今年は約130枚の暑中見舞いのハガキを出した。
会社では、顔を合わせると「暑中見舞いウフフ」と受け取ったことを
笑みで返す人や、「子供がハガキのデザインをすごく喜んでいた」とか
様々な反応が返って来た。
いつも思うのは年賀状などもしかりなのだが、一枚のハガキが
届いた先の人の心をノックしているような感じを受けるのである。
受け取ったときまさしく営業のダイレクトメールみたいに挨拶の
印刷だけでは心をノックすることはできない。
一枚一枚出す人を思い浮かべ、必ず自筆で書くようにしている。
そんな中で、すべて出し終わったと思っていたら、一枚だけカモメールが
残っているのがあったのだ。
さあて親戚にでもだすかな…と住所録を見ようとしたのだが、
まてよ、Oヘンリーの名作に「最後の一葉」というのがあるではないか
と、ふと思い出した。
病気で失意のままベッドに横たわって窓から眺める枯葉が
すべて木から落ちてしまったとき、自分の命も尽きると信じ込んでいる
人のために命を懸けて自分で描いた葉っぱを木にくっつけていたという
話である。(だったと思う)
このハガキはまさしく最後の一葉ではないか、とやや無理やりながら
こじつけてみた。
どうせなら出すのも無理な相手でも考えてみるか…と思いを
めぐらし、おうそうだこの人に出してみようと思い立ち印刷した。
実は名前は知っているが住所を知らないので、ポストに
投函することはできないのである。
それは果たして誰なのかナイショなのだが、その人の名前を書いて
出したつもりで、保管してあるのだ。
さあて出しもしないこの最後の一葉は相手の心をノックするこたができるのか
できないのか…なーんてひとりで楽しんでいるのである。(Ahoだよなあ)
会社では、顔を合わせると「暑中見舞いウフフ」と受け取ったことを
笑みで返す人や、「子供がハガキのデザインをすごく喜んでいた」とか
様々な反応が返って来た。
いつも思うのは年賀状などもしかりなのだが、一枚のハガキが
届いた先の人の心をノックしているような感じを受けるのである。
受け取ったときまさしく営業のダイレクトメールみたいに挨拶の
印刷だけでは心をノックすることはできない。
一枚一枚出す人を思い浮かべ、必ず自筆で書くようにしている。
そんな中で、すべて出し終わったと思っていたら、一枚だけカモメールが
残っているのがあったのだ。
さあて親戚にでもだすかな…と住所録を見ようとしたのだが、
まてよ、Oヘンリーの名作に「最後の一葉」というのがあるではないか
と、ふと思い出した。
病気で失意のままベッドに横たわって窓から眺める枯葉が
すべて木から落ちてしまったとき、自分の命も尽きると信じ込んでいる
人のために命を懸けて自分で描いた葉っぱを木にくっつけていたという
話である。(だったと思う)
このハガキはまさしく最後の一葉ではないか、とやや無理やりながら
こじつけてみた。
どうせなら出すのも無理な相手でも考えてみるか…と思いを
めぐらし、おうそうだこの人に出してみようと思い立ち印刷した。
実は名前は知っているが住所を知らないので、ポストに
投函することはできないのである。
それは果たして誰なのかナイショなのだが、その人の名前を書いて
出したつもりで、保管してあるのだ。
さあて出しもしないこの最後の一葉は相手の心をノックするこたができるのか
できないのか…なーんてひとりで楽しんでいるのである。(Ahoだよなあ)