という丁重なお手紙を頂いた。亡くなる直前まで、人は役割を求めている。そう強く感じ
 た出来事だった,

「お年寄りは社会資源」という言葉に少し戸惑いを感じる。それは機能概念で喩えられている所為だか
からだ。言いたいことはよくわかる気がするが、ちょっと違う。それは、「社会の宝」と喩えることが
できるが、「かけがえのない人」と言い換えた方がよいのだが、「社会」に吸い寄せられことにより、
社会ファシズム」の偏狭な思念(あるいは思想)も吸い寄せることになるのではと躊躇させるためか
らだ。それを解きほぐす(あるいは叩解する)行動(働きかけ)を交換する関係性を持つということに
違いないのだが、それをどのように呼んでいいのか途惑うのである。

                                       この項つづく


  

【地球温暖化ビジネスの此岸】

● 二酸化炭素止めても7℃上昇に批判相次ぐ

先月29日、世界有数の科学誌「ネイチャー」に掲載された論文では、過去2百万年に及ぶ世界の海面
温度
が示され、気候変動の記録の一部として高く評価されているが、大気中の温室効果ガスの濃度が今
以上
に高くなるのを防いだとしても、地球の気温は最高7℃まで上昇するという大胆な結論については、
データ
裏付けがないとしてい物議を醸している。米スタンフォード大学元博士研究員のキャロリン・ス
ナイダー。過去の海面温度の変化と二酸化炭素の自然な排出量に密接な関係があることを調べ、それが
地球の未来に何を意味するのかを示す。その結果、化石燃料による温室効果ガスの排出をいますぐ停止
したとしても、数千年後には地球の気温が3~7℃上昇する結論付ける
。「海面温度と温室効果ガスには
密接な関係があり、それが驚くほど安定していることがわかった。この2つと関係があるものについて
調査した。
これに対して専門家らは、スナイダーが気候の全く違う現代に過去の関係性を当てはめよう
としたために、著しく高い値が導出されたと指摘されている。

※ Evolution of global temperature over the past two million years, Carolyn W. Snyder, Nature (2016)
        doi:10.1038/nature19798 ↓

基本的には、地球の公転軌道の変化が氷期を終わらせ、それにともない海面温度も上昇することで、海
から二酸化炭素が放出され、大気中の二酸化炭素濃度が高くなる。つまり、現在は二酸化炭素の増加が
地球温暖化の主な原因となっているのに対し、過去には逆に気温が上昇した結果として二酸化炭素の量
が増えたのであり、氷河期当時の温暖化が全て温室効果ガスによるものではなく、さらに二酸化炭素の
現在に及ぼす影響を著しく誇張することになる。人為的な二酸化炭素の排出に地球の気候がどのような
反応を示すのか、という問いに対する明確な答えはまだ出ていない。さまざまなフィードバックが働き
数千年という長期のほうが、温暖化はより加速するという兆候があると言われているが、「気温上昇に
よる二酸化炭素濃度上昇」と「二酸化炭素濃度上昇による気温上昇」とは筋が異なることだけは確かで
ある。

※ Two million years of records show emissions could already warm world to dangerous levels - Science News -
   ABC News (Australian Broadcasting Corporation
Sep. 27, 2016
※ Climate change study accused of erring on rising temperature predictions - ABC News (Australian Broadcast-
   ing Corporation
)Sep. 27, 2016

 

  JCCCA

  

● 今夜の一冊:跋扈する現代の三角貿易商人たち

北極海に眠る資源争奪戦に明け暮れる石油メジャー、治水テクノロジーを「沈む島国」に売り込むオラ

ンダ、水と農地を買い漁るウォール街のハゲタカ……壊れゆく地球すらビジネスチャンスに変わる「温
暖化ビジネス」のえげつない実態を全米注目のジャーナリストが暴く。あらゆる紙誌で絶賛の嵐を巻き
起こした現代の「必読書」。 

「北極が解ければ、もっと儲かるのに」
「地球温暖化は、新たなビジネスチャンスだ」

氷の下の資源争奪戦に明け暮れる石油メジャー、水と農地を買い漁るウォール街のハゲタカ、「雪」を
売り歩くイスラエルベンチャー、治水テクノロジーを「沈む島国」に売り込むオランダ、天候支配で一
攫千金を目論む科学者たち……。温暖化「後」の世界を見据えて、実際に気候変動を利用して「金持ち」
になるべく行動を起こしている国家、企業、人物を世界24か国で徹底取材。これは、「地球環境版三
角貿易」だ!とはいえ、日本の排出量はもっと減らす必要ある。

※武器(酒・繊維)輸出→奴隷売買→綿花(砂糖)売買→※
※二酸化炭素排出→温暖化商い(排出権・海底資源・水・食料)→防災事業(治水・防潮など)→※


Fig. Carbon emissions per capita per country on 2007

 

 

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再エネ先進国モンゴル

2016年10月02日 | WE商品開発

 

 

                   幸福な家庭はどれも似たものだが、

                       不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。   

                        トルストイ著『アンナ・カレニーナ』

                                                                                                                                                                                                             Sep. 9,1828 - Nov. 20, 1910

 



