極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

スポーツ・ブラック・ビジネス

2018年08月02日 | 時事書評

 


                                 

『三 略』(さんりゃく)
略は「機略」「戦略」の意味。『六韜』(ろくとう)と並んで『韜略』といわれる。六世紀ごろの成
立。『三略』は神秘的な成立伝説にいろどられており、今日の目でみると、時代がかっている部分が
多い。上略・中略・下略の三笥から成るが、その中から現代にも通ずる部分を選んで訳
出する。

性質に応じて使え
『軍勢』には、こう記されている。
「人には、それぞれ目的がある。知謀にたけた人は、功業をたてたいと望かだろうし、勇を好む人は、
志が達成されることを順うだろう。物欲の強い人は、利益をあげることを求めるだろうし、愚鈍な人
は、死ぬことを何とも思わないだろう。したがって、軍隊を統率するさいには、各人の真意がどこに
あるかをよく見極め、それによってそれぞれの使い道を決める必要がある。こうしてキメの紬かいや
り方で一軍を統率することが大切である」(中略)

〈『軍勢』〉古代の兵法書といわれているが、定かではない。先の『軍職』と同じく、仮託の言で
あろう。

機密保持・団結・敏速
『軍識』には、こう記されている。すなわち、「大事なことは、将のはかりごとに秘密が保たれ、兵
士が一致団結し、敵を攻めるに当たって敏速であることである」と。将のはかりごとに秘密が保たれ
るならば、車内に火切り行為は超こらない。兵士が一致団結しているならば、いかなる事態にも結束
して当たることができる。攻撃が敏速に行なわれるならば、敵は防禦態勢を建て直すいとまがないだ
ろう。この三つの条件が備わった軍隊であれば、いかなる計略をたてても失敗することはない。

その反対に、もし将のはかりごとがいつのまにか洩れてしまうならば、軍隊は無力になる。もし、内
部の状況が敵につつぬけであるならば、不利な事態の生じるのを防ぎようがない。もし、内部に敵と
通じる者が現われて買収工作を行なえば、兵士はたちまち徒党を組んでよからぬ相談をするだろう。
この三つの害悪に気づかぬ将が車の統率するとしたら、勝利は絶対におぼつかない。(上略)

衰亡する組織とは
軍を統率して臨戦態勢にしておくのが、将の務めである。実際に敵を打ち破って勝利をもたらすのが
兵士の務めである。してみれば無能な武将に軍を維持させ、命今に従わない兵士に敵と戦わせたとこ
ろでむだである。敵城をおとせないことはもちろん、野戦においても失敗するに決まっているからで
ある。どちらをやっても戦果をあげえないならば、その結果は、軍の疲弊が残るだけである。疲弊し
た軍隊にあっては、将は孤立し、いくら命令を下しても兵士の反感を買うばかりである。こうして守
っては崩れ、戦っては敗走するのが、無能な将と命今に従わない兵士とを抱えた軍隊の運命である。
これはもはや衰亡した軍隊でしかない。

軍隊が衰亡するとどうなるか。もとより将の威令はゆきわたらず、したがって刑罰を課しても甘くみ
られるばかりである。兵士の隊伍はバラバラになって、逃亡兵が続出するだろう。そうなっては、敵
にやすやすとつけこまれるだけである。敵につけこまれた軍隊は、滅亡する。(上略)


 

 

第17章 「アグロマフィア」の象徴、南イタリア産トマト缶
第4節 プッリャ州チェリニョーラ。ガーナ・ゲットー
2016年3月、わたしはエンゾ・リモザーノに同行してガーナ・ゲットーを訪れた。リモザーノは
心臓血管外科の元医師だ。すでに定年で引退している-ゲットーの人口でキャンピングカーを停め、
エンジンを切る。フロントガラスの向こうに、廃墟となったカソラーレの小さな集落が見える。わた
したちは車を降り、ドアをバタンと閉めた。その立日を間いて、あたりをうろついていた野良犬が吠
えはじめる。目の前にはゴミが散らばった細い泥道が伸びていた。

歩きだしたリモザーノの後をわたしもついていく。ガーナ・ゲットーを訪れる外部の人間は、はじめ
にリーダーのところへ挨拶に行かねばならない。アフリカの部族を訪ねるときと同じしきたりだ。ガ
ーナ・ゲットーの「首長」の名はアレクサンダーという。

「首長はここに住んでるんだ」

シモザーノは小声で言い、ドア代わりに取りつけられた木の板をノックした。屋根に穴が開いていた
が、ダンボールでふさいであった。その上に防水シートがかぶせてあり、重石が乗っている。寒い日
たった。ゲットーは閑散としていて、誰もいないように見える。

「この時期、畑の仕事はほとんどないから、別のところに働きにでてる人間が多いんだ。気候がよく
なって収穫期になるとまたここに戻ってくる」

室内には三人の男性がいた。顔を見分けることができないくらい薄暗い。

「チャオ。アレクサンダーはどこだい?」

リモザーノが尋ねると、三人は一斉にひとつの方向を指差した。そちらを見ると、酋長が毛布にくる
まって、発砲プラスティックシートの上に横になっていた。室内には、どこかから拾ってきたらしい
古い家具がいくつも置かれている。首長が寝ている奥の壁には、バス停から拝借してきたらしい大き
な宣伝用ポスターが一面に貼られていた。高級ブランドの香水、女性用ランジェリー、ジュエリーな
どの広告で、肌をあらわにした女性がポーズをとっている。

アレクサンダーがゆっくりと起き上がる。あごひげに白いものが混ざっていた。歳をとっているせい
か、あるいは眠いせいか、動きがぎこちない。アレクサンダーはわたしたちにほほ笑みかけ、一ゲッ
トーにようこそ」と挨拶をした。首長もほかの居住者だちと同様に移民労働者だ。カポラーレとはい
っさい関係ない。ガーナ人が多いことから「ガーナ・ゲットー」と呼ばれるこの労働者キャンプで、
年配者であるがゆえに首長と呼ばれるようになったのだ。
薄明かりのなかにいる三人の男性は、表情ひとつ変えずにこちらを観察している。そばにはロードレ
ースのポスターが貼られていた。ライダーがバイクを内側に傾けながら、サーキットのカーブを回っ
ている。

「きみたち、もし医者が必要なら言ってくれ。人口に停めてあるキャンピングカーで診察するから」

リモザーノはそう声をかけ、握手をしてから家の外へ出た。それからひとつひとつカソラーレを訪れ
て、医師が来ていることを告げて回った。
ガーナ・ゲットーを訪れるのは、FLAI‐CGILの組海員と、近隣に暮らす修道女のシスター・
パオラ以外では、このリモザーノくらいだった。

