芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

原発作業に関わる人達

2011年05月10日 | Weblog
仙台一高の同期で日立に勤めていた菊地 宏明氏にたまたま遇う機会があったので、福島第一原発の原子炉を作った会社名を聞いた。彼によると、1号機は、GE製で、米国スリーマイル島で事故を起こしたものと同じ古い型で、2号機は、そのGEと東芝の合作で、3号機は、東芝製、4号機は、日立製だと言う。1号機は、もうその配管に合う部品も入手が難しいくらい古いらしい。
いや、そもそもが、米国はインチの国だから、日本のセンチとは合わないのではないか。配管が壊れていたら、それを直すのに、米国がやるのでなければならないくらいのことを言われて、クリントンが来た時に、米国に放射能を止める方法を任せるように命令されたのではないか。
もうかなり前に、日立と東芝は、緊急用発電機を岡の上に作ることを提案したが、金が掛かりすぎると断られたのだとも言う。
彼によると、事故を起こした時に直ぐ、日立と東芝は、その責任上、無料でも、事故に対応するために待機したと言う。しかし、東電から断られたのだそうだ。強権の原子力安全・保安院を背後に仕事をする東電からすれば、日立も東芝もただの業者だと言う。
作業員の多くは日立の子会社の人間だとも言う。
どうも、東電のテレビでの説明が人ごとのようだと思っていたら、東電の孫請けというのはそういう意味だったのだ。
津波の威力が大きいことを知っていても、費用削減に熱心な社員が社長になるのが今の大方の会社だから、東電の今の社長もそうやって社長になったのであろう。津波対策をケチって、かえって、会社の存亡に関わる程の費用がかかることになったのだ。
志津川から、相当山側にある気仙沼線の線路もこの通りだ。