【滋賀産鮎煮干しラーメン】

鮎ラーメン開発はこのブログのテーマ1つであったが、3年前?ほどから関東で 鮎ラーメンが販売され
ている模様(現地試食したことはない)。元々のモチーフは、滋賀の名産品(食品)といえば、鮒寿司
焼き鯖、近江牛、赤こんにゃく、日野菜漬、瀬田シジミ、糸きり餅、でっち羊羹、焼きサ鯖そうめん、
うばがもち、伊吹そば、バームクーヘン豚、三井寺力餅、鮎の佃煮、日野菜着け、ビワマス、赤丸かぶ、
北之庄かぶ、水口かんぴょう・・・ と地味である。小鮎や養殖鮎が生かせないかと考えた上での設定。そ
れが、他府県に先を越された格好としまりのない話になっている。そんな時、焼きあご塩らー麺「たか
はし」が火を付けたとされるあごに煮干しの話題が飛び込んでくる。飛び魚はわたしの好物で、10年
以上前に、6月の飛び魚の刺身を食べに屋久島に出かけたのだが天候が悪く実現しなかったほどで、幼
少のころ甲子園沖合の飛び魚の銀鱗を眺めていたものだが小さい頃からの好物。

  焼きあご塩らー麺 たかはし

そのあごだしは、九州では飛魚のことをあごと呼び、焼いて乾燥させたものをだしとして使う。一説で
は、「あごが外れるほどおいしい」ことからこの呼び名になったとも。長崎県など北九州を中心に獲れ
る魚なので、この地域では新鮮なものは刺身でも食べる
あごだしの用途は多岐に渡るが、麺類のつゆ
や和風料理に深みを与えると言われて重宝され、九州エリアでは最高級のだしとして、お正月に食べる
お雑煮などにも使われる。
また、中華料理の隠し味に使われることもあり、現在では「あごだしラーメ
ンは絶品」と巷で話題。あごだしラーメンを食べた人の感想を見ると、かつお節・煮干し・ハマグリや
アサリなどの貝のだしを混ぜたような味
という感想。昆布とかつお節のだしの味に慣れている人は、は
じめてあごだしを口にするとその味の違いに驚く。 焼きあごを使っただしの味は、「上品ですっきり
とした甘みがあり、深いコクと旨みを感じられる味」と言われている。その他の魚の煮干しとは違い、
おすましにも使えるほど臭みやにごりがないだしがとれるのが特徴だ。このように
上品であっさりとし
た味わいでありながら旨みとコクは深いので、お吸い物やだし巻き、煮物などをワンランク上の味にし
てくれます。この他にも、鍋料理やラーメン、うどんのつゆや天つゆなど様々な料理に使えるだしなの
で、ストックしておくと便利だとか。



焼きあごや焼きあゆの煮干しのうまみ成分を分析したことも、データも見たこともないが、干し貝など
の味がする感想を見る限り、イノシン(5'-IMP)を主成分にグルタミン酸のほかに微量のコハク酸
が検出される可能性がある。小鮎(成長した鮎)を焼き煮出しで出汁を取り、、焼き豚や焼き鮎、干し
鮎を乗せ、糸切りネギを入れ、極少量のハーブスパイス(山椒の若芽など)やオリーブオイルを添える
と絶品の醤油系、豚骨系のご当地ラーメンが完成する。

    

焼豚も、豚肉スライスと鮎の魚肉をハサミロール上に巻き上げ、豚肉が硬化し過ぎないよう加圧加熱し、
うま味を
閉じ込め、焼肉のバリエーションを工夫しても面白いのではないだろうか。ところで、わたし
の身体が悪くなったら代わりに食事を作って欲しいと彼女が突然言うので、ひとつ返事で快諾する。料
理には、根拠がないが変な自信がある。
 

 




【RE100倶楽部:再エネ先進国モンゴル】

9月9日、ソフトバンクの孫正義社長は、都内で講演し、モンゴルの風力発電所で作った電力を日本へ
送る構想について、事業性を調査したところ「技術的にできる。石炭火力よりもだいぶ安く(日本へ送
電でき)いけそうだ。採算あり」と手応えを語る。「2020年にはほんの少しでも、(日本とモンゴ
ルの電力網が)つながっていたい」と実現に向けて決意を語った(「モンゴルから日本への送電、「技
術的にできる」-ソフトバンク孫社長」日刊工業新聞 電子版 2016.09.10)。その孫正義社長が率いる
ソフト・バンクエナジー社は、9月28日、モンゴルの
 Clean Energy Asia LLC社が国際協力機構(JIC
A
)と欧州復興開発銀行(EBRD)とともに、モンゴル国ウムヌゴビ県ツォグトツェツィー郡での出力規
模5万キロワット(50メガワット)の風力発電所建設プロジェクトにかかる融資契約を締結している。

再エネ発電は風力と太陽光として、送電は無線/有線が考えられるが地下ケーブル(できれば、送電損
失のない超伝導電線)で送電するとして、問題は蓄電方式。1つは、リチウムイオン電池やNAS蓄電
池などの蓄電池方式と水素貯蔵方式の2つが考えられるが、後者は、輸送基地が駆歩できれば、船舶で
消費地で輸送し燃料電池で再発電できる(下図の固体高分子型水電解水素発生装置はブログ掲載済み)。