「2015年には、イタリアの有名なNGOが、ここにいる気の毒な労働者たちの医療ケアをしに来
ていたんだ。救急医療チームも連れてきていたから、かなり質のいい医療だった。でもそれは、プッ
リャ州から助成金が出ていたからやってたんだ。助成金が打ちきられた途端、彼らはぱったり来なく
なった。自分たちの資金を使って2ヵ月に一度くらいは来たってよさそうなものなのに、あれから一
度も来やしない。でもここの状況はちっともよくなっていない。何ひとつ改善されていないし、むし
ろ悪くなってるくらいだ。そのNGOは今も、アフリカの紛争地帯の子どもたちの写真や映像を使っ
て、駅のボスターやテレビCMで寄付を募っている。そういう活動をしている一方で、イタリアにい
るアフリカ人たちを見捨てているんだ。こんな近くに困っている病人がいるというのに。まったく恥
ずかしいことだ」

リモザーノは憤慨していた。彼は政治活動家でもなければ、カトリック慈善団体のボランティアでも
ない。単なる引退した医師だ。ひょんなことから未知の世界の現実を目の当たりにして、どうしても
見すごすことができなかったのだ。

「正直なところ、ここに最初に来たときは、人生で初めてイタリア人であることを恥ずかしく思った
よ。だから、自分にできることはすることにした。協力してくれる人たちもいる。医薬品を分けてく
れる薬剤師もいる。医大の講堂で呼びかけると、月に一、二度の日曜、いっしょにブッリャ州のゲッ
トーを巡回してくれる医学生や研優生もいる」

地方自治体で運営している給水車が、ときどきゲットーにやってくる。だがかなり不定期で、週に一
度来ることもあれば、何週間も来ないこともある。その間、ゲットーでは飲用水が今に入らない。
リモザーノが運転してきたキャンピングカーは、NGOが所有する最先端の医療救護車とはまったく
ちがう。ボロボロの中古車で、シートはすでにすりきれている。ブッリャ州で活動する複数の慈善団
体が共有する、唯一の医療用車両だ。そのたった一台の車を借りて、月にスニ度、診察のためにここ
にやってくる。

キャンピングカーで診察が行なわれている間、わたしはゲットーをぶらついた、そしてト-ゴ人の男
性と出会った。このゲットーでフランス語を話すのは彼だけだという。「もうどうしたらいいのかわ
からない」と、途方にくれた様子で言う。
イタリアのゲットーで、ヨーロッパに渡ったことを後悔しているアフリカ人移民に会ったのは、これ
が初めてではない。多くの男たちが、どんなにつらい仕事も耐える覚悟で、希望を胸にここへやって
くる。だが、難民認定手続きで却下され、しかたがなく不法滞往者になったときが運命の分かれ道だ。
行くあてがなくなりゲットーに身を寄せる..生きるために仕事に就くが、稼いだ金はゲットーでの
生活で失われ、その日暮らしの賃金労働者になる。わずかな賃金を節約してようやく小銭を貯めたこ
ろ、母国の知り§いから電話がかかってきて、金を送るようせがまれる。そして、母国になけなしの
金を送る。相手を失望させたくないからか、助け合いの精神からか、あるいは「貧困に立ち向かう勇
敢な自分」という自らが築いたイメージを壊したくないからか、侈民たちは誰もがそうする。そして
数カ月経ったころ、もうそこから抜けだせなくなってしまうのだ。

ガーナ人の男性とも知り合った。顔をケガしていたので、キャンピングカーに連れていくことにした。
カポラーレが数日分の賃金を支払ってくれなかったのでケンカになり、ナイフで切られたのだという。
だが、きちんと治療してもらえぼ痛みはひくだろう。

「さあ、なかへ入って。痛いだろうけど、大ケガじやないから大丈夫だ」

わたしは男性を促し、いっしょに単に入った。車内には消毒液の匂いが漂っていた。治療を終えると、
リモザーノは薬が入った箱の上にI2」と記し、さらに二本の棒線を引いた。一回に服用する薬の数
を示すためだ。男性は文字が読めなかった。それでも不安そうにしていたので、リモザーノは最後に
指を二本立ててみせた.

第5節 
トマト収穫期だけなわの2016年7月、わたしは再びガーナ・ゲットーを訪れた。三月に来たとき
よりずいぶん移民が増えていた。みんな英語で会話をしている。
通り沿いの上手の上に車の残骸があった。前回もそこにあった覚えがあるが、そのときは気にもとめ
なかった。だが、今回はドアが開いていた。見上げると、なかに黄色いTシャツを着た黒人の男性が
いるのがわかった。目を見開いて今にも襲いかかってきそうな表情をしている。が、身動きひとつし
ない。数分経ってもそのままだった。

わたしは男性のほうに近よった。だが、数メートルのところまで近づいても、視線を合わせることは
できなかった。年齢は50代くらいだ。まるで生気のない、ガラス玉のような目をしている。この車
の残骸のなかで暮らしているのだろう。なかは雑然としていた。男はようやくわたしの存在に気づい
たようで、聞きとりにくい英語で口ごもった。わたしたちは互いに意思疎通をはかろうと試みた。彼
は底が抜けて黒ずんだ鍋をわたしに示した。車内からひどい匂いが漂ってくる。ここで寝泊まりして
いるのかと尋ねると、ことばを発する代わりに寝る真似をしてみせた。布きれにくるまってシートに
横たわる。それから、足の甲に広がる化膿した傷を見せてくれた。

この傷のせいで収穫の仕事ができなくなったのだ。その目はもうまわりの世界を見ていなかった。そ
の男性にとっての世界のすべては、果てしなく広がる虚無なのだ。それは底知れない開だ。もはや労
働力を提供することはできない。金を稼ぐ手段を失った。ガーナで生まれ、プッリヤ州にやってきて、
何年も農業をして働いてきた。このゲットーで、最後の最後まで力を振りしぼって精いっぱい生きて
きた,だが、もう力つきたのだ.

夏の暑さに参ってしまったのだろう。ほかのアフリカ人移民にめぐんでもらう食料だけを頼りに、な
んとか命をつないでいる。ゲットーには野良犬がいるが、あたりを跳びはれたり、木陰でのんびり眠
ったりしていて、この男よりずっと幸せそうだ。男はゆっくり息を引きとろうとしていた。目の前に
広がるのは果てしない孤独だけだ。身動きひとつせず、車のシートに座ったままでそこにいつづける。
夜のとばりが下りるなか、その車のドアは大きく開け放たれたままたった。

第18章 イタリアの労働者の違法な搾取
第1節

農業の労働市場をめぐる争いには歴史がある。そしてその争いは、イタリアの歴史において重要な位
置を占めている。かつて北イタリアのボー川流域では、肥沃な土地と豊富な水資源によって農業が栄
え、その恩恵を受けて加エトマト産業が誕生した。その一方でボー川流域は、イタリアでファシズム
運動が誕生した土地でもあった。

