芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

国内憲法下には戻りえない沖縄

2013年10月12日 | Weblog
海上自衛隊のイージス艦「あたご」が、漁をしていた操業中の漁船、清徳丸を沈めたことに対する刑事裁判の判決がしばらく前に出ていたが、それについて一言。
これは、日本軍隊の責任回避の典型的な、米軍支配下の自衛隊への継承であると考える。
先ず、ぶつかったときの航海長も見張り番も罰せられず、起訴された事故時に非番だった隊員達が無罪になっている事がそもそもおかしい。
イージス艦は米軍からの支給品であり、原発と同じ性質を持った、米国からの押し売りの賜物である。それをいかに自在に扱うかが、日本人に課せられた仕事である。イージス艦は、米軍最新鋭の大砲を撃ち込まれても沈まない丈夫な駆逐船である。
それ以前にも潜水艦なだしおが、東京湾で遊漁船を沈めて多くの死者を出していながら、この事故を起こしたという認識が甘い。
ぶつかれば、相手側が必ず沈み、軍艦は沈まない。原発も同じだ。日本を沈没させる危険物である。
清徳丸ばかりでなく、当時漁船団が操業中であったことは、海上自衛隊として把握していなければならないことであり、操業中の網を引っ掛けたりしただけで、弁償しなければならないのが、常識である。
それが漁船を沈めても、無罪では、世の中通らない。これの賠償は、原発同様、されていないに等しいのではないか。
もし、これが尖閣列島沖で中国の漁船沈没を惹き起こしたらどうなるか。他国の漁船には甘く、自国の漁船には、無責任であるということだ。そうでなければ、直ちに日中戦争である。
米軍からの借り物にしろ、最新鋭軍艦は、民間の船に、必要以上に注意を払うべきであろう。過失で無罪ではなく、過失でも有罪とすべきであろう。これでは、戦前の巨大な軍隊が辺りを払っていた時代と変わらない。自衛隊が、巨大な米軍の支配下にあることを示す証拠になるだけの結果である。少し、ましなのは、海上自衛隊内で処分をした点であろうが、これも効果がないことは、連続して事故を発していることである。自衛官は借り物でのハワイという米国での訓練を受けることに名誉を感じているのかもしれない。
これじゃ、沖縄はいつまでたっても国内憲法下には戻らない。