 

折しも、9月29日、東芝、東北電力、岩谷産業の3社は、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術
総合開発
機構が公募した「水素社会構築技術開発事業/水素エネルギーシステム技術開発」に共同提案
し委託事業として採択を受けたことを発表。今回の事業は、福島県内を実証エリアとして、水素の貯蔵・
輸送・利活用までを含めた水素エネルギーシステムの構成と仕様を検討し、事業可能性を調査する。具
体的には、再生可能エネルギーを中心とした電気を活用し、福島県内に「世界最大規模」という最大1
万キロワット(=1メガワット)級の水素製造装置を設置する。そこで水素を製造し、電気系統の安定
運用に貢献するシステムを検討する。製造した水素は、水素発電装置により、電力系統の調整力とし
て活用するほか、液化して東北エリア内外へ供給することを想定する。新たな制御システムは、「水素
エネルギー運用システム」、「電力系統側制御システム」、「液体水素需要予測システム」の3つを協
調することで、水素製造量と水素発電量、水素ガス供給量の最適運用を目指す(なお、同事業の検討結
果は17年9月までにまとめる予定)もの。今、再エネ先進国をめざすモンゴルが熱い。アジアスーパ
ーグリッド構想が動き出す。
 

【折々の読書 齢は歳々にたかく、栖は折々にせばし】    

   Jun. 26, 2016

 

● 朝日新聞「迫る2025ショック取材班」

          
『日本で老いて死ぬということ』3
 

  [目次]

   はじめに

   第1部 日本で老いて死ぬということ

  第1章 生きがいの喪失と回復
  第2章 難しい「平穏な在宅死」
  第3章 口から食べたい
  

  第2部 介護の現実~在宅・施設それぞれのリアル

   第4章 三人介護
  第5章 遠距離介護
  第6章 ダブルケア
  第7章 虐待を防ぐ
  第8章 在宅でみる 
  第9章 訪問看護師の力
  第10章 特養で看取る


  第3部 老いは地域社会で見守れるか

    第11章 地域で暮らす
  第12章 コミュニティ再生
  最終章 未来へつなぐ

  おわりに

  第1章 生きがいの喪失と回復

   
役割得て回復

  生きがいを見いだし、うつから回復した人もいる。横浜市西区の男性(80)は2001年、協腹
 に痛みを覚えた。いくつかの病院を回ったが、異常は見つからない。「自
律神経失調症」との診断
 だった。2003年、男性を診た精神科医の三木和平医師は
「仮面うつ病一を疑った。
  男性は抗うつ薬を飲むと、痛みもとれてきた。2010年ごろに現役を引退した後は、地元の老
 人クラブの役員になり、地域の清掃活動などをしてきた。「退職後は不安
だったが、老人クラブの
 仕事を阿て、心の支えになった」

  2015年4月には老人クラブの会長として、約70人の会員のトップに立った。すると数カ月後、
 いったん改善したうつが再発した。抗うつ薬を増量し、症状は改善し
た。三木医師は「老人クラブ
 に入ったことが、うつの改善に役立った一方で、会長に
なって心理的な負担が増えてしまった。適
 度な役割をもつことが大切だ」と話している。

    増える「孫離れうつ」

  
高齢者のうつ病に詳しい北里大学北里研究所病院精神科の高橋恵医師によると、高齢者のうつ病
 は、大きく(1)以前にうつ病の既往歴があり、老年期に再発する
(2)老年明に初めて発症する
 の2ケースに分かれる。(2)のきっかけで多いのが、失業や退職、配偶者の死などの「喪失体験」
 だ。

  ここ数年目立ってきたのが、「孫離れうつ」ともいえる現象だという。両親が共働きのため、孫
 の面倒を見ていた祖父母が、孫の成長とともに役割を失い、うつになるパ
ターンだ,
  80代の男性患者は、両親の代わりに、孫の幼稚園への送り迎えをしていた。ちょうど仕事を退
 職して、孫の世話に生きがいを見いだしていた。ところが、孫が小学校に
入ると、気分の落ち込み
 がひどくなり、高橋医師のもとを受診した。

  70代の女性患者は、娘と2凹帯住宅に住み、孫の世話をすることに生きがいを感じていた。だ
 が、中学生になると、「うざい!」「お前なんか出ていけ!」などと言われ
るようになり、うつ状
 態になった。

  一方、うつ病だった70代女性は、孫が大学生になったとき、同居するようになった。弁当を作る
 など、孫の世話をするという役割を得て、うつも回復してきたという。
  
こうした「孫離れうつ」の予防について、高橋医師は「孫だけに気持ちを集中せず、スポーツを
 楽しんだり、地域社会と交流したり、興味を分散させた方がいい」と
助→ぱする。
  さらに高橋医師は「今後、独居高齢者の増加とともに、『孤立うつ』が問題になるだろう」と警
 告する。「独居の患者さんで、健康風呂に通ったり、友達と一緒に住んだり
するようになって、元
 気になったケースもある。抗うつ薬の適正な使用だけでなく、
独居の人を地域で支える仕組みづく
 りが大凶になる」