1919年イタリア戦闘者ファッシ」という政党を設立したベニート・ムッソリーニは、総選挙で惨
敗したのちにこの地で勢力を拡大した。この土地の自作農たちを、党の準軍事組織「行動隊」に取り
こんで、イタリア社会党と争いながら権力を強めていったのだ。行動隊に参加した自作農のほとんど
は、第一次世界大戦の退役軍人だった。当時、ファシスト運動家としては、作家・詩人でもあった
ブリエーレ・ダンヌンツィオのほうがムッソリーニより知名度が高かった。そんななかでムッソリー
ニが台頭できたのは、行動隊の支援があってこそだった。

1919年といえば、第一次世界大戦とロシア十月革命の気配が色濃く残っていたこともあって、総
選挙では社会党が大勝した。これをきっかけに、「赤い二年間」が始まった。不況が深刻化したこの
時期、農民と労働者はあちこちで農地や工場を占拠し、暴動を起こし、ストラ
イキを実行した。イタリア社会党の急進派は、土地を所有していない小作農、いわゆる日雇い労働者
と呼ばれる人たちを率いて革命を起こそうとした。社会主義の名の下に、彼らに労働市場を支配させ
ようとしたのだ[1]。主にボー川流域で、労働組合や労働会議所が次々と設立され、日雇い労働者
たちが組織で活動しはじめた。農場経営者による支配に抗議し、労働の解放を求めて戦った。その結
果、賃金はアップし、労働条件も向上された。

1920年、ボー川流域では、農場経営者が労働者を雇いたいときは、自ら労働会議所に出向いて手
続きをしなくてはならなくなった。日雇い労働者に対して常に優位な立場にあった農場経営者が、権
力を増してきた労働組白と対等に交渉することを強いられたのだ。労働組白け日雇い労働者たちに、
土地の所有や社会的地位より労働のほうが価値があるという思想を広めた。

農場経営者たちは、かつての資本主義システムを取り戻し、自分たちが再び且雇い労働者より優位に
立てるよう、社会主義を破壊しようとした。だが一筋縄ではいかなかった。労働組合の要求を退けよ
うとすると、すぐにストライキが起こるからだ。状況はかなり緊迫していた。
そこで農場経営者たちは政府に支援を要求した。しかし当時の首相ジョヅアンニージョリッテイは中
道的な自由主義者で、しかもやがて80歳になろうとしていた。5期目の首相に就くために贈賄にも
手を染めており、国の秩序を回復させることはもはやできなかった。

代わりにその役目を拒ったのは、黒シャツ隊だった。各地の行動隊を統合して結成された、ムッソリ
ーニの政党の私兵組織だ。1920年11月、イタリア戦闘者ファッシはファシスト党と改組され、
各地の暴動やストライキは黒シャツ隊によって鎮圧された。同年11月21日、北イタリアのボロー
ニャの市役所で六大の社会主義者が殺害されると、労働者にとって黒シャツ隊は大きな恐怖となった。
黒シャツ隊の中核メンバーも行動隊と同様に退役軍人で、反戦主義と国際主義を掲げる社会党を忌み
嫌っていた。そもそも1914年、社会党員だったムッソリーニは、参戦主義と国家主義を掲げて大
々的な参戦運動を展開し、党から除名処分を受けていたのだ。ヨーロッパの社会主義政党で、戦時も
中立を主張しつづけたのはイタリア社会党だけだった。黒シャツ隊は、社会党に関わるあらゆるもの
を破壊していった。社会党系列の新聞社、印刷所、労働会議所、組か集会所、交流クラブ、協会事務
所などを次々と放火した。イタリアの国情は一気に不安定に陥り、多くの都市がファシスト党の支配
下に置かれた。

1921年1月21日、労働者の暴動やストライキを指導したアントニオ・グラムシらが、社会党か
ら分裂してイタリア共産党を結成する。するとファシスト党は共産党を新たな攻撃のターゲットに据
えて、ますます勢いづいていった。一方、政権は自由党が掌握しつづけたものの、共産党、社会党、
人民党が桔抗して次々と内閣が交代し、政府はほとんど機能しなくなった。労働者の暴動を恐れる農
場経営者はムッソリーニとファシスト党を支持し、資金や武器を援助した。そして1922年10月
ムッソリーニによるクーデターのローマ進軍が起こり、国王がムッソリーニに組閣を命じ、11月2
4日にムッソリーニ政権が誕生した。12月19日、イタリア産業総同盟(コンフィンドウストリア)
は、ファシスト政権が設立したファシスト協同同盟の支配下に置かれた。1926年には、イタリア
でストライキは違法とされた。

第2節 イタリア、プッリャ州プリンディジ
「カポララートは労働市場の違法占有です。それ以外の何ものでもありません」
プッリャ州ブリンディジのイタリア労働総同盟=食品農業組合(FLAI‐CGIL)書記長、アン
ジェロ・レオは、2016年7月31日の取材に対してこう述べた。

「不法労働を斡旋するカポラーレは、1960年代に登場しました。きっかけはモータリゼーション
です。そもそもカボラーレは、ライトバンなどの輸送手段を所有している人たちのことでした。日雇
い労働者から金を集めて畑まで送迎していたのです。初期のカポラーレは、むかしイタリアで農業に
従事していて、戦後ドイツに移住したイタリア人でした。夏のバカンス中イタリアに車で帰省してい
たのが、やがて休暇をとるより金もうけをするのを選ぶようになったのです。当時のイタリアでは農
業が大きな変化を遂げていました。急増する消費を満たすために機械化が進められました。労働者の
需要も高まりました。

ライトバンを所有するカボラーレは、農業生産者に労働力を供給することで大金を稼ぎました。じつ
は、
カポララートは、アフリカ人、ルーマニア人、ブルガリア人の移民労働者だけを対象にした組織
ではないのです。

搾取されるのはイタリア人も同じです。たとえばこのブリンディジでは、今でも多くのイタリア人女
性がカポラ
ーレに頼って仕事を得ています。自家両軍を所有していない女性でも、カポラーレの単に
乗って自宅と
畑を往復できるからです。晨良150キロメートル離れた場所まで送迎してもらえます。
朝三時から
四時ごろ、大きな広場や目抜き通りでカポラーレは労働者たちを拾います。
労働者をトラックに乗せるかどうかは、カポラーレが判断します。トラックに乗せるための条件も一
方的に設定します。たとえば、労働一時間分の賃金を手数料として支払うといったことです。不平を
言えば翌日から単に乗せてもらえなくなります

現在、イタリアでは失業率がとんでもなく高くなっています。とくに南イタリアの主婦のなかには、
一家の大黒柱として働かざるをえない場合もあります。だからこそ、カポラーレにしぶしぶながら服
従するので
す。労働市場を支配しているのはカポラーレですから。わたしがプッリャ州で組海員とし
て活動してきて、かれ
これ40年になります。カポララートがどんどん成長し、巨大組織化するのを
目の当たりにしてきました。毎年夏
になると、畑で作業中に労働者が命を落とします。それがたまた
まニュースになり、労働者の名前が報じられ
るときだけ、わたしたちはその事実を知ることができま
す。でもたいていの場合、とくにそれが不法移民だったり
したら、事件は決して公になりません。証
人は買収され、遺体はすぐに別の場所に移されます。カポラーレが
どこかへ隠してしまうのです。                     

