一昨日、デザイン科のシェーカル先生に、3日の授業を代わってしてもらえないかと、頼まれて快諾し、昨日、一日その準備に費やして、今日、その授業を12時から1時間「侘び寂び」について講義した。
家内がシェーカル先生と共同でデザインを教えているのだから、本来なら、代理を務めるべきなのだが、急な話なので、準備が間に合わないからと私に振って来たのだ。
私は、先日来、侘び寂びの歴史を調べていて、一度話をしようと思っていた矢先だったが、まとめていなかった話を、取りあえず、達磨大師がインドから中国の洛陽近くにある少林寺に禅と少林拳をもたらしたところから話し、鳩摩羅什、玄奘の活躍で、長安に仏教が栄え、そこで、禅が盛んになり、宋の時代になって、南宋から栄西、道元によって禅と抹茶が日本にもたらされたところまで話して、1時間になってしまった。
予定では、その後、鴨長明と吉田兼好の「無常」について話すつもりだったが、人物や寺など映像とキーワードを垂れ幕に映してもらいながら話したら、学生がそのキーワードを写すのに時間を取られて、なかなか進まなかった。初めての名前ばかりで、一部の学生が知っていると思われたのは、達磨大師ぐらいだったであろうか。
達磨大師はさることながら、達磨を知らない日本人はいないし、玄奘と西遊記についても日本人は大抵知っているが、『大唐西域記』がインドの誇りである古代史の発掘にいかに役立っているかもインドの学生は知らないようだった。
家内がシェーカル先生と共同でデザインを教えているのだから、本来なら、代理を務めるべきなのだが、急な話なので、準備が間に合わないからと私に振って来たのだ。
私は、先日来、侘び寂びの歴史を調べていて、一度話をしようと思っていた矢先だったが、まとめていなかった話を、取りあえず、達磨大師がインドから中国の洛陽近くにある少林寺に禅と少林拳をもたらしたところから話し、鳩摩羅什、玄奘の活躍で、長安に仏教が栄え、そこで、禅が盛んになり、宋の時代になって、南宋から栄西、道元によって禅と抹茶が日本にもたらされたところまで話して、1時間になってしまった。
予定では、その後、鴨長明と吉田兼好の「無常」について話すつもりだったが、人物や寺など映像とキーワードを垂れ幕に映してもらいながら話したら、学生がそのキーワードを写すのに時間を取られて、なかなか進まなかった。初めての名前ばかりで、一部の学生が知っていると思われたのは、達磨大師ぐらいだったであろうか。
達磨大師はさることながら、達磨を知らない日本人はいないし、玄奘と西遊記についても日本人は大抵知っているが、『大唐西域記』がインドの誇りである古代史の発掘にいかに役立っているかもインドの学生は知らないようだった。