  また高齢者の場a、若年層に比べ、精神科の受診につながりづらいことが多いようだ。神奈川県
 精神神経科診療所協会副会長を務める長谷川洋医師は「特に男性の方
は、精神科に抵抗感があり、
 自ら受診しない傾向がある。また高齢者の場合、体の痛
みや違和感などにうつ症状が出ることが多
 く、メンタルな病気とは思いにくい。体に
痛みなどがあって、検査しても賢常がない場合は、精神
 科を受診してほしい]と話し
ている。
  長谷川医師らは、高齢者のうつ病の特徴として、①身近な人や役割の喪失による発症が多い、②
 「老老介護」のストレスが引き金になりやすい、③体の痛み、めまいや
耳鳴りなど身体症状に出る
 「仮面うつ病{が多い、④心配性で体の症状を気にしすぎ
る「心気的」な傾向が強いごj・不安や
 焦燥感が強い、⑥妄想を抱きやすい、⑦認知症
と見分けるのが難しいこともある、などを挙げてい
 る。

   「生きがい感じる」が8割 60歳以上

   高齢者は、「生きがい」についてどう感じているのか。2014年版「高齢社会白書」によると、
 60歳以上の高齢者の約8割が「生きがいを感じている」と答えた。「十
分に感じている」と「多
 少感じている」が、各4割だった。男女別にみると、男性が79
・8%で、女性の83・2%に比
 べ低かった。

  また、ソニー生命は2013年に、50~79歳の男女1000人にインターネットで「シニアの生
 活意識調査」を実施した。「生きがい」と「やる気の源」について尋ねた
ところ、「(旅行など)
 趣味」(61・1%)がトップで、「パートナー(妻・夫・恋
人)」(43・9%)、「夢・志」
 (27・3%)などの回答があった。「ペット」と答えた人
も10・6%いて、ペットがシニア世
 代にとって大切な存在であることが浮き彫りになった。

  具体的な中身を尋ねると、「日本一周鉄道の旅」(70代女性)といった回答のほか、「語学の
 学習を通して視野を広げたい」(60代女性)など学びを深めたい志向、「介護ボ
ランティアとして
 社会に貢献したい」(60代男性)といった思いが現れた。
「人切に思うもの」を尋ねた結果、「社
 会貢献」と答えた人は10・1%。年代・性別に
みると、60~70代男性が15・2%で、50
 代男性の6・O%に比べ、約9ポイント高か
った。同社では「仕事の第一線を定年で退くに際して、
 社会貢献を考える機会を得て
いるのかもしれない」と分析している。


   ペットが生きがい

 「チロ、こっちこっち]。神奈川県横須賀市西部の山あいにある特別養護老人ホーム「さくらの里
 山科」。2015年12月、山ロ宜泰さん(82)が手押し車を押しながら、
愛犬チロ(オス、9歳)
 の散歩をしていた。

  「山科」はペットとともに入居できる介護施設。約40人の入居者は、犬6匹、猫10匹と一緒に
 暮らす。入居者が連れてくるほか、殺処分されそうな犬や猫を施設が引き取
っている。散歩やエサ
 やりは、介護職員やボランティアが担う。

  山口さんは、30年ほど前から、順にポピー、リョウ、チロという3匹の犬を飼ってきた,199
 5年、妻の節子さん(享年58)を難病で亡くした。ショックにうちひし
がれる山口さんを元気づけ
 たのが、リョウだった。1日数回、散歩に連れ出すこと
で、つらい気持ちが少し紛れた。「もし、
 リョウがいなかったら、父は一日中、だれと
も話さなかったかもしれない一と長女の泰子さん(54)
 は振り返る。

  2007年には、長男の達也さん(享年43)をがんで失った。しばらくして、リョウも亡くした。
 泰子さんは「また、ワンちゃんを飼った方がいい」と山口さんに勧め
たが、「もう年なので、犬が
 残ったら困る一と承諾しなかった。

  半ば強引に知り合いのブリーダ’-のところに連れて行くと、山ロさんはチロに一目ぼれ。家族
 の一員になった。チロは社交的な性格で、みんなが寄ってくる。おかげで、近所に「散歩仲間」が
 たくさんできた。

  2015年5月、山ロさん自身を病魔が襲った。脳梗塞で倒れて入院。数カ月後、入院中の検査
 で咽頭がんが見つかった。手術は難しい状態で、医師から「余命半年」と言われた,痛みなどをと
 る緩和ケアに移行することを選択した。
  病院では、チロと離ればなれでつらそうだった。「ペットと一緒に住める介護施設はないか」。
 泰子さんは、病院などに聞いたが、「そういう施設はありません」。地域包括支援センターに問い
 合わせると、山科を紹介してくれた。