1980年代の終わり、わずか数年間だけ、ブッリャ州とバジリカータ州で協定が結ばれました。数
百人の農業労働者を対象に、労働の自主管理プロジェクトが試験的に実施されたので
す。この一環で、
農業労働者のための公共交通機関の整備、公的な職業相談所の設立、労働組
合権の付与、労働時間の
遵守などが行なわれる予定でした。ところが、カボラーレたちがこれ
に暴力で抵抗したのです。まず
公共機関が所有する単に次々と火を放ちました。それから、
このブロジェクトに協力する予定だった
企業の経営者に、手を引くよう脅迫しました。カポラ
ーレは、プロジェクトが成功してこの動きが
各地に広がることを恐れたのです。


結局、このブロジェクトは、関係者たちが怖気づいたことで失敗に終わりました。それを決
定的にし
たのは、ブリンディジのチェーリエ・メッサーピカという町で、組合の集まりが襲撃
される事件が起
きたことです。その日、労働会議所には、カポラーレの性暴力に抗議する女性
労働者たちが集まって
いました。その真っ最中に会場が取り囲まれ、ふたりのカポラーレが乱
入してきたのです。わたしも
その場にいたのですが、抵抗すると暴力を振るわれ、殺すと脅さ
れました。女性たちはからくも逃げ
だしましたが、殺されるのではないかと怯えていました。

襲撃事件を起こしたカポラーレたちは、イタリア国家憲兵カラビニエリによって逮捕され、のちに裁
判で有罪になりました。でもこの事件は女性たちにトラウマを負わせ、プロジェクト
を進める勇気を
失わせてしまいました。それからまもなく、労働市場は再びカポラーレの手中
に戻ったのです」

第3節 イタリア、ローマ。共和国元老院(上院)
2011年、イタリアでカボララート取締法が制定された。にもかかわらず、いまだこの問題が解決
していないのはなぜだろうか?原因のひとつとして考えられるのは、この法律に
は、カポララートの
労働力搾取における大手食品メーカーやスーパーチェーンの連帯責任を問
う記述がないからだ。だが、
労働力を搾取することで生産された商品を販売しているのは、こ
うした大手企業だ。プッリャ州で収
穫されたトマトを使ったホールトマト缶は、ヨーロッパ
中、あるいはアメリカで、大手食品メーカー
やスーバーチェーンによって流通されている。


大手スーパーチェーンや、トマト缶メーカーを傘下に置く食品グループは、労働力を供給さ
れている
トマト生産者以上に、カポララートの恩恵を受けている。トマト生産者のもうけは、収穫量
1キロ当
たり7ユーロセントから10ユーロセント程度だ。それほど余裕のある生活は
していない。カポラー
レに関しては、収入はケースバイケースだ。現在のカポラーレの多くは
元移民労働者で、イタリア語
を流暢に話せるために搾取される側からする側に回った。高額を
得ているカポラーレの燭台、月に1
万ユーロ以上になることもある。労働者に対して情け容赦
ないのがこのタイプだ。だがたいていのカ
ボラーレの収入はそれほど多くない。カボラーレは
犯罪集団の末端にすぎず、背後の黒幕に金を渡さ
ざるをえないからだ。


この犯罪ネットワークが明るみに出たときに逮捕されるのは、実際に畑に姿を見せるトマト
生産者と
カポラーレだけだ。食品メーカーや大手スーパーチェーンの経営者たちは、決して罪
に問われること
はない.

「この問題を解決するには、業界の連帯責任を問う必要があります」

ブッリャ州の上院議員のダリオ・ステファノ(「左翼・エコロジー・自由」党所属。同党は2016
年に解党)はそう言う。カポララート取締法の草案を作成した人物だ。

「イタリア国内はもちろん、EUの法律も変えるべきです。大手食品メーカーやスーパーチェーンは、
加工トマト業界で起きているすべてのことについて連帯責任を負うべきです。いえ、トマトだけでな
く、農業全般についてそうでなくてはいけません。下請けがやっていることを見て見ぬふりをしたり、
知らなかったとうそぶいたりできないようにすべきです。大企業が下請けに責任をなすりつけて知ら
ん顔をしているかぎり、カポララートはヨーロッパからなくなりません。現行法より厳しい法律を制
定し、大企業が商品生産をきちんと管理するようにさせるのです。そうすれば、カボララートの存在
を見て見ぬふりができなくなります」

2011年に制定された法律では、カポララートを消滅させることはできなかった。今もイタリアの
新開では、この問題が一面で頻繁に取りあげられている。一部のカポラーレは、まんまと法の目をかい
くぐり、新しい状況に適応しながら生き延びている。合法の派遣会社を設立し、犯罪を偽装しはじめ
たのだ。これによって、とくに南イタリアにおいて、移民の不法労働にまつわる新たなタイプの犯罪
も誕生した。農業労働時間の闇取引だ。

イタリア国民が年金や失業手当などの社会保険を受けるには、何らかの分野で一定期間労働し、保険
に加入しなくてはならない。カポララートはその労働時間を開で売りはじめたのだ。つまり、アフリ
カ人などの移民が不法労働を行なった分の時間を、イタリア入がカポララートを通じて購入する。す
るとそのイタリア入は、実際は労働をしていなくても、その労働時間と保険加入期間の記録のおかげ
て失業保険や年金を受給できるようになる。だが本来、その権利は労働者本人に還元されるべきもの
だ。つまりここでも移民労働者は搾取されていることにな そのうえ、一派遣会社」代表のカポラー
レやトマト生産者は、万一当局から疑われて捜査されても言い逃れができる。正式な書類さえそろえ
ておけば、「実際に雇用した」「合法的に社会保険に加入させた一と主張することが可能だからだ。
こうして労働市場は「派遣会社」に支配され、アフリカ入移民はますます就労を申告したり、支払い
証明を受けたりできにくくなった。
合法的にイタリアに滞在できる許可を取得することがいっそう困難になったのだ。

「それから、畑から小売店まで、商品の一貫したトレーサビリティを確保しなくてはなりません。業
界全体の連帯責任を可能にするためです」

カポララートはイタリアだけの問題ではないと、ステファノ上院議員は言う。イタリア入だけに責任
があるわけではない。この問題の根本的な原因は、ほかのさまざまな現象と同様に、グローバル化し
た資本主義経済にあるからだ[2]。
カポララートという労働者搾取システムは、かつての奴隷制度の再来だ。自由主義思想を経済体制に
取り入れたために誕生したのだ。自由放任主義によって、政府が経済活動や市場に干渉しなくなった
からだ。

奴隷制度がいかに自由主義と関わりが深いかは、世路の歴史を振りかえればわかるだろう。
人身売買がもっとも盛んに行なわれたのは、一六世紀からIハ世紀だった。それはちょうど経済学者
や哲学者たちによって、新たに台頭した特権階級の私的財産を前提として自由主義が提唱された時代
に相当する。
今日、南イタリアの農業における「自由」は、ある特定の人たちだけに利益をもたらすものになって
しまった。そしてそれは、不当な利益だ。EU圏内に多くの移民キャンプが作られ、労働者を搾取・
脅迫し、正当な権利を要求するアフリカ人移民をときに殺害するカポラーレたちが、堂々と車で街中
を行き来する………だがこれは「自由」がもたらした現実のもっとも衝撃的な一例にすぎない。
                             
                      ジャン=バティスト・マレ著 『トマト缶の黒い真実』 
                                 
                                       この項つづく

【安坊峠/焼岳弾丸登山Ⅱ】

 

  安房峠

焼岳火山群は,北アルプス南部,安房(あぼう)峠(標高1790m)以北に位置するアカンダナ火山,白
谷山(しらたにやま)火山,大棚(おおだな)火山,焼岳火山,岩坪山(いわつぼやま)火山,割谷
山(わるだにやま)火山の7つの火山から構成される.この火山群の東側には信濃川水系の梓川が、
西側には神通川水系の高原川が流れ,これら河川の河床から山稜までの比高は1000m以上もあり急峻な
地形をもつが、山麓には上高地、平湯、細池、小船、安房平などの小盆地(凹地)が存在。これらは、
焼岳火山群の裾野と基盤岩が接する所にあることから,この火山群の活動による河川の堰き止めによ
り形成されていると考えられている。

焼岳(標高2455m)は、溶岩ドームとそれが崩壊して発生した火砕流堆積物で作られた火山。数千年間に
1回程度の割合でマグマ噴火を行い、その間に複数回の水蒸気噴火を行っている。
約2300年前に最新
のマグマ噴火が発生し、山頂部分の溶岩ドームとその周囲の火砕流堆積物が作られた。
近年の噴火は
いずれも水蒸気噴火で、降灰や噴石の降下と共に、火口から直接火山泥流が流れ出る。
平常でも噴気
活動が認められ、気象庁が定めた「活火山」であり、「常時観測火山」である。

天候良好、30日(月)午前2時出発→中部縦貫道路を経て奥飛騨温泉郷=安坊峠経由→7時に焼岳
登山口駐車場着→11時、強烈な日照で8、9合目付近で携帯飲料水300ミリリットルを切る(途
中確保不可)、登頂断念下山→14時、中の湯旅館で休憩(水分補給1リットル)→17:30帰宅。

 ● 今夜の一曲

『中島美嘉  命の別名』



● 今夜の寸評:スポーツ・ブラック・ビジネス

大相撲、アメフト、レスリング、ボクシングが何かと話題になっているが、「トマト幹の黒い真実」
のアグロマフィアではないが”スポーツ・マフィア”が横行するかのようだ。所詮、貧相な経済行為
に過ぎない。「第5次産業の誕生に向けて」のダークサイド(反社会勢力)の浸潤を予感させるもの
とし関心を惹く。

※「第5次産業論」について『デジタル革命渦論』を参照。

 

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安坊峠/焼岳弾丸登山Ⅰ

2018年08月01日 | 国内外旅行

 


                                 

『三 略』(さんりゃく)
略は「機略」「戦略」の意味。『六韜』(ろくとう)と並んで『韜略』といわれる。六世紀ごろの
成立。『三略』は神秘的な成立伝説にいろどられており、今日の目でみると、時代がかっている部
分が多い。上略・中略・下略の三笥から成るが、その中から現代にも通ずる部分を選んで訳
出する。

「衆心を察して百務を施す」
戦時体制にある国では、民心の動向を見定め、それぞれの状況に応じた牛メの紬かい対策を講ずる
ことが、肝要である。すなわち、こうだ。

動揺する者がいれば、安心感をうえつけ、恐怖におそわれる特がいれば、気持に余裕をもたせる。
食務を放棄した者がいれば、持ち場に戻らせる。無実の罪をこうむった者がいれば、釈放し、訴え
ごとのある者がいれば、事実をよく調べる。低い身分におかれている者がいれば、高い地位に抜擢
し、権力を乱用する者がいれば、低い地位にねとし、敵対者がいれば、処分する。貧しい者がいれ
ば、暮しに事欠かぬようにし、不満を抱く者がいれば、その解消につとめる。秘密の露見を恐れる
者がいれば、機密保持を保証し、知謀に長けた者がいれば、側近に採用する。言言する者がいれば、
退け、人を中傷する者がいれば、裁判にかける。反抗する者がいれば、身分を剥奪し、乱暴をはた
らく者
がいれば、追放処分に付し、権勢をふるう者がいれば、その権力を弱める。帰順を申し出た
者がいれば、
受け入れ、服従を誓った者がいれば、生命を保証し、投降した者がいれば、罪を不問
に付す。
 

敵地を奪ったら、次の原則を守る感荷がある。
要害堅固の地は、二度と敵に渡さぬように守備を固める。険阻狭屋の地は、封鎖して人が通れぬよ
うにする。戦路上の荷である地には、兵を常駐させる。敵から奪った城、土地、戦利品は、独り占
せずに分配する・
   
敵国に対しては、次の原則を守る必要がある。
   
敵がどんな働きをするか、たえず注意する。敵が軍を進めてきたときには、守備を万全にし、敵が
強大であるときには、下手に出て衝突を避ける。敵が疲れをみせないときには、軍を引き揚げ、敵
が裁りたかぷっているときには、その勢いの衰えを待つ。敵が暴言非道であるときには、その自滅
を待ち、敵が信義に背いたときには、その不義を明らかにし、敵が結束しているときには、上下の
離間を策する。
こちらが挙国一致の体割にあれば、敵の野望は挫折する。相手の出方に応じて意表をつけば、敵を
打ち破ることができる。贈を立てて動揺させれば、敵は混乱状態におちいる。こうして四方に網を
張って獲物をとるように、敵を絶体絶命の境地に迫いやるのである。(上略)

酒を川に注いで欽んだ名将
用兵の眼目は、礼を尽くし、禄を爪くすることにある。礼を尽くしてむかえれば、知謀にたけた人
物が集まり、高禄を与えれば、義にそむかぬ人物は命を賭して戦うであろう。こうして、有為の人
には財をおしまず、功労には速やかに宣を与えるならば、全人民の力を結果し敵国に損害を与え
るこ
とができる。およそ人材登用に当たっては、爵位と禄の二つがポイントとなる。爵位を与えて
身分を
あげ、禄を十分に与えるならば、求めずとも自然に人材は集まるものだ。こうして集まった
人材には、
礼を十分に尽くし、義によって奮起させることだ。かれらは対生のために一命を投げ出
すであろう。