  いま、山口さんは穏やかな生活を送る。痛みもあるが、チロが癒やしてくれるという。「子ども
 以上の存在です。酒を飲みながら、チロとしやべって、テレビを見るのが一番の幸せ」。チロを抱
 きながら話した。
  業界団体の推計で、飼われている犬猫が2000万匹を超えるとされる日本で、ペットを生きが
 いに暮らす高齢者は多い。だが、自分で附話ができなくなるため、やむなく手放すケースもある。
 神奈川県の調査では、保健所が犬を引き取る理由の約3割は、飼い主が高齢などで病気になったり、
 亡くなったりすることだという。
  山科のように、ペットと暮らすことができる老人ホームは全国でも珍しい。若山三千彦施設長は
 「お年寄りに最期まで人生を楽しんで頂くというのが私たちの理念,ペットとともに、幸せな時間
 を過ごしてもらえれば」と話す。チロが残されても、山科で終生面倒をみるという。


  
信仰が支えに

  宗教や歌を支えに生きるお年寄りたちは、少なくない。難病を患い2015年9月に亡くなった
 大沼美智子さん(享年71)と、夫の成彬さん(80)夫妻の心のよりどこ
ろになったのは、キリスト
 教と賛美歌だった。

 「Amazing gracc! How swcct thcsound!(素晴らしき神の恵み、なんと甘美な響きよ!)」。201
 5年7月の午後、房総半島を望む神奈川県横須賀市の団地にある
大沼さん夫妻の自宅に、賛美歌「
 アメージング・グレース]の調べが響いた。音楽療
法士の佐藤由美子さん(38)が、大沼さん夫妻
 のために、ギター片手に賛美歌を歌っ
ていた。成彬さんが一緒に口ずさむ,2人が大好きなエルピ
 ス・プレスリーの「ラ
ブ・ミー・テンダー]も歌った。ベッドに横たわる美智子さんも、時々笑顔
 で口ずさ
んだ。

  成彬さんは、美智子さんが亡くなるまでの13年間、在宅で介護を続けてきた。介護疲れを心配し
 た在宅医の千場純医師(66)が、米国で音楽療法士として活躍した佐藤
さんを呼んだのだ,201
 4年末から3度の機会を持った,「介護する側、される鯛で
はなく、本来の夫婦関係に一瞬でも戻
 れたら、うれしい」。佐藤さんは言う。

  結婚して5年、美智予さんが27歳の時に「全身性エリテマトーデス」という難病を発症。徐々に
 全身が弱り、2000年ごろから歩けなくなってきた。成彬さんは2002年、介護のために中小
 企業診断士の仕事を辞めた,

  美智子さんはもともと熱心なクリスチャンだった。体の自由が利かなくなった後は、成彬さんが
 教会に付き添った。週1~2回、教会の友達が自宅に来て、聖書の勉強会を開いてくれた。聖書に
 線を引き、解釈などの書き込みをした。成彬さんは、そうした美智7.Jさんの信仰の強さに心を動
 かされ、自身も洗礼を受けた。
  2002年、腸に穴が開き緊急入院,その後、亡くなるまで入退院を11回繰り返した。201
 5年2月の入院後には体力が急速に衰え、ベッドに寝たままの生活になった。そんな中でも、愚痴
 を言ったり、荒れたりすることはなかった。「信仰の力でしょうね。死ぬことを全然怖がっていな
 かった」と成彬さんは話す。

  一方、介護を続ける成彬さんの心身は、限田作に近づいていた。「背中が痛い」と言う妻の背を、
 さすり続けた,数日おきに、人工肛門の交換もした。「地面を踏んでいない感覚で、フワフワして
 いた」。そんなとき、佐藤さんの音楽療法を受けた。
  2015年8月、美智子さんの容体が悪化し、市内の病院に入院。「悪魔がいる。怖い」とガタ
 ガタ震えた。「神様(のお迎え)は遅い」と珍しく不満を口にした。意識がもうろうとしてきた。
 本人は「絶対、家で死にたい」と言っていた。最後は、自宅に戻り息絶えた,穏やかな表情だった。

  成形さんは連れ合いを亡くして1カ月は、何をするのもいやだった。「家に帰って「ただいま」
 と言って、だれもいないとわかるとつらい」。そんなときは、美智子さんの遺影に語りかける。2
 015年夏に撮ったベッド上の写真と、新婚のとき鎌倉で撮ったかれんな写真に。
  同年10月から、教会で始めた不登校の子どもら向け「居場所カフエ」に関わるようになった。
 若者から「怖くて電命に乗れないから、教会まで行けない」と相談を受けると、「大丈夫だ。頑張
 って来い」と励ました。子どもがいない成彬さんは、時に優しく、時に厳しく助言する。
 「これも私にQえられた役割。神のおぼしめしだと思う」。愛する妻を失って半年,成彬さんは信
 仰を支えに、新たな道を歩み始めている。


障害者やターミナル高齢者のやまゆり圏殺人事件、大口病院事件などの報道に接すると不気味で、気味
さを感じてしまう今日この頃、前者では犯人がヒトラーの『我が闘争』の本を読んでいたとの情報も
あるが、よほど注意をしてかからない限り理解そして了解ができないぞ!と考え込んでしまう。この本
を読み進めるなかで、本と関連付けて、あるいは単独に思いついたことを書き認めていこう。

                                       この項つづく
                                          

   ● 今夜の一冊     

 

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地震予知工学の此岸

2016年10月01日 | デジタル革命渦論

 

 

 

      人間自身もそうですが、すべてのものは善と悪を併せ持っています。
      どちらの面が強く出るか、それだけの話です。物事のいい面だけを
      見てもいけませんし、悪い面だけを見ても不十分です。  
         

                                                     
                        Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924 - 16 Mar,2012 
 

 

  

【地震予知工学の此岸:電離層の電子量変動観測で予知】

どの時点からの時間軸の範囲の議論は別として、「地震(もしくは海洋性地震)予知でき
る」とわたし(たち)は考えているが、その1つの手法として電離圏の電子数変動観測に
よる方法で、9月30日、東日本大震災やその前後にあったマグニチュード(M)7・0
以上の地震が発生する20分~1時間
ほど前に、上空300キロ付近の「電離圏」で電子
の数が増える異常があったことが京都大の梅野健教授(通信工学)のチームの分析で判明
し、米専門誌に30日発表。チームによると、M8・0以上の地震で電離圏の電子数が増
えていることは知られていたが、チームの手法は従来法と違い地震後のデータとの比較が
不要で、分析速度を上げられれば地震を予測できるという。梅野教授は「現在はパソコン
での分析に時間がかかるが、将来は地震の警報システムに生かせるのでは」と話している
(東京新聞 2016.09.30)。

「11年東北地方太平洋沖地震前の全電子量異常値の相関分析」("Correlation Analysis for
Pre‐seismic Total Electron Content Anomalies around the 2011 Tohoku‐Oki Earthquake", JGR:Spa-
ce Physics, 10 September 2016, DOI: 10.1002/2016JA023036
)によれば、衛星測位システムに
よる電離層内の全電子量(TEC)を(1)先ず、数時間処理し、衛星測位システム(GNSS)
の観測局の多項式関数で時系列モデル化する。(2)次に、数分間の遅延時系列モデルと
の逸脱する予測誤差を計算し、全電子量異常と定義する。(3)最後に、異常観測局とそ
の周辺の観測局間の相関を計算する。従来のスペクトラム拡散とS/N比改善の超長基線
電波干渉法(VLBI)を適用させることでノイズ除去達成する。結果、3月11日の東北沖
地震(マグニチュード9.0)の3月9日の前震20分前と4月7日の余震(マグニチュー
ド7.3)の40分前に異常検出すること成功(実証)する。この方法はマグニチュード7
以上の比較的短時間の範囲で予知として有効であることがわかる。


地震は予測できるか?-GPS衛星データの相関解析




● ここでワンポイントレッスン:ノイズの種類

  出典:村田製作所


● 津波予知工学の此岸:世界初、複合音波センサで感知



これに対し、8月25日、高知工科大学が開発した津波検知用のセンサが高知県幡多郡黒
潮町の5カ所に試験的に設置され、観測が始まっている。津波発生時に生じる音波の一種
「インフラサウンド」を捉え、津波対策に役立つ。インフラサウンドだけのセンサーは前
例があるが、今回のものは地震計や気圧センサーなどを組み込んだ津波観測用の複合型で、
世界初。インフラサウンドは地震や津波、雷などの際に発生する。人間には聞こえない低
周波で、数千キロ離れていても空気中を伝わるのが特徴。 センサーは約25センチ四方
の箱形で、24時間観測する。水面の高さが変わることで生じるインフラサウンドを感知
するとともに地震波を捉え、南海トラフ地震が発生した際には津波の規模や方向を予測で
きる。従来の観測方法を補完し津波警報の精度向上するとみられる。

開発したのは高知工科大学の山本真行教授(地球物理学)。04年からインフラサウンド
が津波検知に役立つと着目し、学生と研究を続けた。最近10年は千葉県の電子装置メー
カー「サヤ」と共同研究。16年、セコム科学技術振興財団の助成を受け、設置が実現。
全国で最も高い津波高が想定されている黒潮町は津波防災の関心が高く、光ケーブルの整
備で通信網が整っていることから設置場所に選ぶ。



Can electric signals in Earth’s atmosphere predict earthquakes? ↑

● 津波予知工学の此岸:世界初、海洋レーダー感知

今月29日、名古屋大学の田所敬一准教授らの研究グループは13年から3年間、和歌山
県新宮市の約百キロの沖合いの海底の動きを調べてきました。その結果、トラフ軸(海溝
軸)の近くにも歪みをためていそうだ、陸に向かって押されてそうだ、ということがわか
ってきたと話す。「トラフ軸」とは一般的には「海溝軸」と呼ばれているが、フィリピン
海プレートが陸側のプレートに沈み込む境界付近のこと。そこに歪みが溜まると、静岡県
の駿河湾から九州の東まで続く南海トラフの周辺では、100年から150年の周期で、
M7、8クラスの巨大地震が繰り返されてきた。巨大津波は駿河湾が震源の東海地震、そ
の西の、三重県沖までを震源とする東南海地震、そして四国沖までを震源とする南海地震
の、3つの地震が単独あるいは連動して起きたときに発生すると考えられてきたが、連動
することが3・11の東日本大震災でわかったのである。