一軍の将たる者は、常に士卒と生活をともにし、運命をともにすべきである。こうしてこそ、士卒

は敵を恐れず戦う。かならずや勝利はわがものとなろう。ある名将について、こんな逸話がのこさ
れている。あるとき、かれのところに一簞の酒が贈られて
きた。かれは、それを川の流れに注いで、士卒とともに川の水を飲んだという。わずか一箪である。
川の水に酒の味がするわけがない。それでも、兵士たちはかれのために命を投げだしたいと思った。
兵士たちの心に、かれの思いやりがしみとおったのである。
『軍議』にこう記されている。「将たる者は、井戸掘りが終わらぬうちは、水が飲みたいといって
はならぬ。幕舎の設営が終わらぬうちは、疲れたといってはならぬ。食事の用意が整わぬうちは、
食べたいといってはならぬ。冬に毛皮を着てはならぬ。夏に扇を持ってはならぬ。雨が降っても、
阜を求めてはならぬ。これが将たる者の礼である」と。

運命をともにしているのだという連帯感があってこそ、士卒は離散せず、どこまでも将にしたがい、
疲れることを知らずに戦うのだ。平素から、士卒に恩恵を与え、士卒に連帯感を抱かせてこそ、こ
れが可能となる。(上略)
「たえず恩恵を与えておけば、一人で万人に対抗することができる」というのはこれを意味する。

〈簞〉竹でつくった器。

 

【高品位蓄電池事業:電動自動車向けリチウムイオン電池製造事業】

● パナソニック、EV電池セル3割増産 世界最大テスラ共同工場

7 月2日、パナソニックと米テスラが2016-17年の電気自動車(EV)向け電池供給で2位以下を大き
く引き離してトップとなった。両社はテスラが米ネバダ州に置く電池工場「ギガファクトリー」で
協業している。ブルームバーグ・ニュー・エナジー・ファイナンス(BNEF)が最近のリポートで示
した。テスラとパナソニックによるEVバッテリー販売は1万4890メガワット時。2位は中国の比亜迪
BYD)で7360メガワット時。同社には米著名投資家ウォーレン・バフェット氏が出資している。(
(出典:ブルームバーグ)

 Jul. 2, 2018

また、7月31日、パナソニック、EV電池セル3割増産 テスラ共同工場が世界最大にパナソニ
ックは2018年末に、米テスラと共同運営している米国ネバダ州の電池工場「ギガファクトリー
」で、パナソニックが担う電池セルの生産能力を現在比3割超引き上げる。年産能力は35ギガワ
ット時で、供給先はテスラの電気自動車「モデル3」。この増産は、Tesla Model 3およびエネルギー
貯蔵システムの拡大用需要のため。
他の2つのモデル(モデルSとモデルX)には、日本からのバッ
テリー(18650対21700の異なるセル形式)が付属しています。
バッテリーの35GWhは、数十万テス
ラモデル3のには十分であるが、11週間に1万本のコピーとエネルギー貯蔵システム用には不足し
そうだ。
Tesla Gigafactoryの究極の目標は、105GWhのバッテリーと150 GWhのパックを生産す
る(一部のセルは他の施設からも供給:出典: Nikkan, Electrek, Teslarati)。


 
第17章 「アグロマフィア」の象徴、南イタリア産トマト缶
第1節 
現在、ヨーロッパの大手スーパーチェーンで売られているイタリア食品の多くは、何十万人という
労働者が搾取されたうえで生産されている。オリーブオイル、オレンジ味の炭酸飲料、フルーツ、
野菜……オーガニックを謳っていようが、原産地呼称保護(DOP)が記された「イタリア産」で
あろうが、同じことだ。搾取されるのは、イタリア人の場合もあるし、ほかの国籍の労働者の場合
もある。

 
そうした搾取は、一カポララート」というシステムのもとで行なわれる。一カポラーレ」と呼ばれ
る手配師が、求職者に違法で仕事を斡旋し、手数料を取っているのだ。カボララートは食品業界を
耳る巨大な犯罪ネットワーク、アグロマフィアとつながっている。イタリアではよく知られた存在
で、労働組合の激しい非難の的となっている。イタリアのほとんどの農産物や品分野に関わってお
り、マフィアの拠点が集中する南イタリアだけでなく、北イタリアでも活勤している。この問題は
国内メディアでしょっちゅう取りあげられ、議会でもカボララート取締法が可決されている。だが、
いまだ撲滅されるにいたっていない。

トマト缶の世界輸出量の77パーセントが南イタリア産だ。しかも南イタリア産トマト缶こそが、
カポララートを象徴する商品なのだ。
アフリカからイタリアにやってきた移民たちは、誰もが現地で仕事に就く。たとえ滞在を許可され
なくても、賃金労働者になる。何千人というアフリカ人は、イタリアで「ゲットー」と呼ばれる無
許可労働者キャンプに住みつく。ゲットーはマフィアの支配下にあるが、政府や慈善団体が提供す
る収容センターより人気が高い。カポラーレが斡旋する仕事にありつけるからだ。ゲットーは一般
社会からは隔離されているが、グローバル経済とはつながっている。ゲットーで暮らすことは、雑
居生活をし、不便に耐え、食うや食わずで汚い水を飲み、ぎりぎりの生活を余儀なくされるという
ことだ。マフィアの不当な要求にも耐えなくてはならない。日常的に暴力沙汰かおり、移民の殺人
事件も頻繁に起きている。それでも暮らしていくには家賃を払わなくてはならない。

 その一方で、ゲットーで暮らすことは、同じ境遇の、同じ社会階級の者といっしょに暮らことで
もある。同国人で同じ言語を話し、ゲットーの利点も欠点も知り尽くした人々と、肩を寄せあって
生活できる。疲れるし、苦労は多いけれど、安心はできる。そして何よりも仕事ができる.。働け
るうちは、将来に希望を持つことができる。イタリアのこうしたゲットーは、貧困と搾取の上に形
成された、社会に対する反抗集団なのだ。

  Jul. 11, 2018

国際人権NGO《アムネスティ・インターナショナル》の2012年の報告書によると、イタリア
の農業は移民労働者を搾取することで成り立っているという[1]。ある公式な統計によると、20
12年、ィタリアの農業従事者81万3000人のうち、EU圏外からの正規移民は15万300
0人で、EU圏内からは14万8000人だった[2]。この数字には不法就労者は含まれていな
いが、その数はかなりのものと考えられる。2015年、欧州基本権機関はこの問題に関する報告
書で、「労働者が犠牲になる深刻な搾取」と述べている[3]。
南ィタリアのブッリャ州にあるフオッ
ジャは、加工用トマト栽培の中心地として知られる。


「多くの移民が、夏にはトマトの収穫のためにブッリャ州にやってきて、冬にはまた出ていきます,
みんなたいていは北ィタリアのほうへ行きます」

フィジャのイタリア労働総同盟=食品農某紙§(FLAI‐CGIL)のメンバー、ラッファエー
レ・ファルコーネはそう言った。

「フィッジャでは、およそ3万人のアフリカ人移民がトマトの収穫をしています。でも公式な統計で
はわずか2
000人です。登録簿に記載されている名前しか記録されないからです」