ここで注目されているのが、海洋レーダー。50キロ離れた沖合の海面の流れを観測して、
津波の発生をいち早く検知し、避難時間を確保する技術を開発したと、三菱電機が昨年2
月17日発表。
現在、津波観測に使われている光学センサーや周波数の高いレーダーでは
20キロ以上離れると観測できない場合がある。
三菱電機が99年から開発してきた「海
洋レーダー」は、周波数が短く、50キロ先の沖合の流れを捉えることが可能だ。しかし、

本来は津波を監視するために開発されたレーダーではないため、津波が発生しても、海流
や潮の満ち引きと区別できなかっが、通常の海流を除去し、津波に関わる部分だけを抽出
する
技術を開発。津波発生時に沖合で通常と異なる速さの波ができると、レーダーが検知
して、波の
速さや地形データ、潮流などから津波の規模、到達時間を正確に予測すること
が可能になる。これも、ブログ掲載しているので参考されたし。先を急ぐ。



● 海底地殻変動観測工学の此岸:GPS/音響測距結合方式

 

このプレート歪みを観測方法のGPS/音響測距結合方式については、ブログ掲載済みだ
と記憶して
いるが、お温習いするしておこう。陸上では、GNSSの普及により、地殻変動観
測が広く、かつ密に行われている(例えば、地震科学探査気候:JESEA
)。しかし、海底で
の地殻変動観測は技術的に難しく、これまでほとんど実施されいない。
例えば、GPSの電
波や光は海底までは届きませんので、ある海底の地点の位置を決定するためには、測量船
を介して、GPSで測量船の位置を決定する(GPS測位)とともに、 音波で測量船と海底の
点と
の距離を測る(音響測距)、というように電波と音波を組み合わせた複雑な観測シス
テムが必要で、
音響測距では、測量船―海底間の音波の往復伝搬時間から距離を求めてい
る。そのためには海
中の音速度(音波の伝わる速さ)を知ることが必要で、 この音速度は
水温や塩分濃度によって変化、時々刻々と変化する海中の音速度を、時間的・空間的に正
に把握することが難しかった。

海上保安庁は、「GPS測位」と「音響測距」を結合した手法による海底地殻変動観測システ
ムを構築し、さらなる技術開発・海底基準点の展開及び観測を実施し(
観測手法のアイデア
は、米国カリフォルニア大学サンディエゴ校スクリップス海洋研究所のSpiess教授による)。
音響測距観測のシステムは、上図のようになる。各観測点にはその海域の水深程度の範囲に
広げて複数の海底局を設置、その海域で測量船を用いて観測を行うというもの。ブログで掲
載した改良案は(1)自律型ブイで定点静止させる。(2)音波をトリトン波(鋸波)のよ
うなものに変更し精度を上げるというような点を掲載したと思うが(時間がないので後で確
認)、それ以外に、各海底局を海底ケーブルでネット網を形成、時系列で歪み電位変化量を
GPSと結合させ観測しする方式も考えられる(要特許申請)。


※ 富山東部、小規模地震4百回超 8月以降(東京新聞 2016.09.20

 

【折々の読書 齢は歳々にたかく、栖は折々にせばし】    

   Jun. 26, 2016

 

● 朝日新聞「迫る2025ショック取材班」

          
『日本で老いて死ぬということ』2
 

  [目次]

   はじめに

   第1部 日本で老いて死ぬということ

  第1章 生きがいの喪失と回復
  第2章 難しい「平穏な在宅死」
  第3章 口から食べたい
  

  第2部 介護の現実~在宅・施設それぞれのリアル

   第4章 三人介護
  第5章 遠距離介護
  第6章 ダブルケア
  第7章 虐待を防ぐ
  第8章 在宅でみる 
  第9章 訪問看護師の力
  第10章 特養で看取る


  第3部 老いは地域社会で見守れるか

    第11章 地域で暮らす
  第12章 コミュニティ再生
  最終章 未来へつなぐ

  おわりに

  第1章 生きがいの喪失と回復

  孤独感募らせ、高齢者がうつに

  2016年1月中旬の夜、川崎市中原区にある木造2階建てアパートの一 室,独り
 で住む笹沼松fさん(78)は、精神科の長谷川洋医師(45)の訪問 診療を受けていた。
 うつ病を患っていた。
 「家の前の踏切に行くと、いっそ飛び込もうかと思ってね……]。笹沼さんが、ぼそっ
 と言った。
 「今の状況はつらいですよね,でも、そう言わないで、一緒にやっていきましょう」。
 長谷川医師は優しく語りかけた。数年前から、笹沼さんは「おなかが張る」「目が痛い」
 といった症状を訴え、内科クリニックや専門病院を受診した。何度も検査をしたが、結
 果は「異常 なし」だった。

  2012年3月、長谷川医師のクリニックを紹介され受診した。長谷川医師は「仮面
 うつ病」を疑った。うつの症状が、体の痛みに現れるタイプだ。お年寄りに多いという,
 抗うつ薬や抗不安薬を処方したが、あまり改善しなかった。笹沼さんは60歳すぎまで働
  いた。ラーメン屋や雀荘を経営し、ほとんど休みなく働いた。雀荘では客の徹夜マージ
 ャンにつき合い、朝ご飯を作ってあげたこともある。コツコツためたお金で、長男らに
 車をプレゼントした。めまぐるしい日々だったが、「周りの人たちを支えること」に充
 実感があった。



  夫に先立たれ、数年前には、頼りにしていた長男が騨臓がんのため、亡くなった。
 「今でも、息子とパチンコに行く夢を見るんです」と笹沼さん。毎朝起きると、線香を
 あげ、長男の写真に「おはよう」と声をかける。最近は、親族ともほとんど連絡をとっ
 ていない。2016年の正月も独りで過ごした。
 「体さえよけりや、また働くんだけどね」,今も、内科クリニックや病院に通い続ける
 が、症状は思うように改善しない。
  長谷川医師は、こう指摘する。「笹沼さんは猛烈に働きお金を稼ぎ、周りの人にふる
 まってきた。元々『支える側』だった人が、今はそういうことができないのは、つらい
 と思う、そこに息子さんの死が、追い打ちをかけた」
  2015年初め、長谷川医師は、地域包括支援センターの担当者と相談し、笹沼さん
 にデイサーピスでマージャンをするよう勧めた,そこで「仕切り役」をしてもらい、昔
 の雀荘時代のことを思い出してもらおうという意図だ。
  笹沼さんは最近、マージャンの解説本や小説を読みだした,以前は、本を読む気力も
 なかった。一歩ずつだが、笹沼さんは前に歩き始めている。



仮面うつとは、専門医でさえも見間違えるほど、「まるでうつ病が他の病気の
スク(仮面)
をかぶっているかのように見えてしまう」ことから、『仮面うつ病』という名が付けられた
という。老人性うつなら経験しているぞ。体験から言うと沈鬱で寡黙になり、悪いことばか
りしか考えなくなるというもので、体調不調や疲れからくる。だから、強めのお酒を飲むこ
とにし気分転換する。余り酷いと、自分の頬を叩き相撲取りのように鼓舞する。体力があれ
ば腕立て伏せを軽くする。要するに気分転換だが、長期的には生き甲斐を見つけることが一
番。「楽隠居」ばかりしているとストレスはなくなるが寿命を縮めると思っている。

そこで、
仮面うつ病の本質はうつ病であり、「内因性うつ病」であることがほとんど。内因
性うつ病は、「ストレス・環境」などの外的要因ではなく、「遺伝・体質」などの内的要因
が主な原因となって生じるうつ病で、メランコリー親和型の性格傾向を持つ人に多いという。
 

・秩序や規則を重んじる
・完璧主義で責任感が強い
・他者との衝突を避ける 

このような性格傾向を持つ方は、「自分に厳しい」方が多いようです。そのため、自分自身
 

・落ち込み
・興味を持てない
・やる気が出ない
・集中できない 

などの精神症状が出現していること、精神的弱さをさらけ出すことが耐えられないため、行
き場を失ったストレスが身体症状として現れているのではないかと考えられると指南されて
いる。特効薬はなさそうだが、自殺に追い込まれることもあり要注意(体験から)。

                                   この項つづく

 

  Let's push up !
 

 ● 今夜の一曲

アニマルズ 朝日のあたる家

  

The Ventures : House of The Rising Sun

  朝日楼

ちあきなおみ

アニマルズ(The Animals)は、英国のロックバンドである。60年代半ば、ビートルズなど
と共に世界的に人気を博す。米国では、いわゆるブリティッシュ・インベイジョンの代表
格。アメリカのブルースに根ざした作風が特徴的で、ロックシーンにも多大な影響をもた
らしたバンドである。60年代後半には、サイケデリック・ロック的な作品も発表。63
年、英国のニューキャッスルでエリック・バードン(ヴォーカル)、アラン・プライス(
オルガン、ピアノ)、ヒルトン・ヴァレンタイン(ギター)、チャス・チャンドラー(ベ
ース)、ジョン・スティール(ドラム)の5人で結成。ライブがあまりにもワイルドだっ
たため、観客から「Animal!」という声かかったことがバンド名の由来となる。
音楽性はブ
ルース色が非常に強く、ジョン・リー・フッカーの「Boom Boom」などをコピーしている
。対照的に、シングル曲にはヒットを意識してブリル・ビルディング系の作曲家の作品が
多く取り上げられる。この
The House Of The Rising Sun(邦題は「朝日のあたる家」)」
――米国トラディショナルなフォーク・ソング。Rising Sun Bluesと呼ばれたりするが、娼
婦に身を落とした女性が半生を懺悔する歌で、暗い情念に満ちた旋律によって注目された
。"The House of the Rising Sun" とは、19世紀に実在した娼館、または刑務所のことを指
すといわれている(確証なし)。「朝日楼」とも表記――は最大ヒット曲となる。これは
米国の伝統的なフォーク・ソングを、ブルース的な解釈でカバーしたもので、「朝日のな
い街」は、全英2位に輝き、ヴァン・ヘイレンなどもカバーする。因みに、
同じ時期に活
躍していたビートルズとも仲が良かった。また、チャス・チャンドラーは、ジミ・ヘンド
リックスを見出している。

※ Bob Dylan - House of the Risin' Sun (1962)

    いつも、ど素人からはじめていたのだが、素人が地震予知などに手をだすんじゃない!? 
    もう、へろへろだ。

                                                      

 


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