第3節 イタリア、プッリャ州フオッジャ。ポルゴ・メッザノーネのゲットー
2016年7月30日、朝の四時。セネガル人のアルファは、同国人の男といっしょに寝泊まりし
ている古いキャンピングカーから外に出た。水が入ったドラム缶のところへ行き、
洗面器に汲んで
顔を洗う。


「この水はぼくが昨日汲みにいったんです」と、ほかの人たちを起こさないよう小声で言う。

 一ゲットーで水を手に入れるのは本当に大変なんです。こんなこと、アフリカでも経験したこ
ないですよ。まさかと思うでしょう? でも、ニジェールやリビアを歩いて旅しても水に困
ること
はないんです。ほとんどの村には井戸があって、赤十字が自動ポンプを設置してくれて
ますから。
でもプッリャのゲットーで水を手に入れるのは難しい。一番近い給水所に行くの
に、ここから歩い
てI0分もかかるんです」

ゲットーに関する公式データは存在しない。合法であろうが、違法であろうが、存在しないことに
なっているからだ。ゲットーの規模はさまざまで、数十人しかいないところから、何千
人も暮らす
ところまである。労働組合員たちの話によると、ブッリャ州だけで十数ヵ所あると
いう。たとえブ
ルドーザーで解体されたり、火事で焼きはらわれたりしても、またすぐに別の
ところに作られる。

このボルゴ・メッザノーネは、もっとも泥道が少なく、舗装された路面が多いゲットーだ。

旧軍用飛行場の跡地に築かれたからだ。冷戦時代、アドリア海対岸のユーゴスラビアやアルバニア
まで、飛行中隊はここから数分で飛んでいくことができた。敷地のまわりは今も有刺鉄線
で囲まれ
ているが、そこにはもう飛行機の姿はない。ボロボロの車、キャンピングカー、コン
テナなどが、
滑走路の上にひしめき白っている。たくさんのコンテナは、もはや荷物を積んで
世界中に輸送され
ることはない。イタリアに流れついたアフリカ人移民労働者のすみかになっ
ている。コンテナー台
につきマットレスが10枚ほど敷かれ、男たちは畑仕事に出かける前に
そこに横たわって休息する。
 アルファはコンロに火をつけ、靴ひもを結び、自転車の準備をする。それから朝食をとり、歯を
き、きちんと帽子をかぶる。目覚めてから一五分足らずでそのすべてをすませてしまう。

トマト畑まで自転車で一時間です。夜明けまでには着くでしょう」と、やはり小声で言う。

近くのコンテナでまだ眠っている沖間たちがいるからだ。

「ぼくは自転車のほうがいいんです。一時間早起きしなくちやいけないけど、交通費の5ユ

ロを節約できますから」

5ユーロを節約できるとはどういう意味だろうか?
イタリアのゲットーは、違法労働を斡旋するカポラーレの支配下に置かれている。カポラーレは、
移民労働者がゲットーと畑を往復するためのライトバンも手配する。だがそれに乗る
には、「交通
費」として一日五ユーロを支払わなくてはならない。夕方、収穫されたトマトの重
さを測って一日
の報酬が支払われるときに、五ユーロが差し引かれるのだ。

フォッジャでは、アフリカ人移民のほか、ルーマニアやブルガリアなど東欧諸国からの移民もトマ
トの収穫をする。


「そのほとんどが、きちんとした手続きを踏んでいない不法就労者、あるいは半・不法就労者
です。
半・不法就労者というのは、就労の申告をしたのは数時間分だけなのに、シーズン忠ず
っと働いて
いる労働者のことです」と、FLAI‐CGILのラッファエーレーファルコーネ
は言う。
イタリアでトマトの収穫をする移民の賃金は、1ケース300キロにつき平均3・5ユーロから4
ユーロくらいだという。つまり、1キロ当たり・16セントから1・33セントだ。

中国の新疆ウイグル自治区では1キロ当たり1セントだったので、ほぼ同額と言えるだろう。
自転車に乗るアルフア・Cのうしろ姿が小さくなり、とうとう見えなくなった。みんなに置いてい
かれないよう、集合場所のゲットー入ロヘ急いで向かったのだ。行きに一時間、帰りに
一時間、一
日2時間自転車に乗ることを選んだ者たちが、並んで走って畑へ向かう。カポラ
ーレに賃重な賃金
をむしり取られないために。

ライトバンに乗ってあちこち行き来したり、ショートメッセージをやりとりしたり、誰でも自由に
ゲットーに出入りできたりと、プッリャ州ではカポララートの活動を容易に感じること
ができる。
イタリア国家憲兵カラビニエリから逃げも隠れもせず、いつも白昼堂々としている
からだ。労働組
合員やジャーナリストでさえ、あまり目立たないようにしていれば、ライトバ
ンに乗ったカポラー
レがゲットーを出入りするのを間近で確認できる。

「取り締まりが不十分なうえ、憲兵が腐敗してるせいでしょう」

わたしが取材をした10人ほどのFLAI‐CGIL組海員は、みな異口同音にそう言った。

「畑で取り締まりがあるときは、事前にその旨がトマト生産者に通達されます。取り締まりと
いっ
ても形だけなんですよ。大金がやりとりされたこともありました。罪に問われないのが当
たり前に
なってるんです」と、ファルコーネが言った。

イタリアでは、加工用トマトの85パーセントは機械で収穫されているが、残り15パーセントは
いまだ手摘みされている。北イタリアは全面的に機械化されているので、手作業で収穫
されるのは
もっぱら南イタリアだ。カリフォルニア州のトマト畑は広大なので、機械化するこ
とで人件費を減
らすことができ、収穫コストを下げることに成功している。一方、南イタリア
では、たくさんの生
産者が少しずつ土地を所有し、生産者団体を組織して缶詰メーカーと契約
を交わしている。小さな
畑が無数に集まっているため、機械化しても生産性の向上にはつなが
らない。南イタリアのように
区画が小さい畑では、巨大な機械を使って広大な畑で生産をする
カリフォルニア式の「大規模農業
」は向いていないのだ。


ナンドーペレッティ基金の支援で実施された研究によると、南イタリアの平均的な広さの畑
で機械
を使って収穫をする燭台のコストは、カポラーレが手配した移民労働者が収穫するとき
のコストと
ほぼ同額になるという[4]。機械と労働者は互いに競合しているのだ。仮にカポラ
ーレが暴力や
脅迫という手段に訴えて移民に賃金を支払わなければ(これは実際に頻繁に行な
われており、それ
が原因でゲットーで暴力沙汰になることも多い)、ただ同然で働かされる21
紀の奴隷たち、最
先端技術を駆使した機械よりさらに高い競争力を誇るだろう。

ゲットーでは夏になると、雨乞いをする移民の姿をよく見かける。キリスト教徒だろうがイスラム
教徒だろうが関係ない。雨が降ると畑はぐちやぐちやにぬかるんで、重い収穫機械が泥
にはまって
動けなくなる。生産者はリスクを冒したくないので、そういうときはカポラーレに
頼んで労働者を
雇う。雨の日は報酬が値上がりし、1ケース当たり4ユーロ以上支払われるこ
ともある。つまり、
移民にとっての雨は、賃金を上げてくれる恵みの雨なのだ。
だが、雨が降ろうが降るまいが、手作
業による収穫は機械よりずっと質が高い。手摘みをす
る労働者は、機械とちがって赤く熟したトマ
トしか収穫しない。そっと注意深く摘みとるの
で、機械のように実を傷つけることもない。そのた
め、最高級品質のホールトマト缶や、最上
級ブランドの商品には、手摘みされたトマトが使用され
るのだ。

  Oct. 24 , 2017

第3節 プッリャ州りニャーノ。グラン・ゲットー
グラン・ゲットーは、その名のとおり、ブッリャ州殼大の労働者キャンプだ。海原のように広がる
トタン屋根とビニール製防水シートを、森のように立ち並ぶ木製の板や梓が支えてい
る。夏になる
と5000人ほどの移民がここに寝泊まりする。全員アフリカ人だ。とくに、セ
ネガル人、ブルキ
ナファソ人、マリ人、トーゴ人、ナイジェリア人の姿が目立つ。ボルゴ・メ
ッザノーネのゲットー
と同じように、英語かフランス語か、話す言語によって居住エリアが分
かれている。
2016年8月1日、わたしはフオッジャのFLAI‐CGIL(労働総同盟=食品農業組合)組
合員、マグダレーナーヤルチャックといっしょにグランーゲットーを訪れた。ヤルチャ
ックは19
80年にポーランドで生まれた女性だが、2000年代初め、農業労働者としてイ
タリアに移住し
た。


「あれは15年前のことです。同国人の男に連れられて、ほかの人たちといっしょにここにや
って
きました。フオッジャのオルタ・ノーヴァ、カラベッレ、ストルナーラ、ストルナレッラ
といった
村で農作業をするためです。その男はカポラーレだったのですが、そのときはそんな
ことは知りま
せんでした。男はたくさんの男女をポーランドから迪れてきて働かせていまし
た。わたしは打ち捨
てられた古い家で暮らしはじめました。いわゆるカソラーレですが、飲用
水もありませんでした」

カソラーレとは、プッリャ州特有のレンガや石造りの簡素な小屋だ。ファシスト政権下の農
地改革
の一環で農家として建てられたが、今はほとんどが廃墟になっている。


「わたしが暮らしたのは、オルターノーヴァの田台でした。畑で三ヵ月間働き、トマト、ブド
ウ、
アーティチョークなどを収穫しましたが、報酬はもらえませんでした。カポラーレに躾ど
りされた
のです。わたしやほかの子たちの書類を取りあげて、三ヵ月の就労期間が終わったら
支払いをする
と約束したのに、すべて嘘でした。お金をもらったことは一度もありません。結
局、わたしはほか
の子だちといっしょに逃げだしました。女の子たちが売春させられているこ
とに気づいたからです。
男は働かされ、女は売られていたのです。今ゲットーで暮らしている
人たちも同じです。ルーマニ
ア人、ブルガリア人、アフリカ人など国籍は変わりましたが、状
況はむかしとまったく変わってい
ません」

2000年代初め、ポーランド人のカポラーレが起こした暴力事件が、イタリアとポーランドの外
交問題にまで発展した。その後、多くのボーランド人労働者が行方不明になっているこ
とも発覚し、
何人かは遺体で発見されている。マグダレーナ・ヤルチャックはFLAI‐CG
ILに助けられ、
感謝の気持ちから組合の活動を手伝うようになった。イタリア語が堪能なこ
ともあって、今はフオ
ッジャの農業労働組合を支える重要なメンバーのひとりになっている。

リニャーノのグランーゲットーで生活を始めるには、まず、25ユーロで入居権を購入する必要か
おる。さらに、月に20ーロから30ユーロの家賃を支払わなければならない。季節
によって異な
るが、グラン・ゲットーの人居者はだいたい4000人から5000人だ。カポーレの家賃収入は
月に数万ユーロになる。ゲットーでは何をするにもお金がかかる。たとえば、携帯電話の充電は□
‥)ユーロセントから20ユーロセントだ。カボラーレはゲットーで一財とサービス」を提供して
商売をしている。

プッリャ州のほかのゲットーと同じように、アフリカ入労働者の仕事に選択の自由はまったくない
男は畑仕事、女は売春だ。季節によって男の賃金が変わるのに合わせて、女の報酬も変動する。需
要と供給の法則が適用されているのだ。売春の仕事もカポラーレに依存することで成り立っている。
男がライトバンでの送迎に一日5ユーロ支払うのと同じように、女は売春の部屋代として一日10
ユーロ支払わなくてはならない。客がない日でも部屋代は必要だった。

東ヨーロッパからやってきてゲットーに住んでいる女性は、プッリャ州の畑で仕事をします。で
もアフリカ入女性は基本的に畑では働きません」と、組海員のファルコーネは言う。
「ゲットーで生活をするために、アフリカ人女性にはふたつの選択肢しかおりません。ひとつは男
の情婦になること。でもこれは稀なケースです。もうひとつは売春で、こちらのほうがずっと多い
です。乗ヨーロッパの女性の場合はまた状況が異なりますが、だからといってアフリカ入女性より
条件がよいわけではありません。畑で仕事をしたり、パトロンができたりしても、売春を強要され
ることはあるからです」

 Dec. 10, 2016

冬になると、ブッリャ州のゲットーでは、暖をとるための道具があちこちに備えつけられる。火を
燃やしただけの簡単なもので、安全装置などついていない。そのせいで、ゲットーが大火事に見舞
われることがしばしばある。施設が木材やビニールなど燃えやすい素材で作られいるので、ほんの
数十分で全体に燃え広がってしまうのだ。2016六年、リニャーノのグラン・ゲットーで、大火
傷やケガなどの負傷者や死者を出した火事が発生している。2016年12
月には、フォッジャ近
郊のブルガリアーゲットーに発生した火災で、20歳の青年が炎に包まれて死亡した[5]。201
2017年3月2日木曜夜には、またしてもグラン・ゲットーで火の手が上がり、敷地はほぼ全焼
し、アフリカ人移民ふたりが命を落とした[6」。


                    ジャン=バティスト・マレ著 『トマト缶の黒い真実』 
                                 
                                     この項つづく

   ● 今夜の一曲

The long and winding road
Singer:Olivia Newton-John ↑/Paul McCartney↓

The long and winding road
That leads to your door
Will never disappear
I've seen that road before
It always leads me her
Lead me to you door  ......

 

 

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